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魔法使いと杖屋さん  作者: 安井優
第六章 ローレルの旅立ち

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決意

 村から戻ってきたローレルは、何か覚悟を決めたような、強い瞳をしていた。

 店まで送り届けてくれたアスターに礼を言い、アイリスはローレルを抱きしめる。

「おかえりなさい、ローレル」

「ただいま、アイリスさん」

 ローレルの声は穏やかで、村の惨状(さんじょう)を目の当たりにしたはずなのに、ずいぶんと冷静だった。


 杖を強く握りしめ、アイリスのほうへ視線を向ける。

「アイリスさん、僕、強くなりたい。もっと、もっと……。だから……」

 ローレルが何を言いたいのか、アイリスには手に取るように分かった。抱きしめていた腕をほどいて、小さくうなずく。


「まずは、ご飯にしましょう。話はそれから。ね?」

 ローレルはコクリと素直にうなずいて、店の奥へと歩いて行った。その足取りはどこか力強く、悲しみも、迷いも、すべてを振り払ったように見えた。


「この店を、出ていこうと思うんだ」

 夕食を食べ終え、一息ついたところで、ローレルはきっぱりと言った。

「いつまでも、ここでアイリスさんにお世話になるわけにもいかないし」


 続けてそんなことを口にするローレルは、初めてアイリスが出会った少年とは全くの別人に見えた。人は悲しみを乗り越えて強くなる、とはよく言ったものだ。深い絶望の(ふち)にいた少年は、それを乗り越えようとしていた。


「わかったわ。でも、お金や伝手(つて)はあるの?」

「お金……」

 アイリスの言葉に、ローレルはハッと目を丸くする。まさか、考えなしだったとは。これにはアイリスも思わず頭を押さえた。


「ローレルが焦る気持ちもわかるけれど、どこへ行くにも、何をするにもお金は必要だよ。試しに、アスターさんを頼ってみるっていう手もあるけど……次、いつここへ訪れるかはわからないし……」

 アイリスとローレルは二人そろって、どうしたものか、と頭を悩ませた。

「私がお金を貸してあげてもいいけど、一週間分くらいが限界かな……」


 ローレルは、視界の端にうつった杖に視線をやった。あれは親からもらった形見の杖だ。しかし、今ローレルに出せるものはあれくらいしかなかった。見た目だけでいえば、アイリスの店に並んでいた高額な杖にも(おと)らない。

 杖屋のアイリスなら、あの杖も悪いようにはしないのではないか。お金がたまったときに、僕がもう一度買い戻しにくるまで置いておいてほしい、と頼めば、アイリスであれば聞き入れてくれるような気もする。でも……。


 ローレルは百面相する。自らがこれから生きていく上では、あの杖を手放すのも仕方がない、という思いと、両親からの形見だ、という思いが拮抗(きっこう)する。

 なんとも残酷な選択肢である。


 アイリスから金を貸してもらうとしても、一週間分では、その先どうなるかもわからない。店を出た後は街へ行くのが良いのだろうが、右も左もわからぬようでは、そこらで飢え死にする可能性だってあるのだ。それでは、元も子もない。いまだ使えぬお飾りのような杖をもって一週間、街でなんとか生きていくすべを探すか、それとも杖はまた買い取りにくると決めて、できる限り今を生きていけるよう手元の資金を増やすか。


 本当に僕は、考えなしだった。

 ローレルは力なくうつむく。かといって、この店にいつまでもお世話になるわけにもいかず、出ていくと言い出した手前、なんとか良い案はないものか、とローレルは再び杖に目をやった。やはり……。


「あの……、僕の杖を買い取ってはもらえないでしょうか」

 苦渋(くじゅう)の決断だった。ローレルは本当に渋々、といった表情でアイリスを見つめる。

 アイリスとて、それは最後の手段だったのだ。だからこそ、わかってはいたが言葉にしなかった。あの杖だけが、ローレルの支えだと思ったから。

「それはできないよ。確かに、あの杖は高価なものに見えるけれど、だからって……。ご両親からもらったものなんでしょう?」


「でも……! このままじゃ僕は、明日を生きていけるかも怪しいんだ。杖は、お金をためて買い戻しに来ます! だから、それまではアイリスさんが、僕の代わりに持っていてください!」

 ローレルは食い下がった。ほかの方法など、何も思い浮かばなかったのだ。

 もう、僕にはこれしかない。ローレルはそう思っていた。


「待って、ローレル。ほかに、もっといい案があるかもしれない。だから……」

「でも、僕にはこれしか……」

 ローレルが悔しそうに口を結び、うつむく。

 アイリスはなんとか、良い方法はないものか、と必死に頭を回転させた。しばらくひっそりと一人で杖屋を営んでいたせいで、この国の情勢には少し(うと)くなってきているが、何かあるはずだ。旅人の話……客の話……それから、それから……。

 アイリスは自らの人生を振り返り、「あ!」と声をあげた。


「そうだわ! 王都の魔法学園に行くのはどうかしら!」

「魔法学園?」

「えぇ。王立の学園で、魔力のある子どもなら、誰でも入学できるのよ。寮もついているはずだし、ローレルの事情を話せば、孤児扱いになって、お金もかからないはず!」

 アイリスは嬉しそうに目を輝かせて、パンと手を打った。村から出たことのないローレルにはまったく何のことだかわからない。王都、というのも、そういう場所があるということだけ知っており、ローレルにとっては夢物語の世界だ。


「そうよ! どうして今まで思いつかなかったのかしら。あぁ、もう。アスターさんがいればもっと手っ取り早いのに……。混碧(こんぺき)の話は、きっともう王都にも伝わっているはず。魔法も使えるし……推薦状って私でもいいのかしら……」

 アイリスは、ローレルのことなどそっちのけでブツブツと呟く。


「あの……アイリスさん……?」

「あぁ!」

 アイリスはまたも何かを思い出したように、声をあげる。そして、先ほどまで輝かせていた瞳をどんよりと曇らせ、深いため息をついた。


「王都までのお金と、編入試験期間中の宿代と食事代……」

 どこにいっても、金、金、金。いくら魔法があるとはいえ、結局のところお金こそがすべてなのである。アイリスは頭を抱える。せっかくあの杖をローレルが売り払わなくてもいいように、と思いついたのに、また振り出しに戻ってしまった。しかも、街に出れば、と思っていたのが、王都へ格上げされているのだ。かかる金額はむしろ増えている。


「やっぱり、今の案は……」

「僕、魔法学園に行きたい! もっと魔法を学んで、強くなりたい!」

 アイリスがなしにしましょう、と言う前に、ローレルが大きな声でそれを(さえぎ)った。


「ロ、ローレル? だから……」

「だから、やっぱり杖は売ります。このまま持っていても、僕はあの杖を壊してしまうだけで、満足に使うこともできないから。両親からもらった杖を大切にしたい。形見の杖が、僕のせいで壊れるなんて嫌なんだ! だから!」

 ローレルはバン、と机をたたき、アイリスを見つめた。


「お願いします! 杖を買い取ってください!」

 アイリスは息を飲んだ。エメラルドグリーンの瞳に宿る光。燃え盛る劫火(ごうか)のようなそれに、飲み込まれてしまいそうだ。

「……わかった。後悔しても知らないんだからね」

 はぁ、と深いため息をついて、アイリスはじとっとローレルを見つめる。まるで子供のようなその視線に、ローレルはふいと目を背けた。


「杖を買い取るためには、まず鑑定をしなくちゃいけないの。今日はもう遅いから、明日の朝にしましょう。鑑定のために、杖を触るけどいい?」

「はい。大丈夫です」

 もちろん、杖を売ったことなどないローレルは、そういうものか、とうなずく。不思議なものだが、中には杖を触られることを嫌がる人もいるのだそうで、アイリスはローレルの返事に柔らかく微笑んだ。

「それじゃぁ、明日からは王都へ行く準備をしましょう。忙しくなるね」


 アイリスに早く寝るよう(うなが)され、ローレルは入浴を済ませるとすぐにベッドへ入った。目標ができ、次に何をするべきかが明確になったせいか、その日の夜はいつもよりも安心して、ぐっすりと眠ることができたのだった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 17/17 ・百面相←うまい! ・拮抗←うまい! [気になる点] 杖を売るのは驚き。決意ですね [一言] ローレルさんが…うむ。可愛い
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