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3/16誤字訂正
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森に入ってから数日が経った。大きな鹿や兎の姿は見たものの、不安だった魔物との遭遇もなく、見たことがない植物や鳥、小動物のことをクリスさんに教えてもらいながらのんびり歩いていたとき──
「キョアアアアア!!!」
──突として、森の中に金切り声が響いた。
「なんだ!?」
徹は両手で鉈を構えつつ周囲を見渡し、僕は鉈を持つ手に力が入るのを深呼吸を繰り返してなんとか抑える。緊張感が高まっていく中、再び甲高い声が響いた。
「あっちだ!!」
大空が声がした方向を鉈で指し示し、猛然と走り出した。
「大空待って! 徹、クリスさん、追いかけよう!」
僕の声は大空の耳には届かなかった。僕は徹とクリスさんに声をかけて走り始め、横に並んできた徹は少しわくわくした様子で声が弾んでいる。
「テンプレの匂いがするぜ!」
「テンプレだとどうなるの?」
「お姫様、貴族や商人の娘、とにかく美少女が襲われてる!」
「こんな森の中で!?」
しかも異世界って美少女限定なの!? あ、確かにアレックスさんの幻はすごく美人だったし、クリスさんも可愛いし、あながち間違ってないかも。でも、おじさんは普通におじさんだったような?
「……色んな偶然が重なるんだよ!」
一瞬口ごもった徹は、そう叫びながらスピードを上げて大空を追いかけていった。すると、クリスさんが小さくため息をついてぼそりと呟く。
「神薬追いの探索者」
「クリスさん、それどういう意味?」
「ありもしないものを求めている愚か者」
へ~こっちの世界のことわざか。ってことは……
「……さっきの悲鳴は?」
「ゴブリンの雌」
「へっ?」
僕が間抜けな声を出したのとほとんど同じタイミングで、短い下草が生える開けた場所にでた。大空は鉈から肉厚の長剣に装備を換えており、徹も小剣を構えている。森にぽっかりと空いた空間の真ん中では、熊のように大きな茶色の何かがもぞもぞと動いていた。
僕たちが戸惑っていると、右後ろからひゅんっという音が聞こえ、握りこぶし程度の石が茶色の何かに当たる。
「グラアアアアアッ!」
「「「ひっ!」」」
それはこちらをぎろりと睨みつけて立ち上がり、怒りを顕わにした咆哮を上げた。身長は2mを超え、全身が茶色の毛で覆われた、猪の頭を持つ人型の魔物。修行の際に教えられた、オークと呼ばれる凶暴な魔物だった。
「チャンス」
「え?!」
「弱点を晒してる」
クリスさんは僕たちの前に歩み出て、オークの顔に向けていた短剣を下げて弱点を指した。短剣の先を追った僕たちの目には、いきり立つオークのイチモツが映る。
「え? まさか……あれ?」
「そう。まずは見本を見せる──」
クリスさんはわずかに重心を落とし、次の瞬間には目にも止まらぬ速さで疾走していた。オークはその速さに反応できず、クリスさんが振るった短剣は一閃にそのイチモツを切り落とす。
「──こうすれば、無力化できる」
クリスさんの声に遅れること数舜、オークは下腹部を押さえながら絶叫し、短い草の上をごろごろと転がりまわる。また、オークの下にいたらしい緑色をした肌の小さな鬼の姿をした、ゴブリンと呼ばれる魔物が胸辺りを押さえて走り去っていった。
えーと、つまり……オークがゴブリンを襲っていたってこと? うぷっ、吐きそう……。美少女じゃなくてよかったけど、こんな光景見たくないよ!!
「怖えよ! そんなとこ、躊躇なく切り落としてんじゃねえ!」
僕がえずいていると、腰を少し引いた徹が叫んだ。なお、腰を引いてるのは僕と大空も同じだ。
「馬鹿なの? 躊躇ったら自分が殺される。それに、どのみち後で解体する。オークに使えない部位はなく、薬の原料になる陰茎や睾丸は一番高値がつく。早く楽にしてやるのが、私たちができる唯一のこと」
……解体するの? あれを? 僕たちが?
「くそっ! 【火精霊ヨ、聚合し炎となりて敵ヲ焼き撃テ。炎弾】」
一番先に動き出した徹は、慌てて火魔術を行使した。しかし、その火はとても弱々しく、オークの体に当たると表面を僅かに焦がして霧散する。
「トール、魔言が混じってる。そんな炎じゃオークの固い体毛は焼けない。母様の弟子を名乗るのなら、そんなつまらないミスは許さない。それに火魔術を使うと素材が悪くなる」
「っつ! そうだなっ!」
クリスさんの忠告に従い、徹は少し後ろに下がって魔力を放出する。徹の魔力と意思に感応した水精霊が、嬉しそうに徹の元へと集まり始めた。
「るあああああ!」
徹と入れ替わるように今度は大空が暴れ回るオークに突っ込み、やや遠めから斬りつけた。剣先はオークの背中をかすめて地面を浅く切り裂く。
「ヒロ、腰が引けた剣じゃ、大兎すら斬れない。踏み込んで体重を乗せる。首無し爺にあと10年くらい稽古をつけてもらう?」
「やだっ!」
大空もまた少し下がり、長剣を握りなおしてヴィンセントさんに教わった通りの構えを取る。荒々しかった呼吸を整えてこわばった体の力を抜き、深く集中しようとしていることが分かる。
「ユータ、あなたの役割は何?」
「二人のサポート!」
クリスさんの問いかけに、僕はオークから目をそらすことなく答えた。
「そう。二人は目の前の戦闘に集中し、優太は一歩引いて全体を見る。怖くて目が離せないのはわかる。でも、さっき逃げたゴブリンが仲間を連れて戻ってくるかもしれない。血の匂いに釣られて別の魔物が寄ってくるかもしれない。様々な可能性を考えて、即応できるように準備する」
「あ、はい!」
はっとした僕は、周囲を見渡す。ここは森の中にある開けた空間。全員がオークに集中してしまうと、簡単に囲まれたり、背後を取られたりすることが分かり、背中にたらりと冷たい汗が流れる。
「もしゴブリンの群れが来たらどうする?」
「逃げます!」
僕は即答した。1匹でもやっかいなのに、群れなんて勝てる訳がないと思ったからだ。
「ある意味正解。オークという最高の餌がある。逃げれば追ってこないから死ぬことはない。でも稼げない。それが続けばいずれ飢える」
「戦うの?」
「ただ戦うのは不正解。ヒントをあげる。私は群れとしか言っていない」
どういう意味なんだろう? そもそも、群れって何匹くらいいたら群れ? ……あ、もしかしてそういうこと?
「……情報を集める?」
「そう。このパーティーのリーダーはユータ。私やクズハが動ける余裕があるなら、必要な情報、群れの規模を、来る方向を、退路を探らせる。その上で判断する。素早く、正確に。さあ、今はどうすればいい?」
えっと……クリスさんが近くからいなくなるのは、まだちょっと無理。心細すぎる。クズハを独りで行かせるのも怖いけど、すばしっこいからさっきのゴブリン相手なら問題なく逃げられると思う。
「……クズハ、ゴブリンが逃げた方を見て来てくれる? ゴブリンが来たら急いで逃げて来てね」
「キュー!」
僕は指先に魔力を集めてクズハに分け与えながらお願いした。クズハは僕の魔力を吸い込むと、元気いっぱいに鳴いて駆けて行く。僕は、続けてクリスさんに指示を伝える。
「クリスさんは、大空と徹の手助けをお願いします」
「悪くはない選択。でも、手助けの必要はない」
「へ?」
「三人は五千人を超える私の仲間から力を受け取った。単純な膂力でも、大空はあんな小物のオークなら十分張り合えるし、トールが本気で火精霊に働きかければ一撃で消し炭にできる。初陣だから浮ついただけ」
指示を断られた僕は一瞬思考が停止しまったが、クリスさんの説明を聞いて大空と徹の方へと視線を向ける。
「【水精霊よ、聚合し固い槍となりて敵を貫け。水槍!】 大空!」
「徹、ナイス! しょおおおおおい!」
僕が見たのは、水の槍がオークの背中から腹を貫通して地面に縫い付け、動きが止まったオークの首を大空の長剣が断ち切る光景だった。
えっと、もしかして……僕たちって意外と強いのかな?