火と子供
10年前ーーーー
「起きなさい。滄。」
酷く、暖かい日差し。それは朝を示していた。
「…嫌だよ母上。僕は眠い。だから寝る。」
はぁ、と母親はため息を付いた。
「今日は学校でしょう?起きなくちゃ駄目よ。それに今日の朝ご飯はフレンチトースト。」
「起きる。」
少年ーー朧は、木製のベットから出た。リビングへ降りていく。其処には父親が居た。
「…おはよ。父上。」
「おはよう。」
新聞から目を離さず父親は答えた。朧の目の前にハチミツフレンチトーストが置かれる。
「学校はどう?滄。」
「別に。普通。皆13歳にもなりながら全く魔法が使えない。授業も初歩的。面白くない。」
母親はまた、ため息を付いた。
「いい?滄。お前はね、魔力が沢山あって、とっても凄い子だわ。でもね、皆はそうじゃないの。分かって頂戴。」
朧は渋々頷いた。母親は言った。
「ほら、早く食べないと学校に遅れるわよ。」
朧は口にトーストを突っ込むと、着替えをする為と、荷物取りに2階の自分の部屋に戻った。すれ違いざまに黎明に会う。
「…おにいさま…?」
「まだ眠いんだろ?寝たら?」
「う…ん。」
そのまま黎明は、朧を抱き締めた。まだ4歳だ。無理はない。無理はないが。
「僕…急いでるんだけどな…。」
等と毒づいた後、黎明の部屋に行って寝かしてやった。そして慌てて荷物を取りに戻る。もう走らなければ間に合わない。急いで家を駆け出した。母親の声が聞こえる。
「行ってらっしゃい!」
「行ってきます!」
元気に返したあと、家の出た少し曲がった先にある路地裏を真っ直ぐに行く。この道は急いでいる時にしか使わない道。
路地裏の途中にあるベランダをよじ登り、店の看板を吊るしてある鉄棒を足場にして一気に向こう側の路地裏に飛ぶ。すぐ目の前には煉瓦造りの学校があった。そのまま走る。
「まに、あった…。」
教室に入って直ぐにチャイムが鳴る。自分の窓側の席に座る。HRが終わって、1時間目の社会が始まった。
「よって、近隣の国といま戦争をしているのですが、これは平和の為です!」
朧は教科書を適当に開き、外を見た。一点の曇りのない大空。窓からは煉瓦造りの街で有名な景色が見えた。その途端だった。銀メッキで塗られたのか、鉄の物体が空を飛んでいた。
朝なのに、赤い光を放っている。テレビで見た事がある。敵機だ。そして赤い光を出しているといういう事はーーー!
「皆!最新型敵機だ!爆弾を落とそうとしている!伏せろ!」
朧が叫んだ、その言葉が教室に響いたと同時に、爆弾が落とされた。爆風。熱くはなかった。必死に結界を張る。
慟哭。悲鳴。その残響が鳴り終わって、朧は崩れた瓦礫の中からふと目をあけた。
「…ねぇ、皆生きてる?」
何も無いのだ。先刻の軍国主義の先生も、木製の机も、皆、下敷き。思い出も野次も罵声も嬉声も、全部消えた。途端に何か液体が流れてきた。
直ぐに点火する。教室を出なくちゃ。家は一体、どうなっているのだろう。歩く度に、転がっている体が裂け、脳漿がグズグズになっていくのが分かる。
「父上!母上!黎明!」
走りながら、叫んだ。もう辺りには火が上がっている。無傷で生きているのなんて、ほんの一部だった。
「滄!無事だったのかい?」
父親が言う。母親も心底心配そうな、そして安心した顔をした。黎明は母親の足元に居た。
「滄溟。いいか?今から黎明を連れて逃げるんだ。この街を抜けた、宿場町までの道に、獣道がある。其処にいる人に弟子入りを頼め。分かったかい?」
父親はにっこり笑った。
「わかった。僕が絶対に黎明を守り抜く。」
良かったわ、と母親は笑った。母親は黎明に、また会えるからね、お兄ちゃんについて行くのよと。もう二度と会えないなんて分かっていた。それでも、朧は、
「…さぁ、黎明。行こう。」
どがん、どがん、と爆弾が落ちる音がする。朧は1度だけ、もう二度と見る事も無い、愛しい我が家を見た。そして両親を。一瞬だけ、視界が霞がかった。黎明の手を引く。
「嫌ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
脇道には子を亡くして泣く人、親を亡くして泣く子供。地獄絵図だ。
「どけぇ!お前が死ねば此奴は助かるんだ!!」
「やめて!!殺さないで!ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
戦争がまた、争いを生む。黎明は泣きそうだ。朧は耳を塞いでやった。走りきる。また爆弾が落ちる。地響きがした。
「おにいさま…怖い…。」
「大丈夫だよ。僕がついてる。心配しないで。」
街道に早く出られる道は、屍で埋まっていた。急いで黎明の目を塞いだ。
「…おにいさま?どうなさったの?」
気付いていない。助かった。この歳で、こんな物を見てしまえば、黎明は死んでしまう。回り道をする。同じ考えを持っている血塗れの人が、歩いた瞬間だった。
ばん、ばん、ばん。立て続けに銃声。その人は、死んだ。朧は焦った。このままでは爆弾に殺されるか、銃に殺されるか。時間は無い。朧は駆け出した。身体中に、全身に被弾する。
「れ、いめ、い!大丈、夫か?」
「だ、大丈夫ですわ、でもおにいさまが!」
「僕の、事は、しんぱ、いしなくて、いい。」
死んだフリをして、敵兵を誤魔化す。その状態で大分歩いた。もう獣道はすぐ側だ。
身体中から血が吹き出る。目の前が、揺れる。河原に家が見えた。素朴な家。気がつくと、がちゃりとドアを開けていた。向から赤髪のメイドが現れる。
「こ、これは!蓬莱様!お手当を!」
奥の方から、黒い人が来る。
「やぁっと来たか。朧月夜 滄溟よ。」
蓬莱が笑ったのを見て、朧は意識を失った。
翌日。
隣で黎明が寝ているのを見て、朧は目を覚ました。黎明はまだ寝息を立てて眠っている。
「起こすのは………忍びないな…。」
黎明を起こさぬように、朧はベットを出た。傷口が痛むが、其処まででもない。リビングへ入る。其処には赤髪のくるくるツインの女性が居た。齢は20歳頃。洗い物をしており、朧の気配を感じて、振り返る。
「あら、お目覚めですか?お怪我は?」
「ええ、大丈夫ですけど……。あの、貴女は……?」
あ、そうでしたね!と女性は言って、にっこり微笑んだ。
「私の名前はキリアと申します。蓬莱 蚩尤様のお抱えメイドです。威力には事欠きますが、武術を嗜んでおります。どうぞ宜しくお願いします。朧月夜 滄溟様。」
朧は慌てて挨拶をした。
「あ、え、よ、宜しくお願いします。」
キリアは笑う。
「そんなに緊張なさらなくても良いですよ!何かお腹が空いていませんか?良かったら何かお出ししますけど…。」
キリアが慌てながら朧を椅子に案内しながら言った。朧は言った。
「気にしないで下さい。あとそれと、僕に様付なんてしなくていいですよ。其処までの者じゃないので。」
くすくす笑いながら答える。キリアは否定した。
「いえいえ!朧月夜と言えば、世界で知らぬ人もいないあの魔道の名門!『ラプラスの魔物』の紋章を代々継ぐ名家ですよ!」
「……そうなんですか?」
「……え?」
キリアは驚いた。朧は否定した。
「あ、えっと、ですね。僕の父上と母上は、そのちょっと…。」
朧は言いにくそうにする。キリアは思いついたように言った。
「あ!分かりました!駆け落ちですね!」
「何で分かったんですか…。」
朧が苦笑いをする。キリアは聞いた。
「お母様方の苗字はなんと仰るのですか?」
「…金剛院、と言います。」
朧はキリアが目の前に置いた紅茶を見つめていた。すると、キリアが言う。
「金剛院って……!あの、『マクスウェルの悪魔』のお家じゃないですか…!」
「そうですか。」
「いやぁ、朧さんは凄いですねぇ!」
キリアはにこやかに微笑む。そして考えながらキリアは言った。
「そう言えば、朧さんはどうして此処にいらしたのですか?」
其処で朧は止まった。何故ここに来たのだろうか。一つ、思う。
「僕は……強くなる為に、ここに来ました。」
「…お強くなりたいのですね。」
キリアは朧を見る。そして朧は問う。
「あの、話が変わりますが、あのマグノーリエは一体……!?」
キリアは言いにくそうに、そして言った。
「マグノーリエはそのままの状態です。実は…。」
キリアが話し始めた。要約するとこうだ。数年程前からマグノーリエを支配していた小国アルゼンビリアは、大国グリチアラリマスと手を組んでいた。
即ち数年前からアルゼンビリアはグリチアラリマスの領地だったそうだ。これは後の調査でアルゼンビリアの国王が、私利私欲に眩んだ事から分かったことらしい。
朧は口を挟んだ。
「…じゃあ、キリアさん。僕等を撃ったり殺そうとした爆弾は……!」
キリアは悲しそうな顔をしながら話す。
「勘が鋭いのですね。そうです。アルゼンビリア兵が、貴方達を攻撃していました。」
そして、とキリアは付け加える。
「アルゼンビリアは滅亡しました。グリチアラリマス、もです。」
朧は耳を疑った。有り得ない。驚愕の表情が隠せない朧はキリアに問い詰めた。
「キリアさん!それって一体!?」
小国を潰す計画は13の少年でもわかる。しかし、何故小国を支配した大国が無くなったかが分からない。
「…月の都、の存在です。」
キリアは顔を曇らせながら続ける。
「月の都の存在はご存知でしょうか?」
「知っています。父親が調べていましたから。」
ここ最近、いや、数年程、父親は突然、月の都の存在に付いて調べ始めた。月の都に付いて問うと、父親は何時も悲しそうな顔をして、黎明を守るんだよと言った。
その顔が見たくなかったから父親にはもう、何も問わなかった。朧は少し考えて言った。
「小国と大国を滅ぼしたのが月の都、という事ですか?」
「そうです。そしてアルゼンビリアとグリチアラリマス以外の小国と大国、全て滅びました。」
朧は目を見開く。キリアが続けた。
「月の都は1000年前に滅びました。しかし1000年前と言えども、今の技術の100倍の知識が詰まっていました。」
キリアは一拍置いて続ける。
「そして、その中にある『戦争を滅ぼす為の装置』が動いたそうです。」
「『戦争を滅ぼす為の装置』?」
朧は問う。キリアは応えた。
「『戦争を滅ぼす為の装置』は当時、博士達が作りました。平和を願って。しかしそれは唯、『戦争を続ける為だけの装置』と化したのです。」
朧が言った。
「もしその装置が有ったら、敵国と敵国に適当な噂話を流して戦争をさせ、そして滅びた土地を自分の物に出来るから、でしょうか?」
キリアは驚いた顔をした。そして言う。
「…もう私が言わなくてもいい気がしますが、その通りです。アルゼンビリアの戦いは、直ぐにグリチアラリマスに飛び火しました。アルゼンビリアを征服する為に。そしてその動きを不審に思った周りの小国大国も動いたのです。」
朧はキリアの話を頷きながら聞く。キリアはそのまま応えた。
「そして、『戦争を滅ぼす為の装置』が動きました。一瞬にして小国と大国は塵になりましたが、マグノーリエは射程外でした。」
朧は問う。
「しかし、『戦争を滅ぼす為の装置』の存在は各国代表は知っていたのでは…?」
キリアが顔色を変えずに答える。
「そして、『戦争を滅ぼす為の装置』の存在を知っていても、彼等は戦いを止める事が出来ませんでした。」
朧が続ける。
「自国が他国に滅ぼされると思ったから、ですね。」
「そうです。故にこの辺りにはもう、国はありません。灰ばかりが残りました。」
キリアは俯いて、そのまま続ける。
「……私の故郷も。」
「故郷?」
キリアはエプロンを握り締めながら続ける。
「………私は、奴隷でした。そして、奴隷商人に運ばれている時に商人が殺され、其処に通りかかった蓬莱様に拾われました。八歳の頃です。それから色々な事を学びました。」
目からぽろりと雫が落ちる。
「私を売った両親が何処に居るかわかりました。どだい酷い方でも、私は…私…。一度だけでも、それでも……!」
朧は優しく諭す様に言った。
「…ごめんなさい。僕のせいですね。キリアさんに辛い事を思い出させてしまいました。辛いのは今です。頑張って堪えましょう。」
キリアは目を見開いて朧を見、そして笑ってこう言った。
「…朧様のお父様が、お母様と結婚なされたのを何となくわかりました。」
「どういう事ですか…?」
朧はきょとんとしながら言う。
「いいえ。」
キリアはもう笑顔だ。そして朧は申し訳無さそうに言った。
「ごめんなさい。戦争の話が嫌いなのにこんな事を続けてしまって……。最後の質問なのですが、どうしてマグノーリエは射程外だったんですか?少し都合が良過ぎやしませんか?」
キリアが振り向いて応える。
「…それが、分からないのです。」
「…分からない、とは?」
キリアが顔を曇らせて応える。
「確かに都合が良過ぎです。それを聞いた蓬莱様は直ぐに調べにかかりました。その結果、『戦争を滅ぼす為の装置』の初期射程には、マグノーリエも含まれていました。」
キリアが続ける。
「しかし、何者かの手によって、マグノーリエが結界により保護、その他の原因、それか発射の際の不具合により射程外になったと言うのですが…。」
朧は考えながら応える。
「前者の2つが可能性があるという事ですね?」
キリアがにこり笑って応える。
「ええ。まぁ結局は原因不明です。」
「あ、そうですか…。」
少し、朧が俯く。そしてキリアは付け足した。
「…人と御喋離したのは久しぶりですね。ちょっとお話し過ぎちゃいました。蓬莱様がお呼びです。怒られちゃうなぁ…。」
キリアが少し慌てながら応える。キリアは手を差し伸べながら言った。
「このリビングを少し出た廊下の突き当たりに、蓬莱様のお部屋です。きっと御本を読んでいらっしゃると思います。」
朧は応えた。
「有難う御座います。…御喋離の件は、僕が誤魔化しておきますから。」
キリアは少し驚いて、笑う。朧はリビングを出て、突き当たりまで向かう。
「失礼します。」
木製の美しい金縁のドアを開けて、その中に居る者に声をかける。声の主は直ぐに応えた。
「…やっときたか、朧よ。」
「はい。」
「貴様は、どうしたいのだ?」
切れ長の目を、朧へ向ける。その顔は、微笑していた。そして朧は言った。
「…忌まわしき『ラプラスの魔物』の紋章を目覚めさせる為に参上仕りました。」
そして、朧の目の前の椅子に座る。
「……その道がどれ程辛くとも、お前は耐えられるのか?」
『ラプラスの魔物』の紋章の覚醒には、肉体的苦痛と精神的苦痛の2つが最高潮に達した時だ。そして、その為には。
「…私には、出来ます。人を殺す事が。」
黒い微笑が朧を見る。そして少し笑った。
「なら、好きにするが良い。止めはせん。」
それと、と朧に分厚い本と短剣を渡した。本は金縁に赤という色で、短剣は何の変哲もない剣だった。
「良いかのぅ?朧。貴様にはまだ魔法だけじゃ。そしてその魔法もまだ不完全に等しい。そして魔法が無い状況で勝つ術など持っておらぬ。」
故に、と彼女は続ける。
「キリアに武術を叩き込んで貰え。彼奴は己の事は弱いなどと言っておるがかなりの凄腕じゃ。死なぬ様に気を付けろよ。」
「はい。」
朧は真剣な面持ちで蓬莱に向かって応えた。
「まぁ、まずはその本を暗記しろ。良いな?」
朧は笑った。相手を軽蔑する笑みで。
「ええ、勿論ですよ。」
それから、死ぬ程苦労して蓬莱を見返した事は、言うまでもない。
ある時だった。それは唐突で。蓬莱は朧を呼び出した。そしてこう言った。
「…近くに小さい村がある事はおマイも知っておるかの?」
「…存じております。」
そして伏せ目がちにこう言った。
「…其処に居る皆を殺せ。残しても構わん。それがおマイの企てならばな。今すぐ出ろ。そして出来れば皆殺しじゃ。」
「了解致しました。」
それは酷く美しい晴天の日だった。朧はマントを着、旅人を装う。近くを馬車が通り過ぎる。そして馬車の主は笑顔で声を掛けた。
「あんちゃん、ええマントル着て何処に行きなさんのや?」
朧は笑顔で返した。
「…地獄へ。」
そして、その馬車に乗っている者も、物も、皆死んだ。そしてごちる。
「あーあ、みぃんな死んじゃった。…人間は愚かだよね。動物より上だと思っていても、直ぐに死ぬ。これの何処が動物の上なのさ、ねぇ?ねぇったら!返事しなよ。ゴミ屑!」
ぐちゃり、ぐちゃり、肉を踏む音。其処からは血生臭い臭い。朧は続ける。
「この近くに村があるんだよねぇ?其処まで案内してよ?ねぇ?聞いてる?………人を殺す事が、こんなに安直で、愚れ愚かれしい事とは、夢にも思わなかったなぁ…。」
そして、村へと向かう。美しい、平和の村へ、悪魔が訪れる。返り血の付いたマントは持って来ていた小さいバックの中に詰めた。茶髪の幼い男の子が駆け寄る。
「お兄ちゃん、たびびとさん?」
「うん、そうだよ。僕は旅人だ。」
向こうから母親が駆け寄る。
「ごめんなさい!ほら帰るわよ!」
朧は問う。
「その子のお名前は?」
母親は振り返り、朧に笑顔で答えた。
「この子はね、迅雷というんです。」
朧は言った。
「小さい子は、皆可愛いですね。」
「えぇ、そうね…あ、貴方のお母さんは?きっと心配してらっしゃるでしょう?」
朧は黒い瞳で相手を見据える。その黒さには母親は気付いていないようで。
「…ぇ…母は、少し遠くに住んでいて、病気なんです。…………あは、ははは…。駄目だ、面白い…。」
母親は不思議そうに朧を見る。そして朧はこう言った。大分と上ずった声で。
「こぉんなにしょうむない嘘に騙される貴方が、酷く酷く莫迦なのが、堪らなく面白い…!」
「何を言って……!…あぎゃぁぁぁぁぁ!!!」
朧は懐に持っていた短剣をいとも容易く女性の腹に指すと、一気にドリルの様に腸を抉り出す。びしゃびしゃ、と血が吹き出る。鬼を見た形相で、女は死んだ。迅雷は血を浴び立ち尽くしている。
「きっと、この子は永遠にこの瞬間を忘れられないんだろうねぇ。」
朧は笑う。それは狂気に等しい笑みで。男達が寄る。
「お前は、この人を殺したのか!?この、まだ子供がいる親だったんだぞ!この村にも大切だった!」
朧は返す。
「…大切だって?君達は全くこの人を大切と思っていないのに?」
何を根拠に!と男は叫ぶ。
「君の心の中を覗いただけ。」
そして、どす、という肉にナイフが刺さった男。朧に生暖かい血がかかる。
「あぁ、もう最悪。こんな奴の血とか死んでも嫌だったんたんだけど。かかるなら女の人が良かったねぇ…。」
男は、倒れる。血を吹き出して。もう其処からは早かった。遅い遅い人間に、唯々ひたすらに致命傷を負わせるだけ。困惑、恐怖、裏切り、畏怖、嘆息、慟哭。
そして血塗れの村が残った。それと人殺しの血濡れ少年と、それを目の当たりにした幼い男の子。もうそれ以外、誰1人だって残っていなかった。朧は言った。もう歩く度に血でじゃばり、と池が出来ていた。
「君、迅雷君だっけ?」
「ひ、あ、」
「大丈夫だよ、君は殺さない。君にはね、違う村まで僕の噂を届けるっていう大事な役目があるからね。」
朧は血塗れでにこり笑う。迅雷は唯こくこくと頷く。朧は血で濡れた手で迅雷の頭を撫でた。迅雷は恐怖で震えている。
「まぁ、そんな歳で目の前で人が殺されちゃあ怖いよねぇ…。」
くるくる、持っている短刀を振り回す。そして最後に振り返らず迅雷の頸動脈に短剣を突き付けた。恨みが固まったその短剣の刃を。
「………余計な事をしたら、斬るからね。後から好きに復讐でもしなよ。でも絶対に殺してあげる。原型も無くなるぐらいに殺す。」
静かな殺気は消え失せ、ちゃぱん、ちゃぱん、と血の水溜りを朧は鼻歌を歌いながら歩く。其処には復讐に燃える幼い男の子が残った。
朧は黎明にバレない様に裏口から入った。直ぐに風呂に入り服を着替える。血だらけの服はキリアが処分した。そしてキリアが用意した服を着て、夕食に向かう。黎明がもう食べていた。
「おにいさま!おそいですわ!今までどこにいらっしゃったの?」
朧は笑顔で答えた。
「お師匠様に言われて勉強してただけだよ。気にしないで。遠くまで特訓しなくちゃならなかったんだ。」
その笑みは、人を殺した事を明かさぬ笑み。黎明はスープを飲んで、朧を見つめる。そして朧は言った。
「黎明、お前はまだ疲れが取れてないと思うから早く寝るんだ。」
「まだねむたくありませんわ…!」
「それがちっちゃい子の言い訳。キリアさん、黎明をお願い出来ますか?」
キリアは微笑む。
「勿論です。ほら、黎明様はもう寝る時間です。」
黎明は半ば無理矢理部屋に連れていかれた。それには少し理由があった。そしてキリアは黎明を部屋に押し込んだ後、朧の所へ戻った。キリアは洗い物をしながら言う。
「………初めて人を殺した日、ですね。」
「…えぇ。そうですね。人を殺す時って、興奮するものなんですね。」
朧は俯きながらスープを掻き回す。キリアは返した。
「皆、そう言います。でもそれを乗り越えて次の日も殺せる人が、本当に人を殺せる人だと思うのです。」
キリアは振り返る。そして朧を見て言った。
「だから、殺している時の自分を嫌いにならないで下さいね。もうそれは誰にもある事ですから。」
朧は微笑んで言った。
「えぇ。」
『彼奴もまだまだだね〜!』
水鏡から呑気な声。蓬莱は本から目を離さず呆れた笑い言った。
「それが己の息子に言う事か?」
『ちょっと蓬莱!ちゃんと僕の話を聞いてよ!』
「五月蝿いぞ朧。」
『でもさ、滄溟はこれから先ずっと……ええっと、正しく言うと『ラプラスの魔物』を目覚めさせるまで人を殺す事になるんだからね。』
「……他に方法は無いのか?」
蓬莱は水鏡の向こう側の男に声を掛けた。男は返す。
『朧月夜の家がまだあったらあの機械があったんだけどねぇ…。』
ぼやく、男の声。
「…その機械とやらはどんなものなのじゃ?」
壊れたマグノーリエの瓦礫の上、朧月夜 滄助は言った。
「椅子に座らせられ、そして脳に一気にトラウマを流し込む。それで覚醒させるんだけど……それが副作用がきつくて5日は起きられないね。」
蓬莱は一泊置いて、朧に問う。
『あの子に、会わんのか?』
舞台反転、あははっ、と男の声。
『会わないよ。だって僕死んでるもの。』
蓬莱は驚く。そして朧に返した。
「貴様も………手前と同じになったのか。」
『お婆さんと一緒にされたくないね〜』
またまた朧の呑気な声。蓬莱は言う。
「黙れ。その口縫い付けるぞ。」
『……仕方ないじゃないか、だって君も僕も魔力超過の人間だからね。』
蓬莱は少し溜息を付いて、応える。
「魔力超過、か。久々にその言葉を聞いたぞ。」
『魔力超過は、普通の人間の中に潜んでいる魔力の倍……いや、何千倍の魔力が眠っている事を言うんだよね?』
蓬莱は笑い、そう言う。
「そうじゃ。…おマイは学生時代は杖が持てんかったかな?」
『だって!売ってる杖、僕の魔力を吸い取り過ぎて全部折れちゃうんだもん!君もそうだったろ?』
23歳から姿が変わらぬ男が声を上げる。
「駄々を捏ねるでない。仕方ないじゃろうが。杖は持っている者の魔力を吸い取って、魔法を使う為の物。しかも規定量が決まっておるから、魔力超過相手には作っとらん。」
『魔力超過の杖、物凄く高くなかった?』
「あれを作るのには時間がかかるからのぅ。」
蓬莱は笑う。そして言った。
「なんだ?おマイさんも姿が変わらんのか。」
『なっ!酷いね!絶対笑ってるでしょ!…仕方ないって……だって、魔力超過の人間は、生きてても死んでても、1番力の強い時のままの姿なんでしょう?』
「そうだ。」
そして朧は言った。
『…なら、滄溟には魔力超過になって欲しくないんだよ。あの子なら直ぐになってしまいそうなんだよね。』
蓬莱は肘を付いて問う。
「何故?魔力超過の人間を恨むような奴はおらんじゃろう。」
『…あの子には、普通の人生を歩んで欲しいから。唯、それだけ。だからね…あれを頼んだ。』
蓬莱はそのまま答える。
「…魔力をコントロールする石か。確か赤瑪瑙の首飾りが有った筈じゃ。おマイさんがくれたな。」
朧は笑う。
『この為に渡したんだからね。…18の頃にはラプラスはもう僕の中に居たから、直ぐにこの事が視えた。』
蓬莱は言った。
「了解した。…本当にあの子達には会わんのか?」
朧は苦笑する。
『僕にはやる事があるし、白檀がもう待ってるから。』
蓬莱は笑いながら水鏡を覗いた。
「なんじゃ?やる事と言うのは?」
『…四年前に戻る。四年前のエレクトローネという街に、1人の女の子が住んでるんだよ。その子のお父さんに会いに。』
「…そうか。好きにしろ。名は、何という?」
『…御手洗。ねぇ、滄溟は数年で、いや、直ぐに『ラプラスの魔物』の覚醒させる筈だ。だからその時になったらエレクトローネまで行かせてほしい。』
蓬莱は不思議そうに問う。
「何故じゃ?」
朧は何時もの声色で答えた。
『…さぁ、知らない。じゃあね、蓬莱。君と過ごして悪事を働いた学生時代は忘れないよ。』
そして水鏡の輝きは消えた。蓬莱は月を見上げる。
「…昔から変わらぬ、不思議な男よのォ…。美しい朧月夜じゃな。」
えーん、えーん、と赤子の泣く声が聞こえる。母親が、この子は黎明と名付けましょう、と喜ぶ声。そして、母親は左目に手を翳す。そして、『マクスウェルの悪魔』が継承された。父親が、お前はこれからお兄ちゃんなんだよ、と。
じゃあ、僕は?僕の『ラプラスの魔物』は?どうして?どうして妹が先なんだい?僕の、僕のは?僕のは、何一つだって、持っていないじゃないか。ねぇ、父上、僕のは?
「おにいさま!」
「……黎明、どうしたの?まだ夜でしょう?」
朧はなるべくバレぬように取り繕う。月明かりが黎明の顔に当たる。
「おにいさまが魘されていたからですわ。昔から大変な事があると魘されてばっかり。何のことですの?」
黎明は朧の顔を覗き込んだ。
「あはは、気にしないで黎明。きっと疲れてただけだからね。」
駄目だ、黎明には言ってはいけない。黎明はそのまま寝た。朧は布団から出てカンテラを取り、2人で寝ている、2人では広すぎる部屋の大きな窓辺に座った。カンテラの灯火が窓辺を明るく照らす。
「…僕は、お兄ちゃんなのに。駄目だなぁ…。」
あの後、父親に直ぐに見透かされたんだっけ。お前はこれから辛い事があるが、妹を、黎明をちゃんと守るんだよ。
「…僕は、守れてるのかな。こんな奴が、あの子を守るなんて無理がある。」
朧は伏せ目がちに言った。
「僕は、守れるまで守る。それが、この手を血に染めた理由だ。それだけの、理由、そうでしょ?」
昔の事を思い出す。あまり思い出したくもないが。生まれて直ぐに、この子には沢山の魔力がある、と言われた。父親と母親はその事に付いて何も触れなかった。でも、あの頃は、周りの目があったから。毎日聞かされる妬みと賞賛の声。賞賛の裏に妬みがあって、妬みの裏に賞賛があった。
だから、幼い頃に出来たのは一つだけ。ただひたすらに呪文を覚えて使う事。人は雲の上の存在には手を出さないから。お陰で誰も朧に話しかける者は居なかった。それでも家族があれば、朧は良かった。少しそんな事を思い出して、朧はベッドに戻った。明日から黎明と朧に一つ一つ部屋が渡される。そんな良い事をして貰って良いのかという思いが、朧の頭を横切った。そして、深い眠りに落ちた。
それから1年頃が過ぎた。毎日人を殺すだけ。今日も殺そうと思ったその時だった。
「あら、貴方、何処へ行くの?」
「いや、私は…。」
女、だった。違法カジノを壊しに向かえと言われて向かっている途中だった。頭を撫でられる。
「きっとお母様が心配してらっしゃるわ。お帰りなさい。」
朧は驚いて女に目を向ける。女が、少しおかしい。行動が、雰囲気もおかしい。後ろに大き過ぎる荷物がある。移民の時期でも無い。近くで戦争が起きたのは此処最近の話だ。朧は話を聞いてみることにした。
「…私は、帰ります。でもどうなされたのですか?その大荷物は?」
女は驚いた顔をし、呟く様な声で言った。
「……子供に話す事じゃないけど、もう無理よね。言うわ。」
女の話によると朧が向かっている違法カジノで、無理矢理連れ込まれ、借金を付けられたらしい。朧は言った。
「私が、何とかしてみます。」
「でも、貴方は子供でしょう?」
「私は、ただの子供じゃありませんから。」
朧は笑うと、道を急いだ。ネオンが煌めいている。もう日が落ちて、その時間だった。路地裏にあるカジノへ向かう。エレベーターに乗り、3階で降りる。ガチャ、と扉を開くと、爆音量の音楽と声。
朧はカウンターへ向かうとバーテンダーを刺す。そして女の悲鳴。やっぱりバレるか、などと考える。仕方なく立ち上がった。屈強な男達がこちらに来る。銃口が向けられ、頭に向けられる。しかし相手はへっぴり腰だ。朧は言った。
「ねぇ、撃ちなよ?」
「は、離れろ!」
こつ。こつ、と朧のブーツの音がする。ぐるぐる回るその瞳は、見た者を狂気へ誘う程。
「ねぇ、撃ってくれないの?楽しみにしてたのになぁ…?」
そして朧は続ける。
「言っておくよ、冥土の土産にでもしておくれ。……半端な者が銃を持つんじゃねぇよ。」
カジノが凍てつく。誰1人と足が動かせない史上最悪の舞台。男は棒立ちで銃を持っていた。朧がわざわざ銃口を額に当てる。
「さぁ!その引き金を引きなよ!僕は直ぐに死ぬよ!でも、君が死ぬ方が早いよね。」
ひたすらに店内に居る人間を殺す。最後には爆音量の音楽だけが残った。その刹那声が聞こえる。
「もう!どれだけ殺しちゃったの?朧お兄ちゃん!」
朧はゆっくり振り向く。其処には黒い少年が浮いていた。
「……君は?」
朧は問う。少年は答えた。
「ボク?ボクの名前はモルテ=ディー・グレンツェ!死の狭間の主だよ!」
「死の、狭間…。」
モルテは笑顔で言う。
「死の狭間って言ってもね、地獄みたいな所なんだ!でねでね、君が沢山殺しちゃったから、もう死の狭間逝きが沢山いる訳!別に嫌じゃないんだけどさぁ!仕事増やして欲しくないな〜!って感じ!」
モルテは一気にまくし立てた。朧はモルテを見据える。
「……でも、私は『ラプラスの魔物』を覚醒させなくちゃいけない。だから、」
「だから人を殺さなくちゃいけない?まだそんな事言ってるの?」
朧の声にモルテが被る。朧は叫ぶ。
「何で?どういう事だい?」
「外の音を聞いてご覧よ。」
回る回るサイレンの赤。朧は窓からそれを覗いて驚いた。モルテが言う。
「朧お兄ちゃんが心を許したあの女が通報したんだよ。元々朧お兄ちゃんを通報するつもりだったみたい!」
朧はただ黒い眼で下を覗く。頭を撫でたあの女は被害者面で警察に話している。モルテはそれを見てニヤリ笑う。朧は振り向きもせず水の鎖でモルテの首を絞めた。
「あ、……ぐ……お兄ち、ゃん、また、こんど、何、時か、ね?」
そしてモルテは消えた。朧はビルの窓を突き破ると、下にいる警察官に一気に短剣を突き刺した。首や、血管が飛び散る。女が隅で怯えている。女の弁明が始まった。
「いや、違うの、あのね、最初は、」
「…そんなつもり無かった?は、笑わせる。そう言えばアンタの心覗いたんだけどさ、なんか前から死にたかったんだって?殺してやるよ。」
朧はパトカーの上から女を見下ろす。
「いや、違うの、あれは、みんなに心配されたくて、」
朧は狂笑した。女の首を絞め始める。
「ねぇ、どんな風に殺されたい?綺麗に死にたいぐちゃぐちゃにされたい苦しくされたい土に埋められたいさぁどれ?」
女の声にならない断末魔が響く。朧が続ける。
「気を許した私が悪かったね…。私はねぇ、死んでも忘れられないような、いや死んだ方がましだと思う様なことをして上げるよ。……ね?返事して?まだ私は許してないんだよ。その体を何千回切り裂こうが私は許すつもりなぞ1片も無いの。」
朧の足元には、惨殺死体が転がっていた。
朧は、川べりを歩いていた。瞬間移動でなるべく飛ばして来たが、先刻のあの女のせいで魔法が上手く使えなかったのだ。そして異変が起こる。
「あがっ!?あ、ぁぁぁぉぁぉぁぁぁぁあぁぁ!!!」
右目が、暑い。焼ける。
「いだい!いだい!あぁぁぁぁ!!」
朧は、痛みを感じなかった。それはあまりにも残酷過ぎる痛みで。その痛みは意識を飛ばす事も許されない逃げられぬ痛み。
「あ、………これ、は?」
両手には血。ベッタリと着いている。恐る恐る川を覗く。其処には、己の瞳が金色に輝いているのを見たのだった。
「…バケモノ。」
奥には太陽の紋章。ゆっくり、父親が言っていた事を思い出す。『ラプラスの魔物』が覚醒する時には、体の何処かに太陽の紋章が現れる。そしてその痛みは壮絶で、命を落とす者すら居るとか。覚醒した後もかなりの痛みがあった。
朧はゆっくり立ち上がり、帰路を急ぐ。右目からはだらりと血が溢れていた。家の裏口から黎明に見られぬ様に歩いた。そしてそのまま蓬莱の部屋へ向かう。
「朧や、やっと覚醒したのじゃな?」
「……はい。」
ならば、と蓬莱は続ける。
「エレクトローネへ向かえ。」
「エレクトローネ、ですか?其処には…誰も居ないんじゃ…。」
「おマイさんの遠縁の親戚が使っていた家がある。其処に行け。其処で好きな事をすれば良い。」
朧は了承した。蓬莱が言う。
「そしておマイさんは破門、じゃ。」
その返答に朧は少し驚く。しかし笑って返した。
「…お師匠様の破門は破門ではないからです。……明日、私達は出ます。」
扉に手をかけた朧を見て蓬莱は言った。
「新しい服と首飾りを用意しておいた。…それを着て向かえ。」
朧はそのまま扉を開けた。
「此処ですか?願いが叶う峠と言うのは?」
1人の男が誰も居ない寂れた教会に足を踏み入れた。
「そうだよ。御手洗徹さん?の方が良いのかな?」
男は怪訝な顔で相手を見つめた。相手は教会の祭壇に足を組んで座っていた。その返答に相手は応える。
「あ、常識ない奴だって思った?残念、僕は君より三つ年上だよ。」
相手はにこり笑う。男は驚いた顔をする。そして相手は言った。
「ねぇ、君の願いは君の娘さんを助ける事、そうでしょ?それと僕と境遇が少しだけ似ている。お嫁さん亡くしたばっかりってところがねぇ。」
朧はにこやかに男を見る。男は言った。
「そこまでわかっているなら話は早い。娘を助けて欲しい。彼奴を人が信じられる様にして欲しい!」
「じゃあ、代償が必要だね。」
朧は笑う。男は真剣な面持ちで尋ねた。
「魂、か?」
「そうだねぇ。魂なんて、僕は要らないんだけどね。これは形式上の物だから。」
「頼む。あの子を助けてやってくれ。」
男の懇願に相手は嗤う。
「……人間ってこんなに懇願するものなのかな?僕には分かんないことだらけだね。」
男はもう死んでいた。そして相手は笑う。
「さぁて、願いを叶えなくちゃね。確か蓮花ちゃんって女の子だった。その子の運命軸を弄らなくちゃね。あーでもそうするとあの子はしんでしまうのか……。でも良いか!滄溟が居るんだからね!……流石の蓬莱も、僕のマグノーリエを射程外にした事はバレなかったみたいだけど、皆死んじゃったからね。」
相手は、薄く消え始めた。白く透ける。相手は言った。
「やっと白檀の傍に行ける。………滄溟、黎明、僕の事、許しておくれ。」
その呟きは、空気に溶けた。
「蓮花ちゃん、よね?」
熊のぬいぐるみを持ちながら、蓮花は振り向いた。
「私、梢って言うの。貴方のお母さんの妹なのよ。」
蓮花は目をくるくるさせながら梢を見る。そして尋ねた。
「梢、叔母さん。でも私には近い親戚が居ないとか言われてたのですが、それは?」
梢は答えた。
「…そう、言われてたのね。可哀想に。いいえ、私は貴方の叔母さんなの。」
向こうから、今蓮花を預かっている親戚が此方に来た。明らかに面倒くさそうな顔だ。そして梢に言った。
「あら、貴方ですか?今度この子を引き取るのは。」
「ええ。そうですね。」
女のささやく声。
「もう返さないで下さいね。うちもウンザリですから。」
「ええ!勿論ですとも!」
蓮花の方を向いて、梢はにこり笑う。そして言った。
「帰りましょう!私達の家に。」
蓮花は手を引かれる。親戚は蓮花が居なくなる事を喜んでいた。それを見た蓮花は前を向く。美しい夕日が傾いていた。
これで始まりの物語は終わり。
幸せの始まるが告げる、怪奇譚。
信じる者と信じられる者が交わる時、
物語は綴られる。
これは始まりの物語。
血と悲しみで綴られた、始まりの物語。
明日も宜しくお願いします!