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「わっ!」


「わあぁっ」


 耳元の脅かしにまんまと嵌ってバランスを崩す。右手に持っている資料を咄嗟に抱き込んで守る。集中し過ぎて八代さんがずっと傍にいることを忘れていた。脚立に上っている時ではなくてよかった。さすがに、八代さんの悪戯心はそこまで到達していなかったらしい。


「八代さ……」文句を言おうと後ろを向いたら、俺より目を真ん丸にさせた青鬼がこちらを見ていた。言い終わる直前で口を手に当ててみたが、青鬼には伝わってしまったことだろう。その後ろに八代さんがいて、両手を付けて謝罪のポーズをしている。


 謝らなくても大した悪戯ではないので気にしないが、場所と一緒にいる相手がまずい。スーツの中で真夏並みの汗が噴き出るのを感じた。青鬼が一歩前へ出て、こちらに手を伸ばされる。思わず目を瞑った。


「高田、疲れてるんじゃないか? だいたい資料も集まったし、片付けはもういいから、外回りでも行って外の空気吸ってこい」

「いえ、そんなことは」

「いいから」


 額にごつごつした手のひらが当てられる。すぐに後ずさり誤魔化したが、異常な汗に気付かれドアを開けて廊下へ放り出された。


 青鬼に気を使われてしまった。


 確かに、今の俺の行動は普通じゃない。しかも「八代さん」と名前まで呼んでしまった。俺と八代さんが同じ高校出身だということは知っているので、恐らく仲の良い先輩に先立たれて頭が少々おかしなことになっていると思われたのだろう。逆の立場だったら俺だってそう思う。部下が散らかした資料の後片付けという明らかに上司がやるべきではない仕事を押し付けてしまう形になり、心の中でひたすらに謝りつつ資料保管室を後にした。


「勘弁してくださいよ」


 これ以上間違った同情を広げたくなくて、すれ違う人間に注意しながら小声で文句を言う。八代さんは「ごめんごめん」と言うばかりだ。


「まあ、実害は大してないんでいいですけど」


 さて、どうしたものか。急遽外に放り出されたものだから、何も準備をせず鞄だけ引っ掴んで出てきてしまった。中身はデスクにあった弊社の紹介パンフレットのみである。アポも取っていないので、青鬼に甘えて一時間くらいぶらぶらしてみようか。街中の観察だって、市場調査と思えば立派な仕事と言える。会社から徒歩五分の駅前をふらついていると、一枚のポスターが目に入った。


「音楽イベント、か」


 大学時代のバンドサークルを思い出す。入会動悸は不純な点があったものの、すぐにハマり、馬鹿の一つ覚えに一日中ギターを弾き鳴らして親に怒鳴られて、新しいギターを買えば「お前の手は二本しかないのに、何本買う気だ」と呆れられた。社会に出る時一本以外処分したが、それも今からすれば良い思い出となっている。


 ライブがあれば、リハーサルだと言ってメンバーと朝から夜までスタジオに入り浸っていたし、怠惰極まりない中毎日笑っていたものだ。ライブ用に組んだバンドが複数あって最高十一時間スタジオにいた時は、受付スタッフにも顔を覚えられ気まずい思いもした。むしろ受付のバイト時間より長く滞在していた。卒業して固定で組んでいたバンドも解散したが、まるで十年以上昔に思える。足は無意識に改札を過ぎていた。


 幸運にもイベントはポスターを見つけた時点でちょうど三十分後を示しており、二駅先で降りてポスターに書かれた場所を目指す。公園を通り抜けたところで目当ての屋根が見えてきた。かすかに歓声が聞こえる。


 小さな野外会場だ。入場チケットも無く誰でも観ることが出来るし、出ているバンドも知らない名前ばかりだからインディーズかもしれない。しかし、ステージに立つアーティストも客も、全員の楽しさが伝わってくる。平日の真っ昼間であるのに、ここだけが熱さを全員で共有した一体感に、手がうずうず動き出しそうになった。


「いいなあ」


 ぽつり、本音が漏れる。こういうのは何を抜きにしたって良い。有名になりたいとか、大きいハコでやりたいとかいろいろ思うところはあるだろうが、まずは誰かと一緒になって楽しみたいのが第一だろう。何かをしたい時は、たいてい自分以外の誰かがいないと成り立たない。誰かが応援してくれないと前へ進めないものだ。


 このイベントは後援に大企業が付いてくれているものだから、成功すれば形になるに違いない。素直に応援したい気持ちになった。


「あ、高田。あそこにスタッフがいるぞ」


 八代さんの言葉にイベント横で話し合っている数人を見つけた。スタッフ腕章をしているが、片方はスーツを着ているのでイベントを行っている会社の社員かもしれない。偶然でもせっかくの機会なので話しかけることにした。


「すみません、お忙しいところ失礼します」


 スーツの男性が一人になったところを見計らって声をかける。俺の格好を見て悟ったらしい男性だったが、嫌な顔をされなかったのでほっとする。アポ無し、さらにイベントにいきなりという状況では第一声で追い返されてしまうのも仕方がない状況である。そこをクリアしただけで、何となく良い空気が流れた気がした。身分を名乗り、初対面の社会人同士ならではの名刺交換を無難に行う。


 名刺に書かれた社名に、一瞬震える。てっきり主催かと思っていたのに、まさか、この場に来ているとは。幸か不幸か。不安を顔には出さず、用件をさっそく伝える。


「突然お邪魔して申し訳ありません。こちらのイベントを拝見しまして、是非ともお手伝いをさせて頂きたいと思いました。もちろん、すでにイベントをされているということは、どちらかの業者に委託しているとは存じ上げますが、お話だけでも宜しいでしょうか」


 営業に配属されて何年も経つが、未だに営業トークというものは下手に出れば出る程真実味が薄れていく気がする。それが自分の本音だとしても。鬱陶しくならないよう、適度に抑えるのが腕の見せ所なのだと思う。まだ上手く出来る自信は無い。


 口から出た言葉が、相手にどう伝わったか、媚びすぎていないかすぐさま後悔の色を感じ始めた頃、相手が受け取った名刺を一瞥して俺を見た。この瞬間が、受注か失注か結果の電話を受け取る次に苦手だ。


「そうでしたか。それではこちらへ」

「有難う御座います」


――キた!

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