杖選び
翌日、朝食を取り終えたアイリスとローレルは二人で開店準備をしていた。とはいっても、アイリスは新しく作った杖を棚に並べ、在庫の確認をするだけだったし、ローレルはホウキを片手に掃除していただけだが。
「助かっちゃった。ありがとう、ローレル」
柔らかな笑みを浮かべたアイリスは、レジに入った金額を帳簿につけながら、ローレルに視線を向ける。ローレルはホウキを片付けると、不思議そうにアイリスを見つめた。
「掃除は、魔法を使わないんですね」
「ふふ。使ってもいいの。でも、今日はローレルが手伝ってくれるっていうから。せっかくなら、一緒にやった方が楽しいでしょ」
アイリスは策士だ、とローレルは思う。まだ幼い自分には、小悪魔だとか、誘惑上手な大人の女性だとか、そんな存在には縁遠いと思っていたが、不思議なこともあるものだ。アイリスはまだ大人、というには未熟だが、きっと村にいたら、男性たちは骨抜きにされていたに違いない。
「それに、お店の中を見るにも、ちょうど良かったでしょ」
アイリスは帳簿を棚にしまうと、ローレルにウィンクする。ローレルは、アイリスの言葉に、なるほど、とうなずいた。
確かに、掃除をしながら店の中を見て回ったのは事実だ。棚を拭き掃除するにも、床を掃き掃除するにも、商品を避けなければならない。店内に置かれた観葉植物や、花、それにいくつかの薬品やアロマの瓶。そして大量の杖。所狭しと並べられた商品に、ローレルの掃除もいささか苦労したものだ。
「何か気になるものはあった?」
ローレルは、ぐるりと店内をもう一度見まわして、指をさす。
「あの、薬品や、アロマ瓶も売り物ですか?」
杖屋だというから、杖しか扱っていないのかと思っていた。だが、実際にはちょっとした雑貨なども並べられている。その中でも特に、美しい入れ物に入ったアロマの瓶と、それとは対照的に何が入っているのか分からない……おぞましい見た目の薬品瓶は目を引いた。薬品は、あまりまじまじと見ていられるものではなかったけれど。
「もちろん。この場所は、旅の中継地点みたいなものだから。薬を途中で補充する人がいるの。杖のついでだね」
アイリスは続ける。
「アロマの瓶は、私の趣味。これでも結構評判はいいんだよ。仕事にも、旅にも、休憩は必要だから」
それで、昨日の湯船にはレモンの香りが……。ローレルは納得する。アイリス本人の雰囲気も相まって、香りの癒し効果は抜群だろう。現に、昨日のお風呂はとても気持ちが良かった。数日ぶりだったことを除いても。
「すごい……。アイリスさんは、器用なんですね」
羨ましいな、とローレルは独り言ちる。しかし、アイリスには、何か秀でたものが一つある人物のほうが羨ましい、と思える。結局、そういう一握りの人が、世界を変えてしまうのだ。アイリスは決して世界を変えたいと思っているわけではないが、ないものねだりをしてしまうのが人間というもの。
ローレルはきっと、何か一つ、秀でたものがある人物だろう。
なんとなく、アイリスにはそう思える。
「ふふ、ありがとう。本業の杖も、ほめてほしいな」
冗談めかしてアイリスが小首をかしげ、やや上目遣いにローレルを見つめると、ローレルは頬を赤く染めて「は、はい!」と大きく返事した。上擦ってひっくり返ってしまった声と、あどけなさの残る可愛らしい反応に、アイリスはクスクスと肩を揺らして笑うのだった。
「それじゃぁ、お客さんが来るまでは一緒に杖を選びましょうか」
店を開けたアイリスが提案すると、ローレルは驚いたような表情を見せる。
「杖って、選べるんですか?」
「えぇ。むしろ、杖は選んで使うものよ。……あぁ、そっか。ローレルのご両親は、魔法をあまり使わなかったから、杖の買い方も知らなくて当然だよね……」
アイリスは声を漏らしてから、しまった、とばかりに自らの口を押える。
「ごめんなさい。悪い意味じゃないの」
「いえ。大丈夫です。そういう人の方が、珍しいことは分かってますから……」
ローレルは少し目を伏せて、力なく笑った。両親のことを思い出したのか、それとも魔法に対してやはり思うところがあるのか。アイリスには分からなかった。
「とにかく、自分に合った杖を見つけるところから始めましょう。もしかしたら、今までの杖は、ローレルの魔力と相性が悪かったのかもしれないし」
「相性?」
「説明するのは難しいんだけど……。うぅん……波長、みたいなものかな。杖を握った時に、お互いに何かこう、通じるものがあるの!」
アイリスは困ったような笑みを浮かべると、やってみた方が早いから、とローレルに杖を差し出す。
「握ってみて」
ローレルは言われるがまま杖を握る。特に何も感じない。ローレルが不思議そうな瞳でアイリスを見つめると、アイリスは次の杖を差し出す。それを繰り返して、店のあちらこちらから、あれでもない、これでもない、とアイリスは杖を引っ張り出した。
「なかなか、見つからないねぇ」
頬に手を当て、困ったな、と眉を下げるアイリスの言葉に、ローレルはちくりと胸が痛む。それでなくても、すでに何十本という杖を握らされ、アイリスの言う波長とやらを感じることのできないローレルは、絶望に苛まれていた。
(アイリスさんを困らせたい訳じゃないのに……)
分かりやすくローレルが落ち込んでいると、アイリスが彼の頭を優しく撫でる。
「大丈夫! まだまだこのお店の半分の杖も触ってないでしょう? それに、最悪の場合は、相性が悪くても多少性能が落ちるだけで、使えるはずだから」
なぜかアイリスに火が付き始めている。ローレルも、ここまでしてもらっているのに、自分が落ち込んでいては余計にアイリスに気を使わせてしまうだけだ、と再び杖を握った。
突然、ぶわ、と手に何かが伝うような感覚に、ローレルは目を見開く。
「これ……」
「分かった?!」
アイリスは嬉しそうに声を上げた。まるで、手を通して、内側に何かが流れ込んでくるような。それでいて、ローレルの体からこの杖へ何かが吸い取られているような。ローレルはじんわりと手が温かくなっているのを感じていた。
良かった、と安心したように呟いたアイリスが、不思議そうな声をあげたのはそのすぐ後だった。
「あら? これ……。ずいぶんと杖の魔力が少ない……。ほとんど、私の加護しかかかってないみたい」
「それは、どういう……」
「基本、杖の持っている魔力が、私たちの魔力を杖に通す媒体の役目をしているの。だから、杖に魔力がこもっている方が使いやすいはずなの。魔力が多い方が、杖としての性能や、耐久力もあがるんだけど……。不思議だね。こんな、ほとんど木の棒みたいな杖が良いなんて。加護の影響かな」
アイリスは興味深そうにローレルと杖を見つめる。
「加護って……?」
「私の加護は、あくまでもお守りみたいな感じかな。杖をより使いやすくしたり、魔法の威力を高めたりする、杖の補助機能だね」
「それじゃぁ、あんまり杖の魔力とは関係ないんですか?」
「関係ないわけじゃないけど……もともとあるものを増大させる力だから、小さな魔力に反応したとしても、その効果は微々たるものなの」
「そうなんですね」
「でも、せっかくローレルと相性の良い杖が見つかったんだもの。もともと、売り物としてもあまり値のつかないものだし、その杖はローレルにプレゼント!」
ニコリと微笑んだアイリスは、再びローレルの頭をなでる。優しい感触がローレルの心に染みわたる。昨晩は杖を持つことさえ怖がっていたように見えるローレルのどこか嬉しそうな瞳に、アイリスも目を細めた。
やはり、魔法がうまく使えなくても、魔法使いなのだ。ローレルは、きっと、ここから魔法使いとしての一歩を踏み出す。
そう思えば、アイリスも杖屋として、そんな魔法使いをサポート出来ることが誇らしかった。




