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 多分、酔っている。この人は酔っている。


 謝るなと注意されたことに謝って返す、普段の彼であれば怒号ものも綺麗に流され良い笑顔でまだ笑っている。「青お」まで呼んだことに対して、聞こえの良いところで区切って勘違いをしたことも酔っているからだろう。ほっと胸に手を当てていると、青鬼がにやにやしながらこちらを見てきた。


「いやぁ、ついに呼称にも「青」が付けば怖い物無しだな」

「それも、縁起ってやつですか」

「おう、そうだ。高田が付けてくれたんだから、余計に良い事起きそうじゃないか」


 そこまで言われると、申し訳なくて小さくなって隅に体育座りしていたくなる。もしかして、明日以降平静の状態でも呼ばないといけないのだろうか。社内でもそうなのだろうか。上機嫌な青鬼には悪いけれども、俺には拷問でしかない。


 青鬼が手招きする。それだけで悪い意味で様になっているのだから、ここまで来れば才能だと思う。見るからに悪の親玉だ。見た目って重要なんだな。


「ここ、座れ」


 拒否など許されない、それ以前に選択肢を与えてもらえない。大人しく、青鬼の隣に座る。ここは部下らしく、ビールを注いだ方がいい。すでに酔っ払い相手をさらに酔わせるべく、ビール瓶片手にレベル十程度の装備で立ち向かう。


「ビールどうぞ」


 半分無くなっていたグラスを満杯にして瓶から手を離す。もうやることが無くなった。目が座った上司を見遣る。開始三十分だというのに、何故すでに出来上がっているのか甚だ理解に苦しむ。


 言い出しっぺが最初に沈没する事態が頭に浮かび、さらには自分が後始末を押し付けられるところまで想像した。嫌だ、せっかく飲むための口実だとしても俺が主役なはずなので、そこは断固拒否する。空のグラスが前にずい、と出された。


「おかわりですか」

「いや、お前のグラスだ。飲め」


 ややパワハラ発言をされつつ、グラスを受け取る。本音を言わせてもらえば、もう飲みたくないのだが致し方ない。青鬼に注がれるという貴重な経験をしつつ、一杯をちびちび飲んで話を聞く。


「高田は、いつも下向いてたな。俺のことも鬱陶しく思ってる」

「とんでもない。後ろ向きな性格は否定出来ないですけど」


 懐かしい話題に苦笑する。お得意の叱咤だろうと、仕事時のように真面目に受け答えした。ただ、鬱陶しいと思っていたのは事実でも、もう過去の話だ。上を向いて、しっかり青鬼を見ていれば、意外と部下を思っていることが分かった。声は大きいし、言葉選びが八代さんのようにうまくないので、相手に悪い印象を与えることは多々ある。それでも、よくよく耳を傾けていれば、頷けることも同じくらいあった。


 罵声の中にある励ましを感じ取れなかったのは、俺だった。最初から最後まで、自分が招いた種で、自分が拾い上げられなかった。それだけだ。一言多いのは直した方がいいと思うけれども。いつか訴えられないか心配だ。


 青鬼が一気に呷り軽くなったグラスに次のビールを入れながら、耳だけは前に集中させる。酔っ払いだけれど、この人の言葉を逃したくないと思った。


「俺もな、怒りたくて言ってるんじゃないんだ。だが、どうにもうまくいかない。きっと嫌ってる連中も沢山いる」

「そんなこと」


 ないです、など言えない俺は馬鹿正直で不器用で、やはり社会人としてのマナーが足りない。ここで一言否定すれば済む話を、ややこしくしている。青鬼の視線が俺を向いているのも分かっていた。


「お前……変わらんな」

「分かってます、おっしゃりたいことはもう、そりゃもう痛い程! ……すみません」

「いや、そりゃ一つフォローしてやれば円滑に事も運ぶだろうが」


 俯き加減に小さく頷く。今更言われなくても、自分の性分くらいは就職活動時から心に沁みている。


「俺はそれで、嘘吐かれて騙される歳じゃない」

「はい」


 珍しい穏やかなトーンが、ひどく落ち着かなくさせる。八代さんとダブって見えた。


「高田は無鉄砲だし、計画性が無いし、顔にすぐ出る」

「……はい」


 静かだ。まるで幼子を諭す親で、俺は子どもだった。


「高田」


 次に何を言われるのか、怖くて耳ばかりか穴という穴を全て塞いでしまいたくなる。聞きたいのに聞きたくない。嫌われたくない。まだ、まだまだ、青鬼の部下でいたいから。


「だが、素直なのは美徳だぞ。それに、ここは仕事場じゃないしな」


 強く握られた拳の横に、水溜まりが出来た。スーツが濡れてしまったが、気にする心はもうとうに何処かに忘れている。


 冗談じゃない。ずるい、大人はずるい。


 いつもの感じをぽいと投げ捨てて親身に語るだなんて、うっかり尊敬してしまうではないか。


「泣くな」

「だって……課長」

「青さんだろ」


「それは決定事項なんですね……」

「マストだな」


 途端、ポケットが震えた。


 スマートフォンは朝から鞄に入れたままなので、万が一のために帰宅しても持ち歩いている仕事用の方だ。急ぎの案件や既存客の一部から定時後も連絡があるにはあるが、頻繁と言える程でもないので驚く。しかも、このバイブパターンは電話で。横の青さんが画面を覗いてきた。


「廊下行ってすぐ出ろ!」

「了解ですッ」


 慌てて廊下に転げ出て、スマートフォンを耳に貼り付けた。


「はい、高田です」


『やあ、水谷です。今日は有難う御座いました』


 まさか、今日の今日で連絡があるとは思わなかった。慌てついでに相手を確認しないまま出た所為で、思ったもみなかった相手にスマートフォンを取り落としそうになるのを必死に堪える。青鬼は画面を確認していたから、分かっていたんだな。酔っていてもさすが。


 イレギュラーな状況に、コンペ内容か自分に落ち度があったのではないかと勘ぐってしまう。助けを求めて視線を右に左にさ迷わせる。そして、誰もいないのを理解して、覚悟して唾をのみ込んだ喉がごくりと鳴った。


「いえ、こちらこそ貴重な機会を有難う御座います」


『それでね。予定より早いんですが、社内で協議したらすぐ結果が出たものだから。定時過ぎにごめんね』


「え……それって――」

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