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SNAKE  作者: 彩葉 軀
第1部 〜Forbidden Force〜
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6匹目 またね

 ──赤子は天使のようだとよく言うが、彼らにとってはその子は『天使』であり、『悪魔』だった。

 自分たちのもとにやってきてくれた奇跡に、彼らはいずれ、命を奪われることを知っている──。


「おお、よしよし……こっちだこっち」


 机の脚だの椅子だのに掴まりながら、一歩一歩、心許なくも勇ましい足取りで歩く娘に向け両手を開く男──飛良(ヒヨシ) 亜輝(アキラ)。彼の顔には笑みが広がっている。

 それを背後から、温かな眼差しで見守る妻──優巳(ユミ)。彼女もまた笑っているが、二年前、今の夫となった亜輝と出会った頃に比べて活気が無い。

 それもそのはずだ。本来喜ばしいはずの娘の成長は、彼らにとって、

 刻々と進んでいく、『絶命(別れ)』へのカウントダウンでしかないのだから──。



「──私は必ず、子どもを産まなければならない。そしてその子どもに少しずつ力を継承して……


 私はやがて、死ぬ」


 優巳は内心、この事実だけは伝えたくないと思っていた。この瞬間ですら、彼女は躊躇(ためら)っていた。しかしあれこれと話してしまった手前、いきなり中断するわけにはいかない。ましてや相手(亜輝)は、好奇心に満ち満ちた眼差しと姿勢でこちらを見ている。もう逃げる道なんて残っていなかった。


「…………っ!」


 亜輝は、先刻の無邪気な子どものような(きら)びやかな気持ちを全部投げ捨て、代わりにその心中に、神という、時に慈悲深く時に無情な仕打ちを為す、勝手気まま極まりない存在を恨んだ。

 彼女(優巳)に出逢ったという奇跡に後悔は無いが、こんな非情な運命を迎えるくらいなら何故神は、自分たちに出逢いという喜びを与えたのかと問い詰めたくなった。


「私の命は、()って2、3年。その間に、私の力はみんな子どもに受け継がれる……コピーを作るみたいに」


 優巳は自分の一言のせいで訪れたこの沈んだ空気を少しでも変えようと、なるだけユーモアを含ませて話そうと努めた。しかし思考の別の部分がそれを拒んだ。

 同じようにして母が死んだのを思い出して、それは無理だと拒んだのだ。

 幼心に、その頃のことは嫌に記憶していた。日が経つにつれて憔悴(しょうすい)していく母の姿。彼女の手は、触れる度に冷たくなっていく。氷のように。自分の身体に力が(みなぎ)るのを感じるのと同時に、無邪気で未熟な心には抱えるのが困難な程大きな罪悪感を生み出した。

 そんな経験を想起した彼女の心は、冗句なんて許しはしなかった。


「……こんなことを……大事なことを伝えないでいてごめんなさい……! もっと早く伝えていたら、貴方に辛い思い……させることも無かったのに……!」


 声が震え、温度を帯びた涙が頬を伝う。初めは一滴、一滴と流れていくだけだったのに、だんだんと量が増え、流す本人の制御も効かなくなる。


「それは違うさ」


 芯の通った声が、優巳を包んだ。頭を下げて泣いていた彼女が見上げた場所にあったのは、夫の、いつになく真剣な眼差しであった。


「伝えるタイミングがどうとか伝え方がどうこうって問題で変わるというなら、そんな愛はたかが知れてる。

 喜びも苦しみも、いつどんな時であろうと分かちあって生きていく。それが出来てこそ真の愛……ボクはそう思う」


 この瞬間、優巳は初めて、

 ──自分はこの人と連れ添うと決めて間違ってなかったんだ──そう確認した。

 彼女はまだ、100パーセント彼の事を信頼しきれていなかった。というよりも、今まで誰彼構わず魅了し続けるだけで恋なんてしてこなかった自分の判断を、自分自身で疑っていた。自分に定められた運命に急き立てられる余りに、無自覚に適当に選んだのではなかろうかと。

 けれど今、彼女はその答えがノーであることを知った。だから素直に喜んだ。

 自分の死期が定められているという事実に対しての哀しみは決して癒えないけれど、それに真正面から立ち向かえる勇気を彼女は得た──。



 ──1年後。2人にとって最初で最後の子が産まれた。出産を介助した助産師の、自分が今まで見た中でで1番元気な女の子だという太鼓判まで貰って、彼らが嬉しくないわけがなかった。

 けれど手放しで喜べないのもまた事実。言い様のない歯痒(はがゆ)さが、彼等を(さいな)んだ。



 気が付けば6ヶ月。娘、亜巳(アミ)も座れるようになった。

 それと同じ頃、優巳はよく体調を崩すようになった。救急車をすぐ呼ばないといけないような重病ではないが、微熱が続いていた。



 そうしてまた半年。覚束無い足取りではあるが歩けるようになった。

 それと反比例するように、優巳は真面(まとも)に歩けないことが増えた。眩暈(めまい)に似た症状に襲われ、傍にある物に掴まりながら歩くことが頻繁になった。



 2歳になった。語彙力は無いものの会話による意思疎通が出来るようになって、亜巳の愛らしさは増した。

 それと相反するように、優巳の魅力が薄れたように亜輝には思えた。恐らく『美魅体(エンスロウル)』の持つ力が薄れたからであると彼も察していた。だが決してそれだけではない。彼女は一目で判る程に、痩せこけていた。



 亜巳が3歳になる春。

 優巳は、病床から離れることが不可能になった。辛うじて食べる事はできるが、それ以外のことは為すこともままならず、亜輝の手を借りずにはいられなかった。



 そして、その年の暮れ──。



「ねぇ、亜巳(アミ)


 布団に横たわったまま、優巳は娘を呼んだ。父に買ってもらったばかりの着せ替え人形セットで遊んでいた彼女は、いつもその姿を背中から見守るだけの母親に呼ばれ、何だかいつもと違うと感じながらも母に寄り添った。


「……? なあに? おかあさま」


「これから私ね……とっても遠い所に行くの。遠い遠い、()()()()()()、もう帰ってこられないかもしれない場所に」


 ──もしかしなくても──。言いかけたその言葉を、夫は呑み込んだ。すんなりに容易にではなく、針に覆われた物体が喉を通ったような、激しい痛みが彼を支配した。


「……? どうして? 何しにいくの?」


「何しに行くかは、まだ決めてないの。けど、そこに行かなくちゃいけないの。

 ……だからね、今から亜巳におまじないをかけるわ。亜巳がいつでも、”おでんわ”をかけることが出来る、おまじない」


「おでんわしていいの!?」


 違和感から険しくなっていた顔がぱあっと晴れる。ちょうど『マホウ』とか『マジカル』が例に挙げられるような言葉が好きな年頃だから、『おまじない』という単語も信じたし、大好きな母といつでも話せるとくれば承諾しない理由が見当たらない。


「うん、いいよ。嬉しい事があった時、困った時、一人ぼっちで寂しい時だって、いつでもかけていいよ」


「よかった、これでいつでもはなせるね!」


「じゃあおまじないかけるから、手を出して」


「はい」


 疑いもせず、亜巳は右手を差し出した。柔らかで、か弱くて、けれど人の温もりというものを何よりも強く与えてくれる、小さな手を。

 だが、それを差し出すように言った優巳の目には、天国への階段に導く手に見えた。自分の中にあったうちの(ほとん)どの力は彼女に分け与えたが、僅かに残っている力もある。というか、そのお陰で今も生き長らえている。その微存の力を全て受け継いで初めて、優巳の最期の使命は達成される。

 その瞬間が、怖くないはずなどなかった。いずれ訪れることと判っていても、死の恐怖は拭えなかった。ましてや彼女は、同じ状況をその目で見ている。そしてその後起こることを知っている。それを思い出してしまうと、自分の抱く恐怖も無論だが、それ以上に、

 この手を差し伸べる無垢な娘の気持ちを想うと、躊躇いを止められなかった。

 何度もやめようと思った。また別の機会でも、そうやって諦めようとした。

 だが後になればなるだけ、自分も、亜巳も、亜輝も、辛くなる。だから今だと決意したんだ。彼女は自身を説き伏せて、


 結果、



「ありがとう」



 病床に就いたまま、娘の手を、握った──。




「……楽しかったよ」


 枕元に座るなり、夫は突然言った。


「君と居た時間……どれをとっても幸せだった」


「ちょっと……世辞なんかやめて。私……いきにくくなっちゃうじゃん」


 咳混じりにそう返す。実のところ、こんな冗談っぽく物事を言うのも過酷だ。


「お世辞なんかじゃないさ。君のように美しい人が、僕みたいな男を選んでくれて、そして……」


 亜輝はそこまで言って、娘が夢中になって人形遊びをしている背中を見る。


「まるで光のようなあの子を産んでくれたこと……本当に奇跡だと思っているんだ」


 心底からの謝辞だった。言おうと思えばいつでも言えることを、何故この切羽詰まっている折にと彼自身ですら思ったが、今まで言わなかったのにも拘らず、彼女の隣に座った途端自然と出たというのが正直なところである。


「……代わりに私には、美しさはないけど」


 彼女もまた娘の背中を見ながらそう言う。搾られて搾られて殆ど何も残っていない身体から、それでも精一杯に搾り出した言葉は、結果的に二人の間に沈黙をもたらした。

 映画のエンドロールが流れる時間のように、2人はそれぞれに、今までの記憶を想起する。走馬灯と呼ぶほど早くもないが、丁寧に手にとって振り返る程の猶予は無かった。


「……あの子のこと、お願いね」


 エンドロールにピリオドを打ったのは優巳だった。


「何言ってるんだ……そんな当たり前のこと……」


 亜輝の口調から覇気が失くなる。妻の死にいざ臨するとなると、強がりも出来なくなる。


「私と同じで……きっと美しい“炎蛇(ラミア)”になるはずだわ……」


「ああ……絶対そうさ」


 声も掠れる妻を必死に励ます。彼の応援に答えるためか、優巳は笑って、


 いった──。




「────またね」





「お父様」


 ノック音とともに耳に入ってくる声。亜巳だ。知らずのうちに過去の記憶に没入していた彼を引き戻したのは、あの頃はまだ幼かったはずの彼女だった。


「お茶をお煎れしたのですが……」


「そ、そうか。構わない、中に入って来てくれ」


 持っていた写真立てを慌てて元の位置に戻してからそう返すと、ゆっくりと扉は開き、亜巳が入室してくる。その様をまじまじと見ていたわけではないが、足音でそれを判断した。


「もう随分と時間が経ちますけれど……お仕事、程々になさって、早めに休憩して下さいね」


 お茶の注がれてある湯呑みを置きながら娘は言う。娘に心配されるとは。そんなことを思いながら、


「そうだな。もう少ししてから寝ることにするよ」


 と返した。よかったです、娘は言って彼のもとを立ち去り、扉の前に立ってから一礼して部屋を出て行こうとした。亜輝は今度は回転椅子ごと彼女の方を見て、


「亜巳」


 と呼び止めた。何だろう、と頭を上げた娘に対して父は告げた。


「……母さんに似てきたな」


 と。

 自らの身体の方が苦痛を味わっているであろうにも拘らず、仕事をせっせとこなす亜輝の身体を(いたわ)ってあれこれと気遣ってくれる。優巳はそんな人だった。どこで習ったのか知らないが、亜巳は着実にその母に似てきている。と言うより、

 優巳(はは)に『なっている』。


「そ、そうでしょうか……?」


 亜巳は頬を赤らめながら訊ねる。それから直ぐに、父の答えを聞くことなく慌てて立ち去った。父に褒められ照れて飛び出すように逃げる、その辺りはまだ子どもなのだろうか。彼は首を傾げた。

 仕事に戻るために、もう一度デスクの方に身体を向け直す。その時、整理されていない卓上でも存在感を放つメタリックなデザインの時計に目が移る。ここに座ってから、早2時間が経過していることに気付いて、彼は己を心の中で(いさ)めた。

 写真立てのガラスの向こうから、妻に見守られて──。




 ──同時刻


「お疲れ様でした」


 低い声で言いながら頭を下げる。これから深夜シフトで働き続ける同僚に対して。


「ご苦労さま。しっかり休んで」


 同じ時間帯に勤める副店長が声をかける。男は首を縦に振るが、実際は休んでいる時間なんて無い。今からほんの数時間後には、会社や学校に向かう人の波でごった返す駅で電車に乗り、2時間かけてキャンパスに辿り着き、1時間半の講義を1つだけ受講して帰路につき、再びこの場所に帰ってくることになっている。この中のどこにも、休む為の時間なんて存在しない。

 溜め息を吐きたくなるのをすんでのところで堪えて、副店長の前を去る。ベージュ色をした制服を脱いで、畳んで、ロッカーにそれをしまい、3千円という安価で購入した割に音質の良いイヤホンを耳に装着して、ショルダーバッグを肩にかける。これらを5分以内で済ませて、誰にも知られないまま立ち去るのが彼の『習慣(ルーティーン)』だ。

 職場から家までは徒歩で往復可能な距離だ。今のような夜の深い時間になると車やバイクも一台として走らない閑静な住宅街の間をトボトボと歩いて、誰もいないマンションの一室に向かって帰るのだ。

 どうせ帰ってからもそんなことをする気力はわかないので、今の間にスマホを触っておこう。彼はバッグの脇ポケットに入っているスマホを手に取った。『狭く深く』友人を作る主義の彼には基本連絡だったり何気ないチャットなどは来たりしない。だから今のように、

 電源を点けると同時に通知が表示されることがあれば、焦ってしまう。

 送り人の名前を見る。なるほどと思った。その名前の主からは、余程のことでないと連絡は来ない。裏を返せば、連絡が来ているということは、時間など気にしていられない急用だということだ。

 内容を確認する為に画面をタップする。文字数が少ない。内容を目で追う。


『命令


 トアル人物ノ捕獲ヲ依頼シタイ。


 委細報告ハ通話ニテ。 ソラ』


 『ソラ』。未だ顔も見ぬ、彼の仲間だ。まるで昔の電報のような文面だ。非常に読みにくい。

 兎にも角にも通話してみる。ソラについて知っているのは、性別と連絡先のみである。年齢も姿形も知らない。

 4回のコールの後、受話器を取る音が聞こえた。


「もしもし……?」


『……久方振りだな』


 答える機械音声。ボイスチェンジャーを使っているようだ。


「……誰を捕らえればいい」


 内容が内容だ、さっさと話を終える為に早速本題を提起する。

 すると相手──ソラは少しの間を置いて答えた。



『……“ラミア”と“イルルヤンカシュ”、この「2匹」だ』

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