0匹目 果実
今回はプロローグです。
──その子どもは、とある貴族に仕える奴隷の一人だった。
奴隷と言っても、彼の最初の主人は使い方の良い人間であった。過酷な労働を一時的に強いるものの、その褒美として子どもには遊びを、大人には食べ物を与え、良い働きをした者には大いに讃えた。主は奴隷たちに信頼され、それはそれは儲かった。
しかしその主は、若くして病に倒れ、齢三十の夏に帰らぬ人となった。
その後に奴隷たちを従えたのは、弟だった。弟は兄であった主の人の良さをよく思っておらず、そのため自分が力を握った途端、猛威を振るった。奴隷たちには食事をほとんど与えず、そのために痩せ細ってやがて死んだ奴隷は、兄の儲けた財産で購入したペットの肉食獣の餌にした。先代の主が与えてくれていた遊びという褒美を子どもの奴隷たちが渇望すれば、彼らを大人の見えない所で袋だたきにし、餓死したと他に報せた。そうして、兄の遺したものも含めたその莫大な資産を、弟は全て私利私欲の為に使い去った。
奴隷たちは怒りに満たされていったが、それに比例するように弟の身を守る屈強な使いが従うようになり、奴隷たちの反旗はなかなか翻されることは無かった。
そんな中、その子どもは農業に従事していた。まだ身の丈も低い彼だが、命じられていたのは高い木に生る果実の収穫だった。
自分の身体の2倍はある梯子を担いで、この地特有の高木の頂に向けて今日も上る。
「よいしょ……よいしょ……ん?」
彼はその時、何かを見つけた。
本来この木に生るのは、甘くて赤い果実。収穫期の真っ只中の今は勿論それが生っているのだが、その中に、
光る果実があったのだ。
その様は、あまりにも不自然で、けれども見惚れてしまう程に、美しかった。何かの光が反射しているのではなく、この果実自体が、神々しく光っているのだ。
一体何なのか、その子どもは興味を持った。幸い今は、この区画の奴隷を監視している使いも他所を向いている。他の奴隷も、他の者たちのことなど気にしていられないので、彼のことも見ていない。
彼はこの機を逃すまいと、果実に向かって手を伸ばした。
熱かった。皮膚がただれるのではないかと思うほどに。
けれど少年は、ずっと触っていられた。その超高温は間違いなく肌身で感じているのに、彼はずっと、触れていることができた。
そして彼が手を触れた瞬間、その果実は激しく光った。空で光る太陽と同じかそれ以上の光をその果実は放ち、辺りを眩いほどに照らした。
その中でも彼は、果実の輪郭を捉えていた。その目で確かに。
「一体……何なんだ……! おいお前!」
光の和らいだところで、監視役が少年を責める。
普段ならこうなると、何もできない少年が弱って謝るのが流れだが、
今の少年はそうするつもりは、なかった。
「何もないです」
彼はきっぱりとそう言った。剛健な使いを、遙か木の上から見下ろして。
「何だと?」
「何もありませんでしたっつってるんです」
そう短く応える少年の態度が頭にきた使いは、あからさまに怒りの態度を見せた。
「お前、何という口の利き方をしている! 降りてこい!」
使いの言葉に、少年は素直に従った。そう、素直に。
何十秒かかけて、彼は地上に足を置いた。その瞬間、使いは少年の胸ぐらを乱暴に掴んだ。
「お前、随分と生意気じゃないか……。そんなことをして、ただで済むとは思っていないだろうな……? ん?」
使いは少年にぐっと顔を近づけて、高圧的な態度でそう脅す。だが少年は全く動じていない涼しい顔をしている。その顔が、使いをさらに苛つかせた。
「ふざけるのもたいがいにしろ! このクソガキ!」
使いは少年を勢いよく放り投げた。ドサッと音がして、周りの奴隷たちの視線はいよいよ彼ら二人に釘付けになる。
「何があったのか知らんが生意気な口を利きおって……! 主に告げるまでもない、ここでオレが壊して──!」
使いが突然言葉を失ったのを見て、奴隷たちは異変に気付く。
彼は何故沈黙したのか。あの少年が何かしたのか。様々な疑問が彼らの頭の中で渦巻いた。
「あっ……ああっ……!」
使いが戦く。その余りに、彼は後ずさり、しまいには後ろの地面に手をついて倒れた。
──な……何なんだ…………!? このガキは……いや、この『青年』は……!
オレは……何故今まで、
この方に従ってこなかったのだ──!
少年に、使いを身震いさせた自覚は無かった。
その手の中で光る果実に、
”禁断の力”が宿っていることも知らずに────。