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紺野相談室  作者: 烏丸レイア
はじめての仕事
3/3

受け入れがたい現実

紺野に連絡先を教え、千鶴が帰って行った。彼女を見送ったドアが閉まる。

ふう……と守は思わずため息をつくと、さっきまで必死に取っていたメモに目を落とした。


荻原千鶴、千歳くらい、人魚の肉、夫だけ死ぬのが辛い、などなど。最後の「死ぬ方法探し」という言葉には、分かりやすくアンダーラインが引いてある。


……我ながら、小説の内容でもメモしたのかと思うほど、現実味のない言葉ばかりだ。

今でも、頭がふわふわしている。千鶴が来ていたあの時間は、本当に現実だったのだろうか。

もしかしたらあれは全部夢で、本当の僕はまだベッドに寝ているんじゃ……


「おい」


……などという淡い期待は、紺野の掛け声によって掻き消えた。


「何をぼさっとしてんだ」

「……いえ」


顔を上げれば紺野の顔。

ああ、やはりここは夢の世界ではないらしい。

幻滅する守の心を読んだように、紺野が「夢だとでも思ったか」などとだめ押しするから、守は余計に幻滅した。


「あの……どういうことなんですか」


二人ソファに戻り、紺野にメモを手渡しながら、守は聞いた。


「何が」

「いや、何がって……」


眠たそうにメモに目を通す紺野に、片眉を上げる。

何がって。

わざとはぐらかすようなことを言う彼に、守は腹が立ってきた。

こっちは何も分かっていないというのに。いきなりこんな信じられないような話を聞かされて、正直、もう精神はぎりぎりだというのに。


「全部ですよ。こんな山奥で急に雇われたかと思えば、千年生きてるなんて言う若い女の人が来るし。しかも、自分を殺してくれなんて相談。僕には……意味が分かりません」

「そのうち慣れるって」

「慣れる? こんなおとぎ話みたいなことが起こってるのにですか?」

「そうだ」

「こんな、得体の知れないこと……危険だって、あるんでしょう」

「……あることも、あるな」

「…なっ……そんな…そんなことに……、」


『僕を巻き込むなんて』。

そんな言葉が喉まで出かかって、止まった。紺野がぬらりと顔を上げ、こちらを捉えたからであった。

紺野の目が、先ほどと同じように眠たそうであるのに、射るように冷たく強い威圧感を放っている。


………怖い。


「たとえ意味が分からなくても、そこに困っている『もの』がいるのは事実だ」

「……でも…」

「いいか、この世にいるのはただの人間や動物だけじゃないんだ。最初に言わなかったのは悪いと思うが、その事実は変わらない。そういうやつらと関わるのが嫌なら、助手をやめてこの山を一人で下りてもいいが」

「…………」

「お前にそれができるのか。できたところで、この先どうすればいいのかも分からないくせに」

「…っ…なんで、それを……!!」


守はぎりりと歯を噛み締めた。

そうだ。この山の中から無事に帰れたとて、守にはもう、家も金もないのだ。


「あんなナリして、ここに数日いても何ともなさそうなお前見てりゃ、そんなことすぐに分かる」

「………!!」


正論だ。

守は何も言い返せずに、押し黙った。

守がもう何も言えないと見て取ったのか、紺野がメモに視線を戻し、


「……分かったら少し頭を冷やして来い」

「…………」


………ああ、もう。

こんな所、出て行ってやる。出て行ってやるからな…………!


守はすっくと立ち上がる。

そしてそのまま早足で玄関に向かい、ばたんと扉を閉めて、外へ出たのであった。


*****


「意味が分からない、ね……」


紺野は一人、呟く。

とりあえず、書斎にある八百比丘尼について触れていそうな文献を探し出し、ソファでそれに目を通していたのだった。


ありゃ、だいぶ怒っていたな。

あのようなことを目の当たりにして、すんなりと受け入れられる人間など、そうそういないだろうから、無理もないけれど。


『相談者が来る。そいつらの悩みを解決するのが仕事だ。お前は、その手伝いをしてくれればいい』


守にした仕事の説明といえばこれくらいである。

確かに、最初からきちんと説明しなかったのは悪かったのかも知れない。

しかし、初めから『人間でないものが来るから〜』などと説明したところで、信じてくれたのか。

……甚だ疑問だ。


だから紺野は、あえてあまり説明しなかったのだ。


「………」


ちらり、時計に目をやった。

16時40分過ぎ。11月も中頃の時分、そろそろ日が暮れてくる頃だ。


守が飛び出して行ったのは、何時頃だったか。

千鶴が去ってからすぐ、まだ明るかったはずであるから、15時半くらいであったろうか。


「…一時間ちょっと……か」


守はまだ、この山の勝手が分からないだろう。これだけ戻って来ないということは、迷っている可能性も……なくは、ない。ここは山の浅いところでもないから、運が良くない限り、勝手を知っていないと下りられないと思う。


探しに行くか?


けれど、いくらこの山のことが分かるとは言っても、暗くなってから出るのは危険だ。

襲ってくるような動物だっているし、足場が見えないのでは満足に歩けない、崖を踏み外すかも知れない。


守にとっても同じことであろうが、紺野にとって、正直なところを言うと、守はまだ「赤の他人」だ。

危険を伴わない方法もないではないが、どうにも面倒である。

紺野は無駄なことを好かない。そんなやつのために、手を煩わせたくなかった。

気持ちの問題だけで言うと、「あいつがどうなろうと、俺の知ったことではない」と思っているから。


しかしーーー


「……はぁ〜あ……」


紺野は気の抜けたため息をついた。


今、守を失うのはあまりに痛手だ。

最初に見かけたときに、こいつならいけるかも知れない、と思った。

泥酔し、木にもたれかかっていた守の、あらゆるものへの諦めが色濃く浮かんだ瞳。こいつは社会に絶望していると直感した。


それに、3日間ここにいて、帰らなければという言葉が一言もなかったところを見ると、帰る理由がないのだろうと思った。

とすれば、仕事を辞めていて……もしかしたら、家すらもないのかも知れない。

心配してくれるような人間も、いないのかも知れない。


すなわちーー守はもう、何も持っていないのではないか。


そんな紺野の読みが当たっていれば、守は紺野にとって、まさに求めていた人材ということになる。


もちろん、ある程度真面目であったりとか、そういうものも大切なことだけれど。

失うものがない人間。それがこの仕事にとっては特に重要なのだと、紺野は思っているから。


「………しゃーなし、だな」


今開いている分厚い書物をばたんと閉じると机の上へ置き、腰を上げる。

探した方が、今後のために得策だ。

結局紺野は、そう判断したのだった。

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