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 隣の営業も注意しないどころか交換してあげるなんて、その感情を肯定したようなものだ。苛々が勝手に募っていく。


「高田さん、コピー終わりました」


「あ? ああ、ありがとう。そしたら、俺の顧客一覧渡すから、どういう企業があるか目を通してくれる? 来週くらいから外回り一緒に行くかもしれないし」


「分かりました」

「俺は書類渡してくるよ」


 同じフロアだから荒田に渡してもらってもよかったが、確かめたくて俺が行くことにした。


 二課の課長のデスクに書類を置き、三課に近づく。例の二人がお互いの荷物を交換して引っ越し作業をしていた。


「私知らなかったです」


「八代さんの事故先月だし、わざわざ話題に出す人もいないからなぁ。あ、もうすぐ定時だから帰るよね。その時総務行って請求書渡してくれるかな」


「はい」


 なるほど。彼女は入ったばかりの営業事務らしい。新入社員なら、配属されたのが今週でも八代さんの件は耳に入っているはず。そういえば、三課の事務の人は旦那さんが転勤するとかで今週で終わりだと聞いた。引継ぎで彼女が数日前から入ってきたということか。


――でも、いくらなんでも「気持ち悪い」はないだろ。ここで活躍していた仲間だぞ。


 そう思うものの、言動を注意したところで、蚊帳の外である人間が会話を盗み聞きしていたとこちらがおかしいと思われるだけだ。結局、彼女が総務に行くのを見送るだけで終わってしまった。


「すみません。誤解を解けなくて」

「まあまあ。気にするな、俺は気にしてないよ」


 小声で謝れば、意外にも明るい声が返ってきた。信じられなくて横を向く。穏やかな表情をしていた。何故そんな顔が出来るんですか。


「だって、あの人八代さんこと知らないくせに」

「知らないからだよ」

「でも」


 本人が許そうと納得がいかなかった。当事者じゃないくせに苛々して八代さんには申し訳ないが、我儘だとは思わない。


「事故物件みたいなもんだし」

「じこぶっけん」


 ダメだ。我慢出来ない。荒田の様子を見るため戻っていた足を反転させ、慌てて廊下に出る。瞬間、吹き出した。


「ぶはッッ」


 誰もいない廊下を足早に進み、非常階段の扉を開けて隠れる。


「なんすか事故物件て! 社内で変な声上げるとこでしたよ」


 当の八代さんはふざけたつもりはないらしく、淡々と続けた。


「考えてみろよ。家族が家で亡くなったってみんな気にせず住み続けるけど、知らない人が亡くなった部屋は事故物件になって家賃まで下げられるだろ。それでも住む人は少ない。知ってるか知らないか、身近な存在かそうじゃないか、そこが重要だってこと」


「な、なるほど……」

「俺だって、自分の席にいた人がつい最近亡くなったって聞いたら良い気分はしない」


 言われてみればそうだ。たとえ自然死だとしても、見知らぬ誰かが死んだ部屋になんか住みたくない。家賃が半分ですと言われても、問題の無い部屋を選ぶ。彼女にしたって八代さんは見知らぬ誰かだった。それだけだった。


「そうか……ついムキになっちゃいました」

「いや、ありがとう。俺のことを忘れないで、俺のことで怒ってくれる、良い後輩を持って嬉しいよ」

「いやあそんな、へへ、もっと褒めたっていいんですよ」


 冷静になったら荒田のことを思い出した。先ほど彼女が総務に向かったということは、定時ということだ。きっと荒田は定時になっても、俺からの指示を待って帰れないでいる。急いで営業デスクへ戻った。


「ごめん! 定時過ぎたかな」

「お疲れ様です。ちょうど定時になったところですよ」


 ニコニコして待っていてくれた荒田が、実家で飼っている犬に見えた。元気にしてるかな、サオリ。父親が付けたのだが、もう少しペットっぽい名前に出来なかったものか。しかしいつの間にか定着して、サオリとしか呼べなくなった。いかつい顔したシベリアンハスキーだけど。


 伸ばした腕に気が付いて、荒田の頭の上でぎょっとした。ぎりぎりで手を引っ込める。


「ヤバ、ごめん。うちの犬っぽくて癒されて頭撫でそうになっちゃった」

「犬みたいって! あはは、撫でられるとか全然気にしないですよ私。むしろ癒されてくれてるなら万々歳です」


 面を喰らいつつも、俺は首を横に振った。


「そう思ってくれるなら助かるけど、たとえ頭に一瞬でも男性が女性に触れただけで、人によってはセクハラ扱いされるからね。俺も気を付けないと」


「はぁ、そんなもんですか。大変だ」


「大変なのよ。でも、俺たちが無意識にしていることが大迷惑ってこともあるから、そこはしっかり自覚しないと。悪気が無いっていうのが一番悪いからな。悪いってことを理解出来てないってことだし」


「勉強になります!」


 素直でイイコだ。こういう話は男性が学ばないといけないのだろうが、中には女性が男性になんて事例もあるから、学んでおいて損は無い。


「先輩だなぁ」


 八代先輩だ。荒田と一緒なので、独り言のつもりだろうが、俺にはばっちり聞こえています。親戚のおじさんか。後輩の成長をほのぼのした調子で褒めてくれるから、鏡を見られない状況で顔が赤くなっていないか心配する羽目になった。


「急ぎの案件無いからもう大丈夫だよ。明日もよろしく」

「お先に失礼します!」

「お疲れ様」


 よしよし。挨拶が元気な新入社員はどこへ行ったって印象が良い。ちゃんと研修を学んできたんだな。俺こそ、荒田に対して親戚のおじさんになってしまった。二歳くらいしか違わないのに。


 荒田となら上手くやっていかれそうだ。

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