杖を壊す少年
「そういえば、君の名前も聞いてなかったね。あなた、お名前は?」
「僕は、ローレルと言います」
「素敵! ローレル……月桂樹ね。私も、花の名前なの。おそろいだね。改めてよろしく、ローレル」
アイリスはニコリと微笑んで、ローレルを見つめる。手を止めて、杖をテーブルに置いた。それから、優しく語りかける。
「杖屋さんは、初めて?」
「はい。僕の村にはありませんでした。両親が、時折村にくるキャラバンから、杖を買ってくれていました」
「もしよかったら、明日にでもお店を見ていいよ。いろんな……といっても、見た目はほとんど同じなんだけど、杖はたくさん置いてあるから」
ローレルはその言葉に、少しだけ目の色を変えた。それは年頃の少年が見せる嬉しそうなものではなく、どこか悲し気なものだった。あんな目にあっても、あの杖を手放さなかった少年が、まさか杖嫌いなわけがないと思うのだが。アイリスは、慌てて声を上げる。
「もちろん、興味があれば、だからね。無理やりあなたをお店番させようってつもりもないし、ゆっくり休んでいてくれてもいいの」
「い、いえ……。そういう訳じゃないんです」
ローレルは言葉を探すように逡巡して目を伏せる。ベッドサイドに立てかけられた美しい杖にちらりと視線を投げかけ、それからアイリスの方へと視線を移した。
「お店、見てみたいです」
「そっか。良かった。手に取って見てもいいし、気になるなら試してみてもいいよ。魔法、使えないってわけじゃないんでしょ?」
アイリスの言葉に、今度こそローレルはおびえた顔を見せた。杖を使うことへの恐怖。ローレルはブンブンと首を横に振る。
「いえ! 見るだけでいいんです! 僕、杖は……」
「……何か、あったの?」
あからさまな態度に、アイリスが眉をひそめる。ローレルはうつむき、膝の上に置いた手をぎゅっと握りしめた。それから、消えてしまいそうになるくらい小さな声で呟く。
「僕、杖を壊しちゃうんです……」
ローレルはぎゅっと目を瞑る。魔法を制御できないローレルは、何度、新しい杖を使っても必ず一度魔法を唱えただけで、杖を折ってしまうのだ。どんな杖でも必ず。普通の人なら、どれほど酷使しても一年ほどは同じ杖を使い続けることが出来るというし、どんなに優秀な魔法使いでも、半年は使えると聞く。だが、ローレルは……。
そんなわけで、ローレルは杖を使うことに対して、いわば劣等感にも近い気持ちを抱いていたのだ。人とは違う恐怖。魔法を使いこなせない自らへの不甲斐なさ。羞恥。そして、何度も杖を買い与えてくれた両親への罪悪感。そういったものが混ざりあって、ローレルはどうにも杖というものが苦手だった。壊しては修理し、修理しては、壊し。落胆するばかりだ。
アイリスは、ローレルが発した言葉に目を丸くする。
「……杖は、壊れるものよ。私たちの魔力は、杖を通して魔法になる。その過程で、いくらか杖に魔力が残存してしまうの。だから、杖自身が耐えられる魔力量を越えたら、どんな杖でも必ず壊れてしまうのよ」
そう。杖が壊れるというのは、当たり前のことなのだ。何も、恥じることでもなければ、恐怖を抱くようなことでもない。だから、ここまで目の前の少年が杖を怖がる理由が分からなかった。ローレルは、ゆっくりと顔を上げる。
「違うんです……」
力なく否定し、ローレルは続ける。
「僕は、どんな杖も、一度魔法を使っただけで、壊してしまうんです」
そんな話は聞いたことがない。アイリスはローレルを見つめる。いくら、うまく魔法を制御できないからといって、杖を壊すほどの魔力をこの子供が持っているというのは前代未聞だった。
魔法というのは、使えば使うほど、習熟されるものだ。もちろん、身体能力と同じように一定の年齢に達すると誰しも衰えはするものの、基本的には生涯育てられていくものである。それゆえに、手練れの魔法使いであればまだしも、幼い子供が杖を壊せるほどの魔力量を体内に秘めているとは考えにくかった。大人の、それも訓練された一流アスリートが持つ世界記録を、その競技も十分に知らぬ子どもが塗り替えた、というくらい信じられない話だ。
よほど粗悪な杖をつかまされてきたか、物理的に何か力を加えているか……。
いや、前者しかありえないよね。アイリスは一人思考を巡らせる。ローレルが嘘をついているようには思えなかったが、にわかに信じがたい話だった。
特に、杖屋としては、他人事ではない。本当にローレルが言う通り、どんな杖でもたった一回魔法を使っただけで壊れてしまうというのなら、それは杖屋側にもいずれ何かしら対処すべき問題になることは明確だった。
平和に暮らしていければ、そう思っていたアイリスの心に、闘志にも近い、杖屋としてのプライドが燃える。
「だから、僕は……見るだけで……」
アイリスが黙っていたせいだろうか。沈黙に耐え切れず、ローレルは小さな声で再度そう告げる。アイリスは、ローレルの声にパッと顔を上げた。
「いえ。せっかくだもの。使ってみて。杖屋としても、どうして杖が壊れてしまうのか、調べてみたいし……。それに、ここは杖屋よ。杖なら腐るほどあるんだもん。数本壊れたところでどうってことないわ」
「え……でも……」
「ふふ。これもきっと何かの縁よ。杖を壊す少年と、魔法使いの杖屋さん。まるで、物語の始まりみたいじゃない」
アイリスのとびきりの笑顔に、ローレルは驚いたようだった。ほんのりと頬を赤く染め、アイリスから視線を外す。
(ちょっと子供っぽ過ぎたかしら)
アイリスが照れたようにはにかむと、ローレルは少し考えてから、それじゃぁ、とうなずいた。
ローレルの、まるで森の木漏れ日のような鮮明なグリーンに、少しだが、明るい光が差している。アイリスは、ローレルのその表情を見て、口元を緩めた。こうしていれば、年相応の可愛らしい少年だ。
きっと、心の傷が癒えるには長い時間が必要だろう。急ぐ必要はない。
アイリスはそっと少年の頭をなでると、出来る限り優しく微笑んだ。




