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八代さんの話によれば、自分が死んだことは意識が戻ってすぐ理解したらしい。そもそも自ら車に飛び込んだわけだから、葬式の遺影を見てすぐに自分のだと思い至ったのだそうだ。
ふらふらうろついてみたが誰も八代さんに気付く人はおらず、どうやってたどり着いたのか、気が付いたら俺のマンションにいて現在この状態である。それにしても何故、俺には視えるのだろう。八代さんの話によれば、俺だけということになる。
「何でだろうなぁ。高田とその日会ってたからかな? それで波長があったとか」
「別に俺、霊感とかゼロですよ」
真面目な返答に「普通そうだろ」と笑っている八代さんは、まるで生きている八代さんで、それがやけに哀しさを助長させる。
──本当にホンモノ……。
何とはなしに腕を前へ伸ばして探ってみる。やはり八代さんに触ることは出来なくて、視えているからこそ、もう同じ世界にいないことを俺は実感していた。ところで、八代さんと話すことは出来たのはいいが、この後どうしたらいいのだろうか。
「そうだ、彼女さんのとこは」
「最初に行ったさ」
「あ、そ、そうでしたか」
珍しく、相手の言葉を最後まで聞かず俺に被せて言う八代さんを見て、口を噤む。ということは、視えなかったのだ。後輩の一人である俺よりも、確実に傍にいたい彼女に自分を見てもらえないのは、経験が無い俺にすら辛いことは分かる。もうこの話題は出さないようにしよう。
「今、もしかして俺って浮遊霊ってやつかな」
「ふゆ……そっすね」
言葉にしてみると随分おっかない気持ちになるが、八代さん本人が言うのだからそういうことになる。相手が八代さんで触れない以外一つも変わった様子がないからこうして話し合っていられるものの、状況だけで判断すると随分おかしなことに巻き込まれていることが分かる。
「成仏しないといけないんですよね?」
「多分?」
「ですよね……」
見本や知識が無いことがこんなにも大変だということを改めて知る。お互いに疑問文で聞き合うこと数分、とりあえず数日か、はたまた何十日になってしまうかもしれないが、流れに任せて様子を見ることにした。誰に聞いたところで、答えを知っている者など誰一人としていないのは始めから分かっている。初めての同居が彼女どころか男の先輩でさらに幽霊とは、人生何が起きるか自分でも分からないものだ。
休日は特に変わり映えは無く、月曜日を迎えた。地獄へ向かう一週間が始まる一番嫌いな曜日であるが、状況が状況だけにふわふわした気持ちで朝が過ぎていく。
「お早う御座います」
「おはよう」
「朝からぱりっとしてますね」
「高田は眠そう」
八代さんは土日でいなくなることなく、今朝もここにいる。同居人がいるみたいで変な感じだ。
いつもより早く起きてしまったので、その時間だけ早く家を出る。駅のホームに立ってみたら、やってきた電車は少し空いていた。座れる程ではなかったが、ぎゅうぎゅうに詰め込まれることもない。明日もこの電車に乗ろう。
電車を降りた後の足取りは不思議と軽やかで、無理やり引きずっていた先週までが嘘に思える程だった。周りは何も変わっていない。変わったのは、俺と、八代さんだった。
「八代さんの状態が異常過ぎて、会社が嫌だってことも忘れそうです」
独り言のように呟く。実際、人に見られていたら完全にぶつぶつ一人で話す怪しい男になってしまうが、俺の後ろには一昨日から八代さんがいる。小さく笑う声が聞こえた。
「今の俺にも役に立つことがあってよかったよ」
「よくないですよ。八代さん彷徨ってるんですよ?」
「そうだなあ」
楽観的なのか、死んでまで後輩の心配をするなど俺には理解出来ない。のうのうと生きているだけで誰の役にも立たないのは、果たして死んだ八代さんより価値があるのだろうか。
急に重くなった空気を察してか、社内へ入る前に八代さんはふらりと別の方向へ歩いて行ってしまった。軽く見送ってからドアを開ける。中は数日前の暗い雰囲気のままだった。いつもより低いトーンで挨拶をして、今日の準備を始める。幸い、締切が間近の案件も無いので、ゆっくり進めさせてもらおう。ちらりと見つからないよう青鬼を見遣る。さすがの彼も誰かに当たり散らす余裕が無いらしく、自慢の青いネクタイも少しくたびれていた。
昼休みになった。外回りのため、昼食は外に食べることにして会社を出る。少し前から八代さんは社内にいたが、やはり誰も気付く者はいない。本当に俺にしか視えないことが分かって、段々責任重大なことを引き受けてしまった気がしてきた。
八代さんも最初から分かっていたのか、誰かに話しかけてみたり触ったりすることはしていない。そもそも、触ったところですり抜けてしまうだけだが。ぼんやり空を眺める八代さんを連れて歩く形で、昼食後すぐアポを取ってある一社目を目指した。
──付いてきてくれるんだ。ちょっと心強いかも。




