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SNAKE  作者: 彩葉 軀
第1部 〜Forbidden Force〜
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7匹目 急ぎ

 ──あの日握った母の手の感覚を、彼女は忘れられない。

 己の能力のせいで死の寸前まで追いやられ、骨皮だけになってしまっても、残された僅かばかりの力を振り絞って力を授けたあの手を。それは4歳になるかならないかの頃に起こったことだというのに、昨日おとといの出来事のように思える。今ではこの身体にすっかり馴染んでいるこの力を、ほんの数日前に継承したような気分が離れない。

 彼女──飛良(ヒヨシ) 亜巳(アミ)はその朝も、いつもと同じようにそのことばかり考えながら、閃道(センドウ)学園へと歩みを進めていた。安全に配慮しながらも、自分の左手ばかりを、初めて見る生き物を隅々まで観察する子供のように穴が空くほどに見つめていた。それを不思議に思ってか、或いはその()()()()()()()美しさに魅了されてか、行き交う人々は彼女に目を奪われ、電柱に激突しかけたり、側溝に落ちかけたりと危なっかしい通勤通学を送っていた。

 そうして彼女は、一つの交差点に辿り着いた。徒歩で半時間程かかる距離の通学路の中で唯一通る交差点。南北に国道が走っており、そこを通行する車の往来が激しい。

 その交差点で待っている人の中に、亜巳は見覚えのある背中を見つけてしまった。正直語りかけたくない。学校に着けば、『美魅体(エンスロウル)』の影響下にある者たちから否が応でも会話攻めされるのだから、通学路の時間だけでも解放されて、孤独の幸せに浸っていたい。

 けれど逃げ道は無いだろう。恐らくその背中は、亜巳がそれを見つけた瞬間にぐらりと揺らいだ“英気”の波に気づいているだろうから。


「……おはようございます、中院(チュウイン)さん」


 感知されていることを前提で、それでも平然を装って彼女はその背中に声を掛けた。だがその勇気に応えるつもりなどないとばかりに、その背中──中院(チュウイン) 永香(エイカ)は振り返らなかった。

 人違いだとでも言いたいのだろうか。亜巳はそう思って、やはり気付いていなかったことにしてやろうと考えたりもしたが、そこで終わってしまっては負けたような後味が残る、と自尊心じみた何かが邪魔をし、


「今日はいい朝ですわね」


 顔を覗き込んでそう声をかけるという行動に至った。

 すると今度は、顔を知られてはしょうがないと思ったのだろう、静かに彼女は頷いた。

 亜巳が来るのを待っていたのか、或いは単なる偶然なのか。どちらにせよこうして会ったのだし、笑うくらいするのが礼儀なのではないのか、亜巳はそう思ってしまった。長い待ち時間のあいだも、ここまではどれくらい時間を要するのか、とか、今朝の朝食の内容、とか、今日の授業は、とか必死に話題提起をしているのに返って来るのは「うん」又は「……そうね」。こんな事になるなら初めから話しかけなければ良かったと再三後悔した。

 漸く信号が青に変わり、この苦痛から解放される。ここで彼女は、少し意地悪してやろうと考えた。されたからといって、殆ど傷つくこともない、小学生のようなちょっとした意地悪を。少しばかり先を歩く。ただそれだけのことを。

 ちょっと早歩きしてみる。この青い髪の少女は付いてくるのか確かめる。後ろを振り向かなくても、その”英気”の距離で判る。…………付いてくる。少しずつ距離は遠ざかってはいるが、見失わないように必死なのは感じられる。やはり離れたくないんじゃないか。亜巳は内心ホッとしていた。

 だがこうやって先を歩いてしまった以上、この通学路の中でもう一度話しかけるには理由を設けにくい。学園に着いてから、急ぎの用があった、とでも言い(つくろ)っておけばいい。

 一応、”英気”は今のまま保っておく。感情の揺れ動きを見せないためだ。この状態は神経が削れるので、早いところ学園に着いて脱力したい。

 交差点を過ぎて数百メートル。イコール、到着まで残り10分程度。朝の平和な住宅街の中を、いつもより若干速めに通過する。ゴミ出しに外へ出て来たついでにお隣さんに話しかけに行く主婦や、ペットの散歩に勤しむ年寄りの男。ゆっくりな時間の流れを見せてくれる。気の張っている亜巳には嬉しいことだ。



 ──その平穏な雰囲気を一変させる存在を、亜巳、そして永香が察知したのは、

 ()()()()が訪れる、1秒手前だった。



 その直後、自らの脇腹部の数センチ前まで近づいていた蛇に気付き、亜巳は咄嗟に『念燃焼(ディザイア)』を発動させ、その蛇の頭を焼いた。

 自分の幸運に強く感謝した。今の蛇の速度ならば、雰囲気の急変に勘づいていなければ確実に致命傷を喰らっていただろう。その雰囲気の急変に対応できたのは、永香の存在を把握し続ける為に“英気”の発動を継続したお陰である。

 全てこの瞬間を予測して行ったことではない。単なる偶然の産物なのだ。偶然に感謝しない理由なんてどこにもない。


「……我ながら完璧な不意討ちだと思ったのだがな」


 立ち止まる亜巳の眼前で、声がした。低音(ロートーン)の中に、若さを帯びた部分がある。

 見上げる。白のパーカーで身を包み、ポケットに手を突っ込んでいる。フードの中から亜巳を見つめる眼が覗く。戦闘開始のゴングも鳴っていないのに、既に敵意剥き出しと言った眼力だ。


「……もう少し、演技の練習を為されては如何です?あれだけ戦意に満ちた方に、気付かないはずがございませんわ」


 弱気になってはならない。精神で敵の下をいっては、勝てる勝負などあるはずが無い──父の言葉だ。


「ほう? そりゃあ失敗だった。そこまで頭が回らなかった。何せ此方(こちら)は、」


 敵と判別されたからか、男は徐ろにフードを脱ぎ、その顔を露わにした。その顔の特徴を見極める間も与えず、


「少し『急ぎ』なのでな」


 両の手を前に突きだし、そこから無数の白蛇を生み出し放った。

 亜巳の鍛えた目で補足可能だったのは9匹。しかしながらそれは半数にも満たないことは一目瞭然だった。対して彼女の『念燃焼(ディザイア)』で処理可能なのは僅か3つのモノのみ。恐らくこれは四方八方から襲撃してくるだろう。そう仮説立てた後に窮地の亜巳は、敢えて無数の白蛇の混在する中に突入した。この数と速度に狼狽(うろた)えた結果血迷ったか、男は勝利への道を大きく進んだと確信した。

 だが結果は亜巳ではなく、彼を裏切る。

 無謀にも思えた彼女の行動は、自身に一点集中してくる白蛇の群れの波に潜入し、歯止めが利かずに、そこに敵がいたという過去だけが残る虚空に在る蛇の1匹の頭を燃やすことに目的があった。

 そうすることで、塊同然の蛇全ての頭に引火し、一網打尽にすることが可能だったからだ。

 更にこの先には続きがあった。亜巳の身体もまたブレーキをかけずに、術者に向かって突き進んでいく。敵は無敵の群体攻撃を突破される筈などないと踏んでいたから無防備状態。攻撃して下さいとばかりに佇むその身に向かって彼女は、“英気”を込め力を高めた拳を放った。男は後ろに倒れ、一時立てなくなった。これは亜巳自身、矢のように過ぎる時間の中では予測できていなかった。


「……『急ぎ』、ですか。なら私に関わること自体間違いではございませんこと?」


 動きを止める為、倒れる男の身体の上に仁王立ちし、彼の手を足で押さえつける亜巳。昨日の戦闘とは違い優勢に立つことが出来、無自覚に油断していた。

 そのことを彼女は、次の瞬間知る。


「ククク……ッ」


「……何かおかしなことでも?」


「俺の力……侮り過ぎていないか? お前の周りはまだ、『危険地帯』だぞ」


 不敵な台詞を(いぶか)しんで、警戒を強める。思考の中に、『周り』という言葉が渦巻く。その意味するものに彼女が気付いた時、

 攻撃は既に終わっていた──。



「カハッ……!」



 受けたのは、亜巳ではなかった。

 その華奢な身体の中心に大きな風穴を通すことになったのは、

 亜巳の後を追っていた、永香だった。


「中院さんっ!」


 無防備だった己の背中を(かば)い、2匹の蛇に身を貫かれ致命傷を負った彼女の名を叫ぶ。何の罪もない少女を貫通した白蛇の源は、男の足先だった。


「その女も……“英気”、操れるな……? ということは、任務対象、だな」


 亜巳は確かに聞いた。

 立ち上がりながら発した台詞の後、男が溜息を()いたのを。その溜息は、退屈や疲弊を表すそれではない。安堵、ただそれのみを具現化していた。

 何故、そこで安堵する? 目標人物を案外に早く見つけられて労力を要さずに済むことへの安堵なのか? それとも……?本来なら気にも留めない筈の息一つに、彼女の思考は全集中していた。


「まだ戦いは終わっていないぞ、“炎蛇(ラミア)”」


 その背後で、すっかり準備が整い戦闘準備も済ませてしまった男が立っていた。


其奴(そいつ)はもう治療したとて闘える身体ではない……放っておいて自分の身を案じてはどうだ」


 発した言葉とは裏腹に、手や脚、更には胴の至る所からも蛇を生み出し、まるで手品の種を明かした魔術師のような出で立ちを成す男。そのゆとりに満ちた様に、亜巳の戦意は(くすぐ)られた。


「……少々お待ち下さいませ、中院さん。ほんの少しの辛抱ですことよ」


 微かに治癒能力を持つ“英気”で患部を覆い、そのままその力無き身体を、傍にあった塀にもたせかけた。


「あの無礼者を、すぐに燃やして参りますわ──!」

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