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魔法使いと杖屋さん  作者: 安井優
第二章 魔法使いの杖屋さん
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目覚め

 翌日になっても少年は目を覚まさなかった。少年をベッドに寝かせたため、アイリスはソファから起き上がる。硬くなった体をめいっぱい伸ばし、彼の様子を確認する。昨晩に比べると、ずいぶんと呼吸は落ち着いているようだった。念のため、再び治癒魔法を(ほどこ)す。


 アイリスは身支度をすませ、朝食を取り、店を開けた。少年が心配とはいえ、仕事は仕事。

 とはいえ、客の来ない間だけは少年の近くで木片を削って杖を作ることにした。昨日、森でアイリスが倒した魔物の体を、ナイフで丁寧に、丁寧に、祈りを捧げるかのように削り取っていく。


 杖は、ごく一部の魔物からしか作ることは出来ない。

 杖には最低限、魔法使いの魔力を通すだけの魔力が必要になるからだ。そのため、普通の木材ではなく、魔物から作られる。魔物の死体には、残存した魔力がある。それを媒体(ばいたい)にして、外部の魔力が杖に伝わるというわけだった。


 中には、素人には分からないから、と普通の木材を使った偽物の杖を作る人もいるという。多くは見つかり逮捕されるが、巧妙な手口ですり抜ける者も当然いるわけで、市場にはいまだそういった杖も出回っているようだ。そういう話を聞くたびに、同じ杖屋としては心が痛む。しかし、どうすることが出来るわけでもなく、ただ、アイリスは今日も杖を作る。


 少年がうめき声をあげたので、アイリスは木片を削る手を止めた。やや杖らしい形になってきたそれは、机の上をごろりと音を立てて揺れる。アイリスは少年のそばへ寄った。彼は何やら苦しそうにもがいている。目を覚ましたわけではないらしい。ベッドの上で眉をひそめただけで、その(まぶた)は閉じられたままだ。悪夢でも見ているのかもしれなかった。


 アイリスは再び杖を取り出し、少年に向けて優しく振り下ろす。

「ドリームライト」

 アイリスの口から滑らかに紡がれた言葉は、柔らかな光の粒子となり、少年の(ひたい)に灯る。少年の眉間に刻まれていたしわは、次第にほぐれていく。彼の寝息も落ち着いた。アイリスはほっと胸をなでおろした。


 ◇◇◇


 少年を拾ってから、三日目の朝だった。ソファで眠りについていたアイリスは、ギシ、と店の床がしなる音で目を覚ました。とっさに飛び起きて、サイドテーブルに置かれた杖を音の方向へ向けた。

「っ……!」

 息を飲む声に、アイリスは目を見開いた。向けていた杖を下ろし、それから慌てて頭を下げる。

「ごめんなさい! てっきり泥棒か何かかと……」


 すっかり存在に慣れてしまっていたせいか、少年のことを忘れていた。アイリスはバツの悪そうな表情を浮かべて、少年を見つめる。彼はおびえた瞳で、胸元にしっかりと杖を握る。その手は震えており、申し訳ないことをした、とアイリスはもう一度頭を下げた。


「とにかく、目が覚めて良かった」

 アイリスが微笑むと、彼は緊張気味にあたりを見回した。ゆっくりと視線をさまよわせ、最後にアイリスを見つめる。

「あ、なた……が」

 少年は何かを言おうと口を動かすも、声が出ないのか途中で言葉を切った。アイリスはコップに水を入れて差し出す。少年はおずおずとグラスに手を伸ばし、水面が揺れるさまをしばらく見つめていた。涙をこらえるようにぐっと結ばれた口にグラスをつけると、少しずつそれを飲み始める。水が空になると、少年は再び口を開いた。


「ありがとう、ございました……」

 先ほどよりもクリアに聞こえたが、悲哀の色が(にじ)んでいた。泣くのを堪えているせいか、震えるような声だった。


 少年は、なぜ自分がアイリスの家の前で倒れていたのか、一体自分の身に何が起こったのか、ということをゆっくりと話し始めた。


混碧(こんぺき)が、村を……」

 少年の言葉に、アイリスは眉をひそめる。先日発生し、村を壊滅させたというあの自然災害の生き残りだったのか。彼は話しながら、その時のことを思い出しては、恐怖のせいか体を抱きしめ、その震えを静めようと浅い呼吸を繰り返した。


「つらいことを思い出させちゃって、ごめんね……」

 アイリスが謝ると、少年は首を横に振り、それから自らの手に握られた杖を見つめた。


「僕は……これからどうやって生きていけば……」

 彼の瞳からは大粒の涙があふれる。アイリスはそっとハンカチを手渡しただけで、それ以上は何もできなかった。それほどまでに、少年の境遇は残酷なものだった。


 少年は、突然の自然災害によって、何もかもを失った。仕方がなかった、では済まされない。自分とは五つほどしか離れていない少年がこんな目にあっているのに、ついこの間まで他人事だと思っていた自分が恥ずかしい。少年の生き死にを、店の前では目覚めが悪いと、その程度に考えていたことも。

 アイリスは目を伏せる。すべてを失ってもなお、この少年は生きていかなければならないのだ、と思うと胸が締め付けられた。


 運命とは……神様とは、時に、ひどく冷たい矢の雨を降らせるものだ。誰にも、どうしようもできないことを、突き付けて消えていく。奪えるものすべてを奪って。

 少年の微かな嗚咽(おえつ)が、部屋中に響く。魔法で体の傷を癒すことは出来る。しかし、心の傷までは癒せない。アイリスはそれが歯がゆかった。


「どうして……こんな……」

 一度決壊したダムは、水をそこにとどめておくことは出来ない。少年の想いはあっという間にあふれ、涙と一緒にとめどなく流れていく。


「僕が……うまく魔法を使えていたら……」

 お父さんも、お母さんも、死なずにすんだのか。どうして、僕だけが生き残ったのか。なぜ、僕は、二人を見捨てて逃げたのか。答えのない問いを、繰り返し、繰り返し呟いては肩を震わせる。少年は杖を握る手に、さらに力を籠める。ボタボタと滴る涙は布団に大きなシミを作った。

「僕は……どうして……」


 アイリスはそっと少年を抱きしめた。小さく、非力で、ボロボロになった彼を。

「どんなに辛くても、自分を責めちゃだめ」

 少年は、ぐっと奥歯をかみしめる。アイリスは少年を抱きしめる力を少しだけ強めた。

「混碧は、誰にも、どうすることも出来ないんだよ。あなたのせいじゃない。あなたは、ちゃんと……ちゃんとご両親との約束を果たして、ここまで生きてきたんだもん。それだけで十分立派だよ」


 優しく(さと)すような声が、少年の涙を再びあふれさせた。彼は子供らしくおいおいと声を上げて泣き、それからしばらくすると、泣き疲れたのか再び眠りについた。

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