マリ温泉(メスクリウス皇子視点)
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「クリス様、こちらがマリ温泉でございます。」
ほう、これがマリ温泉らしい。
歴史を感じさせるこの重厚そうな建物は、独特の匂いをさせながら白い湯気を立てて入浴者を今か今かと待ち構えている。
早速温泉に入りましょうと言うメティーナに促され建物の中へと入って行けば、従業員が一列に並んで待ち構えていた。
「クリス様、店長に発言の許可を、」
許可すると、
「第1皇子様、この度は御来店誠に有難うございます。」
「こちらこそ今日は1日よろしく頼む。
私としては今日は貸切にさせてしまって心苦しい限りだが…」
そう言うとすかさずメティーナが、
「大丈夫ですわ、クリス様。クリス様がいらっしゃったことがそのうち広まるでしょうから、そのときこの温泉は第1皇子様がお越しになった温泉だと大人気になりますから。…本当は第1皇子様限定グッズとか売り出せたら良いのですが」
メティーナ…君は公爵家令嬢だな?商人ではないな?
私は見たことのなかったメティーナの商魂逞しさに唖然としてしまった。
「うっうん、そろそろ温泉に浸かりましょう。ね、」
誤魔化すように温泉に浸かろうと言うメティーナが可愛くて思わず、
「メティーナ、君はとっても可愛いね。」
と言ってしまった。
するとメティーナは、顔を瞬く間に赤らめて、目をうるうるさせて走って逃げてしまった。その後を専属メイドのマリーが追いかけていく。
「メスクリウス皇子、あなたと言う人は。」
私の執事のリュシアンが呆れたような目をして見てくる。
「メティーナ様も面倒な人に捕まってしまいましたね。」
聞き捨てならない。面倒とはなんだ。
「面倒でしょう。」
そう言われてしまった。
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温泉というものは本来皆で入るものらしい。
ただ、私は第1皇子なので他のものは護衛のため入っていない。
少し寂しいような気がする。そうリュシアンに言うと、
「ご結婚なさってお妃様とお入りください」
と言われてしまった。
体が芯からあったまって行く感じがする。
こんな時でも考えるのはメティーナのことだ。
あれは8歳の時だった。
彼女はまだ6歳。
でも婚約者がいた。そう、あのヘスフィラル・ムアヘッドだ。
彼女は騎士団長である父親に連れられ宮殿に来ていた。私は所謂“一目惚れ”をした。
透き通るようなプラチナブロンドの髪に、愛らしいけれど幼いながらに恐ろしい程整った顔、何より好奇心でいっぱいの輝くような金色の瞳に恋をした。
けれど、その恋は成就することのない恋だった。彼女の婚約は皇帝、私の父が決めた、帝国内の派閥争いを沈静化するために結ばれたものだったからだ。たとえ私が第1皇子でもそうでなくとも皇帝の決定を覆すことはできない。私にできたことは彼女と少しでも接触を試み、彼女が幸せになることを祈ることだった。
月に1度ほど宮殿に会いに来てくれるメティーナは私と、私の父皇帝の癒しとなり得た。父はこんなに可愛い子なら其方の妃にして仕舞えばよかったななどと言っていた。できるものならしてほしい。国のためとはいえ、一目も見ずに政略的に婚約を結ばせたのだから、当時は思うこともあった。今は皇帝としての選択に理解もしているし、納得もしているが。
そんな気持ちだったので、正妃の皇子である自分にこんな歳まで婚約者がいないという事態に陥ったのだ。私はメティーナ以外の人と結婚する気は無かったし、いずれ立場を考えれば結婚しなければいけないとしても、まだ縛られたくはなかった。そんな風に過ごしてきた5年間。あれは去年、私が13歳、彼女が11歳の時だった。いきなりメティーナが宮殿に来なくなってしまったのだ。フォーサイス公爵の屋敷に行こうとしても、侯爵派の送り込んできた婚約者候補とやらが後ろをついて回る。少しでも気を緩めると密室に連れ込まれ既成事実を作られかけており、うかうかと外出することは叶わなかった。彼女はまだ11歳で、学園に入学してもおらず、あろうことか学園では彼女の婚約者ヘスフィラルがスペード寮のキングとして大きい顔をしていたようだ。
ここでエーテルコーダ帝国立学園について述べておこう。
その昔、約200年前、貴族の質が著しく落ちた時代、このままでは国が崩壊すると皇帝は貴族のための学園を作った。学園では魔術や政治その他一般教養が教えられ、この学園を卒業した生徒が正式な一人前の貴族として認められた。
この学園は全寮制である。寮はスペード、ハート、ダイヤ、クローバー、そしてジョーカーの5つ。
はじめはスペード、ハート、ダイヤ、クローバーの4つだけであったそうだが、その後派閥争いが起こり、派閥の違う生徒同士が諍いを起こすようになり、ジョーカー寮が新設され、侯爵派の貴族の令息令嬢はこのジョーカー寮に入った。
そのうち、平民にも門戸が開かれることになる。平民は大体がジョーカー以外の寮に入寮し、ジョーカー寮に入寮するのは侯爵派の貴族の家の使用人の子たちだけであった。平民の殆どがジョーカー寮以外の寮なのは、侯爵派の貴族には一貫して平民嫌いの気質があったからだ。
この国の派閥争いは特殊だと私は考えている。公爵派と侯爵派に分かれているのだ。公爵と侯爵には圧倒的な差があり、本来ならば派閥争いなんて起こりようもないのだが、終わらないのはこの国の公爵4家が終わらす気がないからである。ある公爵になぜ終わらす気がないのかと聞くと、
「負けるわけがないのにわざわざ労力を使って終わらせるのもね。」
だそうだ。
ちなみに侯爵派はこの派閥争いに勝って、自分たちが公爵に叙爵されたいらしい。
公爵派が何も行動を起こしていないが故に自分たちの力が公爵派に及んでいると勘違いしている侯爵派だが、最近では、私の兄に当たる第2皇子が侯爵派に肩入れしているようで、皇族は中立という立場を保つ為、私が公爵派だと国内に知らせなければならなくなった。第2皇子は皇族は中立であるために寮には入寮せず、宮殿から通うのが慣例であったのに、周囲の反対を押し切りジョーカー寮に入寮。そしてジョーカー寮のキングに就任した。
今回、メティーナがヘスフィラルと婚約を破棄したことでヘスフィラルはジョーカー寮に転寮する。彼はメティーナの婚約者であるがためにスペードのキングとなっていたからだ。そうすると、スペードのキングの座が空く。そこで来年入学する私がスペードのキングとなることが決定しそうなのだ。
まだ正式に決まっていないのには理由がある。各寮のキングとクイーンは婚約者同士であることが殆どなのだ。学園の式典などには、キングとクイーンがパートナーとして出席することが多くなり、自然とキングとクイーンは婚約者で固められることになっていった。必ずしもそうであると決まっているわけではないが、私は第1皇子である。
これも正式に決まっていることではないがおそらく皇太子に任命されるのは私だろう。あの兄は性格的に大問題がある。そうなると、私と結婚する女性は皇太子妃、あるいは皇妃になる、ということなのだ。そんな女性には早くから皇妃教育を施す必要がある。父上や母上はこの機会に私の想い人であるメティーナと婚約させてしまおうとしているのだ。
そして今日から三日間、私はメティーナから婚約を認めてもらうためにこのフォーサイス公爵領に滞在する。
「メスクリウス様、そろそろ上がられては?
おのぼせになってしまいますよ。」
「ああ、今上がろう」
さあ、メティーナ。
もう逃がさないよ?