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 翌日、会社の面々と通夜に訪れた。


 見る顔が皆、真っ黒な渦に巻き込まれてどん底に落とされた悲痛な叫びを上げている。悲鳴を貼り付かせた顔を見せられていつも笑顔な八代さんは嬉しくないだろうと思いつつ、きっと自分も同じ顔をしている。


――笑顔で見送ることなんて出来るか。突然目の前から消えてしまったんだぞ。


 何も悪いことはしていない、むしろ良いところしか思い出せない。結婚だって決まっていた。そうだ、婚約者の人もいたのだ。名前はなんて言っいていたか。結婚すると報告された時伝えられたはずだが、結婚の二文字が大きすぎて、相手の名前までは覚えられなかった。


 思い出してきょろきょろと見渡すと、親族であろう人たちが声を上げて泣いているのが見て取れた。きっとあの中に婚約者もいる。幸せだったのに、昨日まで結婚式のことを考えて、子どもは何人欲しいとか話し合っていたのだろう。それが一瞬の内に無慈悲な神様が粉々に打ち砕いてしまった。


「この度は誠にご愁傷様で……」


 決まりきった言葉を語尾を小さく濁しつつ述べる自分は、どこか滑稽だ。日本人は人の最期を哀しむ時まで、マナーを気にしなければならない。八代さんもきっと苦笑いをしている。俺の背中を叩いて笑っているかもしれない。


焼香をした後は、俯いて終わるのをただ淡々と待っていた。ここには八代さんはいないのに、何故自分はいる。


 八代さんはいない。もういない。


 何処を探してもいない。







「明日はゆっくり休んで、月曜日は皆辛いだろうが出社してくるんだぞ」

「分かりました」

「お疲れ」


 鳴りを潜めた青鬼が静かに言って一同は解散した。さすがにこれから食べに行こうなどと言い出す者はいない。それに従いとぼとぼと歩き出す。まだ陽が落ち切っていないのに道が暗い。数歩先も見えない程だ。


 違う。


 暗いのではなくて、道が無いのだ。


 足元で道がぷつりと途切れている。


 今まで連れて行ってもらっていただけの俺は、道を失くしてしまった。


 大学を卒業して社会人になって、偉そうに苦労話を友人に愚痴る俺はただ、人に寄り掛かりながら歩いているだけだった。道を舗装してもらって少しの段差に文句を言っている子どもだった。途端、景色ががらがら崩れ落ちる。いっそ気が付かないままであれば幾分か幸せであったのに。


 玄関を開けてそっとドアを閉める。大きな音は、今の俺には五月蠅すぎて受け入れられない。とても自分の家ではないような仕草で、音一つ立てずに部屋へ入った。


「……手、洗わなきゃ」


 蛇口をひねると水が飛び出す。それすら耳にまとわりついて気分がよくない。短い時間でざっと洗ってすぐに水を止めると、着ていた服を脱ぎ捨てて部屋へ戻り、ベッドから引きずり出した毛布に包まった。


 テレビをつけようとしたが止めた。


 せめて電気をと暗い室内を明るくした。


 今日はこのまま寝てしまおうかと思ったが腹が減った。こんな時でも腹が減るなど、何だか申し訳なく思う。


 外へまた出る気力は無い、かといって作る気力も無いときたらあれしかない。キッチンの棚から常備しているカップラーメンを取り出してお湯を入れる。とりあえず腹が満たされればそれでいい。


「……ごちそうさま」


 あらかた食べ終えてシンクに容器ごと放り投げ、ソファに座らずにその前の床にごろりと横たわった。耳を床に当ててみる。しん、と静まり返った室内の中、自分の鼓動だけがやけにどくどく響いてきた。


それが怖くて耳を勢いよく離して立ち上がるが、先に見えたモノが信じられなくて、そのまま目を丸くした固まった。


「え、あ、え、」


 俺の視線の先、ベランダに続く窓の前に、人がいる。


 一人暮らしで恋人の一人もいない俺に、当然いつでも入れるように合鍵を渡す相手などいない。だから、今ここに、俺以外の誰かがいるのはおかしかった。それよりもおかしいのは、明らかにいていい人間ではなかったことだ。立っている者は確かに俺の知る人物である。だが、絶対に、絶対に有り得ることの無い人物だった。


「八代……さん」

「……やあ、高田」


 八代さんの顔は、数時間前に見た遺影の中の笑顔そのものだった。

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