理不尽な足
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私があの巨大で、不可解な“足”を見たのは、まだ幼い──保育園卒業まじか──の時だった。齢でいうならば、六歳か七歳の頃だ。
住んでいた地域が都会から離れた場所、いってしまえば田舎だったこともあるのだろう。道路には生き物の轢死体がたくさんあった。今思うに、本当に車で引かれたのかどうかは、定かではない。
私は女の子にしては活発──いってしまえば、ヤンチャ娘だった。
幼い頃は四六時中、外にでて遊んでいたものだ。
ある日のこと、私は道路に蛙を見つけた。少し大きめの蛙だ。もしかしたら、牛蛙だったのかもしれない。
その道路は、小学校の前を通る道路だった。近くの公園よりも設備は整っており、格好の遊び場だった。その小学校の敷地内にある池の中に、その蛙は住んでいたのだろう。
私は驚き、好奇心旺盛だったために、蛙に向かって駈け出した。
その時だ。蛙にふっと、影がさした。蛙をらくらくと覆って、なおあまりある巨大な影だった。
電柱や家のように、どこかに繋がっているわけでもない。
なので幼い私は、なにかが落ちてくる、そう思ったのだろう。足を止めて、蛙の上を見た。
その時は、特に怖がるわけでもなく、ただ驚いて唖然としたのを覚えている。強烈な記憶だ。
足首までしか無い“足”が、空に浮かんでいたのだ。
その足は黄色を汚くしたような、不潔な茶色をしていた。毛は一切生えておらず、のっぺらとした不気味さがあった。
それはほんの少しだけ、上にゆらりと揺れて、勢いよく振り下ろされる。
残ったのは、特に代わり映えもない夏真っ盛りの道路と、轢死体そっくりの蛙だけだった。
それからも、私はたびたび“足”を見た。
様々な所に現れ、どう考えても可怪しいと思うような時は、自然とあの“足”がヤったんだとわかった。
特にそれが顕著だったのは、学校の飼育小屋で飼われていた鶏と兎だ。あの狭い小屋の中で、二、三匹まとめて一気に潰す事ができる人間なんて、とても信じられない。結局、変質者ということで終わった。
“足”は、鶏、兎、犬、鳶──と潰す生き物を、段々と大きくしていった。
鳶の時は強烈で、影がさしたと思ったら、鳶が空から落ちてきたのだ。
グラウンドを走っていた私の目の前で、鳶は砂を烟らせて、真っ赤な花を咲かした。
周りはみんな、「何かにぶつかったのか?」、「日射病?」、など口々に囁き合っていた。けれど、どう考えても自由落下でここまで潰れるとは、とても思えない有り様だった。
あの“足”が、私にしか見えない。そのことに気付いたのは、この時だ。
私が小学校を上がり、中学、高校とたっても、“足”は私を驚かせた。
彼氏がたった一人しか出来なかったのも、“足”のせいかもしれない。
生涯たった一人の彼氏は、それはもう無残なものだった。
どんな田舎にも、ある程度発展している所はあるもので、私の住んでいる所も同じだった。
県の名をとった駅の周りは、そこそこ都会じみていて、中高生のデートスポットといえば、駅周辺を回ることだった。
まだ初なせいか、私たちは手をつなぐ程度で、歩く時の距離もそんな近くはなかった。
歩いていると、ふと影がさして、私は空を見上げた。
案の定、歩道側にあるビルの上には、“足”があった。
デートの時に現れるなんて、そう思い少し苛立った。
私は憤然たる顔をしていたのだろう。彼は不安そうな顔をして、私に声をかけてきた。
その時だ、上から「いてぇ!」という声が聞こえたのは。
声の主はビルの屋上で、作業をしていた作業員の声だった。私がそちらへ、ほんの少し意識を向けた途端、彼は圧死体になっていた。
なんの因果か、鉄骨が落ちてきたのだ。「え?」、と私は声を上げて、気を失ったのだろう。気付いたら家族に付き添われ、車の中だった。
後日、ニュースでは会社の管理不届きということで報道されていた。作業員の男性は、「何者かに足を踏まれた」といっていたそうだ。
私は疲れきった頭で、「“足”も失敗することがあるんだ」と、変なことを考えていたのを覚えている。
今思うに、別にあれは失敗というわけではないのだろう。
“足”は理解っていたのだ。人を無闇に潰すと、さすがに怪しまれると。
なぜなら、それからも似たような事件はおきたからだ。
鍵をさしたまま外へ出たトラックのペダルを踏み潰し、コンビニへ突撃させる。トラックは、私の目の前でガラスを突き破り、カウンターへ突っ込んでいった。店員と並んでいた幼い少女と母親は、トラックへ呑み込まれ、漏れでたガソリンは引火し、コンビニは火に包まれた。犠牲者は、十数人に及んだという。
存外、頭はいいのかもしれない。
しかし、二度も凄惨な事故に遭遇した私は、家族の厚意で家族旅行へ行くことになった。
けれど、なぜか向かったのは都心だ。普通は心の療養といったら、大自然の避暑地なのではないか。そう思ったけれど、常が大自然みたいなものなのだから、気分転換ならば都会が適しているのかもしれない。
関越自動車道を、父親はなかなかのスピードで走っていた。
助手席には母親が、心配そうな声をあげていたけれど、父親は聞く耳を持たなかった。
私はそれを、傍らに積まれた荷物に体を預けながら、ボンヤリと眺めていた。
窓の外は霧で、真っ白だ。
ここまで濃いのは、とても珍しいそうだ。妙に母親が心配なのも、そのせいなのだろう。
しばらく走り続け、うつらうつらとし始めた頃、父親の「うわっ」と驚く声が聞こえた。
母親の引きつった悲鳴も聞こえ、次いで車に衝撃が起こる。
どうやら、事故にあったそうだ。いわんこっちゃない。
「なんだ? 玉突き事故か?」
「だからいったじゃない! もう少し遅くしましょうって!」
「まあいいじゃないか。ブレーキ間に合って、大した怪我もないんだから」
「そうかもしれませんけど……」
そんな会話が聞こえ、またしても衝撃。
こんどは後ろからだ。後ろを見れば、車が驚くほど近くにあった。どうやら無理やり詰め込まれた荷物が、緩衝材代わりになったようだ。
その後も、続々と弱い衝撃は訪れた。
ほんの数分すれば、右を見ても左を見ても、車が乱雑に押しめき合っていて、どう見ても車を動かすことはできない有り様だ。
「──恵子! ねえ、恵子?」
「あ、なにお母さん?」
「もうボーッとして……、怪我はない?」
そう聞かれて、私は一度自分の体に視線を落とした。
特に変わったことはない。
怪我はなく、せいぜい頭をシートにぶつけた程度だ。そんなものは、怪我ともいえない。
「うん。大丈夫みたい」
「……そう、よかったぁ」
そういって、母親は息を吐きながら背もたれに深く身を沈めた。
私は自分が呪われているのではないかと、真剣に考えてしまう。そうして、なんともなしに視線を外に向ける。
すぐ隣にある車が視界に入る。
まさに大破、というに相応しい状況だ。
車のミラーはへし折れていて、ぷらりと垂れ下がっている。
その角度は丁度、私が乗る車の上を映していた。
ほんの少ししか見えず、しかも霧で真っ白だ。けれど、どこか可怪しく思えた私は、目を凝らして鏡を見つめた。
やはり、私の目は可怪しくはないようで、霧の中には不明瞭だけれど、巨大な影があった。
なにかに近似していて、私は思い出そうと躍起になって、私は見続けた。
──そうだ
そう得心が行くと同時に、急激な寒気に襲われる。背中に冷や汗がツツとたれ、動悸が鼓動を早め始める、呼吸が小刻みになっていく。
──そうだあれは
そう思った瞬間、巨大な影はゆらりと揺れて、霧の向こうからぬっと現れた。
それは“足”だった。巨大で、不可解な“足”だったのだ。
人は死ぬ間際になると“走馬灯”といって、体感時間が急激に遅くなり、今までの生涯を追憶するという。けれども、私に起こったのは、似たようで違うものだった。
私が思い出したのは、今まで見た“足”の記憶だったのだ。
蛙、鶏、兎、犬、鳶──そして、彼氏を押しつぶす鉄骨、コンビニへ突き込むトラック。
私は気付いた。
今まで不可解に思っていたことが、スルリと解けた。
“足”の裏には、顔があった。
若い男の顔だ。それはニンマリと笑って、車を見ていた。
理不尽だなぁ──そう思うと同時に、私の視界は暗転した。
◆
「──あれ?」
「どうしたの? ゆみちゃん」
小学校低学年ほどの少女は、友人との下校中に首を傾げた。
学校を出て、いきなり足を止めた友人に、もう一人の少女は訝しげな目を向ける。
「……なんかね。あそこにかがみがあるでしょー?」
そういって、少女は学校すぐ前を通る道路を指さした。その道路の中程には、割れたガラスがあった。
踏み潰されたのか粉々になっていて、沈みかけの夕日できらめいている。
友人の少女は、鏡を割った犯人の目星がついていた。
同じクラスの男子生徒だ。ヤンチャで、ガサツで、友人の少女にとっては苦手なタイプだった。
苦手に思う気持ちが一周し、友人の少女は敵意を抱いていた。
「──きっと、また男子だよ! ガラスはきけんだから、さわっちゃダメって言われているのに!」
「ううん」
憤った声で叫ぶ友人の少女だったが、少女は“違う”といった。
「あのかがみね、いきなりわれたのー」
「いきなりぃ?」
「うん……なんかねー、かげがさしたなーっておもったら、いきなりこなごなになってたの」
「かげって? どんなのだったの?」
少女は顎に手を当てて、しばし、思案に耽けた。
だんだんと首が横に傾いていき、ついには倒れそうになってしまう。
友人の少女は苦笑しながらも、頭を支えてあげた。
「そう! “足”だ!」
「……あしぃ?」
突然少女は、得心がいった! とばかりに叫ぶ。
友人の少女はわけがわからず、ポカン、と口をあけた。
「かげの形がねー、足スタンプといっしょだった!」
「それなら、たしかに足だねー」
「でもなんで、あんなところに足があったんだろ?」
「うーん……、わかんなーい!」
友人の少女がおざなりに応えると、少女は「まじめにかんがえてよー!」、と追いかける。
そのまま楽しげに笑いあいながら、少女たちは家へ帰っていった。
少女たちは気付かなかった。割れた鏡の向こう側。若い男の顔が、ジーッと彼女たちを見つめていたことに──
◆
この地域では不思議なことが、たびたび起こっていた。
定期的に“変質者”が出るのだ。小動物を潰す、悪質な変質者が。
しかし、奇妙なことに毎回犯人は捕まらないまま、事件は迷宮入りしていく。
彼らは知らない、“変質者"が“偶に起こる大事件”を起こしていることに。
変質者が、人ならざるモノだということに──
◆終