異変
ローレルが王都へ出発してから、三年の月日が流れた。
アイリスは、いつも通り開店準備を済ませ、店内で一人、杖を削っていた。近頃は魔物の動きが活発化してきたとかで、店もそこそこ忙しい。売上が増えることは嬉しいが、何せ一人で店を回しているのだ。のんびりと考え事をするような余裕もなく、空き時間は、杖の材料を取りに行くか、杖を作るか、という日々を送っていた。
そんなわけで、ローレルのことを忘れたわけではないが、あえて考えるようなこともなくなった。時折、預かっている『形見の杖』こと『ただの木の棒』が視界に入ると、ローレルは元気だろうか、と思い出すくらいだ。
推薦状を書いたアスターも、魔法学園に無事に合格したことくらいしか知らず、それ以降のことは何も聞いていないらしい。
シャロンからは何度か多額の領収書が送られてきたが、それだけだ。もっとも、近況報告などという何の得にもならないようなことを、シャロンに求めるのがそもそも無理な話だが。
ローレルも魔法学園の生活が忙しいのだろう。
そもそも、アイリスの店の住所も教えていないのだから、手紙が出せないのは当たり前だ。魔法学園で生活しているうちは、会いに来るような時間や金もないだろう。
「便りがないのは良い知らせっていうし……」
アイリスは気にしてもどうにもならないことだ、と軽く頭を振って、目の前の仕事に集中した。
カラン、と来客を告げる音がする。アイリスが顔を上げると、そこにはアスターが立っていた。普段の魔法警団の制服ではなく、私服姿だ。休日だというのに、こうして仕事道具を買いにくるあたり、アスターの人柄が透けて見える。
「いらっしゃいませ、アスターさん」
アスターの顔には、やや疲労の色がにじんでいた。近頃の魔物討伐には、魔法警団もかりだされていると聞く。本来であれば、魔物の討伐には、討伐専門の魔法使いがいるのだが、王国各地で多発しているため、完全に人手不足のようだ。
魔法警団は基本、魔法使い相手か、混碧のような自然災害の処理を生業にしているので、慣れない業務で余計に疲労もたまるのだろう。アスターの柔らかなパープルの瞳は、今はどこかくすんでいるようにも見えた。
「もしお時間が良ければ、お茶でも飲んでいかれますか?」
「そうだな……。それじゃぁ、お言葉に甘えて」
「たまには、休憩も必要ですから」
アイリスが穏やかに微笑むと、アスターも力なく笑って、案内されるがままにイスへ腰かけた。
アイリスは店の奥に戻って、紅茶を入れる。お湯が沸くまでの間、リビングに飾られたローレルの杖に目をやる。
やはり、飾りにしておくにはもったいないほどの杖だ。それとも、杖として壊してしまうくらいなら、飾りであるほうが良いのか。
あの後、たくさんの杖を見てきたが、この杖ほど素晴らしいものには巡り合えなかった。もちろん、魔力はないのだが。
念のためシャロンにも鑑定を依頼したが、こんな杖は見たことがない、ただの木の棒だ、と言われたのだった。嫌々ながら頼み、多額の鑑定料を払ったのに、だ。
アイリスはシャロンのことを思い出してしまったせいで沸き上がった小さないら立ちを取り払うように、頭を軽く振る。それからは、紅茶を注ぐことに集中し、アスターのもとへと戻った。
「お待たせしました」
アスターはじっくりと杖を選んでいるところだったようで、アイリスの声に生返事を一つした。こうなってしまっては、アスターは動かない。気のすむまで選ばせたほうがいい。アイリスはティーカップを机の上に置くと、アスターの隣に並ぶ。
「どのような杖をお探しで?」
「魔物討伐が、何度やっても慣れなくてな。杖を変えてみようと思ったんだが、魔物討伐に適した杖、というのもあるのか」
「もちろんです。実際、討伐専門の方の中には、魔物の種類によって杖を変える方もいらっしゃるくらいですから」
「それはすごいな……。だが、今は、どんな魔物が出るかわからない状況だからな。今回は、それはなしだ」
魔物ごとに杖を変えてもらえれば、たくさんの杖が売れる。そんなアイリスの算段を見透かしてか、アスターは苦笑交じりに答えた。
アイリスは残念、と内心で呟いて、いくつかの杖をピックアップする。
「魔物討伐に向いているものだと、このあたりでしょうか。爆発魔法に特化したもの、切断魔法に特化したもの、それから状態異常魔法に特化したものとか……」
「なるほど。普段使わない系統の杖ばかりだな、通りで今の杖が扱いにくいと思った」
アスターは顎に手を当てて、ふむ、と独り言ちる。
人を相手にするのと、魔物を相手にするのとでは使う魔法も違う。
今まで人を相手にしてきたアスターにとっては、使ったことのないタイプの杖だ。
「初めての時は、アスターさんが魔物討伐の時に、一番よく使う魔法に特化したものを買えば間違いないかと」
アイリスが助言すると、アスターはうなずいて、切断魔法に特化した杖を手に取った。早速外で試すらしい。そのまま店の扉をあけ放つと、的に向かって歩き出した。
結局、アスターが杖を試し、金を支払ったところでようやくティータイムとなった。紅茶はすでに冷めている。温めなおそうか、とアイリスがカップを手に取ると、アスターは首を横に振った。
「熱いものは苦手なんだ。これくらいがちょうど良い」
かわいいところもあるものだ。アイリスは初めて知ったアスターの意外な弱点に思わずクスリと微笑んだ。
アスターは照れ隠しのためか、誤魔化すように魔物討伐の話を始める。アイリスは紅茶に口をつけながら、その話を聞いていた。
近頃の魔物の動きはどうにもおかしい。それは、杖の材料になる魔物を狩っているアイリスにとっても興味のある話だったのだ。
情報を仕入れておきたい。
「魔物は、混碧にさらされたような状態で、妙に気が立っている。空気中の魔力量に変化は見られないが、魔物自身が何かに怯えたり、逃げまどったりしているうちに暴走しているというのが、専門家の見解だ」
アイリスは、首をかしげた。
弱肉強食な魔物の世界では、そんなことは日常茶飯事なのだ。自らの魔力量よりも大きな魔力量を持つ魔物が現れた場合、力の弱いほうは命を守るために怯え、逃げる。その結果、暴走することもある、というのは誰しもが学校で習うことだ。
なぜ、それが今更こんな問題に?
「それが、各地で多発している。そこが問題なんだ」
アスターがアイリスの疑問に答えるように続けた。
「確かに、各地で多発することは稀かもしれませんが……。偶然、というわけではないんですか?」
アスターは、一段声を落として、それが……とアイリスを見つめる。
「どうも、国の外れにある山岳地帯で、ドラゴンが発生したんじゃないかという噂だ」
「ドラゴン?!」
アスターの言葉に、アイリスは目を丸くした。




