115.幻影
お互いにらみ合う状態――しかしナイオスは武器を持っていない様子である。完全な手ぶら状態だ。多分魔法で戦うのだろうが……一体どういうのを使ってくるんだ。
ただ……相手は特に動こうとはしていない。こちらから攻めてこいってことなのだろう。ナイオスの術中にハマることにはなるだろうが、ここはお望み通り俺から攻撃してやろう。
「行くぞ!」
俺は地面を蹴り、一気に相手へと距離を詰め、自分の定番――物理で攻める。
一瞬にしてナイオスの正面に到達し、すかさず体を低くする。正面突破の攻撃に見せて、軽くフェイントを入れた形だ。そのまま流れるように右足を軸にして軽く回転――その勢いのまま相手の殴りを入れ込む!
威力は十分――相手は動いていない。
確実に当たった――。
「――なっ」
しかし、俺の攻撃は空を切った。確かに目の前にはナイオスがいる――のだが、俺のパンチは彼の体を突き抜けていた。突き抜けた部分は空間が歪んでいるようになっており、ナイオスの体がぼやけている。
これは――一体なんなんだ。
「幻影だよ。それは空虚……そこに僕はいない」
背後からナイオスの声がする――同時に何かが首元に来る気配を感じ取った。俺はすかさず、左手で防御姿勢に入り攻撃を――手刀を掴んだ。
「ナイオス……お前、やべえ魔法使うな……!」
「君ほどでもないさ」
しかも、この手刀の威力が桁違いに高かった。人間業ではない……魔族だからこそなし得ることができるものだろう。
俺はくるりと振り向き、もう一度ナイオスをこの目で捉える
「僕が得意な魔法はね、幻影魔法って言うんだ。能力を明かすと……僕がこれまで見てきたものを幻影として生み出すことができる。もちろん、本だって見たものに含まれてくる」
幻影魔法……聞いたことがないものだ。恐らくは人間界には存在しない魔法、いわば魔族特有のものなのだろう。かなり手強いのは間違いない。
「なにそれ……! 幻影ってどうしようもないじゃん!」
「で、でも……本で見たものも生み出せるってことは……もうそれ……なんでもありなんじゃないですか……?」
エリサとユイが口元を覆って驚愕を呈する。
「その通り。僕はなんでも生み出せる。それがたとえ、空想上のものだとしても」
そう言いながらナイオスが指を弾くと、途端に辺りが暗くなった。太陽が隠れたのかと思い、俺は空を見上げるが――。
「たとえば……十メートルを超える巨人だとか」
太陽が隠れたのは確かだった。しかし、太陽を隠しているのは雲なんてちゃちなものではなく――彼が言っているように巨人だった。
「うそぉぉぉぉぉ!?」
「なんですかこれぇぇぇぇぇ!?」
「おいおい……マジか……」
あまりにも巨大すぎる……こんなの本でしか見たことがない……化け物だ。巨人がこちらを見下ろしたかと思えば、足を大きく上げて俺へめがけて下ろしてくる。
不味い……! 逃げるのは間に合わない――だけど抵抗しようとしても抗えるかどうかも未知数だ……! だが……やるしかない!
俺は拳を引き、自分の全力で巨人の足裏を殴ろうとした。
だが――。
「あれっ……」
しかし、俺の拳が巨人の足裏に当たることもなければ、巨人が俺を踏み潰すこともなかった。ただ巨人の足は俺の体をすり抜け、地面に当たるのみである。
「そう……ただ幻影なんだ。空虚であり、実体は持たない」
幻影のように、いや幻影そのものなのだが巨人は霧散して消えた。ナイオスは苦笑しながらも、俺のことを見据えた。
「でも、僕は君を惑わすことができる。幻影自体に実体はなくても、幻影は人を惑わし貶めることができる。そんな能力だけど……きっと君なら勝ってくれるよね」
「ふっ……負けるのを望んでいるのか?」
「君の実力、その全てが見たいと思っているだけさ」
「全く……ナイオス、お前は面白いやつだ」
彼はただ、俺の実力を見たいと言っている。それは冗談でも慢心でもなく、本心であるのは伝わってきた。ならば、俺はこの試合に勝つほかない。
勝てるのか……という問いが自分の中で一瞬こだまするが、しかし勝ち筋がないわけではない。幻影は確かに強い。生物は実体を持たない幻影に惑わされるし、破滅だってするだろう。
けれど――決して勝てないわけではない。
「ふぅ……」
俺は息を吐いて、拳を構える。今、間違いなく自分はナイオスを見ているが、あれが本物だなんていう確証はない。恐らく実体じゃない可能性の方が高いだろう。
だけど、今はそれでいい。
「はぁっ!」
素早く動き――ナイオスを殴る。けれど、拳は空を切る。だが想定内であり、決して驚くことではない。俺は咄嗟に振り向き、背後に移動していたナイオスへと走る――だがそれも幻影だ。
「カイル……少し自棄になってしまったか……」
どこからか残念そうなナイオスの声が聞こえる。確かにパッと見では自棄になっているように見えるかもしれない。しかし、俺は間違いなく勝てる自信があった。
「自棄になんてなっていないさ。ただ――お前の気配を探っていたんだ」
幻影に対して何か工夫して勝てる方法なんてない。それが俺の出した結論であった。今の自分には幻影をどうにかする魔法なんてないし、アイテムだって持っていない。
ならば――正面突破すればいい。
己の経験だけを信じた……直感だ!
俺はナイフを取り出し、背後に立つ木に向かって投げた。ナイフは狂うことなく木に直進し――幹に直撃する。同時に周辺の空間が歪み、冷や汗を流しているナイオスの姿が現れた。
「……どうして僕がここにいるのが分かったんだい?」
「直感だ。もちろん間違いだった可能性もあったが……どうやら当たってくれたらしい」
「ははは……君はあれか……脳筋というやつか……?」
「ああ~確かにそうかもしれないな」
なんだかリエトン伯爵と一緒にされたような気がしたが、まあいいか。別に脳筋という言葉自体、間違っているわけではない。俺はこれまでも自分のぶっ壊れたステータスだけを信じて、ナイオスが言っているようにある意味筋肉だけで戦ってきた節もある。
今回に関して言えば……経験って言葉を使いたいところではあるが。
「さっすがカイル! 見たかねナイオス少年! 私たちのカイルに勝てるわけないんだよね!」
「わたしたちのカイルは最強です! どうだ見たか、です!」
「参った参った。本当にすごいよ君は」
ナイオスは頭を掻きながらこちらに歩いてきて、手を差し出してきた。
「いい試合だったよ。君を知れて良かった」
「ああ。俺もだ」
俺とナイオスは握手を交わし、深く頷く。しかし本当に強敵だった。幻影魔法だなんて化け物染みたもの……正直勝てるかどうかもギリギリだった。どうにかなってくれたが、下手をすれば負けていた可能性もあったな。