3匹目 岩蛇
新キャラクター、登場です。
「──“禁断の果実”……それが、『私たち』の存在する理由に繋がる……ですか」
まるで何事も無かったが如く、他と何も変わらない手続きを踏んだ上で友人になりましたと言わんばかりに、2人はごく普通の女子高生になっていた。
否、正しくは、そう『見えていた』。
少なくともこの2人は、普通の『手順』はこなしていない。ほんの数分ではあるが、彼女らは、普通ではない闘いを──喧嘩や口論なんて言葉では片付かない『戦闘』を繰り広げたばかりだ。
しかし彼女たちは今こうして、この閃道学園の廊下を並んで歩いている。今は授業中だということを忘れて。
「……そう。けど、まだ詳しくは話せない……だから、今から行く場所でみんな話す……」
中院 永香。この独特な雰囲気を醸し出している少女の名である。青い髪と同じ色をした瞳が特徴的だ。
「……そこには誰か居られるのですか?」
たまらず訊ねる少女──飛良 亜巳。向かう場所とそこに誰がいるのかも教えてくれない永香の態度に痺れを切らしそうでいた。
しかし彼女の姿勢は相変わらずで、それを見せられた亜巳はいよいよ諦めがついて、お互いに何も話さなくなった。
そのまま2人は校舎を出て、グラウンドの方へと進んだ。この時亜巳は、いま自分たちは授業に出ることを放棄して此処に居るという悪行を行っていることに気付いたが、今更どうしようもない、とこれもまた諦めた。
永香は、クラスメイト達が体育の授業をやっているのとは別方向にある、部室棟の建物に向かって足を進め始めた。
確か永香は『テニス部』だったな、と亜巳が友人から聞いた情報を記憶の中から呼び起こしたが、結果的にはテニス部の部室の前には留まらず、代わりに着いたのは──
「……オカルト研究部、仮部室……?」
転校して一週間以上経つ今までの間に、微かほども耳にしたことのなかった部屋の名前だった。
「転入前に粗方の事はお聞きしておりましたけど……こんな部があるなんて知りませんでしたわ」
亜巳はこの閃道学園に転入する前に、担任が口酸っぱく、我が校は『運動部』が9割を占めていて、それ以外には、8年連続で全国大会に出場している吹奏楽部しかない、と言っていたのを覚えている。
「あったの」
「え?」
「十年くらい前に入学してきた一年生何人かが創ったんだけど、その人たちが卒業したあと、誰も入らなくなって……一昨年、廃部したの」
「なるほど……で、いまは此処は空き部室なのですか」
「ああ。それで今は、オレと永香がこの場所を無断で『間借り』させてもらってる」
「っ……!?」
まだ戦いを終えてから時間があまり経っていないために、亜巳はその声が聞こえた途端、戦闘態勢に入った。声の主の姿を捉えたのはその直後だった。
最初、亜巳の眼に、その男の顔は映らなかった。あったのは身体だった。見上げると初めて、敵意を向けられて慌てているそいつの顔があった。
「おおっと、待ってくれ! オレは仲間だよ!」
「仲間……? 一体何を見てそれを信じろと仰るのですか!?」
ただでさえ気が立っている彼女にとっては、誰であろうと疑うに値する。確実な証拠が無ければ、信じるには足りない。
「その人は私たちの仲間だよ! 武夜を放してあげて!」
そんな瞬間、永香の叫ぶ声が響いた。彼女がそう言うので、放さないワケにもいかない亜巳は未だ半信半疑のままで、その男を解放した。男──武夜は苦笑いして、亜巳のことを許すような素振りを見せた。
「初めて会う人間に疑いを持つことは普通のことだよ。何も怒るべきことじゃないさ」
寛容な発言をする武夜。そして彼は、件のオカルト研究部仮部室のドアノブに手をかけた。
「さあ、気を取り直して、入ろうじゃないか。中に入って、話をしよう」
彼はその長い腕でドアを押し開き、二人を招き入れた。まだ疑いの晴れない亜巳はその招待を承服しなかったが、仲間である永香は当然すいすいと入室するので、渋々部屋に入るのだった──。
「──飛良 亜巳さん……でよかったよな?」
武夜に促されるまま、部室内の小汚い黒のソファに亜巳が座った途端、同じようにそこに腰を下ろした彼はそう問うてきた。もちろん間違ってはいないので、彼女も首を縦に振る。
「『新しい“蛇”が居る』。永香からそう聞いた時は正直驚いたよ。そして嬉しかった。仲間が増えたのだから」
「あの。訂正しておきたいのですが」
武夜の発言を遮って、亜巳はキッパリと言い放つ。
「私、まだ『御仲間』になるだなんて一言も申し上げておりませんわ。貴方々の事情は存じ上げませんし、私はただ、『秘密』を曝け出しても構わないという態度を執られた永香さんについてきただけですわ。貴方の『御仲間』になった覚えはございません」
「亜巳……!」
オブラートに包むことなく、思ったことをそのまま言い放つ彼女を、永香は説得しようとしたが、それは武夜によって阻まれた。
「良いんだ。彼女の態度は決して間違っていない。“蛇”は自分たちの身の保全が最優先。その『本能』が無意識に働いているんだろう」
永香にそう説明した後、彼は亜巳の方に真っ直ぐ向き直ってこう尋ねた。
「……何から知りたい? 『仲間』になるんだ、隠すことも無い。好きな物、好きな人のタイプ、トラウマ、家族構成だって教えてやっていい。
もう一度訊こう……何から知りたい?」
妙に自信ありげだな──亜巳の思ったことだ。それ程に、初対面のはずの自分を信頼しているのか?
さっきも宣言した──まだ『仲間』にはなっていないと。それはつまり、此方は戦闘準備も整っている、という意味で発したはずなのに、それでもなお、この無条件の信頼を寄せる根拠は何なのか。
亜巳はそれを知りたかった。
その妙な自信に満ち溢れた状態を前面に出しながら、武夜は待ち構えている。ならば、さっきと同じ方法で試してやろう、と亜巳は考えた。
「……貴方の能力、知りたいことはそれだけです」
武夜の瞳を真正面から見詰めた。その心の中で生じた迷いや動揺、面倒だなと思った瞬間すらも見逃さない為に。
しかし今回も、そんなものは微かほども存在しなかった。武夜は迷うことも臆することも無く、亜巳の言葉を鼻で笑って言ったのだ。
「『それだけ』? 随分思い切ったねぇ。他にも知りたいことはあるだろうに……まあそうなったら教えるけれど」
と。
その上で彼は、
「すまないが実践はできない。実践しようものなら、この建物がどうにかなってしまうからね」
と付け加え、説明に入った。
「オレは岩戸 武夜。“岩蛇”を宿している。能力は『岩縛』。地面や壁を必要分だけ抉りとって自由に動かせる。浮遊させたり、壁にしたり、足場にしたりな。
その反面、この能力を発動している間は、オレは身動きがとれない。能力の質は永香と似ているが、それだけが違うところだな」
躊躇いの無いその様に、亜巳は戸惑いすら憶えた。能力を教えることは死に値する──父が口を酸っぱくしながらそう教えたのは、おかしなことだったのか?そんなことすら頭を過ぎっていた。
「ちなみに、だが」
武夜は補足し始めた。
「『オレたち』がこうして能力を発動するのに必要なものがある。『エネルギー』だ。オレたちだけが発することの出来る、『エネルギー』。それのことをオレたちは、
“英気”、と呼んでいる」
そう言いながら彼がその『エネルギー』──“英気”を身体から発生させるのが、亜巳には見えた。
「“英気”は何らかの技を体得した者のみが視認でき、使用できる。オレは“英気”を、切り取った壁や床に纏わせることで、まるで『念動力』のようにそれらを扱える。永香の場合、纏わせるのは『水』だ……そうだろ?」
武夜がそう投げかけると、永香はうんと頷いた。
「私は……『水』を操る……。氷にしたり、水蒸気にしたりできる。でも、自分で生み出したりはできない……」
「だそうだ。……他に質問は?」
と質問を促しておきながら、彼はそっか、と自分の失敗を笑った。
「永香から聞いている話では、君も能力を既に使いこなしているそうだから、今更こんな説明も要らなかったな。すまない」
まるで警戒心がない。これは罠なのか?
亜巳はまだ、心の扉を開いていなかった。
しかし少なくとも彼ら二人は、敵味方の判断を抜きにして、
共に戦うには十分な信頼があることを、亜巳は今までのやり取りの中で把握していた。
だから彼女はその証に、自分の手を、
“英気”で作り出した炎で燃やした。その行動にやや驚く2人の前で、彼女は話を始めた。
「『念燃焼』。私の能力の1つですわ。視界に映っている『モノ』を、自由に燃やすことが出来ますの。炎は“英気”で作り出しますけれど、私の身体以外に触れた瞬間、自然界に存在するのと同じただの炎に変わり……いずれ鎮まります」
そう言って、周囲の物への危険性を省みて、炎を手から消した。
「1度に燃やすことのできるモノは最大『3つ』まで。燃えている『モノ』のいずれかの炎が鎮火すれば、また別の何かを燃やすことができるようになりますわ」
「『モノ』の大きさに限度はあるのか?」
すかさず武夜が質問を投げかける。答える義務などない、と返してやりたい所だったが、ここまで教えておいて中途半端に教えないのもおかしな話、故に解答した。
「基本的にはございませんわ。但しその『モノ』の姿全てが、視界に映っていることが最低限。仮に荒野があったとして、その荒野全体が端から端まで全部見えていれば、燃やし尽くすことだって可能ですわ」
「そいつは強力だな」
武夜は感心するようにうんうんと頷く。そして、
「ありがとう」
と素直に礼を言った。
が、亜巳は未だ、完全な『仲間』として、彼らの存在を受け止めていなかった。
「『同盟』、という形を執らせていただきますわ」
「『同盟』?」
「共に戦う存在ではあるけれど、あくまでも別個の存在。『仲間』ではございません。……その上で、お話をお聞きしますわ」
亜巳は毅然とした態度でそう宣言した。対する武夜も、一瞬は悩んだ表情をしたが、すぐに条件を呑み、
「判った。その形で話を進めよう」
と提案を承諾した。
「まず『誰と戦うのか』。そこから話そう」
話題を変える武夜。彼の表情は、それまでにも増して真剣なそれになっていた。
「オレたち3人が戦わなければならないのは……同じ“蛇”たちだ」
「……お待ち下さい」
「何だ?」
「私の存在を知った時、新しい“蛇”が仲間になって嬉しいと仰っておりませんでした? なのに戦う相手は“蛇”……? 全く事態が呑めませんわ」
亜巳が問うたそのことに、そうだな、と武夜は返し、こう続けた。
「では“蛇”が何の為に存在しているかをハッキリさせておこう。
実は“蛇”は、『ある物』を護る為に存在している。
何処にあるか、
どんな形をしているか、
どれくらいの大きさなのか……。
兎角、一切情報がない物体の為に……。
その名も“禁断の果実”。各時代に1つしか存在しない伝説の『果実』だ。
それに触れた者は、如何なる人物であろうと『支配』できる。一見存在してはならないように思えるが、実際これがあるお陰で、世界の均衡は保たれてきたんだ。
それを生み出した蛇──“始蛇”が、同じようにオレたち7匹の“蛇”を生み出して、“果実”を護る『使命』を与えた。
そのオレたちのうち誰かが“果実”を手にするとどうなるか……想像できるかい?」
あれこれと説明し続けていた武夜が、急に亜巳に質問した。
「何か能力を手に入れる……とか」
「違う」
武夜は首を横に振ると、一層鋭い目で亜巳を睨んで言った。
「時代が逆戻りして、オレたち含め、“始蛇”が“果実”を生みだしてからのこと全てが無かったことになる! そして“始蛇”は、二度と同じ時代を繰り返すことを許さない……! つまりオレたち人類のみならず、この世に存在する全てはもう、生まれてこないんだ」
「要は……『この世界が滅ぶ』、と?」
「そうとも言うな。そして、『それ』を望んでいる奴がいる……オレたちの戦わなければならない相手はそいつだ」
武夜は頷いた。すると亜巳は、
笑った。
クスクスと笑うその様を見て、永香と武夜は、一体どうしたのかと不安を煽られた。
「面白いことをお考えになられる方もいらっしゃるのですねぇ……世の中には。世界の『破滅』を好き好む方とは……早くお目にかかりたいところですわ」
この台詞だけ受け取れば、彼女もその“蛇”の考えに同調しているように思える。しかしそうではなかった。
「何故そんな事をしたいのか……? さしづめ革命だのやり直しだのということをお望みなのでしょうけれど、そんな事をするそのお方が散れば良い!
『生命』の死……ましてや数え切れないほどの死が訪れることなど、到底許されないことですわ! たとえどんな理由があれど!」
彼女のその語気は、まだその姿形も声も知り得ない敵を断じて許さないという怒りに満ち溢れていた。それまでに無かった激しい態度に、武夜は驚きと共に、希望を抱いていた。
彼女の瞳に嘘を感じられない今、彼は改めて喜んでいた。やはり自分の感覚に狂いはなかったことを。彼女を『仲間』にする選択をとった、自分の感覚に。
「はっ…………大変。私としたことが、つい熱く……」
今までの彼女から察するに、気高く落ち着いて、お淑やかに振る舞うよう躾られてきた彼女にとって、さっきの態度は御法度だったに違いない。亜巳は頬を赤らめ、縮こまるようにして、ソファに座り直した。
「君の言う通りだ。飛良さん」
一方の武夜は賛同の意を示した。隣に居る永香においては、感動し、息を呑んですらいた。
「しかしこれから戦うことになる4人のうち、リーダーを務めている男は、『それ』を望んでいる。恐らく他の3人も賛成しているか、何らかの『条件』を理由に手を組んでいるんだろう」
「随分と御存知なんですね」
ここで再び、亜巳が何かに引っかかった。
「何故敵の思惑をそこまで御存知で、ここに立っていられるのです? 恐らく一度会した後、死ぬまで戦うのが妥当かと思われますわ。でしたら敵の思惑を把握して生き残るのは至難……。
まさか貴方の『妄想』に付き合わされていた、などという馬鹿馬鹿しい結末はございませんわね?」
先程の怒りが未だ鎮まり切らぬ中で、その矛先が武夜に向いた。被害妄想の強い人間の夢物語に付き合わされただけなどあってはならない。
しかし、理由は違った。
「オレの父親……オレの前に“岩蛇”の能力を宿していた人間が、彼らに同調する1人だったんだよ──」