7 完
三浦さんと俺の関係は、良い関係だ。男女の、ではなく姉と弟に近い。今でもお互いの繋がりの先には八代さんがいて、それは二人の縁が切れるまで変わらない。もちろん、三浦さんは“良い女“だ。しかし、いくら魅力的であろうが、姉に恋心を抱くわけもない。あくまで、八代さんの彼女なのである。
きっといつか三浦さんに似合う男が現れたら、全力で応援をして、少しだけ恨むだろう。「八代さんがいるのに」って、思うかもしれない。ほんの少しだけれど。それに関しては彼女の方が辛いところだろうから、心の中で思うことにする。月に何回も二人で飲み会しているうちは、お互い良い人は出来ないかもしれないが。
「翔君、手伝ってー」
「あ、はい!」
亡くなってから三か月程経ってしまったが、今月末でちょうど契約が切れることもあり、八代さんが借りているマンションを引き払うことになった。八代さんの家族により大きな家具や電化製品は処分されているものの、まだ私物はいくつか残っていて、特に三浦さんとの思い出の品はこちらで引き取っていいと言われたので、今日は持ち帰るため八代さんの部屋を訪ねている。
何となく、他人の部屋を内緒で覗き見している気がしてそわそわしてしまう。かといって、すでに整理された部屋はがらんとしていて、俺の妙な気持ちはすぐに霧散してしまった。私物は残っているのだから、元々荷物が少なかったのかもしれない。俺の部屋と正反対だ。お金は無いのに物が溢れる俺の城。あんな部屋でも、八代さん文句一つ言わなかったな。すごい。
小さな一人用テーブルの上に、二枚入りの写真立てがあった。そろりと見遣れば、予想通り三浦さんとの写真。一枚は旅行先で撮ったツーショットで、もう一枚はこの部屋で撮られたものだった。スマートフォンを翳して撮ったそれは、二人が頬がくっつく程ぎゅっと寄り添っている、幸せしか流れてこない若い二人で。三浦さんは今よりあどけなく、八代さんは大口を開けて羽目を外していた。
「はは、まるで高校の時みたいだ」
思いがけない八代さんの姿が懐かしく、高校二年の文化祭を思い出していた。確かあの時は部活で出店を出して、俺のエプロン姿と三角巾が似合わないと、遊びにやってきた大学生の八代さんに笑い転げられたっけ。自分でも理解していたけれども、あそこまで笑わなくたっていいだろう。周りにもウケたから、男子ばかりの部活である意味その日は一日ヒーローだった。
アイツら元気かな。委員会の人たちもどうしたかな。委員会メンバーの割に放課後も集まったことあったから、こうして思い出すと顔が見たくなる。片付けの手が止まっている俺に気が付き、三浦さんも覗き込んでくる。
「これ、大学の時だね」
「大学か、俺が知らない時です」
「教えてあげよっか」
「是非!」
思わず両手を挙げてしまった。三浦さんがそれを見て笑う。恥ずかしい。だって、貴重だろ。
三浦さんまで荷物を放り出して、テーブルに肘を付き話し出す。紡がれる言葉は俺の知らないことばかりなのに、何故だか懐かしく、両手で受け取っても火傷しそうなくらい熱いものを感じていた。
一年の時は何とも思っていなくて友人の一人にすぎなかったこと、二年になって急に仲が良くなって二人で遊んだこと、意外と寂しがり屋で大学から始めた一人暮らしを不満に思っていたこと。どれもが新鮮で、三浦さんの横に照れて頬を掻く八代さんが見えるようだ。この部屋中が八代さんで溢れすぎていた。
「八代さん、元気かな」
隣から吹き出す音が聞こえる。「ぷっ……何それ」
「だって、今にも帰ってきそうなんですもん。実は視えないだけでいるんじゃないかって思う時も、たまに」
「たまに?」
上目遣いに、ちらりと前を覗く。
「いや……ほぼ毎日」
黙ってしまった三浦さんに、情けないことを言ったと振り向けば、彼女は下を向いて震えていた。「私も」笑っているのか泣いているのか分からない声が返ってくる。
俺が八代さんに当たってしまった、八代さんの気持ちと俺の乗り越えなければならない壁が分かったあの日以来、八代さんが姿を見せることはない。翌日、かけられた八代さんの言葉も、今思えば俺の妄想だったのかもしれない。心が空洞になっていた、俺だけの。
それでも信じている。八代さんは何処かにいる、いなくてもいる。サンタクロースだって神様だって、それこそ宇宙人だって、いると思えば“いる”し、いないと思えば“いない”のだ。つまりはそういうことで、八代さんは傍にはいないけれども、確かにいる。存在が消えた、信じている、それだけだ。信じなければそれまでだけれど、信じていれば可能性は見えない遠い彼方まで広がっていく。
信じるか信じないかは、八代さんのことだけではない。今回の出来事でやっと気付くことが出来た。目に見えるものが全てではなくて、毎日の小さなことを、誰も気にしないことまで目をやってみれば、意外と新しい発見が待ち構えていたりする。それを信じて拾い上げるかは自分次第。未来は、今日これからですら、自分でも分からない面白いものへと変えていくことが出来る。
「ね、大学の話したんだから、そっちも高校の時の話して」
三浦さんが顔を上げて言った。よかった、泣いていない。それにしても、高校ね。
「ううん、高校かぁ。俺が情けなかった話しか思いつかないです」
「それは想像つくから。他のやつ」
「辛ぁ……ひどいよ三浦さん」
案の定文句を言われ、八代さんが主人公になるような小話をぽつりぽつり話す。それでもやはり、俺が出てくると笑い話になってしまって、三浦さんにからかわれた。どうせ俺はそういう人間です。それで周りが笑顔になるなら本望。
「は~~~面白かった!」
三浦さんがテーブルを右手で軽く二回叩く。昔話はこれでお終いらしい。
「そうだ。今日で引っ越し完了ってことで、この部屋最後の飲み会“三人”でしますか!」
「三人?」目を丸くさせて言う三浦さんに、「そう、三人!」と明るく返す。三浦さんがやっと笑う。
「いいね、どうせ掃除するんだし、ぱーっと食い散らかしちゃおう! 清一君なら許してくれる」
「イエーイ!」
ほとんど片付けられた荷物を部屋の端に移動させて、俺たちはコンビニに走る。缶ビールとつまみなどを買って十五分程で戻ってきた。張り切り過ぎて二袋分も買ってしまった。
「これねぇ、清一君が好きだったビール」
一つ違うビールを買ったと思っていたが、そういうことだったのか。ビールをいつも値段で選んでいた俺とはここでも異なる。なんだ、八代さんが家にいるようになってからは宅飲みしたこともあったのに。せっかくならこれを買えばよかった。言われなかったから、今まで知る由もなかったけど。
「ビールに好みとかあるんだ」
「味違うでしょうが」
「えぇ~、腹に入れば全部一緒って思ってました」
「やだ、この子。高いお肉食べても同じこと言いそう」
言ってました。なんで分かる。さすが姉御。いや、美人のお姉様。
がさがさ買ってきた物を出して缶ビールを三本並べる。俺たち二人と、残りはもちろん八代さんの分。全部の蓋を開けて、ビールを両手で高々掲げた。
「かんぱあーいッ!」
勢いが良すぎてテーブルに水滴が零れて、つまみの切り口を開ければそこから中身が溢れて、散々な結果に俺たちは笑った。
「あはは! 不器用!」
「もういっちょいきましょ!」
「おうよッかんぱーい」
「かんぱーいッ」
『かんぱい!』
俯く大人たちに告ぐ。
俯く全てに告ぐ。
雨のち雨でも、とことん突き進め!
泣いたって、情けなくたって、恰好なんか気にするな!
そうしたら、がむしゃらに走る自分に、晴れもいつの間にか追い付いてきて、真っ青な快晴になるぞ。
上を向いてみろ。きっと、笑顔の自分がいる。
了




