決意
村から戻ってきたローレルは、何か覚悟を決めたような、強い瞳をしていた。
店まで送り届けてくれたアスターに礼を言い、アイリスはローレルを抱きしめる。
「おかえりなさい、ローレル」
「ただいま、アイリスさん」
ローレルの声は穏やかで、村の惨状を目の当たりにしたはずなのに、ずいぶんと冷静だった。
杖を強く握りしめ、アイリスのほうへ視線を向ける。
「アイリスさん、僕、強くなりたい。もっと、もっと……。だから……」
ローレルが何を言いたいのか、アイリスには手に取るように分かった。抱きしめていた腕をほどいて、小さくうなずく。
「まずは、ご飯にしましょう。話はそれから。ね?」
ローレルはコクリと素直にうなずいて、店の奥へと歩いて行った。その足取りはどこか力強く、悲しみも、迷いも、すべてを振り払ったように見えた。
「この店を、出ていこうと思うんだ」
夕食を食べ終え、一息ついたところで、ローレルはきっぱりと言った。
「いつまでも、ここでアイリスさんにお世話になるわけにもいかないし」
続けてそんなことを口にするローレルは、初めてアイリスが出会った少年とは全くの別人に見えた。人は悲しみを乗り越えて強くなる、とはよく言ったものだ。深い絶望の淵にいた少年は、それを乗り越えようとしていた。
「わかったわ。でも、お金や伝手はあるの?」
「お金……」
アイリスの言葉に、ローレルはハッと目を丸くする。まさか、考えなしだったとは。これにはアイリスも思わず頭を押さえた。
「ローレルが焦る気持ちもわかるけれど、どこへ行くにも、何をするにもお金は必要だよ。試しに、アスターさんを頼ってみるっていう手もあるけど……次、いつここへ訪れるかはわからないし……」
アイリスとローレルは二人そろって、どうしたものか、と頭を悩ませた。
「私がお金を貸してあげてもいいけど、一週間分くらいが限界かな……」
ローレルは、視界の端にうつった杖に視線をやった。あれは親からもらった形見の杖だ。しかし、今ローレルに出せるものはあれくらいしかなかった。見た目だけでいえば、アイリスの店に並んでいた高額な杖にも劣らない。
杖屋のアイリスなら、あの杖も悪いようにはしないのではないか。お金がたまったときに、僕がもう一度買い戻しにくるまで置いておいてほしい、と頼めば、アイリスであれば聞き入れてくれるような気もする。でも……。
ローレルは百面相する。自らがこれから生きていく上では、あの杖を手放すのも仕方がない、という思いと、両親からの形見だ、という思いが拮抗する。
なんとも残酷な選択肢である。
アイリスから金を貸してもらうとしても、一週間分では、その先どうなるかもわからない。店を出た後は街へ行くのが良いのだろうが、右も左もわからぬようでは、そこらで飢え死にする可能性だってあるのだ。それでは、元も子もない。いまだ使えぬお飾りのような杖をもって一週間、街でなんとか生きていくすべを探すか、それとも杖はまた買い取りにくると決めて、できる限り今を生きていけるよう手元の資金を増やすか。
本当に僕は、考えなしだった。
ローレルは力なくうつむく。かといって、この店にいつまでもお世話になるわけにもいかず、出ていくと言い出した手前、なんとか良い案はないものか、とローレルは再び杖に目をやった。やはり……。
「あの……、僕の杖を買い取ってはもらえないでしょうか」
苦渋の決断だった。ローレルは本当に渋々、といった表情でアイリスを見つめる。
アイリスとて、それは最後の手段だったのだ。だからこそ、わかってはいたが言葉にしなかった。あの杖だけが、ローレルの支えだと思ったから。
「それはできないよ。確かに、あの杖は高価なものに見えるけれど、だからって……。ご両親からもらったものなんでしょう?」
「でも……! このままじゃ僕は、明日を生きていけるかも怪しいんだ。杖は、お金をためて買い戻しに来ます! だから、それまではアイリスさんが、僕の代わりに持っていてください!」
ローレルは食い下がった。ほかの方法など、何も思い浮かばなかったのだ。
もう、僕にはこれしかない。ローレルはそう思っていた。
「待って、ローレル。ほかに、もっといい案があるかもしれない。だから……」
「でも、僕にはこれしか……」
ローレルが悔しそうに口を結び、うつむく。
アイリスはなんとか、良い方法はないものか、と必死に頭を回転させた。しばらくひっそりと一人で杖屋を営んでいたせいで、この国の情勢には少し疎くなってきているが、何かあるはずだ。旅人の話……客の話……それから、それから……。
アイリスは自らの人生を振り返り、「あ!」と声をあげた。
「そうだわ! 王都の魔法学園に行くのはどうかしら!」
「魔法学園?」
「えぇ。王立の学園で、魔力のある子どもなら、誰でも入学できるのよ。寮もついているはずだし、ローレルの事情を話せば、孤児扱いになって、お金もかからないはず!」
アイリスは嬉しそうに目を輝かせて、パンと手を打った。村から出たことのないローレルにはまったく何のことだかわからない。王都、というのも、そういう場所があるということだけ知っており、ローレルにとっては夢物語の世界だ。
「そうよ! どうして今まで思いつかなかったのかしら。あぁ、もう。アスターさんがいればもっと手っ取り早いのに……。混碧の話は、きっともう王都にも伝わっているはず。魔法も使えるし……推薦状って私でもいいのかしら……」
アイリスは、ローレルのことなどそっちのけでブツブツと呟く。
「あの……アイリスさん……?」
「あぁ!」
アイリスはまたも何かを思い出したように、声をあげる。そして、先ほどまで輝かせていた瞳をどんよりと曇らせ、深いため息をついた。
「王都までのお金と、編入試験期間中の宿代と食事代……」
どこにいっても、金、金、金。いくら魔法があるとはいえ、結局のところお金こそがすべてなのである。アイリスは頭を抱える。せっかくあの杖をローレルが売り払わなくてもいいように、と思いついたのに、また振り出しに戻ってしまった。しかも、街に出れば、と思っていたのが、王都へ格上げされているのだ。かかる金額はむしろ増えている。
「やっぱり、今の案は……」
「僕、魔法学園に行きたい! もっと魔法を学んで、強くなりたい!」
アイリスがなしにしましょう、と言う前に、ローレルが大きな声でそれを遮った。
「ロ、ローレル? だから……」
「だから、やっぱり杖は売ります。このまま持っていても、僕はあの杖を壊してしまうだけで、満足に使うこともできないから。両親からもらった杖を大切にしたい。形見の杖が、僕のせいで壊れるなんて嫌なんだ! だから!」
ローレルはバン、と机をたたき、アイリスを見つめた。
「お願いします! 杖を買い取ってください!」
アイリスは息を飲んだ。エメラルドグリーンの瞳に宿る光。燃え盛る劫火のようなそれに、飲み込まれてしまいそうだ。
「……わかった。後悔しても知らないんだからね」
はぁ、と深いため息をついて、アイリスはじとっとローレルを見つめる。まるで子供のようなその視線に、ローレルはふいと目を背けた。
「杖を買い取るためには、まず鑑定をしなくちゃいけないの。今日はもう遅いから、明日の朝にしましょう。鑑定のために、杖を触るけどいい?」
「はい。大丈夫です」
もちろん、杖を売ったことなどないローレルは、そういうものか、とうなずく。不思議なものだが、中には杖を触られることを嫌がる人もいるのだそうで、アイリスはローレルの返事に柔らかく微笑んだ。
「それじゃぁ、明日からは王都へ行く準備をしましょう。忙しくなるね」
アイリスに早く寝るよう促され、ローレルは入浴を済ませるとすぐにベッドへ入った。目標ができ、次に何をするべきかが明確になったせいか、その日の夜はいつもよりも安心して、ぐっすりと眠ることができたのだった。




