休息
アイリスのトランクケースの中身に目を輝かせたのはガーベラだった。
「やだ! これ、ソングフラワーじゃない!」
「「ソングフラワー?」」
男二人はガーベラの手に握られた小さな花に首をかしげる。
「お湯に浮かべると歌うのよ、知らないの?」
ガーベラの冷たい視線に、男二人は黙り込む。これだから男は、とガーベラはため息をついて、アイリスには対照的に可愛らしい笑みを浮かべた。
「ねぇ、アイリスちゃん! 一緒にお風呂に入ってもいい?!」
まさか、この荒廃した村でお風呂とは。
アイリスが驚いたように目を見張ると、ガーベラはアイリスの手を握る。男二人は、アイリス以上に目を丸くして、その様子を見つめた。
「前にこの村へ来たとき、ちょうどいい場所を見つけたの! ちょっと魔法が必要だけど、今日は私もまだ魔力は残ってるし」
先ほど同じ魔物を討伐したとは思えない。さすがは討伐師だ。そのタフさに、アイリスが曖昧な笑みを浮かべると、それを承諾と取ったのか、ガーベラはさっそくポーチから着替えを取り出し、アイリスを引っ張った。
ガーベラが案内してくれたのは、山のふもとに沸いた小さな泉だった。水を温める魔法をかけ、ガーベラは恥ずかしげもなく服を脱いでいく。恥じらいというものはないらしい。
「大丈夫よ。コルザとアスターに覗きなんて度胸はないから」
パチン、と軽くウィンクされ、アイリスもおずおずと服を脱いだ。ここしばらくはシャワーばかりだったのだ。お湯に浸かった瞬間、その気恥ずかしさはあっけなくどこかへ飛んでいった。とろけるような温かさが体にしみわたる。
ソングフラワーの優しい歌声が響く。
うっとりと目を細めたガーベラに、アイリスは気になっていたことを口にした。
「あの……ガーベラさんと、コルザさんは、お付き合いをされてるんですか?」
「はぇ?!」
突然の質問に、ガーベラはパチパチと瞬きを繰り返した。
まさか、そんな質問をされるとは思っていなかったのだろう。アイリスとしてはほんの興味本位で……それも、出来るだけ暗くなってしまわないように、という気遣いだったのだが、どうやら話題選びを間違えたようだ。
ガーベラは顔を真っ赤にすると、視線をさまよわせた。
「付き合っては、ない、のよ……。その、昔からの腐れ縁っていうか……」
ガーベラの表情は乙女そのもので、アイリスの知る『出来るお姉さん』といった雰囲気はない。
「すごく信頼しあっているように見えたので、てっきり……」
「そりゃ、もちろん。信頼はしてるわ。もういい加減、長い付き合いだし。でも……その、す、スキとか……そういう……」
服を脱ぐのにあれほどためらいのなかったガーベラが、ここまで恥じらうとは。態度が好意を表していることにも気づかず、ガーベラは「違うからね!」と声に出した。
「そっ! それこそ、アイリスちゃんはどうなの? その、アスターとか!」
取り繕うようにガーベラが声を出す。予想外の人物の名前に、アイリスは目を見開いた。
アスターは確かに、良い人だと思う。魔法警団の一員だからか、体格はがっしりとしているし、性格だって真面目で優しい。だが……。
「アスターさんは、大切なお客様ですし、考えたこともありませんでした……」
アイリスの言葉に、ガーベラはこめかみを押さえる。アイリスがキョトンと首をかしげると、
「なんでもないわ。恋バナは終わりにしましょ」
とガーベラは憐憫の情をアスターに向け、話を切るのであった。
一方、女性陣がそんな話をしているとは知らない男二人もまた、同じような話をしていた。
「よっぽど、ソングフラワーが欲しかったみたいだな」
アスターがからかうようにコルザを見つめると、コルザは苦笑を浮かべる。
「プレゼントしろって?」
「好きなんだろ?」
「でも、付き合ってるわけじゃない」
二人はずいぶんと長い付き合いだったはずだ。そのせいで、余計に関係性を壊せないのだろう。どうみても相思相愛なのだが、本人たちは気づいていないようである。むしろ、互いに気づかせまいとうまくやっているのか……。
アスターは深いため息をついた。
「付き合ってなくても、プレゼントくらいは普通だ。それに……いつまでも、このままってわけにもいかないだろう?」
アスターのいうことは最もだ。コルザは所在なさげに視線をさまよわせる。こそばゆい気持ちで落ち着かない。
「……そういう、アスターこそ。アイリスちゃんに気があるの、バレバレだからな!」
悔しまぎれにコルザが言えば、アスターが珍しく慌てたような顔をした。
してやったりだ。コルザは内心でほくそ笑んだ。
「なっ! べ、別に、俺たちはただの杖屋と客の関係で……!」
ここまでわかりやすく慌てるのも珍しい。
「アイリスちゃんはそう思ってるかもな。でも、アスター、お前は違う。アイリスちゃんを見てる時の表情、なかなかだぞ」
コルザがニヤニヤと笑みを浮かべれば、アスターは深く息を吐き、コルザから視線を外した。
「ローレルって子に、取られないようにしないとな」
コルザのダメ押しが決まり、アスターは苦虫を噛み潰したような顔を見せるのだった。
戻ってきた女性陣と、交代で風呂へ行った男性陣の間には、妙な雰囲気が漂った。もちろんそれに気づいたのは、部外者だと思っているアイリスだけだ。
結局、その妙な雰囲気は、男性陣が風呂から戻ってきた後しばらくも、四人を支配した。
――アイリスが眠りにつこうか、と準備していた時。アスターがアイリスに声をかけた。先ほどのガーベラの話を思い出し、アイリスの心に何とも言えぬモヤがかかる。アイリスはそれをうまく誤魔化し、アスターとともに家の外へと出た。
「……わぁ……!」
夜空を覆いつくすほどの星々。アイリスは思わず声を上げる。
家の明かりもなければ、街灯もない。そんなこの村で見られる、唯一の美しいもの。
「綺麗ですね」
アイリスの微笑みに、アスターは視線を外す。
コルザとの話のせいで、変に意識してしまう。
アイリスはそんなアスターの気持ちには気づかないまま、目を輝かせて空を見上げた。
「……アイリス」
アスターが口を開く。真剣な声色。アイリスの髪がふわりと風に揺れる。
「もしも、ローレルに会えたとして……杖を返した後は、どうするつもりだ?」
「どうするって……」
アイリスはその言葉に視線を落とす。正直なところ、杖を返した後のことなど、考えている余裕などなかった。だが、杖を返して「じゃぁ、さようなら」というわけにはいかないだろう。かといって、ローレルの身元を引き受ける、という覚悟すら決められない。
「ローレルが、このままここで暮らす、と言ったら、どうする」
アスターも責めているわけではない。アスターもまた、ローレルと出会ってからのことは、何も決めることが出来ないでいたのだ。
「……その時は……」
アイリスは眉を下げ、困ったように笑った。
「その時は、ローレルの意志を尊重します」
ひどい質問をしてしまった、とアスターはアイリスの表情を見て思う。
「でも……。もし……もしも、ローレルが、私たちと一緒に帰りたいと言うのなら……、その時はもう一度、手を取りたいと思うんです」
アイリスの柔らかな瞳が、星の光に反射するかのようにチラリと瞬く。
「なんて……私は、ただの杖屋さんなのに、変ですよね」
どこか儚げなその言葉を、柔らかな夜風がさらった。




