振り向けば一人
「は……仕様変更、ですか」
電話口から妙に明るい声が聞こえてくる。それなのに内容は、心の深くを突き抜ける重いものだ。
『そうなんだよ。イベント自体は変わらないんだけど、前に客層が二十代後半から三十代が多いって言ったでしょ。今後のことを考えて十代もターゲットに出来るサイト作りをしたいって意見が出てね。だから、高田君のところに頼む予定だったんだけど、より良いものにしようってことで、他のところも呼んでコンペする話になって。話を進めてるところだったのに、ごめんね~』
「なるほど、より良いものを作ろうとする姿勢、素晴らしいと思います。気になさらないでください。こちらも全力でコンペに挑みますから」
『さすが高田君! 期待してるよ』
「頑張ります」
乾いた笑いしか出てこない。元々通常のイベントプロモーションを請け負うことになったところに、新たなイベントを立ち上げるということになり、タイミング良く担当になれたことでほぼうちで新規イベントサイトもやろうという話だった。しかも、完全に受注が決まれば一千万円どころではない仕事になり、やけに青鬼が俺に優しくしてきたくらいの大きな仕事で。
水谷さんの謝り方の軽さに苛立ちを覚えるが、彼の明るさがそう聞こえているだけであることは分かっているし、こういうことも珍しくないのが実情だ。
プレゼンがコンペに急変した案件を頭の中でぐるぐる巡らせながら、当たり障りない返事をして通話を終了させる。期限は一週間後、まずは絶叫するに違いない青鬼に報告に行かなくてはならず、すでにため息が喉の奥で順番待ちをしていた。
──期待してるよ、かぁ……。
社内に戻ってきた青鬼に知らせる。予想通りの返答が怒涛のように襲いかかり、「今すぐ対応しろ!」と何故か怒鳴られながら指示された。俺が悪いのか? 違うよ。違う。
あの怒鳴り癖は何とかならないものだろうか。本人はキレていないつもりなのは、無自覚過ぎて笑えてくる。言葉の暴力って知らないのか。誰か彼に言える人物、つまり青鬼と同期か上司あたり注意してくれれば、もっと物事が円滑に済むであろうに。ただ、入社数十年経っていて未だにあの口調のままの彼を考えれば、退職するまでに注意される可能性はゼロに限りなく近い。もしかして若かりし頃の青鬼もああして上司に怒鳴られて、それが当たり前だと思っているのかもしれない。そうだったとしても、部下に同じことをやっている彼に同情などしないが。とにかく、今この瞬間分かることは、今日残業確実ということだけだ。
「コンペまで一週間か……何とかなるだろ」
この一か月、八代さんの助言を受けつつ上手く仕事をこなすことも覚えた。後輩の指導も、こちらから口を出すことは少なくなってきたし、もうあまり時間を割かなくても大丈夫。
「俺が使ってた資料でも持ってこようか? 参考になるか分からないけど、きっとどこかに保管してあるはず」
「有難う御座います。ていうか、八代さん資料持てないでしょ、俺が持ってきます」
「はは、俺今幽霊だったな」
そういえば、八代さん担当の現状動いている案件に関しては、引き継ぎ先の誰かが持って行ったはずだが、他の過去資料は資料室に置いてある。アイデアに詰まった時は、有難くお世話になろう。
余計な仕事が増えたのは頂けないが、いい経験として後を付いてくることだろう。この時はそう思っていた。
青鬼の了解を得て、資料室で八代さんの資料を探す。つい最近ここへ越してきたそれはすぐに見つかった。
「八代さんの字だ」
パソコンで打たれた羅列の中、修正点をメモした八代さんの名残がいくつかあった。ちょっと斜め右上の癖字、たった一か月でも懐かしくなる。
今は必要無さそうだが、コンペが終わるまでのお守りにデスクの引き出しへ入れておく。なんとなく、触れない八代さんの体に触れられた気になって、胸が苦しくなった。
「お疲れーっす」
「お疲れ様です。クジームの件で実は」
「あ、絶対嫌なやつ。言わないで」
「仕様変更の連絡が着まして」
「いや~~~ッッ!」
電話をもらって一日目、定時までにデザイン担当に変更内容を告げ、同じ会社の社員に下げなくていい頭を下げるという行為に内心面白くないと思いつつも、一週間後の期限までに仕上げてくれる約束を取り付けた。
システムはサイト構築に長けた外注に依頼するため、社内でメンバーを決める必要が無く、スケジュールを組むのも実際に受注した後で構わないのが救いか。あとは数日前に仕上げたプレゼン資料を、変更に応じたコンペ資料に作り替えるだけだ。
だけ、と言ってみれば一言で済む。ターゲット層を変えたとなれば、今まで通りのサイトデザインであってはならない。その上、他社との競争が入ってくるため今まで以上の物を作って選ばれなくては、一円の価値も無いものになってしまう。作った資料も当然自信の持てるレベルではある。しかし、そのまま流用出来る箇所は少なかった。担当者から受け取った新しいイベント情報が書かれたメールを開く。
通常のイベントは、メジャーアーティストたちを呼んで行うライブパフォーマンス。ただし、次回から一年間限定で十周年記念イベントと銘打って、アイドルやタレントを起用して地域復興を行うらしい。
最初は、企業の強みである三十代前後の大人向けであったのだが、もっと若い層に目を向けるため、ゆるキャラなどのグッズも即売所で売り出すことになった。それならば、サイトも落ち着いた印象よりポップにしたい。使う色も、トップページのモデルも替えた方がいい。
希望の変更箇所はすでに各担当に伝わっているから任せるとして、俺はそれらを踏まえた営業トークの文面とコンペで相手に配る自信作を作り上げることに専念しよう。いくら既存客でも、客にとって新しい試みのイベントともなれば力の入れようは新規のそれと変わらない。つまり、向こうサイドも一から作り上げる気持ちで取り組んでいるのだから、付き合いがある無しに関わらず、一番良いモノを持ってきた会社と手を組むはずだ。それに選ばれなければならない。一歩先に進むにはそれしかない。
「八代さん、暇だったらどっか行ってても大丈夫ですよ」
ぎょっとして辺りを見回す。集中し過ぎて家か何処かとでも思ってしまったのか、つい八代さんに話しかけてしまった。いつの間にか社内は俺一人になっていて胸を撫で下ろす。荒田も大分前に帰った記憶が朧気ながらある。
今の科白を聞かれたら、独り言な上“亡くなった先輩”と会話する妄想に憑りつかれているいる危ない人間だと思われてしまう。そんな焦る俺を見て、八代さんはにこやかに返してくれた。「大丈夫だよ。待ってる」
自分でも知らない内に、八代さんがずっと身近にいて、そして生きている人たちと同じ扱いをしていた。「暇だったら」だなんて、そう言ってしまったら誰にも視られない八代さんはずっと退屈だろうし、寂しいだろう。何かすべきことはもう、何も無いのに。なんて言い草だ。担当からもらった電話がなかなかに堪えているようだ。あと六日もあるぞ。




