ローレルの魔法
早速、魔法を見せてみて。
アイリスに言われて、ローレルはごくりとつばを飲んだ。売り物にはならない、と言っていたが、本当に杖を壊してしまっても良いのだろうか。仮にも、アイリスさんが作った杖だ。愛着とか……。ローレルがそんなことを考えていると、アイリスが優しくローレルの肩をたたいた。
「難しいことは気にしなくていいの! 杖は消耗品。さ、あの的に向かって、なんでもいいから知っている魔法を唱えてみて」
杖屋の隣にあった空き地に並んだいくつもの的。アイリスが作った杖の性能を確認したり、客が購入した杖の使い勝手を確かめたりするものだという。的にはいくつか魔法を使った跡も残っていた。
ローレルの立っている位置から、的まではおよそ十メートル。杖を扱える人間であれば、ちょうど良い距離なのだろう。こんなに本格的な訓練をしたことがないから、分からないけれど。
ローレルが杖を握る手には、無意識に力がこもる。
「大丈夫。壊したって平気だよ。アスターさんなんか、しょっちゅう的がどこにあったのか分からないくらい粉々にしちゃうんだから」
アイリスはカラリと笑う。ローレルには、そのアスターという人が何者なのかは分からないが、とにかく的を破壊するのは特段珍しいことではないようだ。さすがに、アスターさんも杖は壊さないのだろうが。
ローレルは一つ深呼吸すると、杖をまっすぐに的へ向けた。
バチバチと、体の中で電流が弾けるような感覚がローレルを襲う。だが、今までよりもずいぶんと体の中をスムーズにそれらが流れていくような気がする。これが、相性、ということだろうか。今まで抵抗を感じていたのは、杖との相性が悪かったからなのか。ローレルは初めての感覚に目を丸くした。それと同時に、自らの瞳に輝きが戻る。これなら、出来るかもしれない。
杖を壊さずに、魔法だけを、前に。
「ブラスト!」
ローレルの声とほぼ同時――杖屋周辺に爆音が響いたかと思うと、凄まじい風が砂ぼこりを巻き上げ、アイリスの視界を奪った。
「杖が……」
濛々と立ち込める砂ぼこりの中で聞こえたのは、ローレルの悲し気な声だった。アイリスが軽く魔法でそれを吹き払うと、真っ二つに割れた杖を持ったローレルがそこに立ちすくんでいる。彼の前にあった的は粉々に……いや、跡形もなく消え去り、まるで隕石が落ちたかのように大きく地面が削り取られていた。
「的が……」
アイリスはポツリと呟いて、何がツボにはまったのかクスクスと肩を揺らす。耐え切れずに大きく声を上げて笑うと、おなかをおさえた。
「すごいわ! とっても、派手にやってくれたわね、ローレル! あなたって最高!」
アイリスは目に浮かべた涙を拭って、ローレルの手から真っ二つになった杖を取り上げる。
「それに、杖もこんなに綺麗に。アスターさん顔負けね。使いこなせれば、王国一……いいえ、この世界で一番の魔法使いになれるわ」
アイリスは、杖を壊したことを責めるでもなく、むしろローレルをほめたたえた。ローレルとしては、やはり自分は魔法もロクに使えない役立たずだと自分を責めたい気持ちでいっぱいだったのだが、アイリスにその毒気を完全に抜かれてしまった。杖を壊してしまったことも気にしていないようだ。
「ね、他にもこういう杖は何本かあるのよ。どれも、失敗したものだったり、ほとんどサービス品だったりするような、質の良いものとは言えないんだけど、使ってみない? 他の魔法も見たいな」
アイリスはそう言うと、店の中にかけていく。取り残されたローレルは呆然とその姿を見送る。まるで、世界が変わったかのよう。それこそ、魔法をかけられたかのように、ローレルには彼女の後姿が眩しく見えた。
今まで、自らのこの力を恐れて、寄り付かないものがほとんどだった。村のありとあらゆる場所に先ほどのような大きな穴を開けたり、村に生えている木々をなぎたおしたり。そんなローレルを、村人たちは疎ましく思っていたに違いない。それでも、村を追い出されたりしなかったのは、両親のおかげだろう。
ローレルなら、いつかすごい魔法使いになる。
そう言って信じてくれたのは両親だけだった。だからこそ、杖を壊してしまって、練習もロクにできないことを、ローレルはずっと悔しく思っていたのだが。
「おまたせ! さ、ローレル。今度はこの杖を使ってみて! 後、魔法は別のものを使ってね。どういうものが使えて、どれくらいの威力があるのか、見てみたいの」
アイリスは、何本かの杖を持ってローレルのもとへと戻る。ローレルはやはり何か思いつめたような表情をして立っていたが、アイリスを見ると少し驚いたように目を見開いた。
「アイリスさんは、僕が怖くないですか?」
「怖い? どうして?」
「だって、杖をこんなにして……地面も……」
ローレルの問いに、アイリスは何か納得したようにうなずいたが、笑顔のままだった。
「もちろん、この魔法が自分に向けられたらって思うと、とっても怖い。でも、ローレルはそんなことをする人じゃないでしょう? それに、杖屋としては、このほとんど木の棒みたいな杖でこれだけの威力が出せる魔法使いの君を、放っておくことなんてできないわ」
アイリスは冗談めかしてパチン、とウィンクした。
こんな言い方をしては、冷たいと思われるかもしれないが、アイリスだってライバルの多い杖屋の店主だ。商売人として、利益を考えないわけではない。生活だってかかっている。
もしも、ローレルがうまく魔法を使いこなせるようになったら、間違いなく世界一の魔法使いになる。恩を売っておけば、アイリスの杖屋をひいきにしてくれるかもしれない。そうでなくても、杖屋の宣伝くらいにはなる。なんなら、魔力のほとんどないような、木の棒と言っても差し支えのない杖でローレルはこれだけの威力を出したのだ。加護付きの杖はそれだけ威力も出せる、品質も良い、と風の噂にでも広がってくれれば、杖屋としてこれ以上嬉しいことはない。
もちろん、そこまでローレルに言うつもりもないし、あくまでも仮定の話だ。
だが、アイリスには、ローレルにそれだけの力があると思う。
「それに」
何よりも、ローレルは、強い魔法使いの素質を秘めている。
アイリスは、いまだ不思議そうに自らを見つめるローレルに付け加える。
「誰だって、強い魔法使いには憧れるでしょ」




