加護
アスターが再び店に訪れたのは、一週間後のことだった。
「ようやく、村の安全が確保された。結局、生きていたのはローレル、君だけだったが。墓標も作り、村人全員を魔法警団で弔った。村人たちの魂は、あの地に還り、安らかに眠っている」
アスターの言葉を聞いて、ローレルは再び涙を流した。アイリスはローレルの背を優しくさすっていた。もはや、兄弟のようだな。アスターは二人の姿にそんなことを思う。
アイリスがお茶やらお菓子やらを用意し、アスターが席につくころにはローレルも落ち着いたのか真っ赤に泣きはらした目をぬぐっていた。そして、美しいエメラルドグリーンの瞳をアスターへと向ける。
「ありがとうございました、アスターさん」
「これが、我々の仕事だ。むしろ、今までよく頑張ったのは君だよ、ローレル」
「っ!」
ローレルはぐっと涙をこらえた。まだ、聞きたいことがあるのだ。泣いていては話もできない。
「それで……僕は、村に入れますか?」
「あぁ。……だが」
アスターは顔をしかめた。言葉を選ぶように視線をさまよわせ、ゆっくりと口を開く。
「その……ローレルには、つらい現実だ。正直、見せられたものじゃない」
「でも! 両親に、会いたいんです」
「だったらせめて、大人を一緒に連れていけ。俺でも、アイリスでも」
「ですが……」
「余計な心配はするな。子供は迷惑をかけるもの。それに、ローレル。これは俺からのお願いなんだ。君を守りたい。そのためにも、聞き入れてくれないか」
アスターは優しい笑みを浮かべた。ローレルは、小さくうなずく。
アスターさんみたいな、誰かを守れるような大人になりたい。
ローレルの心には、自然とそんな思いが芽生えていた。
「どうする? 一緒に村へ行くか?」
アスターの問いに、ローレルは首を縦に振った。アスターがアイリスへちらりと視線をやれば、アイリスは心底悲しそうな表情をしている。
「私も、一緒に行ってあげたいけど……」
「アイリスは店番だな」
アイリスが言いよどんだ先を、アスターが続ける。一週間、一緒に店を手伝ってきたローレルも、アイリスが決して暇ではないことを知っていた。今日が定休日ならともかく、普段はなんだかんだ客がやってくることも多いのだ。
「大丈夫だよ。アイリスさん。僕、アスターさんと一緒に、村へ行ってくる」
ローレルは、アイリスを安心させようと精一杯の笑みを浮かべた。アイリスは納得がいっていないのか、悩んでいる様子だった。そもそもアイリスは、ローレルが村へ行くことを決して良いとは思っていないのかもしれない。
アスターはアイリスをなんとか安心させようと、アイリスの頭を軽くポンポン、と撫でた。
「ローレルは俺が守る。必ず」
力強いアスターの言葉に、アイリスも渋々、といった表情でうなずく。
「わかりました……。でも、約束してください。無理はしないこと。ローレル、夕食までには帰ってくること。アスターさん、ローレルを店まで送り届けてくださいませんか?」
「もちろんだ。約束しよう」
「それじゃぁ……気を付けて行ってきてね。ローレル、決して無理しちゃだめよ。おいしいご飯、作って待ってるからね!」
アイリスは、もどかしい気持ちをなんとか押し殺して、笑みを浮かべた。いつの間にか、ずいぶんとローレルのことを弟のように思っている。もちろん、家族でも友人でもない。ましてやこのままずっとローレルと一緒に暮らしていけるか、と聞かれれば、そんな覚悟もないのに。
いつか、別れが来るはずだ。今のうちから、これくらいのことで動揺していてはいけない。
アイリスは自らの気持ちにフタをした。
「アイリスさん。杖を持って行ってもいい?」
「杖? えぇ、いいけど……」
「お店のじゃなくて、僕の、あの杖」
ローレルは店の奥、居住スペースのほうを指さす。
「あれ、僕の両親が最後にくれた杖なんだ。形見になっちゃったけど……お父さんと、お母さんに、ありがとうって伝えたいんだ。僕のために、一生懸命働いて、杖を買ってくれてありがとうって」
あれはどう見ても高価なものだ。買ってくれた両親のためにも、大切に扱ったほうがいい。アイリスにそう言われて、ローレルはあの杖をずっと居住スペースの奥に立てかけていたのだ。もちろん、杖を壊してしまうのが怖くてうかつに触れなかった、というのもある。しかし、両親に会いに行く以上は、あの杖を持っていきたかった。
ローレルの言葉に、アイリスはじんわりと心が温かくなるのを感じた。ローレルなりに、前を向こうとしているのだ。
「もちろん。でも、壊さないように気をつけなきゃね」
アイリスは冗談めかしてウィンクする。ローレルの力では、冗談にならないのだが。
アイリスの許可を得て、ローレルはすぐさま杖のもとへと走っていく。
「あの、珍しいデザインの杖か……」
アスターもその存在を思い出したようだ。
「見るからに高そうなので、ご両親のためにも大切に扱ったほうが良いと言ったんです。杖屋としては、飾りにしておくのはもったいないのですけど……。」
「魔力を制御できずに、杖を壊す、か……。だが、あの見た目の杖なら、それほどすぐに壊れてしまうようなものではなさそうだが」
「鑑定は頼まれていませんし、実際にどれくらいの能力を持つものかはわかりません。勝手に人の杖を触るのは、杖屋としてのルールにも反します」
なるほど、とアスターはうなずいた。そもそも、あれだけの杖だ。アイリスが慎重になるのもわかる。
アスターも、杖屋のアイリスほどではないが、魔法警団の一人として、たくさんの魔法使いと、そして、その杖を見てきたつもりだ。しかし、あれほどの杖は見たことがなかった。王族や上流貴族が持っている杖だ、と言われても不思議ではない。ローレルの両親がどれほどの金額を積んで、あの杖を手に入れたのか、想像しただけで恐ろしかった。
杖を持って戻ってきたローレルは、そのままアスターと村へ行こうと、扉の方へ歩いていく。
「ちょっと待って。もし、ローレルさえよければ、その杖に加護をつけてもいい?」
アイリスは慌ててそれを引き留めた。アスターがついているので大丈夫だとは思うが、万が一、ということもある。少しでも、自分の才能が役に立つなら。アイリスは、杖屋としてできる限りのことをしてやりたかった。
「あぁ、それもそうだな。ローレル、君がいいなら、ぜひお願いしたほうがいい」
アスターのお墨付きもあってか、ローレルはこくりとうなずいた。
「それじゃぁ、あの台に杖を置いて」
アイリスは柔らかな笑みを浮かべると、レジ横にあった台を指さす。ローレルでも手の届く高さだ。ローレルが杖を置いたのを確認すると、アイリスは台の前に立ち、両手を組んで祈るように目を閉じた。
「世界を創りし、命の女神よ。我、ここに汝の恵みを受け賜わらんとする者なりて、その加護を与えたまえ」
アイリスの口から紡がれた詠唱とともに、神聖な光がふわり、ふわり、とアイリスの両手に広がっていく。ローレルには、それがまるで暖かな木洩れ日のように見えた。アイリスは組んでいた両手をそっとほどいて、ローレルの杖に向ける。手からあふれる光は、呼ばれているかのように杖へと吸い込まれていくと、やがて次第に溶けて消えていった。
「さ、これで準備はばっちりね」
アイリスは事もなげに微笑む。
杖の見た目が変わった、ということはなく、改めて加護とは不思議なものだ、とローレルは思う。アイリスが持つ特別な力、ということはわかるものの、それ以外は何一つとしてよくわからなかった。魔法、というよりも、神様や精霊といった伝説に語られるようなものから授かった力なのかもしれない。試しに杖を握ってみたが、やはり何か変わったようなことはない。
アイリスは、そんなローレルの思考を読み取ったのかクスクスと笑った。
「ふふ。魔法じゃないから、わかりにくいけど、加護の力は本物よ。安心してね」
疑っているわけではないが、やはり不思議に思っていたことはばれているらしい。ローレルは素直にうなずいて、杖をしっかりと握った。
「それじゃぁ、行ってきます」
「はい。行ってらっしゃい。アスターさんも、お気をつけて」
「あぁ。夕方には戻る」
ローレルとアスターが村の方へ歩いていく背中を見送り、アイリスは大きく手を振った。
願わくば、あの少年にも、神のご加護があらんことを。
アイリスはそう祈らずにはいられなかった。




