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「今日こそは飲み会だ!」
有無を言わせぬ物言いに誰も否を唱えることなど出来もせず、半ば引きずられる形で仮祝賀会という名の飲み会が開催された。しかも、営業だけでなく、暇な人間がいれば参加していいことになり、忘年会でもないのに大人数が手を挙げたものだから断るものも断れない。仮なのに、申し訳なくて謝って回りたくなる。
――まだ受注してないんだけど……。
最前は尽くした。結果を待つだけなので、どう思おうがじたばたしようが変わることはない。それなのに、すでにお祭りムードの雰囲気に今更ながらプレッシャーを感じた。
――落ちたら、翌日から俺のデスク廃棄されてるとかないよな。ないよね? ね?
定時になったと同時に青鬼が手を叩き、フロア内の視線が集中する。定時で上がれという無言の指示は正しく伝わったらしく、次々に片付けのウエーブが端の方まで続いていく。随分連携の取れた事業部だと他人事に思っていたが、この光景の原因が自分にあることを思い出して顔が固まった。
――皆慌てて準備してるけど、俺という見るからに会社の中心的人間じゃない奴の飲み会だって知らないんじゃないか?
まあ、知らなくていい。出来れば飲み会の隅で細々飲んだ方が性に合っている。飲み会の場所がありきたりな居酒屋なのが救いか。喧騒の中、営業部の人間に混ざって大人しく付いていった。
「高田ァ~、俺たちを追い越してくなよ?」
居酒屋までの道のりで、営業の同期が肩を組んできた。課は違うものの、同じ営業とあってたまに飲んだりもする。今の嫌味も嫌味ではなく、単純に激励だということを知っている。こういう飾りの無い言葉が好きだ。
「偶然居合わせたラッキー……ってとこだけど、本当のところ努力もしたんだぜ?」
気軽に返したら、眉をへの字にされた。困り顔をされて、こちらも訳が分からず首を傾げる。肩をぽんぽん、と優しく叩かれた。
「知ってるよ。お前、変わったし。高田の口から全然愚痴聞かなくなった」
意外な返答に目を丸くさせる。
言われてみれば、そうかもしれない。
いつからかは覚えていないが、仕事が楽しくなってからは仕事のことも青鬼に対する愚痴も言った記憶が無い。不機嫌な顔をして出社して青鬼の顔色を窺ってイライラして、仲間といる時ですら愚痴を言って、損な生活をしていたと思う。
人生の中でも、学生を卒業して自分で使えるお金が増えて有意義に暮らせるはずの二十代を、二年以上も無駄にした。経験は積んでいるので全てが無駄とは言えないが、もっとまともな生活が送れたはずだ。タイムマシンがあるなら、新入社員の自分を叱り飛ばしたい。
「あ~……馬鹿だったな、俺」
「そう思えるんなら、その時より成長したってことじゃん。十分だよ」
「そっか」気恥ずかしくて頭を掻く。
今なら言えると思った。言いたくなった。
「あのさ」
「ん?」
「八代さんのおかげなんだ。俺がこうして前を向けるようになったの」
「八代さん、か。お前仲良かったもんな。確かに八代さんはすごい。あの人よりすごい営業見たことない」
「そう。すごいんだよ、八代さんは!」
嬉しくなった。すごかったではなく、すごいと言ってくれた。嬉しい。今だって、八代さんはすごいんだ。
彼は俺が過去のことを話していると思っているが、そんなことはどうでもいい。八代さんのおかげで成長出来たことを誰かに伝えたかった。すぐに消えてしまう言葉でも、何かを残したかった。
同期が離れると同時に、今度は一つ上の先輩がすぐ後ろから囁いた。
「調子乗ってんじゃねぇぞ。お前のなんか努力なもんか。まぐれだよまぐれ、俺がそこにいたら俺だって成果出せてた」
先輩にかこつけて調子に乗っているのはどっちだ。しかし、ふざけた脅しに参る程人生半端に生きてはいない。先輩へ体を向けて、視線を合わせる。合わさった瞳が若干揺れて見えたのは、きっと気のせいではない。
「先輩がおっしゃるようにまぐれかもしれません」
八代さんがいたから見られた景色。黙ったまま、文句ばかりの誰かに渡すつもりはない。
「だろ? だからちったあ先輩を見習ってだな」
「だから、次はまぐれじゃないんで。もう、クジームのグループ企業もアポ済です」
この俺が繋げていく。絶対だ。
言葉に詰まった彼に用は無い。彼を置いてさっさと他の仲間たちの後を追う。
前を向いて歩いていくと決めた。足を引っ張り合う、努力もしないで「仕事が来ないのは運が悪い」と慰め合うことはもうしない。
――もし、先輩が仕事で困ることがあったら、全力で助けるけど。
彼は敵じゃない、少なくとも俺にとっては。味方でもないが、同じ会社の人間で縁がある。縁というものは廻り廻って自分の内へ還っていく。プラスにもマイナスにも働くそれを大事にしたい。
チェーン店の居酒屋に着いた面々が、案内された座敷で好きに座る。異なる課を交えた飲み会なので、ここぞとばかりに最初から盛り上がる声がそこら中で聞こえた。
「高田、ちょっと奥の席行ってくる」
隣の席が空いた拍子に、飯塚が自然な流れで腰を下ろした。
「高田君、お疲れ様ー」
「飯塚も来てたんだ」
「うん、定時上がりだし」
全力が出せたのも皆の協力あってだ。背筋を正し正座をして、飯塚に頭を下げる。
「ほんと、感謝してる。ありがとう」
「いえいえ、高田君の頑張りには負けますよ。はい、ビール」
「おっと」溢れるぎりぎりまで注がれて、グラスへ口を寄せて飲み込む。すると、離れて座っていたはずの荒田がいつの間にか傍まで来ていた。荒田は何を思ったのか、隣の俺を通り越して飯塚に向かって話しかける。
「飯塚さぁん、ここは後輩が注ぎますので大丈夫ですよ」
「せっかくの飲み会なんだから、他の課のとこに行ってればぁ? 私、高田君とは同期だから、積もる話もあるし」
「私もお世話になっているお礼に。私の教育担当なんで」
荒田と飯塚に挟まれる形で、グラスが開けば順につがれてしまう。酒は弱くないが、ハイペースで飲む経験が無いので後が怖い。この二人はほとんど接点が無いはずなのに、会話が弾んでいる……気がする。しかし、纏わりつく空気は嫌なもので、さっそく席を立ちたくなった。
「いやあ、酔った。ちょっとトイレに」
「高田さん、手を貸します。これも後輩の仕事です」
「何言ってんの? ここは気の知れた同期が」
「いえ、私が」
もう、本気で酔いが回ってきてぐるぐるし始めた。険悪なムードに耐えきれない。まるで自分を取り合っている雰囲気に恐怖し、こそこそ四つん這いで人の間をすり抜けて逃げ出した。
途中、他の同期に声をかけられながらゆっくり腰を下ろせる場所を探す。急に襟首を後ろから掴まれた。この遠慮知らずの力強さは!
「ぐっ……青お……山本課長!」
やっちまった!
苦しさの中犯人が青鬼だと知り、思うままに声を上げたら心の中でいつも唱えているあだ名を言いそうになってしまった。言い直したが、いくら雑音の多い飲み会の場でもこの距離だ。完全に聞こえているだろう。
またやらかした。自分のことながら、失言の癖は直ちに直した方がいい。問い詰められる覚悟が出来ず、顔を真っ青どころか白くさせて青鬼の前に正座する。先に土下座しておいた方がいいか?
「青? 俺のことか」
「いや、それはですね! 課長がいつも青を身に着けていらっしゃるので、お似合いだなぁと……はは」
鬼の部分までは発音出来ていなかったのが幸いか。変な言い訳をして汗を背中に溜め込みながら、青鬼の出方を窺う。
「ははは! 青……青か」
「そうなんです……はは」
「わははは!」
しばし笑い合って時が進む。どう思って笑みを見せているのか分からない。怖い。瞳孔が開き切っている。怖い。
両肩に手を置かれる。下手なホラー映画より緊迫感があって、目の前の青鬼が悪鬼に見えた。口角が上がっているのは、笑っているという認識でいいのか分からない。まだ悪霊の方がましだ。
「高田、いいぞ」
「は、はいいッ何でしょうかすみません」
「何謝ってんだ。呼びたければ呼んでいいんだぞ、青さんって」
「すみませ……はい?」




