そして、アイリスは旅立つ
シャロンは、五つ上の学校の先輩であり、アイリスが杖屋を開くといった時の見習い先の店主であり、とにかく上下関係を叩き込まれた人物だ。決して悪い人ではないが、基本的に金にがめつく、人情やら義理やら、といった目に見えない関係性など、この男にとっては知ったこっちゃない。まさしく商人向きの性格である。
そんなわけで、根っからのお人好しであり、人間関係を大切にしたいアイリスとは、とことんウマが合わなかった。
他にもある。例えば、知人に対してだけ言葉遣いが荒いところ。特に、アイリスの前ではそれが顕著な気がする。客の前ではこびへつらうような笑みと、これでもかと言わんばかりに丁寧に対応するくせに、どうして私の前ではいつもこうなの、と言ってしまいたくなる。
一度、本人の目の前で泣いてしまった時も、シャロンは一喝した。
泣いて許されると思うな。
何ともひどい男である。
「ローレルのことで、お話を伺いに来ました!」
アイリスはえぇい、と声を張り上げる。ぐずぐずしていたらまた怒鳴られるのだ。
「ローレル……?」
シャロンは、まるで身に覚えがないと言わんばかりに首をかしげる。
「はい。三年ほど前、私がシャロンさんに、少しの間、面倒を見てほしいとお願いした少年です」
「……あぁ。ローレルといったか。それがどうした」
本当に面倒を見てくれたのか、非常に怪しい。『それ』扱いだ。
本当に、本当に! 何ともひどい男である。
「ローレルが、魔法学園を退学処分になったと伺いました」
「はぁ?」
「だ、か、ら! ローレルが、退学処分になったんです!」
「退学?!」
さすがのシャロンも、これには驚いたらしい。珍しく目を見開いて、アイリスの方を見つめる。
やはり、シャロンさんのところにも来ていないか。まだ、王都であれば魔法学園からも近いし、アスターに比べて、店に行けば会える、という点で会いやすいのでは、と思ったが。まぁ、シャロンに会って話せばグチグチと嫌味を言われるに違いないし、そういう意味では、ローレルは寄り付かないだろう、とも思う。
「そんな話は聞いていない」
「私も知りませんでした」
「それで。今、そいつはどこにいる」
それ、から、そいつに昇格したあたり、シャロンも気にはなったのだろう。さすがに、一週間とは言え、一度知り合った少年が三年もの間、音沙汰もなく、勝手に退学処分を受けていたと知れば、無視することはできないらしい。
「それがその……」
再び言葉を濁すと、シャロンからきつい視線が飛んできたので、アイリスは小さく首を横に振った。
頼むから、その視線はやめてほしい。
「なんだ、そのジェスチャーは」
「……行方不明、です……」
「はぁ? 行方不明?! 一体、どうしたらそんなことになるんだ! 魔法学園は何をやってる?! くそ、あいつからは、卒業後にたっぷりと手間賃を巻き上げる予定だったのに!」
シャロンのまくし立てるような言葉に、アイリスは思わず深いため息をついた。
どうせ、そんなことだろうと思った。ローレルを気に掛けるなんて、少しはいいところもあるじゃないか、と見直した自分が馬鹿だった。
シャロンは、最近の若者は……とか、魔法学園の教育方針は……とか、もはや関係のない話を始る。これは長くなりそうだ。アイリスはおずおずと手を上げた。
「あの……」
「なんだ」
「シャロンさんも知らないのであれば、私はこれでお暇します。ローレルを探しにいかないと……」
「探す? なぜだ」
「なぜって……」
ローレルは孤児だ。行く当てがないことくらいはわかっている。たとえ数日、数週間でも、ともにした少年のことが心配なのは当たり前である。それに……、とアイリスは持ってきた杖に視線をやった。シャロンもアイリスの視線につられ、アイリスの足元に横たわる杖を見つめる。
「……その木の棒、まだ持っていたのか」
「これは、ローレルのご両親が、ローレルに残した形見の杖なんです。今まで預かっていましたが、やはり、返さないと、と思って」
「返す? その木の棒をか?」
まさかこの杖が、ただの木の棒ではなく、ドラゴンを静めるための伝説の杖かもしれない、などとは口が裂けても言えず、アイリスはムッと口を尖らせた。
「確かに、木の棒かもしれませんが……。ローレルにとっては、大切なものですし」
「一度、お前に売ったんだろう? それこそ、相手は買い戻しに来るといった約束も破棄するようなやつだぞ」
「そんな! ローレルはそんなつもりは……。ただ、学園を追放されて、戻りにくいんだと思います……。彼は、もともと、魔法がうまく扱えなくて、自分を責めるようなところがありましたし、今回だってきっと!」
「甘すぎる。この国のどこにいるかもわからん奴に、ただの木の棒を返しに行く? ありえんな。金は? 時間は? どれほどかかるかわからんぞ。だいたい、迷惑をかけたやつのところに頭も下げに来れんようなやつに、時間を割くなど」
「良いんです! 私が決めたことですから! シャロンさんには関係ありません! 私一人で、どうにかします! それじゃぁ!」
アイリスは、シャロンの言葉をさえぎって、バン、と机にいくらかのお金をたたきつけると、勢いよく階段を下りて店を飛び出した。
ムカムカする。やっぱり、シャロンのところになど行かなければよかった。ローレルがこんな人のところに戻っているのでは、などと、少しでも考えた自分が馬鹿だった。
アイリスは杖を握りしめ、王都の道を駆け抜けていった。
「……シャロン様。あれでは、アイリス様が怒ってしまわれるのも無理はありません。ご自分のことを大切に、とお伝えしなければ」
いつから二人の会話を聞いていたのか、階段下で待ち受けていた店員に涼しい顔で指摘される。自分の心の奥底を完全に見抜かれ、図星をつかれたシャロンは、売り言葉に買い言葉で、口を開く。
「うるさい! まったく、こっちは心配して……!」
そこまで言って、ハッと口をつぐめば、店員はやれやれ、と肩をすくめた。
「ローレルさんの情報を、お客様に聞いてみては。この国のどこにいるかもわからない方を探し出そうとしているお嬢様の、お手伝いをして差し上げるのが、紳士というものです」
「ふん……! 言われなくても、それくらいはやる!」
シャロンは、走り去るアイリスの後ろ姿を、見えなくなるまで見つめていた。
アイリスは、慌てて店に戻ると、紙にペンを走らせた。
『誠に勝手ながら、しばらく、お休みをいただきます。御用のある方は、ドアを二度、ノックしてください。店主、アイリスまで音声をお繋ぎいたします』
ドアに魔法をかけ、しっかりと貼り紙を固定する。雨が降ってもいいように、貼り紙にもきっちりと魔法をかけると、アイリスは身支度を始めた。
トランクケースに家の中にあるものすべてを放り込むのではないか、という勢いで、荷物を詰め込んでいく。少しばかり値は張ったが、容量が拡張できる魔法のかかったトランクを買っておいてよかった。
昔の私、グッジョブ。
店からもいくつかあまり売れそうにないような杖を見繕って、詰め込んでいく。杖は最悪、足りなければ途中で作ればいい。
最後に、トランクケースにローレルの形見の杖を無理やりくくりつければ、準備は完了だ。
「あ! アスターさんに、連絡しておかないと」
アイリスはもう一度トランクから紙とペンを取り出し、ローレルがいなくなったことと、杖を返すためにローレルを探す旅へ出ることを簡潔に書いて、伝書鳩を飛ばす。
これで、完璧に準備は整った。
アイリスは、もう夜も近いというのに、行く当てもないままに、店を飛び出したのであった。




