シソウシコウ01
◇◇◇
俺が高校生活二度目の夏への期待と、期末試験を間近に控えた不安との板挟みになっている最中。
知り合いが……亡くなった。
下校の途中、自動車のスリップ事故に巻き込まれたらしい。
タイミングが悪いにも程がある。これでは期末に支障を来たす上、その先の夏休みにも悪影響が出てしまうではないか。
文句の一つも言いたいところだが、当の本人は既に耳も貸せない状態だ。
何故もう五~六十年長生きした後、家族に囲まれての大往生を迎えてはくれなかったのか。
死んだ本人にも腹が立つが、それを阻止できなかった自分自身も不甲斐無い。
彼の葬儀は、彼が住んでいた集合住宅の集会所で、事故のあった日と同じ雨の最中に執り行なわれた。
彼の家族に会ったのはこの時が初めてだった。
両親二人に妹が一人。今は他の参加者どうよう、その表情は悲しみに暮れているが、皆彼と似て温厚な顔付きをしているのが印象的だった。
葬儀の参列者が一様に視線を落す様子から、生前の彼が周囲から多くの好意を向けられていた事が伺える。
きっと彼はあの優しそうな家庭で育ち、仲の良い友人たちと普通の学園生活をおくり、つき合いたての彼女と一般的な恋愛を楽しんでいたのだろう。
だからこそ、今回のような結果を招いてしまったのかもしれないが……。
「ショウくん……」
不意に背後から声を掛けられた。
「……もう行こう」
「はい」
遺族へ向けていた視線を外し、広げた傘にパラパラと当たる雨音を聞きながら、前を進む部長の隣に並んで歩き出す。
雨音は嫌いではないのだが、今のような状況ではどうしても物悲しさを覚えてしまう。
「みんな、先行っちゃったよ」
「そうみたいですね」
いつもなら、小さな体に収まりきらないテンションを常に外側に撒き散らしているような人なのだが、今日ばかりはその様子もなりを潜め、顔には重く沈んだ表情が張り付いている。
似合わない事この上ないが、この人らしいと言えば確かにこの人らしいのだろう。
「部長も先に行ってくれて良かったんですよ」
「ううん。私も少し残りたかったし……それに私ってば部長だしね。部員を残しては行けないよ」
「……そういう事にしておきます」
どこか建前にも感じる台詞だが、この人の言うことだ、きっと両方とも本心なのだろう。
「……ねぇ、ショウくん」
「何です?」
「……ショウくんのせいじゃ、ないからね」
「分かってますよ」
この人なりの慰めなのだろうが、その発言は見当違いと言うものだ。
何故なら、この人の言っている事は単なる事実でしかない。
俺のせいじゃない。やれること、できることはやったつもりだ。
仮に文句を言われたところで、あれ以上俺たちにはどうする事も出来なかっただろう。
「ちなみに、部長のせいでもないですから」
「……うん」
少し間を置いての首肯だったが、恐らくこの人は俺よりも現状に納得してはいないだろう。
色々と軽い性格の持ち主だが、同時にウチの部では一番義理堅い人でもある。
恐らくは今回も、そう親しくもない間柄にもかかわらず、彼の死に酷く責任を感じているに違いない。
「どうして……こうなっちゃったのかな……」
「……」
その質問に、俺は敢えて口を噤んだ。
今回の結果が俺たちのせいでない以上、原因は当事者である彼本人にあったとしか言いようがない。
なにせ此方の予想が正しければ、彼が相手にしていたのは俗に言うところの“運命”だ。
そんな理不尽の代表格みたいな輩を相手に、俺たちみたいな人間がまともに太刀打ちできる筈がないのだ。
亡くなってしまった彼には悪いが、やれる事を全てやった後に見殺しにするより、今回のように唐突に逝ってくれた方が、残された側としてはまだ気は楽というものだろう。
だが、そう説明したところで、この人が納得するとは思えない。
寧ろ救える可能性がほんの少しでも残っていた分、それを実行することの出来なかった自分に今以上の責任を感じてしまうだろう。
なので俺は、今回の件を詳しくこの人に説明する心算はない。真実が闇の中だと言うのなら、わざわざその中身を覗く必要はないのだ。
そもそも、この世の中には未だ明らかにならないモノの方が多い。
知りたいとは思っても分からないまま、ただモンモンとしていた方が、ある意味普通の人間としては正常な在り方と言える。
我らが“〈超常現象認定部(仮)〉”の部長として、その辺は是非しっかりとして頂たいものだ。
「雨、止まないね……」
「そうですね」
雨の音と互いの足音を聞きながら、俺達は並んで濡れた歩道を進む。
さっきも言ったが、雨音は嫌いではない。
濁った背景と響く雨音の中に居ると、色々な物を見ずに済むのだ。
仮に何かを見逃したところで、雨のせいにすることができる。
……特に、俺の場合は。
「あ、あのっ!」
だからだろう。声を掛けられるまで、彼女の接近に気が付かなかったのは。
「貴方たち、〈超常部〉の人、よね?」
声を掛けてきたのは亡くなった彼と付き合っていた女性――〈藤野 (わかな)〉さんだった。
雨だと言うのに傘も差さず、息を切らせて俺たちの事を見詰めている。
恐らく俺たちの存在に気が付き、葬儀の会場から慌てて追って来たのだろう。
「貴方たちなら、知ってるんじゃない?」
何とも唐突な物言いであったが、俺たちは彼女に「何を」とは聞き返さなかった。
彼女が一体何を知りたがっているのか、半分以上は予想できたからだ。
「部長、先行っててください」
「でも……」
「良いですから。部長じゃ上手く説明できないでしょうし。ほら、行ってください」
「……分かった」
渋々といった様子ではあったが、俺が軽く背中を押すと、部長は素直に引き下がってくれた。
責任感の強い人だが、自分が説明下手である事を自覚している分、その辺りはまだ扱いやすい。
それにこの人に説明させた場合、下手をすると全ての責任を一人で背負い、自分を悪役に仕立て上げてしまうかもしれない。
そのような権利はこの人には一切無いので、それなら代わりに俺が説明したほうがまだマシと言うものだろう。
俺も決して説明が上手い訳ではないが、俺みたいな姑息な奴は、自分を悪者にするような真似はしないのだ。
「皆には私から言っておくね」
「はい。宜しくお願いします」
部長と別れると、俺と藤野さんは一緒に近くのコーヒーショップへと入った。
この手の店には一度も入ったことの無い俺だが、なかなか小洒落ていて雰囲気の良い店だと言うことは分かった。
濃いコーヒーの香りと空調の効いた店内の空気が、雨で湿った肌をヒヤリと撫で付ける。
「好きな物頼んで。奢るわ。こっちが誘ったんだし」
その申し出は大変有難いのだが、実は自分コーヒーは苦手だったりする。
じゃあこんな店入るなと言われそうなものだが、行き先は藤野さんにお任せで、その後にホイホイ付いてきてしまった結果がこれである。
コーヒーショップに入った以上、矢張りコーヒーを注文しなければいけないのか?
もういっそお冷だけで粘ろうかと考えていると、お品書きの中には普通にジュースの類もあった。
無難に炭酸飲料を頼んで事なきを得たが、この店に充満したコーヒーの香りを嗅ぎながらの炭酸というのも、それはそれでミスマッチではなかろうか?
他人に聞かせるような話でもないので、俺たちは人気の無い隅のテーブルを選んで席に着くと、それぞれの飲み物が来た時点で改めてお互いの自己紹介をする流れとなった。
「初めまして――とは言っても、たぶん私の事は知っているのよね?」
「ええまぁ、一応は」
「そう……私は藤野 若菜。東高の三年よ」
此方が自分のことを知っていると分かっていて、それでも名乗って来るあたり、この人も随分と律儀な人だ。
「俺は西高の二年で〈音無 鐘護〉って言います。それで、たぶん分かっているでしょうが〈超常部〉の部員です」
「やっぱりそうなのね」
そこで彼女の表情が若干沈んだものになる。一体何を考えているのやら……。
「ねぇ、聞かせてくれない? 生前の彼に、一体何があったのか」
すると、藤野さんが早速話を切り出してきた。
「“生前”……ですか」
「なに?」
「いえ。話すのは別に吝かじゃないんです。ですがその前に、貴女の恋人――亡くなった〈須藤 幸治〉さんについて、少しお話しを聞かせて頂けませんか?」
「何故? 尋ねたのは私の方なんだけど」
「別に彼の事を一から十まで聞きたい訳じゃないんです。あえて言うなら“十”の部分――俺たちの知らない彼の“死際”の様子。少しだけでも聞かせもらえませんか?」
俺がそう言うと、藤野さんの眉間にハッキリとした皺が浮かぶ。明らかに不愉快という感情がにじみ出ている。
嫌だなぁ。自分を悪役にするつもりはないが、これは聞いておかなきゃいけない事だ。
でないと、こっちも何処まで話して良いのか判断に困ってしまう。
「……貴方、ただの興味本意じゃないでしょうね?」
「いいえ。別にスプラッタな内容の話を聞きたい訳じゃないんです。言ったでしょう、“死際”って。もっと具体的に言うと、彼が事故に巻き込まれる直前、“彼が貴女にどんな態度をとったのか”――ソレを聞かせて貰いたいんですよ」
「っ!」
瞬間、藤野がハッと息を呑んだ。
ある程度予想していた事とはいえ、何かがあったと公言しているようなものである。
「彼、下校中に事故にあったんでしょう? たぶん恋人の貴女と一緒に帰っていたでしょうし。こっちの予想が正しければ、彼が貴女に何も言わなかった――あるいは何もしなかったとは、少し考え辛いんですよ」
「……それを話せば、あなたも彼について教えてくれるの?」
「まぁ、俺が話せる範囲であれば……」
すると藤野さんは顔を伏せ、暫くの間押し黙してしまう。
俺としては特に慌てる理由もないので、グラスに刺さったストローに吸付きながら、彼女が話し出すのを静かに待つことにする。
「……幸治と付き合い始めたのは、今年の春先――」
やがて顔を伏せたまま、藤野さんがポツリポツリと口を開き始めた。
「以前からお互い意識はしていたけど、ちゃんと付き合うようになるまで、随分と時間が掛かったわ」
「ああ。確か幼馴染でしたっけ?」
「ええ……」
どうやら話してくれる気にはなったらしい。
だが、二人が付き合うように成った馴れ初めとか、そこまでプライベートな内容は求めていないのだが……。
「同年代とは思えないくらい優しい人で、何時も私を気遣ってくれて、ちゃんと正面から受けとめてくれて……」
「はぁ……」
どうしよう。まさかこのまま惚気話が始まってしまうのだろうか?
彼女いない暦イコール年齢の俺にとっては、かなり上位の苦行でしかない……。
「でも……“あの時”は違ったわ」
「ふ?」
早くも欠伸が出掛かったところで、藤野さんの声の様子が変化した。
「初めて見た、幸治の、あんな顔……」
「えぇっと、事故の時の話ですか?」
「ええ……貴方が言った通り、あの時、私と幸治は一緒にいたのよ」
どうやら、ここからが話の本筋らしい。
「あの日も、私と幸治は二人で帰ってたわ。でもあの時は、何故か突然拒絶されたの」
「“拒絶”ですか」
「繋いでいた手をイキナリ払われて、突然駆け出して。「近づくな」とか、「こっちに来るな」とか言われて」
言いながら、藤野さんの顔が悲痛に歪んで行く。
「そんなこと、今まで言われたことなかったから、私ビックリして……幸治の顔付きも怖くて、でも凄く辛そうで、悲しそうで……そうしたら、横合いから突然車が飛び出してきて――」
「ああ、もう良いです。ありがとうございました」
俺は慌てて彼女の語りを制した。
こっちの知りたい事は聞けたが、トラウマまで共有するつもりはない。
危うくスプラッタな内容まで聞かされるところだった。
「もう十分です。すみません、嫌なことを思い出させてしまって」
「……いえ、こっちこそごめんなさい。少し、余計な事まで喋ったみたい……それで、今ので良かったのかしら?」
「ええ、問題ないです」
成る程。案の定というか、大方は此方の予想通りだったという訳だ。
幸治さんらしいといえばらしい。
人の為に自分を犠牲にして、自分の為に人の犠牲を望まなかった。
その結果がコレなのだから、本当にあの人には普通の生活は向いていなかったのだろう。
「なら教えて、幸治のこと。彼、二~三ヶ月くらい前から何か様子がおかしくて。最近になって聞いたの、その……あなた達、〈超常部〉の世話になった、って」
「成る程。つまり藤野さんは、幸治さんの様子がおかしくなった原因が、俺たちにあると思ってる訳ですね?」
「えっと……」
「ああ、別に気にしてませんよ。ウチって名前からして怪しさがカンストしているような部活なんで。気持ちはわかりますから」
あからさまに居心地の悪そうな顔をされた。それはそうだろう。
まだ明るい時間帯で店の中とはいえ、我が事ながらこんな胡散臭い男と二人きりに成りたいとか、その手の趣味でも無い限り年頃の女性はまず思わないだろう。
だが逆に言えば、今の彼女はそんな俺と二人きりに成っても、恋人の事情を知りたいと思っている。
危ないなぁ。俺が極悪非道の殺人鬼だったらどうする積もりだったのだろうか?
前回の時といい今回といい、この人はもう少し警戒心を持った方が良い。
事実そのせいで前に一名ほど、重傷者が発生しているのだから。
「まぁ簡潔に言ってしまうと、貴女の言う幸治さんの様子がおかしくなった原因に、俺たちは直接的には関与していません」
さて、此方が知りたかった話は聞けた。
そして、この人が俺に何を聞きたがっているのかも、大方は此方の予想通りと言って良い。
「それ、どういう意味?」
「それをこれからお話しようと思うんですが――」
つまり藤野さんは、恋人である幸治さんが最後にとった行動の意味が、“あれだけ分かり易いにも関わらず”、未だ理解できていないのだ。
「その前に。ちょっとコレ持ってもらっていいですか?」
「なにコレ、さいころ?」
そう言って俺が取り出したのは、何処にでもある普通の六面ダイス。
俺はソレを藤野さんに手渡すと、テーブルにある品書きを自分の前に置き、ダイスが見えないよう衝立の代わりにする。
「じゃあ、そのダイスの好きな面を上にして、この品書きの前に置いて下さい。あ、もちろん俺には見えないように」
「……何のつもり?」
藤野さんの俺を見る目付きが、ますます胡散臭いものに成る。
仕方ない事とはいえ、出来る事ならそんな目で見ないで頂たい。此方はいたって真剣なのだ。
これからする話の内容は、こうしてある程度段階を踏みながらした方が良いというのが、今迄の実体験から得た俺の教訓である。
「まぁそう警戒しないで下さい。これが済んだら、ちゃんとお話しますんで」
「……はい。これで良いいの?」
此方を訝しみながらも、藤野さんは此方の言う事に従ってくれた。
人が良いと言うよりは、きっと幸治さんの事を知りたい一心なのだろう。
そう考えると、この人が最初に声を掛けた相手が俺で良かったと思う。
きっと今の彼女なら、幸治さんの話を引き合いに出すだけで、どんな詐欺にも簡単に引っ掛かってしまうかもしれない。
「……“二”ですね」
目の前の品書きを退かすと、置かれたダイスは確かに二の面が上になっていた。
「どうです?」
「どうって……ただの手品でしょう」
まぁ当然の反応だ。俺もここで拍手喝采が巻き起こるとは微塵も思っていない。
まだ幼い子供ならともかく、今日びこの程度のお遊びで高校生が喜ぶ筈もない。
「でも、少しは不思議に思いませんでしたか? どんな種や仕掛けがあるのか、気に成りませんでした?」
「……それは、まぁ、少しなら……」
「十分です」
そう、それで十分だ。
“少し不思議”――今はその程度で構わない。
「ねぇ。さっきから一体何なの? そのサイコロ、彼と何か関係があるの?」
「藤野 若菜さん」
彼女の疑問には答えず、俺は彼女の瞳を正面から真っ直ぐに見据えた。
同時に、彼女の瞳に若干の緊張が奔る。
「な、何よ?」
「これは俺個人の判断に成りますが、貴女になら幸治さんの事情を知る権利はあると思います」
まぁ他の部員の中には、教えない方が良いと言う奴もいるかもしれない。
「だから貴女には、幸治さんが一体何に悩んでいたのかを、これからお話します」
だが、俺は先ほど部長から直々にこの人への説明を任された身だ。なので、この場は俺の好きにさせて貰うことにする。
それにこのままでは、余りに幸治さんが不憫というものだろう。
「ですが、これから俺の話す内容を信じるか信じないかは、貴女の判断にお任せします」
なんと言ってもこの藤野 若菜さんは、故人であり恋人である須藤 幸治さんに、“幾度も命を救われているのだから”。
「それって……いえ。分かったわ」
すると藤野さんは姿勢を正し、その顔付きを引き締めた。
本当に律儀な人だ。これから俺の語る話の内容をちゃんと信じて貰えるのか、今から不安で仕方がない。
「それじゃあ、順を追って説明した方が良いでしょうね」
だが、そこを俺が気にしてもしょうがない。
だからこそ初めに、判断は任せると前置きまでしたのだ。
「俺たち〈超常部〉が幸治さんと初めて出会ったのは、ちょうど今年の春先のことでした――」