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魔法使いと杖屋さん  作者: 安井優
第一章 少年は杖を
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夢、混碧

 キッチンに立つ母親の後ろ姿。スープの香り。外は晴天で、父親は薪割(まきわ)りのために大きな斧を振るっている。少年はリビングの椅子に腰かけ、折れた杖を修理していた。


 家の端には、テープでぐるぐる巻きになった杖が山のように積まれている。少年が杖を使っては折り、修理しては再び折る。そんなことを数年間続けた結果、出来上がったものだ。彼はそれをしり目に、今日も新たに折ってしまった杖をテープでぐるぐる巻きにする。どれほどしっかり固定をしても、必ず杖は折れてしまう。この作業には辟易していたが、黙々と続けた。


「新しい杖を使ってもいいのよ」

 母親は呆れたように息子を見つめた。その瞳には慈愛(じあい)のような優しさも宿っている。少年はゆっくりと顔を右に向け、家の一番目立つところに飾られたそれを見つめた。


 スラリと伸びた美しい杖。粗削りではあるが、先端には宝石のようなものがついており、それがより美しさを際立てている。無駄な装飾はなく、宝石を受ける台座に金メッキが(ほどこ)されているくらいだ。少年が普段からよく使っている杖に比べて、その全長は長い。自らの背丈とほとんど変わらないくらいで、今は持つだけでも一苦労だった。


「旅の商人さんから丈夫な杖だって聞いて、あなたの誕生日プレゼントにぴったりだと思って買ったんだけど……。大きさなんて気にしてなかったわ」

 これが母親の言い分だ。両親は二人とも、簡単な生活魔法しか使えず、杖を使ったことがないのだ。杖については素人で、大きさはもちろん、その相場も知らない。値段は聞かなかったが、相当高かったに違いなかった。


 プレゼントをもらった日の夜。二人が何やらリビングで家計簿とにらめっこしていたものだから、そういうことに(うと)い少年でさえ、そのことは容易に想像できた。決して裕福ではないのに、自らのために探し回ってくれたのだ。少年は両親の優しさを思うと、心が痛んだ。


 そんな訳で、すぐに杖を壊してダメにしてしまう少年は、そんな杖を使うことが出来ずにいた。両親が身を粉にして働いたお金でもらったプレゼントだ。彼にとってはこの世界にあふれるどんな宝物よりも、その杖の方が大切なもののように思えた。

 杖は道具だ。使ってこそ価値がある。そうは思うものの、壊れてダメになってしまうくらいならいっそ、家の中を引き立てる飾りとして、そこにあり続けたほうがよかった。


 昼になると、やけに分厚い雲が村にかかった。太陽の光すら差し込まず、辺りはやけに暗かった。時折頬を撫でる風は生暖かく湿っていて、少年は不快感を覚えた。うまく言葉にはできないが、野生の勘とはこういうことだろうか。本能的に、何かが、何かに警鐘(けいしょう)を鳴らしていた。気持ちの悪い焦燥感にかられ、体は落ち着かなかった。


 ――突如、それはやってきた。


 ドンッ! 大きな音がしたかと思うと、続けざまに地響きのような轟音(ごうおん)がこだまし、少年の耳をつんざく。爆発音と人々の悲鳴。母親が慌てて外へ出ると、村のあちこちに火の手があがり、濛々(もうもう)と煙が立ち込めていた。


混碧(こんぺき)だ!」

 村のどこかから大きな声が聞こえる。両親はその言葉にハッと目を見開いて、息子を見つめた。両親は素早く壁にかけられた美しい杖を取ると、それを押し付けるようにして息子へ手渡した。少年も、ぎゅっとその杖を握り締める。


「いいかい、ローレル。杖は、魔法使いにとって、剣であり盾だ。何があっても絶対にその杖を手放しちゃいけないよ」

 父親の瞳には、今まで見たこともないような不安と焦りの色が浮かんでいた。母親はぶつぶつと何かを唱え、両手を合わせて祈っている。

「早く逃げよう。ここは危険だ」

 父親に手を引かれ、少年は走り出す。


 刹那。


 爆音が響き、少年は真横へと吹き飛ばされた。痛みに耐えながら、空中で両親の姿をとらえる。外壁のレンガが崩れて飛び散り、それらが両親の頭に直撃。そのまま宙に放り出された二人は、勢いそのままに遠くへと消えていく。

「お父さん! お母さん!」


 次の瞬間――少年は地面に強くたたきつけられ、言葉を失った。鈍い痛みが全身を貫き、体はそのまま地面を転がる。その間も、杖を離してしまわぬよう、必死にそれだけは胸元に抱えてなんとか衝撃をしのぐ。傷だらけだが、幸いにも動ける。少年はなんとか立ち上がり、両親が吹き飛ばされた方向へと走る。その間にも絶え間なく爆音がとどろき、視界を遮るほどの粉塵(ふんじん)がいたるところで舞った。ボロボロになった道の上を必死に蹴り上げ、瓦礫(がれき)の山をよじ登る。ようやく両親のもとへたどり着いた時、少年はその光景にただ愕然と立ち尽くした。


 頭から血を流しているだけではない。父親の腹部は大きな木の板に貫かれており、母親は全身を岩に覆いつくされて、身動きのとれない状態だった。どこからかヒューヒューと空気の通り抜ける音が聞こえ、二人の息は絶え絶えだった。即死していてもおかしくはなかった。ただ、愛する息子のことを思うと、死にきれなかっただけに過ぎない。


「お父さん……? お母さん……?」

 少年はようやく言葉を絞り出す。あまりの惨状(さんじょう)に頭は空っぽになった。言葉にならない声をあげ、少年は二人の姿を見つめる。


「ローレル……」

 息子の声が聞こえたのか、父親はゆっくりと口を開いた。もはや、両親は夢か、幻を見ているような心地だった。少年は出来る限り二人のそばに寄り、その言葉の一言一句を聞き逃すまい、と凄まじい音が支配する中、両親の声に集中した。しかし、聞こえてきたのはたった一言で、それ以上両親が言葉を発することはなかった。


 一時は大きかった悲鳴も、薄れつつあった。村が壊滅状態に(おちい)っているという表れだ。

 空気中の魔力が突如として爆発的に増える『混碧』と呼ばれる自然災害。空気中の多量な魔力を吸って暴走を起こした魔物たちが、一斉に周囲を巻き込んで破壊の限りを尽くす。家や人々は一瞬のうちに失われ、魔物たちもまた、自らの体内に増えた魔力に耐え切れず破裂する。そうして、数時間のうちに小さな村は消えていく。歴史の中で幾度となくそれは繰り返され、対抗する術もないままに自然の驚異に蹂躙(じゅうりん)される。唯一助かる手段があるとすれば、とにかく生きて逃げること。混碧の範囲外に脱出することだけだ。


 少年は、両親の言葉を裏切るわけにはいかなかった。愛する家族を失い、たった一人きりになってしまったとしても、生きなければならなかったのだ。魔物の生き残りを見つければ、そこら中に落ちている杖を拾い、魔法を打って逃げた。戦略など無い。とにかく考える暇もないほどに、がむしゃらに少年はそうして走り続けた。


 両親との温かい時間がずっと続けばよかったのだ。それだけで良かったのに……。

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