黒白の皇女
恐らく
その姿を見た人は誰しもそう思う筈だ。
長い黒髪に、全てを睨む黒い瞳。
城では伝説により邪推され
存在すら危うい皇女。
だけれど何かを掴んだその瞳は
絶対に希望を諦めなかった。
「…暇じゃのう。」
蓬莱 蚩尤は簡易な官服を着ながら、隠された『月影帝国』の王宮の庭で、煙草を蒸す。
「外…に、出ようか?」
蚩尤は自問自答を繰り返す。城では姉である彼女に変わって、天女と謳われた妹、夕霧が政務を仕切っている。お互いの存在をお互いが知っているが、話もしない。会って少し話す程度。それも数える程。何故こんなにも蚩尤が隔離されているのか。その答えは走って来た女官が持っていた。
「蚩尤様。移動しましょう。ご来客に御座います。」
「…了解した。」
女官は蚩尤の前に立つと、彼女を案内する。この姿は、誰にも見られてはいけない。存在が許されない。
「…此処で待機をお願いします。」
疎ましそうに蚩尤を見ると、彼女をあずま屋に置いてから女官はさっ、と消えた。
「煩わしい伝説だな。」
ゆっくりと産まれた時の伝説を思いだす。
『この帝国は繁栄を極める。何千年と、帝国に終わりは見えないだろうが、永遠は無い。数千年後、黒と白の女子が産まれる。その時にこの帝国は滅亡し、蓬莱 緑珠が封印した『世界の真理』が解放し、『千年の因縁』が解かれるだろう。』
この帝国を作った際に、朧月夜 真理とやらが発表した伝説だ。あまりの無茶苦茶に蚩尤も初めて聞いた時は恐れ戦いた。それが、まさか自分自身だと、言うことに。
「……眠い。」
あずま屋の椅子に寝転がる。そして、どうしてこの蚩尤が生きているのか。それは、表向きは『処刑』した事になっているのだ。父母の恩赦により蚩尤は死を免れ、今もこの隔離された『桃源郷』で生きている。
「……わきちが、もし、あの真実を言えば、この帝国はどうなるのだろうか。」
あの真実。それは彼女が、この帝国を作った『蓬莱 夕霧』の生まれ変わりという事だ。だけれど、意識は彼女の物、そして、記憶も朧気だ。目を細めて蚩尤は言った。
「何か第三者の手が加わった……?転生は仕組まれた物なのか?…わからんのぅ…。」
「蚩尤お姉様。」
黒髪を靡かせて、溌剌とした皇女が其処には居た。瞳は黒で、適当に結い上げている蚩尤とは別に、その相手は様々な簪で結い上げられている。
「此処に居たのね。」
蚩尤は特に動じることもなく言った。
「何用じゃ?夕霧。」
真顔で夕霧は言った。
「……別に、何でもないわ。少し最近の情勢が心配なだけよ。それだけを伝えに。」
蚩尤は煙草を吸いながら夕霧を見る。
「クーデターが起こりかけているそうよ。それに、お姉様の存在もバレている。貴族や王族にバレてしまったら、お姉様は今度こそ処刑されてしまうわよ。」
にやりと蚩尤は笑って言った。
「またそれも一興よ。人は何時か死ぬからのう。」
「…そ。」
そっけない返事をして夕霧はその場を離れた。妹の姿を見送ってから、蚩尤もその場所を離れ始める。街に出向こう。彼処が蚩尤の場所だった。庭の奥にあるボロい壊れた煉瓦を通って、王宮の裏側に出る。城下は良いのだ。仮面を被った人間が居ない。王宮には沢山の人が居る。多くは、人を陥れようとしている人間だ。城下は良い。だって、皆正直だから。渡された酒を眺めていると、直ぐ側から声が聞こえる。
「あ、透華姉ちゃんだ!」
『透華』、と言うのは彼ら、城下の人間達が付けた愛称だ。王宮に住む透けた華、という意味だそうで。
「また遊びに来てんのか?昼間っから酒呑んで…。」
「煩い。此処の酒が美味いのじゃ。」
そりゃどーも、と店内から主の声が聞こえる。また通りすがりの一人が蚩尤に声をかけた。
「よぉ、透華。今日もまた闘技場に行くのかい?」
二タニタしながら蚩尤は答えた。
「そうさなぁ……腕が立つ奴は居るのか?」
そう言えば、と他の数人が声を上げた。
「居るらしいよ。全勝無敗の奴が、今、この帝国に遊びに来てるんだって。地上人……だったかな。」
ふぅん、と蚩尤は言った。今度は蚩尤が質問する番だ。
「なぁ、城で聞いたんだが……最近クーデターが起こりかけているそうな。」
数人が、蚩尤に耳打ちした。
「何かそう言う雰囲気が高まってるみたいだね。噂によると、そんな団体も有るんだとか……。」
蚩尤は自分で聞きながらもくすりと笑って言った。
「一応皇女の身の奴にそんな事を言っても良いのか?」
ある一人が声を上げる。
「死人に口無し、だろ?」
周りの人間は呵呵大笑した。そう、こんな生活で良いのだ。本当は旅をしたい。広大な大地を見てみたり、色んな人と関わってみたい。緑珠の記憶も見たけれど、やっぱり世界を見てみたい、けれど。
「……これだけでも、充分幸せじゃな。」
くいっと酒を飲むと、蚩尤は荷物を纏めてその場を去る。
「良いか?わきちが勝ったら宴の準備だぞ?」
周りの城下の人々が、万歳をして喜んでいる。人相がバレないように、蚩尤は頭にボロ布を被って、近くの闘技場に行く。受け付けに小さな宝石を渡して、特別な道から闘技場へと入った。
「強い、のか……。」
「ええ、お強いそうですよ。」
受け付け嬢がにこにこして言った。嬢は闘技場のステージの扉を開けて蚩尤に言う。
「さぁ、存分に戦って下さいね!」
蚩尤はステージに出てフードを取った。何時もの決め台詞を言う。
「我が名は蓬莱家が長女、蓬莱 蚩尤!此処に見参した!」
相手は屈強な男だった。人を真っ二つに斬れそうな、大きな斧を持っている。そんな人間が不思議そうな顔で、蚩尤に問う。
「確か……蓬莱 蚩尤は死んだのでは……?」
そうさな、と蚩尤は妖しく笑った。
「……今のわきちの名前は、透華だ。」
そうやって、戦って、怪我をして。結局蚩尤が勝って、敵味方関係なく、皆、宴会をして、それが楽しくて。それ以上を望むという事は、それだけのリスクがある事だ。それ位、知っている。だけど、それでも、やっぱり。
「透華!呑みすぎだぞ !」
「え、あぁ…済まない、少しぼぉっとしていてな……。」
さて、と蚩尤は立ち上がる。
「わきちは行く。少し用があるからのう。」
ええーっ、と言う落胆の声と同時に、蚩尤に向かって叫ぶ奴も居る。
「道端で寝るなよ !」
「誰が寝るか !」
「道端で吐くなよ !」
「酒は強い方じゃ !」
そうやって微笑みながら、蚩尤はその場を後にした。ああ言う宴会も楽しい。だけど静かに誰かと話すのも楽しい。その誰かは、この帝国一の時計台に居た。かんかんかんかん、と響く自分の足音を聞きながら、時計台の主が居る場所へ言った。青色の月が時計台を照らす。
「主殿。」
皺が深く刻まれた老人の顔が、蚩尤に向いた。
「……おやおや、またこんな夜更けまで遊んでいたのかな?」
「ええ、そうですとも。」
冷たい夜風を浴びながら、蚩尤は老人に問うた。
「最近、クーデターの噂が」
「今日じゃ。」
蚩尤の一言に老人は食い気味に言った。
「今日、決行される。それのせいでこの国は滅びるじゃろう。」
何とか感情を抑えながら、蚩尤は老人に聞く。
「それは…伝説のせいで…?」
老人は優しく蚩尤に言う。
「そうでは無いだろう。……恐らく真理は終わらせたかったのじゃ。」
「終わらせたかった、とは?」
不思議そうに蚩尤は老人に言った。
「この国は…もし、クーデターが無ければ永遠に繁栄するだろう。だが…全てには終わりが無くてはならん。」
最近では、と老人は言った。
「不老不死の妙薬が作られたそうな。それは神に対する冒涜じゃ。」
老人は訂正した。
「いや……神は…案外思っているのと違うかもしれんなぁ…。」
蚩尤はくすくすと笑った。
「何でも答えられる主殿でも、詰まる事が有るのですね。」
月を見上げながら老人は言った。
「そりゃあ、人間じゃからな。」
至極真剣そうな顔をして、蚩尤は老人に言った。
「主殿は……どうなさるおつもりなのでしょうか。」
老人は髭を触りながら言った。
「そうさなぁ……この地と共に、この時計台と共に、朽ちようと思う。これは建国当時からある物じゃからなぁ。」
蚩尤は老人に質問した。
「……決行される時間は、一体何時なのでしょう?」
時計も見ずに、老人は言った。
「2時間後の7時じゃ。早い者はもう国外へと逃げている者も居る。」
もし、と蚩尤が考えを述べる。
「手前が王に密告すれば、全て終わるでしょうか?」
「無理だと思うのう。あの……政務を仕切っている夕霧が、あまり政治の事を分かってはいまい。」
蚩尤はその場をゆっくりと立つ。
「……それじゃあ、今夜が主殿と話すのが最後の日なのですね。」
随分と落ち着いた口調で老人は言った。
「そうなるのう……懐かしい、あの日々。城下で遊んだあの日々に、もう1度戻りたい……。」
そんな老人の懇願を、悲しく蚩尤は聞きながらも、その場を去った。別れも言わずに。いや、それで正しかったのかもしれない。もし、別れなんて言ってしまえば、そのまま死んで仕舞いそうな勢いだったから。蚩尤は王宮に戻ろうとして、誰か分からぬ人間に手を引かれる。蚩尤は殺気を出して問うた。
「何者だ?」
懐かしい声が響いた。
「良かった!透華お姉ちゃん無事だった!早く来て!」
顔馴染みの城下の子供が、蚩尤を自分の家に入れた。そっと小さな窓を覗きながら、蚩尤を地下へと招く。
「良かった……本当に良かった……。」
安堵している子供に、蚩尤は不思議そうに尋ねた。
「一体どうしたんじゃ?こんな夜更けに……。」
少し焦りながら、でも何とか平静を保ちながら子供は言った。
「あのね、落ち着いて聞いてね。クーデターが決行される時間が、早くなったんだ。」
蚩尤は目を見開く。子供は続けた。
「あと十分で全てが始まるんだ。手始めに、この家が爆破されて、帝国軍との戦いが始まる。人の悲鳴が沢山聞こえたら、蚩尤姉ちゃんは逃げて。」
蚩尤は子供の手を握って言った。
「待て。お前はどうするつもりじゃ?」
子供はさも申し訳なさそうに言った。
「僕達は地上に逃げる。……ゴメンね、透華姉ちゃんを連れて行ける船が無いんだ。だから、せめてもの救いで……。」
蚩尤はそれを聞いて、にっこりと笑った。
「そうか、こんな危険な所まで…さぁ、早く行け。巻き添えになったら済まされんからな。」
子供は地上へかけていく。あと十分、何が出来るだろうか。地下、と言っても狭いが、何か手に入るものなら手を付けよう。食べ物、食料品は必要だ。日持ちするものを選んで鞄に詰める。武器、これも必要だ。一応身を守れる力はあるが、有るに越したことは無い。
「こんな物か……。」
どがん、と地上から音がして、地下が揺れる。出るなと言われたけれど、それでも、家族に会いたい。
「うぅ…あぁ、あ!」
何故だか涙が流れて来て、自己満足だって知ってる。知ってるけれど!
「…会いたい…!お父様、お母様……!」
裏道から何とか入って、高い位置にある『桃源郷』から帝国を見ると、其処は火の海だった。
「な…何だこれは……。」
遠くからも、怒声が聞こえる。何とか目に映る火を消して、王宮へと足を踏み入れると、誰も蚩尤に目をやらない。政務室へ、そうすれば、夕霧は居るから。扉を開けた瞬間、蚩尤は叫んだ。
「夕霧!」
黒髪の、自分と瓜二つ……と言うには、少し違う相手を見る。
「あら、生きていたのね。お姉様。もしかして命乞いかしら?」
「する訳無いだろう。」
夕霧の異様な雰囲気に、蚩尤は目を見張って言った。
「……貴様、何をするつもりだ!」
勿体ぶって夕霧は言った。
「お姉様には関係無い話だわ。私は末永く生きるのよ。またこの国を作り直す。」
夕霧は目を苦痛に歪めて言った。
「貴様正気か!?こんな風になっているのは、この国が全ての許容量を超えているからだと、何故わからない!?ここまで来たのなら、もう何も変わらないという事に!どうして気付けない!?全てが己の過ちだったと、何故認めない!?」
嫌悪感に苛まれた顔を、夕霧は蚩尤に向けた。
「煩い!黙れ!私の姉だから、力を沢山持ってるからって、上から目線しないで!私は、この国の女帝になるのよ!」
一瞬呆気に取られた顔を蚩尤はしたが、諦めきった様にその場を離れた。目指す場所は一つ、王族が逃げる場所だ。崩れゆく時計台を大きな窓から見て、どんどん足を早める。
「お父様!お母様!」
空中船の近く、2人の男女が蚩尤を見た。2人とも蚩尤に近寄った。
「良かった。無事だったんだね。」
伏せ目がちに蚩尤は言った。
「夕霧は一体何をするつもりなのでしょう。」
母親が俯いて言った。
「彼女は……新しい国を作ると、千年後に新しい国を作ると、言って聞かないのです。ですから……。」
父親が蚩尤の手を握って言った。
「頼む。彼奴を止めてやってくれ。今じゃなくて良い。取り敢えず逃げよう。」
何とか空中船に沢山の人間が乗る。雲を突き抜けて、燃えている城と、城下。音を立てて蚩尤の何かが壊れた。
「あ…あぁ、わきちの、わきちの…。」
ボロボロと涙が零れ落ちた時だった。がぎん、と空中船の軋む音がする。
「おい、何が起こったんだ!」
空中船のうちの一人が声を上げた。操縦士が返す。
「低空飛行が出来ないんです!飛べなくなっている!爆発する!落ちます!皆様何かに掴んで!」
ばりばりと前が爆発し、破片が大量に舞う。
( そうか、わきちは、こんな所で……。)
「死ぬのか。」
その瞬間、轟音が耳を裂いた。
「…う…ん…。」
蚩尤は目を覚ます。木漏れ日の中、下は冷たい土だ。ずっとこうしていたい。だが、そういう訳もいかない。ふと、周りを見渡すと空中船の残骸が散らばっている。手を見ると、少し土が付いている。それだけ。立ち上がって、状況を確認して、蚩尤は呟いた。
「…わきちだけが…生き残ったのか……?」
しかし、良く見ると、そういう訳では無いようで。
「……いや、全員死んだのか。」
蚩尤の足元には、『蚩尤の死体』があった。心臓付近に大きな破片が刺さって絶命している様だ。
「まさか自分の死体を見るとはな。」
蚩尤は何処か疲れていた。国から逃げて、妹は戯言を言う。蚩尤は手を透かして言った。
「ははッ…幽霊でも無いのか…。」
『魔力超過』
良く聞いた話だった。普通の人間の中に潜んでいる魔力の倍。いや、何千倍の魔力が眠っている事を言い、死んでも肉体は滅ばない。唯一死ぬ条件は、体の中にある魔力を全て開放する事。しかし、只でさえ魔力の量が多い為、何をしても死ぬ事は不可能に近い。
「こんな力だったら……夕霧にやったのに……。」
とぼとぼと歩き始める。だが、蚩尤の行動は早かった。魔法で、一人で住むには余りにも大き過ぎる家を建てて、料理は魔法で作って、近くの大きな街で、ありとあらゆる本を買う。死ぬ方法を探していたのに、何故か知識を得る事が楽しくなっていた。
「……朧月夜か……。」
ふと、大昔の話を思い出す。何時の間にか年月は千年近く過ぎていた。人と関わらないから、別れる寂しさも無い。話したいと思ったら、昔の賢者をこの世に召還すると良い。そんな年月が流れようとも、崩れた城下とその三文字の苗字だけは忘れられなかった。
「朧月夜の家、か……どんな人間が居るのだろうか…。」
賢いのだろうか。分からない。会ってみたい。時間は有り余る程ある。そんな考え事をして、軽装で街へと向かっていた時だった。辺り一面、血の場所がある。
「……何事だ…?」
「やめて!殺さないでくれ!」
「うるせぇ!さっさと中のヤツもやれ!」
びりびりと伝わる怯えと殺気を蚩尤は感じて、高く跳躍して軽く男達を倒す。開けっ放しにされた木製の血だらけの馬車を覗くと、奥から声が聞こえる。
「…だれ?」
しゃりん、と枷の音がして、蚩尤はそれを魔法で外す。
「手前は此処の近くに住んでいる者だ。」
そっとその少女を表に出した。太陽よりも赤い髪の毛は、血で汚れていて、服はボロ布、目は怯えと恐怖と殺気で溢れかえっていた。
「……おマイさんの名前は何と言う?」
蚩尤の手を掴んで、少女は言った。
「…キリア。キリタンニリア・リクツリアゼン。育てられてたけど、親が死んで色んなとこを点々としていて…売られて、襲われて、殺されかけた。」
蚩尤は少し考えると、笑顔でキリアに言った。
「おマイさん、家事は出来るか?」
こくりとキリアが頷いた。少しだけ、微笑む。
「……付いていく。」
そうか、と蚩尤は笑う。
「ならば今日の買い物は無しだな。」
微笑んだ2人が、我が家へと帰って行った。