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二日目、デザイン課からラフを見せてもらう。上手くまとまっている。逆に言えば、無難で、一目で興味を引かせるものではなかった。一日でやってくれたのは有り難いが、急ぎの出来という裏側が見え隠れしている気がしてならない。
「ごめん……サブは良いと思うんだけど、トップのデザインか色を変更出来ないかな? もっと明るい、一目見ただけで印象に残るような」
「そうだよね、やっぱ分かるよね。うん、妥協してたみたい。こっちこそごめん」
「いいよ。急に頼んだのは俺の方だから。明日は土曜だし、月曜の朝一に一度見せてくれれば」
唯一の女性同期が申し訳なさそうに笑う。これは大事なコンペの仕事だが、ルーティンワークの中を削ってやってくれているもので、昨日かなり残業したことも知っている。それでも、ここで妥協を見せることは出来ないわけで、謝り合いながら再度デザインを練ることで落ち着いた。
三日目、四日目と暴風雨の如く時間が瞬く間に過ぎていく。予想外の出来事であったため休日だから休もうという気にはなれず、家の用事はそこそこに、午後から出勤して資料作成を進める。これ以上はデザインを待たなければならないので、明日に持ち越しになり、そわそわした落ち着かない週末を送ることになった。
たまに何か言いたそうに八代さんの視線を感じるが、聞く余裕も無く帰宅後倒れるように就寝した。こういう時は傍に誰かいるのが煩わしく、それが自分勝手な思いであっても頭から振り払うことは出来なかった。八代さんから何か言ってくることはない。それが彼の優しさなのだろう。
五日目、昨日六時間以上寝たはずなのに疲れは取れず、「荒田の幽霊勘違い事件」振りに隈をひっつけて出社する。体力が無い中の満員電車で気絶するかと思った。肩が重く感じるのも久しぶりだ。ある意味、“つかれている”からな。
パソコンを開くと、デザイン課がさっそくデータを共有ページに上げてくれていた。赤を基調としたデザインに変わっているが、目に付くと言っても目に痛い赤ではなくパッと見の印象は良い。細かな箇所に緑をあしらっているのはクリスマス仕様か。クリスマスを過ぎたら更新して色を緑から白に替えたらどうだろう。
モデルはロイヤリティフリー画像を仮に置いてあるだけだが、五歳以上は年齢を落としているのでとりあえず問題無い。あまり下げ過ぎても、せっかく応援してくれている古参のファンが沢山いるのに反感を買いかねないので、慎重さも重要なところだ。新しいデザインを求められても、既存を壊し過ぎてもダメで、線引きが難しいがそこで差を付けるのがプロの仕事になる。絶対にモノにする。ここで引き下がれるものか。
チェックが済んで細かい部分をデザイン課に投げ、クジーム以外の作業を始める。今日は外回りもあるから荒田を連れていこう。帰社したら荒田に振っている仕事の確認もしておかないと、先日の失敗はもう許されない。
あれは、俺の責任だった。教育係を真剣に、自分のこととして受け止めていない所為で起きたことだった。今忙しいからと、放っておいていいことではない。キーボードを打つ手が速まる。
六日目、何とか形になった。見た目に、おかしい個所は見当たらない。デザインと資料を青鬼に提出し、了承も得られた。
しかし、何か違う。どこか決定的ではない。
気のせいかもしれないがどうしても納得がいかず、資料を回して斜めにしても反対にしても、理由は分からなかった。
これでいいのか、このままで問題無いのか?
アドバイスはもらったもののほとんど一人で作成したため、青鬼がゴーサインを出してくれても不安が付きまとう。
──頭が働かない。
辺りを窺う。八代さん、八代さんは何処だ。
半分無意識に探し続けフロアの端にその姿を見つけたが、アドバイスをもらおうとして、止めた。これは、自分の仕事であって八代さんの仕事ではない。迷惑を掛けることも、ここに留まらせることも良いわけがない。声をかけることはせず、パソコンへ体を向き直り深呼吸をした。
──俺だけでなんとかしなくちゃ。
右手で目頭を押さえる。目がちかちかする。頭痛がしてきた。今日はもう帰ろう、大体すでに上司からサインをもらえた資料なのだから悩む必要も無い。ゆっくりベッドに沈み込めば、明日には頭の整理も付くはず。
「八代さん、帰りますね」
「お、今日は早いね。よかったよかった」
「よかった……そうですね」
八代さんの癒される笑顔が今は毒だった。
適当にコンビニで夕食を買い込み、部屋に帰ってかき込む。美味しい以前に味がしなかった。腹が満たされたら風呂に入りすぐベッドへ沈む。隅にいた八代さんは無言の俺の行動がおかしいと気付いているだろうに、カーテンが開いている窓の外をぼんやり眺めるだけだった。
ふいに、八代さんの姿が歪む。違和感を感じて目を擦ってみるが、何も変わったところはない。疲れの所為で目がやられたか。上半身を起こした俺に八代さんが近づいてくる。
「もう、休むか?」
「はい」
「んじゃ、ちょっとその辺うろついてくるな。おやすみ」
「おやすみなさい」
気を遣われたのか、何か用事でもあったのか、結局俺は最後まで八代さんの想いを汲み取れる程出来た人間ではなかったわけだ。
七日目、ついに最終日が来た。
「寝てる? 大丈夫?」
同期が心配して俺の額に触れる。昨日、せっかく早めに帰宅までしたはずなのに、部屋の中で一人何が納得がいかないのか分からず、八代さんに就寝の挨拶をしてからもベッドに転がりながら呻り続け、気が付けばカーテンから明かりが漏れていた。
やってしまった。この時期に、しかも資料に一切手も付けず徹夜など、気狂いの行いと言えよう。学生の身分ではないのに、そもそも学生の頃と体力でも負けている。
コンペは明日、時間はもう無い。俺の体力もとうに無い。怒っても喚いても、駄々をこねても明日が本番。何かに捕まっていないとその場に倒れてしまいそうで、デスクに座ったら最後、そのまま寝入る自信がある。
「あの……高田さん。お手伝い出来ることありますか」
荒田にまで気を遣わせてしまった。こちらが余裕が無い時でも、余裕を持って対応しなければならないのに。明らかに自分のことを優先にしたこの一週間で、一体何を教えられただろうか。
「じゃあ、データに入ってるラフを四部ずつ印刷してくれ」
「分かりました」
反省し、荒田に指示を出して作業に戻る。
忙しいのは俺の勝手で、荒田に仕事を与える義務があるのも無くなっていない。
八代さんだったら平気な顔してこなしている。そうならなければならない。俺の頭はすでに容量オーバーしていた。
肩を叩かれる。はっとした。
周りを見るが、ほんの数人フロアにいるだけだった。
「な、何時だ」
左手首の腕時計を素通りして時計を探す。十二時四十分、もうすぐ昼休憩が終わるところか。今から食堂では間に合わないから、テイクアウトでサンドイッチにしてデスクで早めに片付けよう。書類やボールペンを乱雑に引き出しに仕舞う。
デスクを離れる時に横目で身の回りを見遣る。パソコンの位置がやや斜めだ、入れ残したメモ帳が一つ。あれはダメだ。人生に荒れていた頃ですら出来ていた整理整頓がなされていないことに気が付き、戻ってきたらさっそく直そうと誓う。
青鬼が言っていたこともあながち間違いではなかった。いや、客観的に見れば正しいことの方が多い。あのデスクではとても出来る大人には見えない。本人ですら思ってしまうくらい、重症だった。
「はあ……やっぱり味がしない」




