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 急いで買い戻ってくれば、さらに自己嫌悪が増した。


 空回りしている。一か月前までの自分が舞い戻ってきて、自分をぐるぐるに巻き付けて逃げ道を塞いでいる。おかしい。おかしくない。当然の結果だ。たった一つの変更に、振り回されているのも振り回しているのも自分だった。


 そうしている内に休憩を終えた荒田がちらちら心配を寄越してくるので、しっかり視線を合わせ笑顔のオプションを乗せて「大丈夫」と伝える。あからさまにほっとした顔をされた。そんなに、今の自分はひどい顔をしているのだろうか。後でトイレに行って確認をしよう。


──大丈夫。出来る、出来る。


 自分に言い聞かせて、内線を入れた。繁忙期ではないので、締切が近い案件を持っていない社員はたいてい定時に帰ってしまう。定時までに情報を頭の中に入れなければ。


『はい、デザイン課』

「飯塚? 俺俺」

『私に俺なんて知り合いはいませぇん』

「嘘、止めてそういうの、俺です高田です。もう体力マイナスなんだよ」


 クジーム班で世話になっている飯塚にからかわれるが、もうノリを合わせて対応すら出来なかった。飯塚も分かっていて、苦笑いしながら話を進めてくれる。彼女には朝も心配されているので元気な姿を見せたいのだが、同期ということもあり荒田のように仮面を貼り付けることが難しかった。


『うーん……山本課長にはGOサインもらったわけでしょ?』


「そうなんだけど、インパクトがあってかつそれ以上の何かが欲しくてさ。でも、思い付かない」


『うーん、そうだなぁ……ゆるキャラ、トップに持ってきてマウスで追いかけっこ出来るようにするとかゲームっぽさを入れるとか。システムの外注さんも信用出来る人だから、受注後ある程度我儘言っても通るし。というか、高田君の良いと思うことをコンペで言っちゃっていいよ』


 有り難い飯塚の言葉を手放しに喜びたいのに、それを見下す自分もいた。頭の中が堂々巡りをしていて、正解が分からなくなる。


「でも、今出来てないデザインを俺が勝手に言っていいのか? 俺はその辺素人だしもし無謀なことだったら」


 もし出来ないことを提案してしまったらどうなる。苦しむのは自分ばかりではない。考えを見透かされたように飯塚が笑った。


『大丈夫! デザ課と外注さんを舐めないでよ。高田君が思い付くことくらい全部出来ちゃうんだから。結構優秀なのよ』


 そうか。臆病な俺は、他人の評価まで下げていたのだ。勝手にハードルを下げて、仲間を馬鹿にしていたのは。


 守る人間は強い。しかし、挑戦をしない人間は成長しない。自分を守るあまり、他人まで巻き込んでいることを気付かされて、頭を強烈な槍で貫かれた。


「おみそれしました」

「分かればよろしい」


 電話越しにははあ、と両手を前に振って土下座の真似事をしてみせる。営業とデザイン課は距離があるものの同じフロアだ。くすくす、声が受話器を当てる耳に届いてきたので、おふざけはきちんと伝わったらしい。飯塚のおかげで朝から鳴りやまなかったけたたましい心臓も落ち着いてきて、定時までの時間をクジーム班との連絡や資料の見直しに使った。



 十七時半、定時を知らせる音楽が鳴る。契約社員はもちろん社員もちらほら帰る準備を始めている。隣で視線を感じた。


「帰っていいぞ、もう俺だけで十分だから」

「そう……ですか。お先に失礼します」


 捨てられた子犬が耳を垂れさせている。けれども、いてくれても今作業している案件以外はやることがないので、手持ち無沙汰で無駄な残業をさせることになる。むしろ、待っているだけで傍にいられたら、焦りからひどいことを言ってしまいそうな予感がする。ひらひら緩慢に手を振って後輩の後ろ姿を見送り、せっかくの機会だとしばしの休憩を取った。


 喫煙室前に設置されている自動販売機でコーヒーを買う。ブラックで頭をすっきりさせなければ。その場で一気飲みする。開かれたドアからぞろぞろ出ていく社員を、ぼんやり他人事に眺めた。


──あの中に入りたい。


 ほとんど空になった缶を額に当てて深呼吸する。


 今、何て思った。帰りたい、そう思って出た言葉ではなかった。


 逃げ出したい。そう、思ったんだ。


 まずい、あの日々の思考に戻ってしまったらしい。よくない傾向に、八代さんの姿にすがり、空き缶をゴミ箱に投げ捨てた。

 誰かと話がしたい。他愛もない、くだらなければくだらない程いい。


 どうしよう。


 助けて。


「や……」


 八代さんはダメだ。いつまでも一人に頼り切っていては、何年経っても困った時にその姿を探してしまう。横にいてくれると思うな。自分で考えろ。


 今日まで一週間頑張ってきただろう。

 もう少し、あと数時間の辛抱なのだから。


 弱音を吐くな。


 後輩も出来て、教える立場になって、上司にもやっと認められているんだぞ。


 フロアに戻る。十八時半、通常ならば半数以上残っている時間であるのに、今日に限って数人しかいなかった。しかも、同期は直帰だからいない。軽口をたたける同僚も帰ったらしい。大きな息が漏れた。


 どんどん気分が降下していって、溶けて無くなってしまいそうになる。手をキーボードに置くけれども、一向に文字を打ってくれない。

 十九時、十九時半、時計の針だけが速足で進む。パソコンから目を離せば、残っている人間は自分だけになっていた。


 眠い。


 眠くない。


 眠ってはいけない。


 何故、自分だけ残っている。相変わらず八代さんは飄々と辺りを歩いたり、ふらりと何処かに出かけてくる。


 俺がこんなに焦っているのに。


「大丈夫か」


 優しい科白にも素直になれず、無言で小さく頷く。皆、協力してくれている。青鬼だって期待している。失敗ばかりで、無難なことしかしてこなかった自分を。見てくれている人がいる。しっかりしないと。俺が応えないと。百パーセントの力ではまだ足りない。


 もっと。

 もっともっともっと、もっと!


 視界が真っ白になる。訳も分からず、理解したのは拳を資料に叩き付けた後だった。


「……うぉっ」


 遠くにいた八代さんが駆けつける。


「すごい音した。平気か?」

「破れてないです。大丈夫」

「いや、資料じゃなくて高田の手がさ。赤くなってる」


 指摘した八代さんの手のひらが赤い箇所を一撫でするが、もちろん感触は無い。


──いるのに、いないんだもんな。だから、こうして気軽に歩き回って……。


「やっぱ疲れてるよな。でも、明日で終わりだ」

「…………」

「頑張れ」

「頑張れなんて気安く言わないでくださいよ!」


──しまった!

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