2
頷いて三浦さんの後を追う。喫茶店は、マンションを出てすぐのところにあるレトロな雰囲気漂う大人な店だった。中に入れば、からんからんと扉に付けられた古めかしい鐘の音が鳴るのもオシャレだ。店員に言われ、俺たちは窓際の小さな机を挟んで対面に座った。三浦さんが真っ直ぐに俺を見る。
「それで、何の用? そもそもここを知ってるっていうのが不思議だけど」
正論だ。いくら八代さんの後輩だったとしても、一度も会ったことの無い彼女の家を知っているなんておかしい。最悪「お巡りさん!」と叫ばれる可能性だってある。自分のことながら、後先考えず行動したものだ。
「ここは八代さんに教えてもらったんです……つい最近」
「つい、最近?」
三浦さんの眉がぴくりと動く。
「あの人がいなくなってからもう二か月近く経つのよ。死ぬ前にってこと? 私の家を教えるくらい仲が良い後輩なんて聞いたことない」
敏感な話題に、機嫌が急降下するのが分かる。亡くなってから数か月と経っていない。まだまだ、触れられたくない傷だろう。それでも、ここまで来たら止めることなど出来ない。
「いや、あの、頭おかしいと思われるかもしれませんが……死んでから八代さんに再会したんです」
「はあ!?」
大声を出してここが喫茶店だと気付き、三浦さんが慌てて口に手を当てる。幸い午前中でまだ客がほとんどいなかったため目立っていないようだ。
三浦さんは口を歪ませたまま、少しだけ近づいて小声で言う。
「ふざけないでよね」
「これがふざけてないんです。俺だって最初は吃驚しましたよ、ついさっき葬式に行ったと思ったらいきなり俺の部屋に現れて」
「ちょっとそれなら何で私の前じゃなくてあんたなのよ」
「ああ……三浦さんのところへ行った時、気付いてもらえなかったって」
「……そう」
意気込んでまくし立てていたはずの三浦さんは、その一言を聞いて乗り出していた腰を落としてすとんと椅子に戻る。少しだけ俯く顔ははっきりとこちらでは確認出来ない。俺が悪いわけじゃないけれども、俺の所為で三浦さんと八代さんが会えなかった気持ちになって、最近毛が生えてきた心臓がつきりと痛む。
「証明にはならないかもですけど、三浦さんのことと住んでいる場所を知っているっていうので信じてもらえませんか」
「他には」
「へ?」
きっと俺を睨みつける。
「他に何か情報無いの! 私だって会いたかった! 会いたかったよ……」
この瞳の強さが辛い。自分が弱いと知っているから出来る瞳だ。この人は八代さんが目の前から消えてから、どれだけの間涙に濡れたのだろう。昨日も眠れぬ夜に怯えたのだろうか。俺はわずかながら、八代さんと”再会”したあの日からの出来事をかいつまんで話した。
この世から存在が消えても、変わらず明るく振舞って俺を後押ししてくれていたこと、意外とふざけることがあったりたまには落ち込んだりしたこと、そして三浦さんを想わない日はなかったこと。三浦さんは口を挟むことなく静かに聞いていた。過ぎていった毎日を噛みしめるように。
話があらかた終わると三浦さんは顔を上げた。
「なんで、私には視えなかったの」
小さく吐き出された言葉が胸の奥の奥まで突き刺さる。八代さんだってきっと同じ想いだった。何故、俺だけだったんだ。勘弁してくれ、八代さん。
――『会いたかったなぁ』
あの日の言葉を思い出す。
もう一度、一度だけでいいからこの人の瞳に映りたかっただろう。毎日一緒にいて、俺は結局ちっとも役に立たなかった。
「俺のところに来る前、一番に行ったそうです」
出来ることは、俺だけが知っている八代さんを、彼女へ伝えることくらいで。
「……本当?」
「それで、その、泣いていたのでもう行かないようにしようと思ったって。泣き顔は見たくないからって」
とうとう、顔の造作が崩れ下唇を噛んだ歯が震える。泣いてしまう、そう思って咄嗟にハンカチを差し出したが、手で制止された。徐々に重力とともに落ちていく表情を何も出来ずに眺める。
「そうなの、もう……勝手なんだから」
三浦さんはそう言って少し笑って、涙を一つ零した。
強がる彼女に何か出来ないか。八代さんの代わりにはなれないけれど、一つでもいい。笑えるような何かが。
「三浦さん! ドライブ行きませんか!」
「は? 今から?」
妙案を思い付いた俺に、彼女がしかめ面で対抗してきた。いくら信じてくれたといっても、初対面の、死んだ貴方の彼氏が視えていましたと言い出すおかしな男と二人きりでドライブとは、危険極まりない行為だ。しかし、三浦さんはどこまでも八代さんの彼女だった。
「いいね。行こっか」
「やった!」
先ほどまでの涙はすでに引っ込んでいて、悪戯そうに笑う。
このくらい図太くないと八代さんとは付き合えないらしい。本当に三浦さんは良い女である。俺は伝票を持って立ち上がった。ここは誘った男の方が支払うべきだ。三浦さんがそれをひったくる。
「年上に甘えておきなさぁい」
八代さん以上に男前だった。
礼を言って、支払いを済ませてくれている間に車を取りに戻る。一年前に購入した軽の丸くて無駄に女子力の高い車は、もちろんいつか出来るだろう彼女の好感度を上げるために選んだもの。色は無難に白にした。
本当は軽ではなくスポーティな車にしたかったが、維持費どころか購入費自体が高くて断念した。結局乗せたのは大学の賑やかな友人ばかりで、女性は三浦さんが初めてという情けない話で終わる。
当ての無いドライブはナビを検索するところから始まった。三浦さんがさっそく文句を飛ばす。
「ちょっと、誘っといて「何処行けばいいか分からない」って男としてどうよ?」
「行き当たりばったりで申し訳ないです。とりあえず、どっか山ないですかね、山。なるべく寂れた所がいいです」
「寂れた山ァ?」
「はい。俺はすでに経験済ですけど、やっぱなるべく人気の無い所の方が都合がいいんで」
「埋める気?」
「埋めない!」
おかしなことを言っているのは自分でもよく分かるが、怪し気な相手にぶつぶつ呟きながらも運転席横に置いてある地図を取り出して探してくれるのは有難い。そこら辺の女性だったら「発言が怪しい」「気の利いた所に連れていかないなんて、使えない」でポイ、だ。すぐに探す手は止まり、地図の一点をとんとんと叩いた。
「じゃあここは? 小さいから、登山の道具持ってなくても気軽に登れそう」
「よし、そこにします」
聞いたことがあるだけの山をナビにセットし、ウインカーを出して発進させる。これから俺流の励ましを三浦さんに送るのだ。




