第0話「ジェット時代のプロペラ」
曇天。空は割れたガラス片よりもなお小さく区切られた。天井に蓋をされ、流れる雲が数え切れない死角を作る。太陽は隠れ、僅かな雲の切れ間から垂れた、光の柱が凪いだ海面を斑らに色つけた。奇妙なまでの静寂の中で、大空昴は愛機の風防を開けた。四式戦闘機の発動機が回すのはレシプロエンジンではなく、ターボプロップエンジンとして回るよう大きく手を入れ、800km/hを超過“できる”高性能機だ。ただ、ターボジェットエンジンに換装した、より最新の四式戦闘機がアシビの本土では量産に移っていた。時代はジェットに変わりつつあり、時代は超高速時代だ。防寒の耳を服にしまい、ゴーグルをかけ風防を開ける時代は終わるな、と考えながら昴は首を伸ばした。ーーやはり下から。
昴は両翼を振った。手信号で『敵機襲来、下からくる』と僚機の大神未央に伝えるが、戦友もまた既に見ていた。できの悪い映写機がコマ送りしているように、何度も薄い雲に隠れては現れるを繰り返して上昇してくるのは……ジェットだ。昴は風防を閉めた。上がってくるのはミーティア、ジェット二発積みで、イスパノの20mmを四門機首装備、強敵だ。昴らは二機一組を徹底した。ミーティアが優れたエンジン出力だからこそこなせる上昇力を存分に発揮している。散開……昴と組んだ相棒がミーティアに狙われている。20mmの機関砲弾の弾幕が両機を押し包む。見殺しはしない。昴はスロットルを開き、ターボプロップエンジンに燃料を流し込んだ。四式は心地の良い反応で機体を加速させ、答えてみせた。
瞬間的にだが、上昇するジェットのミーティアよりも四式が加速度で優速となった。数十メートルと離れていない距離を刹那で切り裂くミーティアが、確かに照準器に収まった瞬間、機首の12.7mm二門、翼の30mm二門から同時に焼夷徹甲弾が火を噴いた。軽量の弾頭が極至近ゆえにほとんど威力を減衰させることなくミーティアへと届き、空気式信管の焼夷徹甲弾が食い込む。だが何発かは、主翼のたわみから弾道が逸れた。修正する暇は許されなかった。命中ーーだがそれは大きな損傷ではなかった。パッ、とミーティアの外板で炸裂する光がついたがすぐさま機体を回し最小の面積で弾幕を抜け、逃げられた。「くそっ」昴は酸素マスク越しのくぐもった声で吐き捨てた。ミーティアは一撃から巴戦に入る愚か者ではない。そのまま上昇し、高空からの運動エネルギーを使ってまた撃ってくる。昴は考えていたが、ミーティアにやりあうつもりはなかったのか、そのまま戦空から離脱していった。加速の乗ったミーティアを四式で追跡するのは不可能だ。
僚機が近づいてくるのが見えた。胴に大穴が開いていたが、問題はなさそうだ。20mmの直撃弾でこれは運が良いと言えた。軽い『お遊び』程度の空戦だったが、昴は自分の操縦桿を握る手が力んでいたことに気がついた。風船から風を抜くように、その手から力を抜く。緊張の続きでは身がもたない。意識的に休ませた。雲が僅かに切れる。切れ目からは地上が覗けた。“それ”は雲を引っ掛けなお高く、概知のあらゆる文明国家が建造した記憶のない『遺跡』だ。空想家の中では、“それ”は星外の文明の痕跡と言われていた。そして誰もそれを否定しきれない。あまりにも……違う、のだ。昴は座席からカメラを取り出し、“それ”を撮影した。気分を落ち着ける為に飛行食の林檎を一口かじる。「帰投する」