犀利の疾苦
「御早う御座います、滄助様。」
「……寝てるから話せないね。」
「今日の朝ご飯は美味しいスープとパンですよ。お着替えは此処に置いておきますね。」
がちゃん、と扉が閉まって、滄助は煩わしそうに頭を掻きながら起き上がった。
「ちっ……僕の『どうでもいい事を言って登校時間を遅らせる作戦』は失敗したか……声のトーンからしてまだ新人だと思っておちょくったのに。そろそろ新しい作戦に切り替えるか。」
齢、18歳の青年、滄助がかけられていた服を淡々と着る。彼は身の回りの事を自分でする、そんな貴族青年だった。
「学校行くのは面倒臭いなぁ……。」
呑気に部屋を出て、大広間までそんな調子で行く。何時も学校行くのは面倒臭いが、どうして今日はこんなにも面倒臭いのか。その理由は、
「滄助、おはよう。今日から学校だね。」
父親のにっこりとした笑顔を見て、滄助も笑った。そう、その理由は簡単。夏休みという滄助を庇ってくれていた『夏休み』という最強最高の盾が、音を立てて崩れ去ったからである。
こんなカッコつけてはいるが、要するに勉強をしなければならない上、学校に行くのが面倒極まりないだけなのである。
「はい、父上。」
笑顔で滄助は答えた。出発は1時間後。マグノーリエという街の郊外にある朧月夜の別荘で夏休みを家族と過ごすのが、滄助は大好きだった。
母親が優しく滄助に笑った。
「勉学を良く頑張っているそうですね。悪行は目立ちますが。」
大きな椅子に座った滄助の顔が引き攣る。
「いやぁ、母上は大層ご冗談が得意で……。」
「……うふふ。」
不気味な笑顔を浮かべて、じっと滄助を見ている。
「まぁ、これからも頑張りなさい。」
「はい……肝に銘じておきます……。」
父親は滄助に元気よく言った。
「まぁ、悪い事を出来るのはもう高校生位までだからな。存分に遊んでおけ。」
「そんな事を言うから滄助が甘えるんです。」
「そうかぁ……?」
両親の会話を滄助は穏やかな気持ちで見ていた。しかし、右の手の甲にかかった籠手が、嫌でも視界に入る。
父親が渋る様に言った。とても、申し訳なさそうに。
「……済まないな。お前の力を制御しきれなかったんだ。」
それを聞いた滄助は慌てて訂正する。
「い、いえ。気になさらないで下さい。」
滄助には、それしか言えなかった。気まずくなったその場所を滄助はそそくさと退散する。部屋から出る時に、笑顔で滄助は言った。
「これからも、勉学に励みますね。父上も母上も、お元気で。……偶に悪さはするかもしれませんけど。」
くすくすと笑った両親を見て、滄助は部屋へと入った。朝日が部屋に照っており、矢張り王族に順する貴族の事だけはある、部屋もそれなりに広い。
「ふう……。」
滄助は今年の初旬の事を回想していた。それは、余りにも唐突だった。
確か二月頃だったと滄助は篭手を外して、太陽の紋章の周りに棘の王冠が巻き付いている紋章を眺める。
ある雨の日の事だった。今となっては、日にちなんてどうでもいい。思い出せる気もしない。とんとんとん、という水の音が心地よくて、ずっと本を読んでいた事を、彼は覚えている。
朧月夜の別荘はとても静かである。王都にある朧月夜の本家は、煩くから勉強が出来ないだろうと、父親が『何かあれば別荘を使え。鍵は渡すからな。』そう言って、滄助に別荘の鍵を渡してくれた。
あの静けさが大好きで、彼は暇さえあれば其処に居た。
大体、気付くべきだったのだ。
今まで使えていた魔法が、途端に使えなくなった事実に。
そうやって使えなくなった時には、暴走して死に至る可能性だってある事を。彼は過信していた。自分自身の力を。
だから本を読んで、時間を潰していたのだ。だけれど暴走は案外早かった。止められると滄助は思っていたが、その暴走は直ぐに彼の意識を止める。これで死ぬと、そう思った時だった。
『君は死なないよ。僕の生まれ変わりだから、生きてもらわなくちゃあ。』
ぼんやりとした意識の中、声が聞こえる。
『だって、君が死んだら僕はどうするの。上手くいかなくなっちゃう。……まぁ、もう充分狂ってるわけだが。全く、どうしろってつもりなのさ。』
待て、と滄助が声をかけようと手を伸ばした瞬間、ぱちりと天井が写った。半端ではない気だるさと共に。
その後、両親に聞かされた。かなり危ない状況だったこと。そして、止める為にはどうしても『ラプラスの魔物』の力を持つ必要があったことも。
滄助は理解した。自分が朧月夜の当主になる資格を持ったこと、今までの自分とは桁違いの魔力を保持したこと、『全知全能の神様』になったこと。
そして、何者かに利用されようとしていること。あの後から、身体が彼の自身の身体では、何処か無くなっていった。
「参ったな……こんな体の調子じゃあ、20歳になる頃にはきっと僕じゃなくなる。それは……嫌だ。またあの空間に行くか何かして、相手を殺さなくちゃ。……まだ、生きている訳だからね。」
もう直ぐご出発ですよ、と召使いの声が聞こえて滄助は篭手を着けながら元気よく返した。何とかすべきではあるのだが、もう一人が見つからない。
『蓬莱 緑珠』の生まれ変わりである存在である。顔も姿も見た事は無いが、あちらの生まれ変わるという段取りは、滄助が時間を遡る事によって阻止された。だから、相手方は恐らく大丈夫なのだ。
「行かなくちゃな。」
滄助はトランクを持って、部屋を出る。王都までは両親共々馬車で一緒だ。廊下を走って玄関へと出る。其処には父親が立っていた。
「彼奴はまだメイクがなんやらとか言っていたな。」
滄助はくすくすと笑う。
「女性は大変ですね。」
すると、母親は直ぐに現れた。
「ごめんなさいね。お待たせしてしまったわ。」
両親共々と言っても、滄助は別の馬車だ。流石に荷物を置くのは大変だからだ。馬車に乗り込むと、直ぐに暫く見る事はないだろうと思われる別邸を見る。
「あーあ……僕の最高の場所が……また学校抜け出して来ようか。」
そんな適当なことを呟きながら、長閑な田園風景を眺める。窓を開けると微風が吹いて気持ちがいい。
「何とか……しないとな。あと2年、か。短いな。」
滄助はいつの間にやら、寝てしまっていた。気が付くとそこはもう王都で、業者に起こされるがままに馬車を降りる。母親が笑って言った。
「しっかりなさい。……これからも頑張ってお勉強するのよ。暫く会えないのだからね。」
父親も母親に釣られて笑う。
「そうだな。寄宿制というのはこういう時嫌だなぁ……。」
滄助は眠そうな表情を何とか消して、笑って元気よく言った。
「はい、父上、母上。頑張りますね。」
駅まではトランクを召使いが持ってくれる。魔法学校は王都に沢山あるのだが、滄助は少々事情が別で。
「ね、あれ魔法学校の生徒じゃない?名門校の……。」
「そうよね?凄いわ……でも、あの制服って、確か王都に本校があるんじゃなくって?」
「それに紫髪ですって……朧月夜 滄助様では無くって?」
滄助は面倒くさそうに召使いに言った。
「ちょっと早く歩くよ。」
ふと召使いは滄助に問う。
「滄助様はああいう事を言われるのが嫌いとお聞きしましたが……どうしてで御座いましょう。」
目付きを鋭くして滄助は言った。
「……知らない人にとやかく何か言われるって、嫌なんだよ。僕の苦労も知らないで。じゃあ、此処で良いから。父と母に宜しく言っておいてくれよ。」
半ば荷物をひったくる様に、滄助は電車へと乗った。渡された切符を見て指定された場所へと座る。
電車は小さな部屋の様な物が区分けされた車内だった。何時も我が儘を言って、四人部屋の一人しか座らないのに四人分買ってもらっている。こんこん、と部屋の扉が叩かれる。
「滄助!座って良いか!?」
開きかけていた本を滄助は閉じて、叩かれた扉を見上げた。其処には笑顔で青年が立っていた。滄助は微笑んで答えた。
「どうぞ。久しぶりだね、ロック。」
「そうだな。」
「あら、滄助では無くて?」
「マリーも一緒かい?」
「いや、今初めて見た。」
「久し振りですこと、滄助。」
「そりゃあ1ヶ月会ってなかったからね。久し振り、マリー。」
滄助がロックとマリーと呼んだ二人は、何時もの悪仲間だ。夏休み中の話を聞くとロックは遠方の田舎に行っていたらしく、蚊に沢山噛まれたらしい。
マリーは王都で遊んでいたが、直ぐに疲れて郊外の別邸に逃げた事も知った。くすくすと三人で笑った所に、扉が乱雑に開かれる。
「どーも、滄助!ロック!マリー!」
「もうちょっと扉を静かに開けた方が宜しくてよ。」
「いやぁ、もうこれから皆に会える事が楽しみで楽しみで!」
「アイラは暴れるもんな。」
「はぁ?ちょっとロックは黙っててよ!」
アイラと呼ばれた女の子は、また夏休みの事を話した。王都からかなり離れた避暑地で過ごしていたらしい。
「でも不便なんだよ。新しく出来たばっかりだから、『家』って感じがしなくてさ。」
まぁでも、とマリーが言った。
「私達貴族の中でも本家で暮らしいているのなんて、ほんの一握りですわよね。」
ロックが頷く。
「うん。そうだよな。大体、王都なんて煩くて寝れやしない。」
きっと、とアイラが滄助に言った。
「名門の朧月夜の別邸はさぞかし豪華なんだろうね。」
滄助が笑った。
「そんな事ないよ。皆と同じくらいかな。別邸は地味に作ってあるから。ほら、本家が物凄い派手でしょ?あんなの天井がきらきらして寝れないよ。」
はいはい、とマリーが滄助を見て肩をすくめる。
「朧月夜の家は凄いですわよね。自慢しなくても良いですわ。」
滄助はふざけて否定する。
「自慢なんかしてないよ。だって、マリーの家の方が凄いだろ?」
マリーはげんなりしながら言った。
「あれは『家』という名の美術品ですわ。住む為の物じゃありませんわ。」
そう言えば、とアイラが話題を変える。
「ね、転校生が来るらしいよ。」
「転校生?それ、本当か?」
不思議そうにロックはアイラに言った。滄助がそれ聞いて笑う。
「転校生って言ったって、本校の方だろ?王都にある方の。」
アイラは首を振って答えた。
「ううん。このド田舎の『魔法超過クラス』に入って来るんだって。」
『魔力超過』。
それは、人よりも普通の人間の中に潜んでいる魔力の倍、又は何千倍の魔力が眠っている事を言う。
基本的に『魔力超過』の人間は、死んで肉体が滅んでも、魔力があまりにも多大過ぎる為、そのまま残ってしまう。魔力がその人間の器になってしまうのだ。
この滄助含め四人の生徒は、『魔力超過』との認識を貰った生徒達。数百年前には、『魔力超過』の魔法使いが約五十万人と居たらしいが、近年『魔力超過』は少ない。
全ての国を含めて約二十五万人と言われている。全盛期の半分程だそうだ。『魔力超過』は貴族の子供に多い。
何故なら、上流貴族達は異形の物の血を色濃く引いているからだ。それは龍であったり、何かの神様であったり。だが、名門朧月夜家は、創造神の血を引き継いでいる。それなら尚更だ。
不思議そうに滄助は尋ねた。
「名前は何て言うの、アイラ?」
アイラは少し残念そうに答えた。
「それがね、知らないんよ。ごめんね。」
おちょくる様にロックがアイラに言った。
「それ、本当なのか?」
むっとしてアイラはロックに言い返す。
「本当だから。先生が言ってたんだよ、『転校生が来ます』って。」
マリーが悪戯っぽく笑う。
「そうすれば、きっと先生は大変ですわね。」
そんな他愛も無い話をしていると、直ぐに絵にでも描いたような田園風景が開く。大きな湖が見えて、滄助は言った。
「もうちょっとで着くね。」
ロックが思い出す様に言った。
「……俺達がさ、高校一年生の頃はさ、まだ『魔力超過』判定の生徒が十二人居たよな。」
マリーがこくりと頷く。
「そうですわね。……寮生活をしていても、随分賑やかだった頃のお話ですわね。」
それがさ、とロックは寂しげに続ける。
「もう四人だ。新しく転校してくる奴も居るけど……先天性の『魔力超過』って、もう俺達しか残ってないのな。」
アイラが心配する様に言った。
「ね、皆、将来はどうするつもり?やっぱり、当主になるのかな。」
さぁ、と滄助は肩を竦めて笑った。
「未来の事は分からないよ。」
悲しげにマリーは溜息を付いた。
「……私、まだ終わって欲しく無いですわ。後半年で、皆様ともお別れ……本家に帰らなくてはなりませんのね……。」
ロックは笑ってマリーを励ます。
「また皆でさ、連絡取り合って遊びに行こうぜ?」
マリーは少しはにかんで言った。
「そう、ですわね。」
さて、と滄助が立ち上がった。
「もうちょっとで着くよ。荷物を持って行こうか。」
四人は扉近くまで寄ると、何も代わり映えのない外を眺める。電車が止まって、山の麓特有の冷えた空気が立ち込める。
「さっむ……この寒さ異常だよね……。」
アイラがそんな事を呟いた。きっと、とロックが続ける。
「ジャックフロストの家族でも山ん中通ってんじゃないか?」
滄助が顔を顰める。
「それはちょっと御遠慮願いたいかな……早く通ってくれる事を頼むよ。」
前日に雨が降ったのか、水溜まりがあった。ジャックフロストの冷気によって氷に変わっている。
「寒い寒い……早く暖炉で暖まりたいですわ……。」
マリーの言葉を滄助は拾って言った。
「まさかこんな寒いとは……8月の終わり頃でこんなに酷いとは堪らないね。」
無人駅を降りた後、しん、とした森の空気が張る。ロックが言った。
「いっつも俺思うんだけどさ。此処を通る度に、降りる駅間違えたのかなって思うんだけどさ。」
「分かる、それ。此処の道は一人で行きたくないよね。」
マリーが足を止める。そして少し叫んで言った。
「……ドラゴンが居ますわ。隠れた方が宜しくてよ。」
アイラがマリーに言った。
「え?でも、空にも飛んでいないけど……。」
取り敢えず、と滄助が言った。
「隠れよう。此処でドラゴンに襲われるなんて笑えないよ。」
四人は近くの茂みに身を潜めると、数分後、ビキビキと氷の育つ音がする。それはまるで羽化をする様に、ドラゴンの形を作っていた。
周辺の土を氷塊にして、飛び去っていく。ふう、とロックは安堵してマリーに言った。
「ありがとな、マリー。気付かなかったら、本当に死んでたぜ。」
いいえ、とマリーは言った。
「ただ、ドラゴンの声が聞こえただけですから。」
四人は荷物を持って、また歩き出す。アイラがトランクを頑張って持ちながら言った。
「えーっと……マリーの家って、初代当主はドラゴンだったっけ?」
こくりとマリーは頷く。
「そうですわ。シャヴォンヌと言う、白い龍ですの。偶に会ったりしますわ。」
滄助が不思議そうに問う。
「そりゃあ、珍しい事を聞いたな。まだ白龍様はお元気なのかい?」
にっこりとマリーは言った。
「ええ。健在ですわ。今は何処かの世界の湖の奥深くで眠っているそうです。偶に此方側の世界へ来るそうですわ。……私自身、あまり会ったことは御座いませんが。」
そんな会話を続けていく内に、大きな洋館が見える。アイラが言った。
「はー……もう超疲れた。今日は授業、殆ど無いけど……ほんっと、疲れるよ。」
ロックがアイラの一言に同意する。
「分かる。凄い疲れるよな。今回だけはお前に同意。」
「はぁ?るっさいわね!あんたの減らず口は夏休み開けても相変わらずってとこ?」
「はっ!お前の屁理屈も中々上等じゃないか!」
正に一触即発の寸前に、四人は洋館に着く。ふと立ち止まって、滄助は言った。
「ね、あれ……。」
滄助の指の先には、洋館前に立ち竦む少女が居る。四人の姿を見ると、直ぐに霧のように姿を消した。マリーが少し考えながら言った。
「あら……今のは、私達の学校の制服ですわね。」
アイラは意気揚々と応える。
「きっと明日来る転校生だよ!楽しみだなぁ……!」
ロックがアイラに気付かれぬ様、本当か、と言った風に彼女を見る。滄助は振り返らずに洋館をの扉を開けた。
ギシィ、と扉の軋む音がして、少しの間使われていない証のむさくるしさが、辺りに漂う。
「こりゃ換気だね……。」
滄助はこつこつと大きな階段へと進んで行く。モノクロのタイルを進んで、横手の廊下に四人は入って行った。アイラがにっこりと笑う。
「それじゃ、皆また後でね!」
「そうだな。」
「それでは。」
「じゃあね。」
滄助は最後に笑顔を作って、がちゃんと扉をしめた。振り返らずに、陰湿なだだっ広い部屋を眺めて鍵をかける。じろりと辺りを睨んだ。
「……ふう。」
元々三人部屋だった寮部屋が、生徒減少に伴い、一人部屋になっている。それ故にかなり広い。トランクを放り投げて部屋の奥にある椅子に座る。
「どうすれば良いのか……迷う所だな。あの空間に行ったのは、僕が死にかけた時だけ。」
机の奥にある窓を開けると、静まり返った美しい木々が青々と茂っている。びゅう、と1ヶ月分の埃やらが飛ばされていく。
「すっきりした。さ、どうするか……僕が死ねば、きっと相手の目論見は外れる……が。僕が死ねば朧月夜の家が途絶える。相手は僕を是が非でも殺させないだろう。何せ、相手は唯一神であり創造神の『朧月夜 真理』様なんだから。」
滄助は燻んだ天井を見上げて言った。
「……流石に朧月夜家当主が自殺は笑えないか。」
全てはそう、真理が悪いのだ。いや、それとも彼自身、と言うべきなのか。
「迷う所だねぇ……。」
先刻の電車の中では、『当主になるかは分からない』とは答えたが、99%の確率で滄助は当主の座に御座す事になるだろう。
「あー、もー、やだー……神様は何て残酷なんだ……。」
自分が神様なのに少々矛盾した事を言いながら、滄助は続ける。
「最悪、別に僕は呑まれても良いんだよね。その後内面も屑同然に棄ててやっても良い。……そうだな、折角なんだから、真理が知っている事全て知りたい。脳味噌だけ有れば良いんだよね。」
ニイィっと滄助はくつくつ嗤う。
「そうだな……これは中々良い案かもしれないな。」
少し子供地味た笑顔に、狂気が混じった顔。こんこん、と扉が叩かれる。
「はい、どうぞ。」
にっ、と笑ったロックが滄助に言った。
「な、宿題出しに校舎行こうぜ。そろそろ時間だしな。」
「良いよ。ちょっと待ってね。」
ふと、ロックの後ろにアイラとマリーが現れる。アイラが怪訝そうに滄助に言った。
「ね、滄助。どうしたの?とっても楽しそうだけど……。」
重そうに身体を上げて、滄助は無邪気に笑う。先程の闇を孕んだ笑顔は何処にも無い。
「とってもね、楽しい事があるんだよ!さ、ほら出しに行こう!遅くなると先生が煩いよ。」
マリーがくるくると周りながら先導する。
「転校生は居るのでしょうか。居るのならば……今日紹介ですわね!」
「居たら良いね。」
「そうだよね!」
四人はほぼ隣にある校舎に向かう。校舎も学生寮も、山の中にあるとは言え、一端の貴族が住みそうな、荘厳たる屋敷だ。学生寮と同じ作りになっており、アイラが元気良く開く。
「ふーっ!せんせぇー!おっはよーございまぁぁーす!……って、あれ?貴方、何方?先生ですか?」
何時もは若い女の先生なのに、何故か男性が階段の上に立っている。酷く疲れ切った様に言った。
「本校舎の物です。先生は今日、少し体調が悪いそうで……一応無理をして来て下さって居ますので、今日だけでも静かにお願いしますよ……。」
四人の横を通って行く先生が校舎を出たあと、ロックは言った。
「随分な事だな。あの、本校舎のせんせー。」
ええっと、とマリーが指で抑えながら言った。
「ウグリー先生、でしたっけ?」
滄助がくすくすと笑う様に言った。
「違うよ。ウリグー先生だよ。ウグリーは、醜いって意味。」
悪意満載の笑顔を滄助に向ける。
「そうでしたっけ?うふふ、忘れてしまいましたわ。」
アイラがそれに便乗して笑う。
「マリーったら本当に意地悪よね。」
「そうですか?別に……意地悪ではありません事よ。」
ロックが呟く。
「女子って怖い。」
滄助がそれに返す。
「まだまだ、この二人はまだまだ可愛い者だよ。」
四人は教室に入る。黒板の前に、黒髪の少女が俯いて立っている。ウリグー先生が疲労感満載で部屋の隅に座っている。
全員が座ったのを見ると、ウリグー先生は立ち上がって、夏休み後のありがちな話を繰り広げる。
「皆さん、夏休みはどうでしたか?充実した夏休みになったと思います。」
何一つ感情が篭っていない先生の隣に、俯いたままの少女を前に引っ張り出してきた。
「今回紹介するのは、転校生です。……中には特別な方法でこの事を知った生徒も居ますが。」
アイラをちらりとウリグー先生は見た。アイラはそれを見計らってニヤニヤと笑う。
「この生徒は今回『魔法超過認定試験』に無事合格した生徒です。……自己紹介を。」
威厳が何処かある少女は、余裕綽々と言った体で言葉を紡ぐ。
「これから御世話になる……宝珠花 翠蘭と言う。宜しく。」
滄助は誰にも見られない様に、いや、見られる事は無いのだ。口がゆっくりと、音を出さずに言葉を紡いで、其れを一瞬、宝珠花が見た。
「それでは、宝珠花さんは一番後ろの席に座って下さい。……それでは今日は終りです。後は自由時間です。」
適当に宿題を出して、アイラがロックに自信満々に言った。
「ね、やっぱり転校生来たでしょ!」
「はいはい、来たねすごーい!」
「全く凄いと思ってないでしょ!……さては、予想が外れたのが悔しいんだね!」
「ンなわけあるか!」
アイラとロックの会話を横目に、マリーが宝珠花に挨拶する。
「2人とも……新しい方の前で……申し訳御座いませんわ。私の名前はマーサリーシャスリナー・シャヴォンヌと言いますの。マリーと呼んでくださいな。彼処に居るのが、アイラ。アイリッシュラ・サミュエル。アイラと言い合いしているのが、ロック。ロキサクエル・アンドレアスですわ。」
そして、とマリーが滄助の自己紹介を言おうとすると、滄助はそれを遮る。
「良いよ。自分の自己紹介は自分でするよ。」
滄助は宝珠花の方に向かってにっこりと笑って言った。それはもう、完璧とも言える笑顔で。
「初めまして。僕の名前は朧月夜 滄助。宜しくね。」
宝珠花は一瞬吃驚した顔をすると、直ぐに微笑んでマリーと滄助に言う。
「その……山の近くで育ったから、あまり王都の事など、当たり前の事を知らぬかもしれぬ。不束者ではあるが、宜しく頼む。」
マリーはにっこりと笑った。ロックとアイラの言い合いをずるずると引き摺りながらも、学生寮の廊下へと辿り着いていた。ね、と滄助は宝珠花に笑いかけた。
「色んな事を教えてあげるよ。僕の部屋においで。」
「あ、あぁ。」
「それじゃ、マリー。2人の相手を宜しくね。」
「お任せ下さいな。」
宝珠花を部屋に入れて、滄助は言った。
「さて……初めましてと言ったが、別にそうでは無いね。」
一気にふわふわとしていた雰囲気が、歪んだ子供の無邪気さへと変わる。宝珠花が身構えた。
「な、何のことを……。」
それじゃあ、と滄助は振り返らずに言った。
「久し振りにこの名前で呼んで上げようか。『蓬莱 緑珠』様?」
「き……貴様、もしや……。」
宝珠花の先を遮って、滄助は続ける。
「僕はね、知ってるんだよ。太古に滅んだ『月影帝国』の初代女帝の『蓬莱 緑珠』の生まれ変わりが、君って事。それもまた死んだと思われていた、最後の皇女、『蓬莱 蚩尤』だって事。」
「じゃ……じゃあ、滄助は……『朧月夜 真理』の、生まれ変わり……?同一人物、という事か?」
滄助は足を組んで笑いながらビリビリと殺気を起こす。
「ふふっ……次、一緒にその名前の奴と僕とを『同一人物』として扱ったら殺すからね?僕、彼奴の事が世界で一番嫌いなんだ。まぁまぁ、最初だったし、今回は免じてあげよう!」
宝珠花は表情を顔に出さず、淡々と言った。
「それで……何が望みだ?」
まるで浮かれた子供のような声を出す。
「僕ね、ルーン文字が知りたいんだ!文字は勿論、文法まで!」
宝珠花は拍子抜かれた表情をする。
「何故だ?お前なら知ろうと思えば幾らでも知れるではないか。『ラプラスの魔物』だろう?態々手前を挟む必要は無い。」
分かってないなぁ、とばかりに滄助は言った。
「違うんだよ。君から聞くことに意義がある。だから、ね?」
宝珠花は滄助を見てため息を付いた。
「……それが楽しいからだろう。」
「良くわかったね!」
まぁそれに、と滄助はニイィっと笑う。
「ちょっとして欲しいことがあるからね。それも大変な物だけど。」
少しの沈黙の内に、宝珠花は言った。
「面倒は御免だ。」
「そう言うと思ったよ。」
でもね、と滄助は続ける。
「君は嫌でもこの提案を受けなければ駄目だよ。」
宝珠花は滄助を見下ろして言った。
「神様が言うのだから、そうなのだろうな。」
彼女は滄助の部屋を出ようとする。がチャリとドアノブを掴んで、振り返らずに言った。
「どうせ提案を受けなければならないのならば、今受ける必要はあるまい。」
滄助は感慨深く言った。
「成程、そういう考え方もあるのか……勉強になるね。」
滄助の返答に答えず、宝珠花は外へ出た。丁度アイラが宝珠花に声をかける。
「ね!翠蘭!滄助!一緒にボードゲームしない?」
宝珠花は優しく笑う。
「そうだな、ボードゲームか……良いな。やろうか。」
彼女の返答を聞いて、アイラは滄助にも問う。
「滄助はしないの?」
滄助は思い腰を上げて言った。
「良いよ。やろうか。今日は何のボードゲームをやるんだい?」
宝珠花が扉を閉めようとすると、びゅう、と強い風が吹いた。ぱたぱたとカーテンがはためいて、何処が部屋を広く見せた。
「翠蘭?どうしたの?」
宝珠花は笑顔で答える。
「……いいや、直ぐ行く。」
その歪みきった子供部屋の扉を、そっと宝珠花は閉めた。
『あ、君だ。』
滄助は眩しい光の中で、そっと目を開いた。
『僕を消そうと思っても、それは無理だからね?緑珠の生まれ変わりの種を消されたのは、随分と吃驚したなぁ……。』
滄助は口を開いた。
「……それで良いよ。お前の面倒事に、他人を巻き込む必要は無いんだよ。」
光の中にいる相手は、とても吃驚した様で、
『でも、君のやらなくちゃいけない事は増えるんだよ?』
そんな風に言った。滄助は相手を睨みつける。
「別に構わない。『お前』と『僕』は、存在が一緒だろうが、魂が一緒だろうが、全く別の存在だ。……だから、お前にとやかく言われる筋合いは無いんだよ。」
相手はどうやら拍子抜けしてしまった様で、何も答えない。
「……これで、終わりだ。」
光は無くなり、黒々とした天井が見える。ゆっくりと身体を起こして、滄助は掠れた声で言った。
「夢、か。」
最後に触った、あの感触。ぬるりとした感覚だった。それに該当する物質。
「……血液、か。……なら、あれは心臓?」
両手を眺めて滄助は言った。
「今度、あの感触を体験したならば……容赦しない。」
滄助はベッドから起きると、制服を着る。丁度支度が終わった時に、こんこん、と扉が叩かれた。
「はい、どうぞ。」
滄助が答えると、大きな欠伸をしたロックが扉を開ける。
「朝ご飯だぞ……。」
机の上に一日の準備を置いて、滄助は無邪気に微笑む。
「うん、今すぐ行くね。」
大きな階段を降りて、朝食が準備されている食堂に座る。マリーとアイラが笑った。
「御早う御座います、滄助。」
「御早う、マリー。」
「御早うね、滄助。」
「御早うだよ、アイラ。……ね、翠蘭は?」
滄助の会話が切れるのと、食堂のドアが開くタイミングは、同じだった。
「済まない。遅れてないか?」
アイラはにっこりと宝珠花に笑った。
「ううん、今から食べるから。全然大丈夫だよ。」
全員が席に着いて、全員が声を合わせて言った。
「頂きます。」
ふと思いついたように宝珠花は言った。
「この朝食などは、一体誰が用意しているのだ?」
マリーがスープを掬いながら言った。
「ええっと……確か魔法で作っているらしいですわ。」
滄助がマリーの続きを言った。
「五つ星レストランの味らしいね。……普通の平凡な味だと思うんだが。」
ロックが声を上げる。
「これだから朧月夜の坊ちゃんは……。」
滄助はロックの一言に言った。
「君だってアンドレアスの坊ちゃんだろ?」
アイラがそれに釣られて笑った。
「本当に皆、仲がいいね。」
食事を済ませると、ふわふわと皿が浮く。五人は荷物を持って、教室に行った。やつれたウリグー先生が居た。滄助が満面の笑みで挨拶する。
「御早う御座います!ウリグー先生!」
どうやらその笑みで安堵したらしく、先生はほっと一息ついている。そっとマリーが耳打ちした。
「ウリグー先生、滄助が笑ったからイチコロでしたわね。……本当に凄いですわ。」
滄助はにっこりとマリーに微笑み返した。
「そりゃあ僕はフェミニストだからね。」
くすくすと五人は笑う。そして、ウリグー先生は授業を始める。今日の授業は魔法使いの歴史について。滄助はぼんやりと校舎の外を眺めていた。
「授業つまんな……。」
誰にも聞こえなさそうな声で、滄助は言った。だが、その言葉を拾った人が居て。
「という訳ですので……」
「せんせぇ!ノートを見てもらえませんか?」
言われるがままに、アイラのノートを見る。突然、ぼんやりとしていた滄助の思考が断ち切られた。
「ギャァァァァァァァァァ!」
劈く悲鳴が聞こえて、ウリグー先生はドタバタと足音を大きく立てて退散する。ウリグー先生が大嫌いなカエルが、ゲコゲコと鳴いている。
ロックが何とか笑いを堪え、滄助はくすりと笑って立ち上がった。
「それでは、授業を始めたいと思います。」
宝珠花が驚きに塗れた顔で、教壇立った滄助を見た。教壇に手を付けて、笑顔で滄助は言う。
「改めて。ようこそ!『魔力超過』クラスへ!……そして、この学校の腐敗部分へ。僕達は、君を……宝珠花 翠蘭を、生徒として迎えます。」
宝珠花が立ち上がる。
「どういう事だ……滄助……。」
ロックが宝珠花に言った。
「大丈夫だ、翠蘭。全部滄助が説明してくれるぜ。」
言われるがままに、恐る恐る席へと座る。滄助は一端の教師のように教鞭を執っている。
「君は、まだ知らなかったね。ま、知る由も無いわけだが。」
教壇を行ったり来たりしながら説明を始める。
「此処、『聖グリモワール王立高等学院』にはね、ちょっと特別なシステムがある。」
それは、と間を置いて態とらしく滄助は言った。
「それは、教師が生徒の成績表を作るのと同じで、生徒が教師の成績表を作るということ。それは、本校から離れた『聖グリモワール王立高等学院魔力超過特別学部』でも変わらない。そして、生徒の評判が全て、教師の成績に反映する。」
宝珠花がぼんやりと滄助に問うた。
「何故……そんな事を説明する?」
滄助は軽く宝珠花を窘めた。
「まぁまぁ、落ち着いて、翠蘭。話を聞けば分かるからね。一定の評判以下の教師は辞めさせられ、また新しい教師が入ってくる。これは体罰や成績低下を防ぐ為の物らしく、もう随分と長い間続いているらしい。」
滄助が教卓の上に胡座をかいて座った。
「単純な話、もし『魔力超過』のクラスで評判が良くなければ、辞めさせられる。人数は少ないし、評判を良くするのは大変だ。王立学院だから給料は良い。辞めさせられたら倍率60倍の中をくぐり抜けなくちゃ駄目なんだよ。面倒臭いでしょう?」
茫然自失している宝珠花を他所に、滄助は話を続ける。くつくつと笑いながら。
「だ、か、ら。簡単な話、先生に言ったんだよ。『評判は素晴らしいものにしておきますから、僕等の悪行を一切本部に伝えないで下さい』ってね。先生、二つ返事で喜んで承諾してくれたよ。」
それに、と滄助は付け加えた。
「もし、今は少ない『魔力超過』クラスを担当して、そして成績が良ければ出世コースだ。家がスラムのあの先生じゃ、絶対に乗ると思ったけどね。」
宝珠花は笑顔を引き攣らせて言った。
「は、ははは……これはまた、凄いことを……。」
にこ、と笑って滄助は教卓から降りる。
「さぁ、僕の授業の始まりだよ!」
教室から歓声が上がった。
一方その頃。
がちゃがちゃ、とウリグー先生は、受話器を乱雑に触って、本部に連絡する。
「た、助けて下さいっ!もう、もう!私は、あぁぁぁ!あいつらがっ!」
しかし、本部からの連絡は氷の様なものだった。
『はぁ?何言ってるんですか?何時も評判良いじゃないですか。大体、あの名門貴族の方々にそんな口の聞き方をしてはいけませんよ。もう電話掛けないで下さいね。何回目なんだよ……。』
軽く悪態を付かれて、電話は切られた。プー、プー、と言う音が、無情にも響いていた。
数日後。
「あぁー!暇!暇すぎるよ!何か大きい事件とか無いのかな!?」
朝食を食べ終わったアイラが、椅子に体重をかけながら言った。マリーが空を見ながら思い出す。
「まぁ……去年の今頃は凄かったですものね。泥棒が侵入してきたりだとか、本校舎の生徒が乗り込んできたりだとか……。」
ロックがその話に便乗する。
「あったあった……しっかしなぁ、それに比べて今年は……何も無いなぁ……。」
滄助は長い机の上に寝そべる。宝珠花はその様子を表情を変えることなく新聞を見ている。
「ほんっと……何も無いんだよねぇ、僕、別荘に帰ろうかな?」
刹那、宝珠花の目が見開かれる。そして、ニタリと笑った。
「どうやら……それも終わりそうだぞ?」
含みを持たせた宝珠花の言い方に、全員が身を乗り出す。
「以下は新聞記事だ……ヘンドブリック周辺にて、ドラゴンが確認された模様。報告によると、鋼色をしているドラゴンの様で、性格は凶暴な上に獰猛。獲物を見付けると逃がさない性格。なお、ドラゴンを見かけた際は、直ぐに交番にお知らせ下さい……どうだ?ヘンドブリックは、この辺の地名だ。行こうと思えば幾らでも行けるのではないか?」
瞬く間に四人の目が光り輝く。マリーが言った。
「ド、ドラゴン!お会いしとうございますわ!」
アイラがマリーと意気投合する。
「しかも獰猛なんだって!益々気になるよね!」
滄助がくすくすと笑う。
「やっぱり別荘へ帰るのはやめにするよ!ドラゴンを見に行こう!」
ロックが魔法をかけるフリをする。
「俺の炎魔法を使って倒してやる!」
「そんな事をしたら危ないでしょ!バッカじゃないの!?」
アイラがロックに対して挑発的に言った。
「あ、もしかして。カッコいいとこ見せたいとか?」
「あー!?てめぇ本当うるせぇ!」
喧嘩している二人を他所に、宝珠花は言った。
「まぁ、行くのは行くとして……どうやって行くつもりだ?場所も余りよく分からんのに……。」
それなら、と滄助が言って、マリーが答える。
「任せて下さいまし!本家から移動用ドラゴンを拝借して参りますわ!直ぐに用意できますとも。」
それに、とマリーは新聞記事をまじまじと見ながら言った。
「鋼の獰猛なドラゴン……間違いなく肉食性の、縄張り意識が高いドラゴンですわ。肉食性のドラゴンは、自分の歯を削る為に、尖った石が多い高山地帯を好みますの。ですから、この近くで見られたのならば、近くの高い山から考えれば直ぐに分かりますわ!」
滄助が笑って言った。
「全く、初代当主様がドラゴンなだけに、否応なしに詳しいね。」
「勿論ですとも!」
にっこりとスカートの裾を上げて宝珠花に言った。
「それでは、本家に連絡を入れてまいります。数十分後の到着となりますので、直ぐにご準備を。」
たたた、と走って行くマリーを横目に、滄助は宝珠花に言った。
「どうする?君も行くのかい?」
一瞬だけ足元を見ると、滄助の顔を見て言った。
「勿論だ。見聞は広い方がいいだろう?」
いたずらっぽく、軽く莫迦にする様な顔をして滄助は言った。
「ま、中身は千年以上のお婆さんだけどね……。」
「何か言ったか?その口二度と聞けぬようにしてやるぞ糞餓鬼。」
「そ、それはちょっと御遠慮頂きたいなぁ……。」
滄助と宝珠花のやり取りを見て、喧嘩をやめたアイラとロックはくすくすと笑っていた。がちゃん、とまた扉が開いてマリーが元気よく帰ってきた。
「連絡致しましたわ。ええっと……そうだ、何か飲み物を持って行った方が良う御座いますわ。軽食も。」
滄助はそれを聞いて言った。
「そうだね。それは勿論必要だな……それじゃあ、今から準備しようか。」
宝珠花が半ば呆れながら滄助に言った。
「この……さも当然そうに話が進んでいる中悪いのだが……。」
「ん?何、翠蘭?」
アイラが宝珠花の顔を覗き込む。
「授業はどうするのだ?」
滄助はもう、それはそれは屈託ない、子供の笑顔を上回った無邪気過ぎる笑顔で言った。
「サボるけど?」
「そんな顔で言われたら、いっそ清々しいな。」
「そりゃ勿論、清々しくてナンボだよ。凄いんだよね。悪行ばっかりしてるとね、正しいことが間違ってるのかと思い始めるね。」
二人の会話のうちにも、マリーとアイラとロックは準備をしている。
「私、薔薇茶を持っていきますわ!」
「それじゃあ私はクッキー持っていく!」
「え?やっぱりサンドイッチだろ?」
「ピクニックじゃないんだから……。」
その様子を見ながら、滄助は酷く耽美な笑みで宝珠花に言った。
「さァ、早くしなくちゃ置いてくよ?」
宝珠花がその表情を見て益々呆れ果てる。
「全く……!朧月夜の男共はどの時代も女誑しが多い事だ!」
ふふっ、と滄助は笑った。
「これが……移動用ドラゴン……。」
宝珠花が薄緑の小さなドラゴン、と言っても三m程もあるドラゴンだ。ロックが宝珠花に言った。
「翠蘭はドラゴンを見るのは初めてなのか?」
ぼうっとしていた宝珠花が答える。
「え、あ、あぁ。圧倒されてな……こんな生物が居るのか……。」
マリーがドラゴンを撫でながら言った。
「王都のマグノーリエでは、魔道空中部隊がドラゴンを取り入れていたりしますわ。最近は保護の為、ヘリコプターの所もありますけれど、やはりドラゴンが多いです。地方によってはドラゴンは空想上の生き物と呼ばれたりしていますから、本当に見れて良かったですわ。」
マリーは制服を着替えて、パイロットの様な服装になっている。しっかりとゴーグルもある。
「マリーって凄いよね。まだ十八なのに、もう『大型ドラゴン免許証』持ってるんだよ。」
アイラの呟きに、宝珠花は不思議そうに言った。
「その……『大型ドラゴン免許証』とは一体……?」
ロックが簡単に説明する。
「んー?この免許証があれば、大型のドラゴンに乗れるって事だよ。そうだなぁ、簡単な言い方をすると……車も乗れて、トラックも乗れる、みたいな。」
ロックの説明を聞きながら、宝珠花はこくこくと頷く。
「なるほど……勉強になるな……。」
マリーが元気よく声を上げた。
「それでは皆様!乗れますわ!」
それにね、と滄助は走ってくる先生を見ながら言った。
「厄介な先生も来たしね。ゴーグル付けて、さっさと乗っちゃおう。」
滄助の言葉が言い終わらない内に、全員がふわりと空中に舞った。先生は唖然と飛んでいるドラゴンを見ている。
「あははっ!先生のあの顔見てよ!すっごい面白いよ!」
アイラが振り返りながら言った。朝日がきらきらと輝いて、学校の反対側、雨に濡れた田舎町の赤い屋根がルビィの輝きを誇っている。白い雲へとぶつかった。
「凄いな……とっても綺麗だ……。」
滄助が余りの美しさに、思わず声が零れる。マリーを先頭に、五頭のドラゴンがあとを付いていた。びゅう、と風が頬を切る。
「綺麗だな……。」
暫く飛んでいると、マリーが大声を出して振り返って言う。
「みなさまぁぁー!高山地帯はスグそこですーー!高度を下げますのでー!しっかりと掴まってくださぁいい!」
数秒の内に、ふわっとした感覚が身体を襲う。
「うわっ……これは……。」
宝珠花が顔を顰める。綿飴の様な雲を突き抜け、山の麓のツンドラ地帯が見える。マリーは雲がかかった山を見て言った。
「あれは間違いなく居ますわね……! 」
山の霧を超えて、ドラゴンは傾斜が緩い高山地帯に着陸する。五人が降り、マリーは全員に言った。
「それでは、少し注意点を申し上げますわ。肉食の獰猛なドラゴンは、小さな音でも過敏に反応致しますわ。ですから、静かにお願いします。」
なるべく静かに山岳地帯を動き回る。
「本当にこんな所に居るのかぁ……?」
ロックの発言をアイラが咎める。
「マリーのドラゴンの力を知っててもそんな事を言えるの?絶対見つかるんだから!」
直ぐにマリーが岩陰で止まって、一行に言った。
「しぃー……静かに。居ますわ。大きいですわね……。」
五人はそっと岩陰からドラゴンを覗く。正に神話などに伝わる典型的なドラゴンで、少し違うというのならば、鋼の美しさにあった。まるで鏡の様だ。色々な方向に光が鏤められている。
「綺麗だな……。」
宝珠花は感極まって声を零す。ドラゴンは五人の声など何処吹く風、巣でのんびりしている。
「よし……それじゃあ」
帰ろうか、と滄助が言おうとした瞬間だった。遠くの方向から小さなドラゴンの声が聞こえる。アイラの顔がみるみる内に曇っていく。
「あ……あぁ、あの声は……。」
ロックがアイラの言葉を続ける。
「確か……と言うか、間違いなく移動用ドラゴンの咆哮というか……。」
宝珠花も目を細めて言った。
「そしてこのドラゴンは縄張り意識が高い……。」
「それは……かなり……ヤバいという事で良いんだね?」
「そうなりますわね、滄助……。」
「うるるるる……!!!」
途端に大きな岩が割れて、豪風を起こす。
「きゃああ!」
ロックが近くに居たマリーと悲鳴を上げたアイラを捕まえる。ただ、滄助と宝珠花は全く動じて居なかった。
「……なぁんか……。」
「そうだな。」
「これ、初めてって感じしないよね。」
くるりと滄助はマリーに言った。
「ねぇマリー!ドラゴンとの意思疎通は出来る!?」
髪を抑えてマリーは言った。
「無理ですわ!もう、暴走して言う事を聞きません!」
そして、二人は残念な感想を言い合う。
「やっぱダメだよ!記憶持ってまま転生するとか面白みない!」
「そうだな。」
宝珠花は適当に滄助の言葉に頷く。
「あーもう!絶対許さない!手始めにこのドラゴン、消してやる!」
「は?」
滄助は右手の甲の篭手を外すと、太陽の紋章が覗く。 くるりと宝珠花の方に振り向いた。
「力を貸して欲しい。ちょっと影の魔法使うだけでいいから。」
横にはタロットカードが並ぶ。
「今日は『世界』を使おう。……ねぇ、蓬莱、聞いてくれるかい?」
宝珠花は黙りこくっている。
「世の中には神様や運命や、その他諸々の世を表す言葉がある。」
滄助はくすくすと、無邪気に嗤う。
「だが、そんな物は存在しない。あるのは自分の意識と、知識たる物だけだ。それがこの世を現す。この世たらしめる証だ。」
滄助は此処に居ない誰かに言った。
「さァ!見ておけ!『大嫌いな僕』よ!この朧月夜 滄助が、お前を凌駕するその瞬間を!」
詠唱を始める。しかも二つの固有魔法。二タニタと笑って。手を右に突き出して、出すべくは彼の下僕。
「我が親愛なる深淵たる龍よ、全てを巣食いて贓物を暴け。夥しい屍を以て、世の罪は赦されん!固有魔法『深淵の魔物』!」
左に現れるは、彼の半身。
「天を統べる我が力よ、その身体をもって愚劣を示せ。妄信の信仰心となり、全ては儚さと冷酷無慙を以て美しきを成せ。固有魔法『ラプラスの魔物』!」
タイミングを見計らって、宝珠花が言った。
「常世の玉座に付く、黄泉津大神よ。晴れぬ暗闇を我が手に渡せ。その雷を持って世を暗雲へ導け。固有魔法『闇夜を濡らす鴉』。」
黒々とした光と、世を創った光がドラゴンにぶつかる。刹那、余りの魔法量の末、滄助は意識を失う。目が覚めたのは、あの光の世界。
「此処は……!」
触れる、何かが。さぁ、さァ!
「殺せ!全てを、僕を狂わせた最凶の『僕』を!」
あれ程までに魔力を使ったのに、無から滄助はナイフを取り出して、容赦なく心臓に突き立てた。ぬるぬると血が溢れる。
容赦なく、冷酷に、肉片になるまで、呪いを込めて、狂ったように。
「なっ……!」
相手の狼狽えが微かにし、かくして『創造神』は消え失せた。
ただ、『代り』は居る。きっと、彼が『彼自身』を殺す顔は見る必要が無いだろう。滄助自身も、それを知らない。
無邪気で、子供が遊ぶような顔をしていたなど、きっと知る必要は無いだろうから。
「んー……?」
「……起きたのか?」
「……そんな所かな。」
滄助は光差す保健室で目を覚ました。体を起こしながら宝珠花に言った。
「何してたの、蓬莱。」
宝珠花は横目で滄助の隣を見る。
「本を読んでいた。……あと、本名を呼ぶのは辞めもらってもいいか?」
「却下。偽名はあまり好きじゃない。……まぁ、ちゃんと空気を読んで偽名で呼んであげるよ。」
「それはお前が使われないからだろう?」
くすくすっと滄助は笑う。
「そうだね。別に実名でも、貴族の人間を使う実力のある魔法使いが居るのなら、一度見てみたいよね。」
そして滄助は付け加えた。
「君、煙草吸ってたろ……。一応僕は病人なんだが?」
優雅に微笑んで、思いっ切り宝珠花は誤魔化した。
「はぁ……あ、そうだ。他の皆は?」
「分かるだろう。反省文だ。百枚程な。」
「君も書いたのかい?」
「勿論。」
「僕は?」
「お咎め無しだ。お前が朧月夜の跡取りである事、その上ドラゴンを倒した事で学院は目をつぶった様だな。」
「あっはっは、そりゃ恐ろしい事だね。」
「棒読みじゃないか。」
滄助は思い出したかと様に言った。
「そうだ!君に話したいことがあって」
「滄助!」
後でね、と滄助は目配せすると、駆け寄ってくるマリーを見る。
「あぁ!大丈夫ですの!?身体は、怪我は!?」
必死の形相でマリーは滄助に駆け寄る。滄助は柔らかく笑顔で返した。
「大丈夫だよ、マリー。心配してくれて有難う。」
一瞬顔から表情が消えると、直ぐに笑顔になってぽろぽろと涙を流す。
「ほ、本当に良かった……そ、そうすけ……。」
アイラが泣いているマリーの様子を説明する。
「連れて行ってくれたのはマリーでしょ?私達も同罪だーってマリーに言ったんだけど、もう自責の念に駆られて駆られて……ここ数日碌に寝てないんだよ。」
滄助はマリーに言った。
「寝なくちゃ、マリー。僕の心配はその後からでも良いんだよ?」
「……。」
「マリー?」
「寝たみたいだな。」
ロックがすやすやと滄助の隣で寝ているマリーを見て言った。滄助はマリーの頭を撫でる。
「お休みなさい。良い夢を。」
滄助は悪戯っぽく三人を見る。
「ねぇ、君達は反省文を書いたんだって?」
ロックがやれやれと手を振る。
「全く、羨ましい限りだぜ。怒られないしな。」
「ふふ、良いでしょー?」
滄助は続けて言った。
「皆はどんな反省文を書いたの?」
アイラが胸を張って言った。
「私はね、取り敢えずごめんなさい感を出したよ。『残暑がきついですねー』って書き出し。後は、ドラゴンの大きさの公式を見つけたのと、射程距離での身の安全の確保の仕方、ぐらいかな?」
ロックもそれに乗る。
「俺は冒険小説みたいに書いた。直ぐに百枚超えてな、もっと書きたいって言ったら、先生に『本当に書いてますか?』って言われたんだよな。」
「あー、言われてたね。」
アイラが相槌を打った。
「だろ?それで見せたら勿論怒られたんだけど……文学の成績に入れてもらった。」
滄助は続けて問うた。
「じゃあ、マリーと翠蘭は?」
宝珠花が説明する。
「普通に……反省文を書いたが。マリーは科学的にドラゴンの論文を書いていてな、それが王立科学院に寄贈されるらしい。」
アイラが翠蘭に言った。
「まぁ、それも翠蘭のお陰だけどね。皆の反省文を全部読んで、『これは凄いから人々に見せるべきだ』って言ってね、先生や王立に掛け合って……皆の反省文を提出する事になったの。王立科学院とかに提出する手紙、とっても綺麗な字だったんだよ!」
宝珠花は表情を変えることなく座っている。
「君、そんな凄いことをしたのかい?」
宝珠花は鼻で笑った。けれど、何処か優しさを孕んだ瞳で。
「莫迦め。ただの戯れよ。」
「それで、用とは何だ?滄助よ。」
さらさらと風が草木を撫でる音がする。後者の裏側にある、爽やかな野原で、不思議に宝珠花は滄助に問うた。
「んー?君は知りたくないのかい?僕のお話を。君にも朗報だと思うよ、蓬莱。」
本名を呼んだのをすっ飛ばして、宝珠花は言った。
「ほぅ……手前が喜ぶ……一体何を言うのか気になるな?」
煌めく太陽の光を浴びながら、滄助は宝珠花の顔も見ずに言った。
「でもまぁ、言うのには代償が居る。そう言うのははっきりしたいタイプだしね。だから、お願いがあるんだ。」
面倒くさそうに宝珠花は目を細めた。
「……僕の息子達の面倒を見てほしい。君が、魔法の師匠になって。」
宝珠花は眉を潜める。
「居るのか?息子が?その歳で?」
くすくすと滄助は子供っぽく笑う。
「違うよ、未来の話。……どうしても、僕は彼等を救わなくちゃならない。」
「お前の、息子達が、か?」
やんわりと滄助は首を横に振った。
「いや……その話は良いさ。それと、これを。」
滄助は赤い平べったい瑪瑙の首飾りを宝珠花に渡した。
「僕の息子が『ラプラスの魔物』を継承したら、その次の日に出て行かせて欲しい。これを持たせて。」
宝珠花はまるで値切りをするように言った。
「まぁ、良いだろう。だが、お前のその条件では少々割に合わんのでは無いのか?」
滄助は至極面倒くさそうにため息を付いた。
「はいはい、君が言いたいのはこうでしょ?『魔力超過で死人だから、ある一定の空間に居れないのをどうにかして欲しい』でしょ!良いよ!魔法をかけてあげる!」
「良いぞ。貴様の全ての条件を呑んでやる。」
「はいはいどーも!」
まるで一本一本が翠玉の様な野原で、二人が子供の様に無邪気にはしゃいでいる。二人は、確約したのだ。栄えある未来を創る為に。
そして、全ての元凶を倒す為に。
如何でしたでしょうか。今昔も変わらない彼が居ましたね。こうやって朝 夕方に更新していきますので、宜しくお願い致します!