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SNAKE  作者: 彩葉 軀
第1部 〜Forbidden Force〜
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5匹目 非力

『契約』を交わしたその夜。亜巳の父はふと、『過去』を紐解く──。

 ──飛良(ヒヨシ)家は、閃道(センドウ)学園から自動車で数十分程の所にある。『豪邸』、そう表現するにはあまりに小さいが、『一般家庭』という枠の範疇で考えるなら比較的大きい、そんな家だ。

 この家の一人娘──飛良(ヒヨシ) 亜巳(アミ)は、今日も学校を終え、この家の門扉に手をかけた。

 ──体育の授業の件が、父に伝わっていないか心配なままで──。


「ただ今帰りました」


 緊張しながら、彼女は玄関を潜り抜けた。ここで父の声が聞こえなければ一大事。しかしすぐに、


「ああ、お帰り」


 彼の声はいつも通り返ってきた。亜巳は心底安堵した。細かな音程のズレも見られない、『機械音声』のようにいつもと同じな出迎えの言葉だ。


「夕飯、すぐにお作りしますね」


 まるで父──亜輝(アキラ)の『妻』のような言葉だが、これが彼らにとっての普通だ。

 『妻』であり、『母』である存在を持たない彼らにとっては、これが日常なのだ。


「ああ、頼むよ」


 亜輝のこの返事が、その証拠である。

 学生服も着たままで、その上にピンク色のエプロンを纏う。冷蔵庫の中身を一瞥する。牛肉と人参、玉ねぎにじゃが芋、それに糸こんにゃく……なるほど肉じゃがを作れということか。亜巳はそう思って、それらの具材を手に取った──。



「──今日、授業に出なかったそうだな」


「えっ……?」


 食事が始まってからの亜輝の第一声はこうだった。亜巳は言葉に詰まった。いつもは怒鳴って叱るはずの彼が今日はやけに静かに訊ねてきたから、ただ事ではないと思ったからだ。特にここ最近、友人も着実にでき、成績もトップをキープしていることも報告したばかりだ。その折で授業に出ないだなんて、完璧主義の亜輝にとっては愚行の極みだ。


「あ、いえ……それはその……」


「学園から電話があった…………何かあったのか?」


 叱責の言葉が飛んでくるとばかり見ていた亜巳は、拍子抜けしてまた言葉を失った。いつものトーンではないまま訊ねてくる亜輝を、まじまじと見つめてしまっていた。そんな娘に向け、父は湯飲みにお茶を注ぎながら続けて訊ねた。


「もうお前も大人なんだ。単なる怠惰的な理由で休むはずはあるまい。ましてお前には『()()()()()だろう?……何かそれに関することではないかと思ってな」


「お父様……」


 彼の目は、いやに真っ直ぐだった。だから亜巳も、真実を話さざるを得なかった。


「私と同じ、“蛇”だと名乗る方々と、お話してきたのですが──」



「──なるほど……確かにそれは由々しき事態だな」


 話を聞き終えた亜輝の言葉はこうだった。亜巳の話は長かった為、彼は既に食事を済ませてしまっていた。


「その武夜(タケヤ)君と言う青年は、どのような様子だった?」


「とても信頼に値する方でしたわ。しかし信じられるからこそ、父が敵の一人だったと聞かされた時は戸惑いました」


 嘘偽りなく、父には話せる。これはそうしろと言われたからでなく、自然とそうなっていたのである。


「とにかく無事でいてくれてよかった。だがその話を聞くと……これからは無事で居られないかもしれないのだな」


「はい」


「……致し方ない。そればかりは、何も能力を持たない私には、止めることも行くなということもできない。ただお前の安泰を祈ることしかできない」


 険しい顔で亜輝はそう忠告する。しかし亜巳の決意は固かった。


「大丈夫ですわ、お父様。私にはお母様がついておりますもの」


 娘の頼もしい、勇敢というに相応しい表情を見た亜輝は、深刻な表情でいることすら無礼に思えてしまい、精一杯微笑むしかなかった。

 きっと亜巳は不安で仕方がない。けれど限られた者しか手は貸してくれないし、その者達だって完全に信頼していいとは限らない。その現実が、彼女を孤独に追い詰めていく。

 けれど彼女は、まるでその孤独に必死に打ち勝とうとしているように、そしてそれに気付いてと言うような目で、いま目の前で笑っている。その態度を、何も助けてやれない亜輝(ジブン)が叱ったり口出ししたりすることは不相応であるし、彼女の気持ちをわかった風な口をかけてやることもできない。

 いまはもう、笑ってやるしかない……そんな考えを内在した微笑みを、亜輝はその顔に出していた。

 亜巳は食事を終えると静かに両手を合わせ、


「ご馳走様でした」


 と挨拶をすませる。直後、徐に食器を持って立ち上がるとそのまま台所に向かい、それらを洗い始めた。これもこの家での亜巳の役割である。なので亜輝もそのもとに食器を運び、せっせと水洗いをしている彼女の脇にそれを置く。


「……残っている仕事を済ませてくる」


「判りました」


 短いやり取りを交わして、亜輝は宣言通り自室に向かう。分厚い本がいくつも立て掛けられている本棚がすぐに目に付く、暗い暗い部屋だ。亜輝の嗜好でこうしているが、亜巳には不評だ。

 彼は持ち帰ったノートパソコンを起動し、キャスター付きの黒い椅子にゆっくりと座る。そしてノートパソコンのキーボードに向けて手を伸ばす──のではなく、その傍らにあった『写真立て』を掴み、まじまじと見つめた。

 そこに収められた『写真』に写っているのは彼自身とまだ言葉も真面に話せないくらいに幼い頃の娘、亜巳。

 そして、その傍で優しく温かな笑顔で立っている女性──優巳(ユミ)である。

 その『写真立て』にスピーカー機能など無いが、彼女の声が聴こえてくるようだ。いや、実際には亜輝の頭の中で、彼女の声が再生されているのが正解か。

 それくらい、彼女の声が耳に焼き付いている。

 哀しい、けれど逃れられない運命の下に命を絶った、彼女の声が──。



「──仕事熱心ですね」


 始まりは、亜輝の何気ない一言だった。否、正しくは、普通の会話の中でなら何てことのない、けれどいまは、彼の『下心』で満たされた一言から始まった。

 彼の勤めるオフィスの中で、彼女──優巳(ユミ)に何の気なしに話しかけられる男などいない。どんなひねくれた野郎でも、彼女の前に立つと不思議なことに自然と頬が赤らみ、或いは胸が高鳴り、平静は保てなくなる。

 彼女のことを密かに狙っていた亜輝は、こうして不定期的に声をかけ続けていた。時に、


「そのお店美味しいスイーツありますよ」


 とか、時に、


「今日は暑いですね」


 なんて、あとで考えれば不自然な台詞ばかりだ。

 だがそんな亜輝にも優巳は顔をしかめることなく、


「そうですね」


 と親切に笑顔で返してくれる。たまには話を続けてくれることもあった。

 そうして数ヶ月が経った頃だったろうか。その努力は実った。亜輝すらも予想だにしなかった、優巳からの食事の誘いがあったのだ。

 まだ付き合い始めた訳でもないというのに、亜輝は天にも昇る程の幸せに包まれた。けれど亜輝はそこで気持ちを切り替え、彼女との関係に全てを捧げた。一度失えば二度と手に入らないことが目に見えているこの関係を断ち切らないように、身を粉にして努めた。

 その甲斐もあってか、関係はより深まり、気付けば交際も始まっていた。初めこそ彼等のことを──主に亜輝のことを──妬ましく思っていた周囲も徐々に彼等を認め、それ故か話はトントン拍子で進み、結果、交際1年と2ヶ月で、

 彼らは結ばれるのだった──が。



「──あの…………亜輝」


 休日の夜、何やら良からぬ面持ちで話を持ちかける優巳。鈍感な亜輝は彼女の表情の裏に、


「今日の夕飯は何にしよう」


 とか、


「次の休日何処かに出かけないか」


 なんて平和なそれではない内容が隠れていることに気付けなかった。


「ん? どうした?」


 呼ばれたので返してみる。普段なら、亜輝の目を見てから笑って、直ぐに話をしてくれるのに、今日はそうではない。この異変によって、亜輝はようやくおかしいと気付く。


「貴方と暮らしていく上で、伝えなくちゃいけないことが……1つあるの。今から話す事を、貴方が知らないままでいると、いつか大変なことになる。

 でもこれから話す事は……きっとすんなりと受け容れてもらえることじゃない。()()()()()()()()、素直に逃げてくれていいわ」


「……? 何を言っている……?」


 彼女の言葉の中に紛れた不自然な一節に対して亜輝は訊ねたが、優巳は何も答えないままだった。

 代わりに彼女は、ちょうどテーブルの上に置かれてあった花を手に取って、鋭い目でそれを睨んだ。

 次の瞬間、その花の花弁の端が、

 ジジジ……と音を立てた。そしてそれは、

 発火、した。


「なっ……!?」


 亜輝は思わず()()った。マッチ棒もライターも近づけていないのに、何の変哲もない一輪の花が燃え始めたのだから当然だろう。

 数秒してから火は無くなり、花は半端に焦げた跡を花弁に付けられて残ってしまった。


「何を……したんだ?」


 亜輝は暫くの間、その花が再び燃え出さないか警戒してから妻に尋ねた。するとその妻は、答えを躊躇うように下を見てから言った。


「私は……母から2つの『能力』を受け継いだ。科学では説明のつかない事が成せる『能力』を。

 その1つが今のコレ。『モノ』を見ながら『燃えろ』と念じるだけでそれを燃やすことができる。名前を『念燃焼(ディザイア)』」


 優巳もまた、彼女自身がそのか細い指で持っている花を見つめた。但し今度はさっきとは異なる、無関係なのに燃やされてしまった花に対する謝罪の心が込められた、優しい瞳で。


「なら、もう一つは? ここでは実演できないような、強力な能力なのか?」


 好奇心に似た何かに突き動かされて、亜輝は急かす。


「実演は出来ないわ……。何故なら、もう既に()()()()()()()()使()()()()()()()


 亜輝には自分が何か特殊な力に影響されている自覚も心当たりも毛頭なかった。ので、彼は首を傾げた。


「『美魅体(エンスロウル)』……。その能力の名よ。私が普通に暮らしている間は常に発動され続けるの。ごく少数の限られた人間を除いて、私の前に立った人は皆、私に魅せられ、惚れ、愛し、従ってしまう。

 貴方が、いいえ、貴方も含めたみんなが私に好意を抱いたのはそれが理由よ」


 優巳は誠実に答えた。夫の瞳だけをただじっと見て話した。

 生涯をかけて愛すると決めた人に向けて、誰にも話さないと誓った『秘密』を打ち明けた。

 一方、その夫は、何も返さなかった。その様を見て、彼女はやはりと思った。この『秘密』は誰にも明かしたことはないが、今の状態は容易に予期できた。何でもかんでも科学で説明できるこの時代、自分の持つ『力』をいくら真剣に説いたところで、馬鹿馬鹿しい、子供だましも甚だしいと思われ見放されるか、それを恐畏(おそ)れ離れていくかの二択だ。

 この力を持ちながら愛する人と結ばれた母、引いては先祖を今ほどに羨望したことは無かった。

 しかし、真相は違った。



「その『限られた人間』、って誰なんだ?」


 亜輝は、見放しも恐れもしていなかった。彼女との心の距離を遠ざけるどころか、むしろ歩み寄ってきたではないか。


「その『美魅体(エンスロウル)』ってやつの影響を受けないのって誰なんだよっ」


 まるで初めて聞く話の先を急かす幼子のように、好奇心に充ちた爛々とした瞳で訊ねてくる。

 何ならこんな瞳、優巳も見たことがなかった。自分の予想をこんな形で、良い意味で裏切ってくれるだなんて万に一つも考えなかった優巳は、嬉しかった。


「えっとね──」


 彼女は真剣な態度を保ちつつも、どこかで冷静さを欠いていて、あれこれと話した。自分の『能力』の働く仕組み、似て非なる『能力』を持つ者の存在、そして、“蛇”のこと。

 『秘密』を覆っていた網を一つ一つ解いていく度、罪悪感に似た心に蝕まれたが、その度にこう己に言い聞かせた。

 ──私の目の前に居るのは、そうするに相応しい、私を愛してくれる人だ。何も心配はいらない──と。

 仮に彼が、自分を騙して情報を抜き取るために無邪気を『演じていた』としても後悔はない。それなら選択肢は一つ。

 彼を──燃やせばいい──。


「──そんな奴らも居るのか……」


 対して亜輝は、嘘などこれっぽっちもついていなかった。つくつもりもなかった。心の根底にあるのは、

 己のまだ見ぬ世界への好奇心と、彼女を愛する心の二つだけだった。

 マンガだとか映画だとかで、人智を超えた能力を行使して戦い世界を守るヒーローは数多と見てきたが、所詮は『幻想(フィクション)』の存在だと思っていた。

 のに、今こうして『存在している』ときた。これは幼少期以来の好奇心がくすぐられないわけがない。

 しかしただ楽しむだけではいられない。彼女は己に懸かる『危険性(リスク)』を冒して、話す事自体が禁忌とも言える事実を自分に打ち明けてくれている。それに対する相応しい態度は、

 彼女を脅かす存在を知り、それらから彼女を可能な限り『護る』。それしかないと亜輝は思った。

 自分は非力であることは言われなくとも判っている、それ程馬鹿ではない。だからと言って、我関せずと言った姿勢でいるのは、彼女に対する最大の無礼。

 『非力なら非力なりの愛と擁護』。それこそ彼女に対する最も正しい礼儀だと、亜輝は結論づけた。


「私の力は“蛇”には通用しない……。だから“蛇”とは戦ってはならない。すぐに私は敗れてしまう……」


「そいつらに逢わなければ、平和に暮らせる……のか?」


 亜輝は、微かながらの希望を持って訊ねた。今や全世界に目を向ければ何十億人という人間が生きる時代。その内のたった6人に遭遇する確率など、天文学的数字であるのは言うまでもないからである。

 しかし、彼の希望もまた裏切られ、絶望という形になって顕現するのだった。



「違う…………私は死んでしまうの……。貴方と愛し合った時点で、それは決まっていた。



 何故なら──」



「────っ……!」



 亜輝は優巳の言葉を聞いて、自分の非力さを再認知して、唇を噛んだ──。

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