再会
中腹まで来ただろうか。
大きな岩と岩の間に深く広がる闇が見えた。その先に、洞窟が広がっていることは確認せずとも分かる。洞窟に吹き込む風はやはり、涼しい、と言えるものではなかったが、アイリス達にとってはもはやどうでもよかった。
今日はここまでにして休もう。誰かがそう声を上げ、皆もそれに賛同した。
先ほど休んだ洞窟に比べて、さらに蒸し暑い。やはり、この山全体が、何かに温められているようだ。服が肌にベタベタと張り付くような感覚は気持ちが悪いが、当然シャワーなどあるはずがない。アイリスはトランクケースから水の入った瓶を取り出して、一口飲み干した。
ずいぶんと疲れた。森のような、木々や葉が生い茂っている場所ならともかく、岩山に登るのは初めてのことだ。体がついてこないのも当たり前だった。
特にすることもなく、ぼんやりと暗闇を見つめ……アイリスは「え?」と声を上げる。洞窟の奥へと続く一本道。誰もいないはずの闇が、一瞬だが、動いたような気がしたのだ。アイリスは素早く杖をその方向へと掲げる。
アイリスの異変に気付いたアスターがアイリスにそっと耳打ちする。
「どうした」
「あの、奥に……何か……」
勘違いだろうか。魔物であれば、ガーベラやコルザが気づいてもおかしくはないが、二人は何やら入り口の辺りで話し込んでいた。アスターも杖を取り出し、ゆっくりと奥へ移動する。下手に動いて刺激するわけにもいかない。とにかく音をたてないように、そっと、アスターは腰をかがめて足をすすめる。魔法警団仕込みのそれは、まるで潜入捜査をしているようだ。
「アイリスはここで、待っていろ」
アイリスが頷くと、アスターはさらに奥、闇の深いほうへと足を進めた。
どれほど時間が経っただろうか。
突如、カッ! と稲妻のような光が、周囲に瞬いた。
「っ!」
アイリスは反射的に手で顔を覆う。何が起きたのかわからない。ただ、すさまじい威力の魔法が放たれたようだった。
「何?!」
「どうした!」
ガーベラとコルザは杖を向け、アスターの消えた闇の方へと走る。閃光をものともせず、二人はその真っ白な視界へと飛び込んでいく。逆光の中に浮かぶ暗い影もやがて消え、あたりには静寂が立ち込める。
「アスターさん!」
アイリスも慌てて、立ち上がり、三人の後を追う。
「待て!」
瞬間、アスターの大きな声が響き渡った。洞窟に反響し、くわんくわん、と音を立てる。
「ローレル!」
続いて聞こえたその名に、アイリスは顔を上げた。
遠くに、青年の姿が見えた。背が高く、痩せてはいるが、この環境で育ったせいか筋肉がうっすらとついている。ボロ布をまとっているような状態で、髪は乱雑に生えていた。
やがて、髪の隙間から覗く瞳が宝石のように輝いて見えると、アイリスは思わず走り出していた。がむしゃらに、転がった石を蹴り上げ、力いっぱいに地面を踏み込んだ。ガーベラとコルザの制止も振り払い、固まっているアスターの横を通り抜け――
「ローレル!」
ずっと、ずっと探していた少年。アイリスはその手をいっぱいに広げ、ローレルの体を抱きしめた。見間違えるわけがない。どれほど成長していても、あの時の少年の面影が残っている。
線の細い体がその衝撃にやや後退し、それから、温かな手がふわりとアイリスの肩を抱いた。
「……アイリス……さん……?」
美しいボーイソプラノは、心地の良いテノールになり、小さかった手は、骨ばった男らしい手になっている。アイリスよりも小さかったはずが、アイリスよりも頭一つ分は大きくなっており、ただ……その美しいエメラルドグリーンの瞳だけは、何ひとつ変わっていなかった。
ローレルの瞳は涙にぬれていた。そのしずくが、ポタリと、アイリスの肩に染みを作る。
「どうして……ここに……」
アイリスは泣きそうになるのをこらえながら、背伸びをしてローレルの柔らかな髪を優しく、そっとなでる。あの頃のように。
「ローレルに、杖を返しに来たよ」
ローレルは、肩を抱いていた手をアイリスの背中に回し、きつく、強く、アイリスを抱きしめた。そして、まるで子供のように声を上げて泣いた。
「ずっと……ずっと、謝りたかった! アイリスさんに! 僕……!」
「いいの。ローレルが生きてくれていただけで……。良かった……」
アイリスも、やがて涙をこらえることが出来なくなった。止めようとしても、その涙が止まるところを知らず、瞳から溢れては、こぼれ落ちた。




