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「高田さん。担当の水谷です。今後は水谷から連絡が行きますので、宜しくお願いします」

「水谷です。高田君の話は野原から聞いてるよ」


 初めましてな水谷さんとがっちり握手を交わす。野原さんから話を詳しく聞きたいので、音楽イベント担当を紹介すると言われたのが昨日。さっそく今日会うこととなった。ハップ側にクジームの人間が来るのはもちろん初で、少々気が張る。


 気の合う野原さんがそのまま担当だったらベストだったが、残念ながら俺が営業するイベントの担当者ではないそうだ。初対面で敬語を取ってくるあたりが業界人“らしい”が、嫌味には聞こえないのが一般企業のサラリーマンとは違う。余裕のある表情が、俺との差を露にさせる。


「結構急ぎだったからほんと助かるよ。このイベントうちのサイト内で紹介しているだけなのに、回を重ねるごとに盛況でね。新規にイベントサイト自体を立ち上げる話も出てるくらいだから、今更日程変更も出来なくて」


「新規サイトですか。それではお忙しいでしょうね、うちではデザイン部署もありますから、もしお困りの時はおっしゃってくだされば少しでもお手伝い致しますので」


「それは心強い!」


 歯を見せて豪快に笑顔を見せる。うん、良い人だ。


 水谷さんは同年代の野原さんと違い、四十は数えていそうな面構えだった。名刺の役職を見る限り、実際そうなのだろう。俺と青鬼の位置関係と似ている。腹を割って仕事の話をするのはまだ先かもしれないが、機会が得られただけでも有り難い。


「今年でね、イベントが十周年なんだ。だから、余計穴は空けたくなくて。とりあえず、プロデュース業務は引き継ぎをさっそくお願いしたいんだけど」


「はい、宜しくお願いします! こちらもスケジュール調整して万全で臨みますので」

「ありがとう」


 思った以上に重要な役割を任せられた。タイミングが本当に良かった。一番近いイベントが十二月なので、繁忙期と被るがプロデュース会社としては致し方ない。夏場と年末年始にイベントが重なるのは当然の話だ。


 さっそくクジーム班のメンバーを頭の中でシミュレーションしながら話し合いを終える。俺自体まだ三年目の若造なので、自由にメンバーを決めることは許されないが、青鬼を通せば希望くらいは聞いてもらえる。今日はコンビニでビールを買って一人祝杯でもしよう。いや、八代さんもいるから一人ではない。


 後ろを向くと八代さんはいなかった。最近何処かへ行ってしまう時間が長くなった。


 まあ、俺の守護霊というわけでもないのだから、八代さんの好きにしてもらってこちらも構わない。というか、俺が強要してはいけないところだ。死んでも会社の様子を一日中見守っていないといけないなんて、俺だったら吐いてしまう。どうせなら、街をぶらぶらしたり、飛行機に乗り込んで旅行したりしたい。


 水谷さんたちを見送り、軽い昼食を済ます。フロアに戻ったら青鬼が帰社していたので、簡単に受注の報告をする。相変わらず喜んでいても凶悪な顔面だったが、異常に褒められていっそ引いてしまった。前とのギャップが激しすぎる。


 同時に納得もしていた。受注内容だけであれば一見通常のプロデュースだが、相手は大手中の大手で、もしもこの仕事をきっかけに他の仕事も受注出来たとしたら。獲得出来た顧客のネームバリューに押し潰されそうになりながら、心臓が五月蠅いくらい刻んでいるのを感じた。


午後の仕事を終える頃、ようやく八代さんの姿が確認出来た。定時で上がり、八代さんが付いてくるのを横目でちらちら見ながら駅前へ向かう途中、ふと歩みが止まる。八代さんが雑踏の中に視線を移したからだ。


「八代さん?」

「あ? ああ、ごめん。帰ろうか」


 もし、俺以外にも視える人がいれば、八代さんはそちらへ行くのだろう。例えば、やっぱり、結婚の約束までしていた彼女。寂しさなど分かったつもりにしかなれない自分は、何も言うことも出来ず目を合わせることも出来ず、何も知らない振りをしておどけた真似をした。


「そうだ、コンビニ寄っていいですか」


 親指でコンビニを示せば、八代さんが右手で缶を掴む真似をした。


「おっ祝杯? 俺も付き合うよ」

「有難う御座います!」


 コンビニで購入したには大きなビニール袋を、がさがさ音をさせて家路を急ぐ。終わった後の片付けが妙に虚しくなるので宅飲みは基本的にしない主義だが、今日は別だった。機嫌が良い上、八代さんが付き合ってくれるなら、片付け時も一人にはならないから最後まで楽しいだろう。


「……あー、重かった!」


 ローテーブルに袋を置いて、ソファに沈み込む。運動不足がたたって、部屋まで運ぶだけで疲れた。まだ二十五歳なのに。


 外回りをしている営業でこれなら、一日中デスクに齧りついている事務系の人たちはいろいろまずいのではなかろうか。もしかしたら、帰りにフットサルなど運動をしているかもしれないし、家で筋トレをしているかもしれないけれども。ちなみに俺は全くしていない。


「明日から会社では階段使おうかな……」


 先日長めに散歩しながら帰宅した時も運動不足を実感したので、少しずつでも何か始めたい。いきなりジムに行く行動力は持ち合わせていないので、手近な方法で手を打ってみよう。


 新たな出会いがあるかもしれない。いや、九割方無いことは分かっている。だって、階段を使っている連中を見かけたことがない。ただ思うだけなら自由だ。


 袋を漁って二本を残して残りは冷蔵庫に入れる。惣菜も適当に並べ、ビールを一本開けて八代さんの前に置いた。


「いらないよ、もったいない」

「気分だけでも。よかったら可愛い後輩に付き合ってください」


 せっかく一緒にいてくれるなら、飲み会ごっこだとしても二人で飲みたい。ビール缶を持ち上げて、八代さんの缶に軽く当てた。断ることを諦めてくれた八代さんが、缶の横に頬杖をつく。


「いつも有難う御座います」

「いえいえ」


 あっという間に空にして、冷蔵庫から二本目を取り出す。ソファに戻る前にリビングの窓を開けた。夜ならエアコンはいらなくて、窓から入り込む自然の風だけで十分涼しい。窓の前に立って風に体を預けていれば、後ろから静かなうねりが背中に触れた。


「会いたいなぁ」


 空耳のように、耳から心臓へ巡った言の葉は手のひらまで落ちていき、ぽろりと零れ落ちる。聞こえない振りをしようか迷って、小さく口を開けた。


「彼女さん、ですか」

「うん」


 穏やかな声が響く。


 昔話でもしているかのような、不思議な声だ。


「前に、彼女の部屋に行ったって言っただろ」

「はい」

「泣いてたんだ」


 例えば、俺に最愛の人がいて、その人が自分を想って泣いていて、間近で見ながら触れることすら出来なかったら。例えば、毎日傍にいるのに、こちらを一つも見てもらえなかったら。


「もう、行かないけどさ」


 眉根が震える。声が、出ない。


 何か言わないと。


 何も言えない。


 いつも笑顔を絶やさない八代さんが、右手で目元を覆う。指先が揺れていた。


「でも……会いたいなぁ」


 呟きが夜風に揺られて街を超えて、彼女の家まで届くといい。ほんの一瞬でも、八代さんの想いが彼女を、八代さんを温めてくれたら。

会いに行くだけなら、出来る。一度会いに行ったと言うのだからそうだろう。


 それでも会いに行かないのは、自分の姿を瞳に映してもらえない哀しさを、痛みを伴って知ったから。


 ここにいるのに、確かにいるのに。一番近くにいた人に見てもらえないのは、いないのと同じだ。


 いつか時が来たら、八代さんのことを、どれだけ八代さんが想っていたかを伝えたい。

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