三日目 ー夜1ー
眠りに着いたときにいた部屋の扉を、部屋の外から見ているという構図にあった。
美月は今回、寮の廊下、自室の前から夢世界での活動を開始していた。同室の藤沢に会うことが目的だったからである。リリイに人格の同一化をさせる方法を直球で尋ねて答えが得られれば一番簡単なのだが、リリイはそもそも美月達がいうところの『現実世界』を知らないようだったので、『夢世界』と人格が違うなどと言っても理解してくれそうにない。坊坂ひとりの例のみ挙げて説明するより、他の生徒の事例も知っておいた方が良い、そう判断したからである。
実は当初、その対象には八重樫を考えていた。なのだが、体力測定の後に偶然、倉瀬と話す機会があり考えを変えた。
着替えの必要のない美月が他の一年生達より一足早く着いた食堂で、ひとり昼食を摂っていると、ふいに目の前に影が落ちた。顔をあげると倉瀬がトレイ片手に立っていた。
「ここ大丈夫?」
「どうぞ」
美月は簡潔に応えた。倉瀬は美月の向かいに座った。きっちりと手を合わせて食物への感謝の意を示すと、美月に話しかけてきた。
「八重樫くんと、仲が良いんだ?」
「…うちのクラスで八重樫と仲悪いやつはいないと思う」
「なるほど。彼、人懐こいしね。話しも面白いし」
倉瀬は箸を優雅に使いこなしつつ、会話を続けた。
「いいか」
頭上から声がした。美月の返事を待たずに、藤沢が隣の席に腰を下ろした。トレイ二つがテーブルに置かれる。もともとかなり食べる藤沢だが、いつもより三倍くらいある量の料理が並べられていた。陸の孤島というべき学院では、食べ物は基本的にこの食堂でしか提供されないため、食べられる時には食べておく、という信念で皆食事をしているのは理解していた。とはいえ昼からこれだけ腹に入れて午後の授業は大丈夫なのかと、美月は他人事ながら心配になった。
「八重樫は?」
なんとなく藤沢が八重樫を連れてくると思っていたので、別行動なことが気になり、美月は尋ねた。
「教員室」
「ああ」
美月は納得した。ついでに広川と何があったのか尋ねる。美月の想像通りだった。ちなみに教員室に呼び出したのは広川ではなく、担任教師の合田で、その場に居合わせた生徒の代表として坊坂も同座しているとのことだった。叱責ではなく事実確認のための呼び出しなのだろう。
「八重樫、意外と短気なんだな」
「そうだよ、知らなかったんだ」
美月の独白に、何故か倉瀬が応えた。美月と、あっという間に拭ったような皿をいくつも積上げている藤沢も顔を上げ、倉瀬の顔を見た。一瞬、まさか八重樫が倉瀬に突っかかったことがあるのかと想像したが、それは違った。突っかかった点は正解だが、相手は上級生で、倉瀬はその場に居合わせただけだった。
美月も疑問に思っていた寮の部屋割りだが、あれは単純に入寮順で詰めていくらしい。つまり坊坂と八重樫は一番早い、入寮開始日当日に来た生徒だった。他は倉瀬のみが初日の入寮だった。一年生寮に三人だけいたその日、坊坂にからんだ上級生がいた。からんだと言っても、美月が入学式の後に目撃したような暴力的なものではなく、言論でやりこめてやろうという類いのものだった。標的は坊坂だったのだが、上級生が口にした内容に、八重樫が推薦を受けている寺の僧侶を侮辱するようなものが含まれていた。坊坂が面倒臭そうに応対している隙に、無言で上級生の背後に回り込んだ八重樫は、その膝裏に蹴りを入れ、上級生は地面に這いつくばることになった。
「…」
「それでよく今まで上級生に目を付けられなかったな」
藤沢がぼそりと言った。
「久井本先輩が間に入ったから」
槍・棒・杖術の部所属の槍使いの二年生である。この二年生が習得している流派と、八重樫が推薦を受けた寺が開祖の流派とが、寺社系槍術の二大流派で、二人は以前から面識があったらしい。一応、教師にも話しは及んだらしいが、からんだ上級生の物言いも問題視されて、結局八重樫は口頭の注意のみ受けただけの実質お咎めなしだった。
「…ひょっとして、八重樫って強い?」
『強い』
倉瀬と藤沢の声が唱和した。倉瀬は少し意外だという表情で藤沢を見た。藤沢がそう思っているとは考えていなかったようだ。
「動きが素人じゃねえよ」
「彼はあれで、生徒の中で数少ない実戦経験者だから」
「実戦…」
「除霊のね」
除霊と武術の強さにどういう因果関係があるのか美月は分からなかった。精神統一的な何かなのだろうと勝手に解釈した。そして八重樫が周りに認められるくらいには強いということは理解した。
夢世界での八重樫がどんな人格なのか定かではないが、坊坂のように問答無用で攻撃を仕掛けられてはたまったものではない。話しを聞かない八重樫と、話しを聞かない藤沢では、藤沢の方がまだ話しをするところまで持っていけそうな気がしたので、美月は対象を藤沢に変えた。
藤沢賢一郎、と念じつつ扉を開ける。途端、もの凄い歓声と熱気が溢れ出て来て、美月は反射的に扉を閉じかけた。閉じきる一歩前でとどまり、目立たないように体を縮めて細く空けた隙間から、扉の向う側に滑り込んだ。
部屋の中は強い陽光に満ちた野外だった。矛盾しているがそういう情景だったのだ。耳に痛い歓声に、物理的な圧力すら感じるほどの熱気。もはや獣のものといえる体臭。砂埃。美月はこの場所を知っていた。歴史や世界遺産の番組で何度も見掛けたことがある、石造りの円形闘技場。美月はその観客席の半ばに他の観衆に紛れて立ち尽くしていた。観客席を埋める観衆は老若男女、人種、服装、全てがばらばらで、この円形闘技場と調和する、白布を巻いた古代文明的な服装にひげを蓄えた中年男性から、そのまま宇宙空間に遊泳出来そうな服装の者、碧眼のカウボーイ、バニーガール姿のアフリカ系美女に、カンフー服に青龍刀を背負った若者、人々の肩から肩へと這いずり回るおむつ姿の赤ん坊までいた。
取り敢えず美月は、観衆が闖入者である自分を気に留めていないことに感謝した。もっともこの種々雑多な人々に混じっていれば、美月に限らず誰であっても、砂浜の砂粒くらい没個性なのだが。
観衆の熱狂は、闘技場の中央、実際に闘いが行われる舞台に立つ人影に向けられていた。美月は自然とその人物に目を向け、沈黙した。
件の人物は、隆とした筋肉で武装した、見事な体格の持ち主だった。下から、プロレスブーツ、プロレスパンツ、プロレスマスク、と思しきものを身につけていて、それ以外の部位は素肌をさらしている。別にこの舞台においてはどんな格好でも問題にはされないだろう。白い革製で膝丈の編み上げ靴は、この陽気では間違いなく蒸れているだろうが、別に他人に害はない。だが、強い日差しを受けて見事な光沢を放っている白い革製の、へそ下から太腿の上までを被っている下衣は、美月の目にはどうみても白ブリーフにしか見えなかった。屋内で見る分にはまだ良かったかもしれないが、野外で、主たる着衣がそれだけの姿というのは、現代的な感覚からするとどうしても、全裸の上にコートを着込み、小学生の眼前で前を開けてみせて喜んでいる人たちと同種の匂いを感じてしまう。そしてなにより、フルフェイスの覆面が、全体にてらてら輝く銀のスパンコールをちりばめて、紫色のスパンコールで両目と口周りの穴を縁取り、同色のスパンコールで更に、てっぺんに幼稚園児がかぶる帽子についているようなくまみみを、ちょこんと付けたものなのである。その姿で舞台の真ん中に腕を組んで仁王立ちしており、傍らに身長ほどもある戦斧が立てられている。戦斧は実用一辺倒で彫刻一つ施されていなかった。
「…」
藤沢だ、と美月は断言出来た。マスクで顔は見えないのだが、断言出来た。同時に認めたくない気持ちも切実にしていた。
美月の内心の葛藤など関係なく、観衆がひときわ大きな歓声にわいた。闘技場にもう一人出てくる。下肢がそれらしい粗末な布で被われているだけの半裸の男で、円盾と刺突剣を携えている。顔立ちは欧米系ではあるが肌が浅黒い。闘技場に並び立つと、藤沢並の長身であることが知れた。
男が雄叫びを上げた。観客席の熱気が最高潮に達する。男は盾を構えると、藤沢に向かって突進した。男の戦術としては盾で藤沢の攻撃を受け止め、両者の動きが止まった瞬間に刺突剣で攻撃するつもりだったのだろう。対して藤沢は緩慢さすら感じる動きで戦斧を取り上げ、掲げ、向かってくる男の盾に叩き付けた。一撃を受け止めた盾がぐにゃりと曲がった。どう考えても人間業ではない膂力で、男は変形した盾ごと弾き飛ばされた。もんどりうって場外に飛んでいった男は、地面に叩き付けられた後、途中で背骨のない生き物とすり替えられたかのように、ありえない形に体をよじれさせながら転がった。
一拍置いて、闘技場全体が揺れるかのような喝采が上がった。
美月は昨夜、己が受けた仕打ちを思い出して身震いした。坊坂もだが、藤沢も色々と無茶苦茶である。夢なのだからなんでもありといえばそうなのだろうが、美月には例え夢の中でもこのような芸当は不可能だと感じた。
話しかける予定は取り消し。素直にまずリリイに尋ねてみよう。そう美月は考え、入って来た扉に向かうべく回れ右をした。そのとき、観客の一人が目に入った。小袖に袴、足袋に草履、腰には日本刀。格好だけでいうと平時の武士である。しかし眼鏡をかけていて、髪も結ってはいない。倉瀬だった。
美月はそっと踵を返すと、腕が金属と機械で出来ている、太った男の影に隠れた。倉瀬は美月には気付かず観客の間をどんどんすり抜け、真っ直ぐ闘技場の中心へ下りていった。美月は振り返り、そこに己が入って来た扉があることを確認した。少し破れている避難経路図が妙に安心させてくれる。倉瀬がどこから入って来たのかは分からないが、他者の夢に入る入り口は一つではないようだった。というより一人一人の夢がそれぞれ別々につながっていて、個々に出入り口を開けて移動しているのかもしれない。
観客席から下りた倉瀬は、迷わず闘技場の中心、藤沢の前に立った。先程までの耳が痛くなるような観衆の騒ぎは鳴りを潜めていた。まるきり声がしていないわけではなく、言語が不明瞭な大声は単発的に上げられているものの、闘技場が一体となったような歓声が失われていた。
倉瀬を前にしても、藤沢は棒立ちのままだった。表情はマスクで見えない。突然、倉瀬の姿が消えた。と、立ち尽くしていたように見えた藤沢が横に飛んだ。一瞬前まで藤沢のいた位置に閃光が走る。一気に斬り込んで来た倉瀬の刀の一閃だった。そのまま第二、第三の閃光が上がる。藤沢は戦斧を手にする機会のないまま、巨体を右へ左へ俊敏に体をかわし、倉瀬の切先から逃れている。二人の攻防によって砂埃が立ち、視界を悪くした。不鮮明となった視界の影響で、倉瀬の追撃がやや遅れる。そのわずかな間に攻防が転じた。藤沢が一瞬で距離を詰め、倉瀬の懐に入り込み、当て身を食らわせる。まともに一撃を入れられた倉瀬は、衝撃で後ろに吹っ飛んだ。しかし、たたらを踏みはしたものの倒れることなく持ちこたえ、すぐさま体勢を立て直すと、今度は突きで藤沢を襲う。倉瀬が後退した隙に戦斧を手にした藤沢が、その柄で受けた。戦斧の柄は一見木製なのだが、上がった音は金属同士を打ち合うそれだった。
美月は、藤沢の攻撃を受けて倒れなかった倉瀬に驚いた。先の闘いを見ていれば、一撃で戦闘不能に陥るのが、この場合においての『普通』であり、現実世界だったとしても、骨の一本や二本を折られていそうだった。それなのに倉瀬は後退はしたものの、ごく当たり前のように闘いを継続している。嫌という程、痛みに苦しむ患者を見てきた美月の目には、倉瀬は全く怪我や苦痛の影響を受けていないとしか見えなかった。まさか、と美月の頭に一つの可能性が浮かぶ。美月は前回、坊坂のところで石段を上がることを省いてしまった。治癒以外の特殊能力を使用したことのない美月ですら簡単に成功した。ならば倉瀬であれば、もっと大掛かりに『ダメージを受ける』という現象自体を省いてしまうことすら出来るのではではないか。
藤沢は美月の抱いたような疑問とは無縁だった。ただ倉瀬の刃をかわし、隙あらば戦斧を振り下ろし、拳で蹴りで応戦する。何度か藤沢の攻撃は倉瀬を捕らえていたが、倉瀬から繰り出される剣戟は威力も、速度も、技のきれも全く当初から全く変化がない。逆に藤沢は、受けた攻撃数こそ少ないものの、しっかりと傷が走り、血が流れ、動きに影響が出ていた。
幾度目かの攻防の後、振り下ろした藤沢の戦斧が闘技場の石畳に食い込んだ。もともと威力が大きい分、外した時の隙も大きい戦斧である。割れた石が戦斧の動きを阻み、藤沢の体が完全に止まった。倉瀬の刀が一閃し、藤沢の左の脇腹から肩にかけて逆袈裟懸けに血飛沫が上がる。藤沢は倉瀬の一刀を受ける寸前、戦斧を捨て、わずかに後退していたので、その一撃は致命傷には至らなかった。が、返す刀で狙われた喉を守りきれず、とっさに出した右手首ごと横一文字に切り裂かれた。先程とは比較にならない血飛沫が上がった。闘技場全体に吐き気をもよおす血の臭いが広がり、美月のもとまで到達した。
美月は悲鳴を上げかけ、必死に押し殺した。両手で口を押さえ全身に力を込める。今や闘技場は針が落ちても響き渡るほどに静まり返っており、美月が無意識に後退しようとして立てた、上履きが石畳の上の砂粒を擦った音すら明瞭に聞こえた。藤沢が己と周囲を真紅に染めつつ、どう、と倒れた。美月は生まれて初めて人が地面に崩れ落ち、打ち付けられる音を聞いた。
倒れた藤沢がひょこんと上半身を起こした。不思議そうに正対する倉瀬を見、辺りを見回し、美月に目を留める。
「…」
「…」
目が合ったが、美月は無言のままだった。藤沢は口を開き掛けたが、何か言うより先に、倉瀬が藤沢に声を掛けた。
美月は膝を付き、地に腰を下ろした。そうすると他の観衆に紛れて、美月の姿は中央の舞台からは見えなくなる。かがんだ美月のちょうど目線の高さに、黒い恐竜のような生き物の頭部があり、目が合った。微動だにしないそれを、最初はぬいぐるみが置いてあるのかと思ったが、今更ながら観衆が、沈黙しているだけでなく、動きを完全に止めてしまっていることに気が付いた。案山子かマネキン人形が乱立している状態である。この幼児くらいの大きさしかない恐竜か怪獣も、先程までは動いていたのかもしれない。
美月が座り込んだまま、這って扉から出て行った方が良いのか、美月を認識したと思しき藤沢と話しをしてみるのが良いのか、行動を決めあぐねている内に足音が近づいて来た。美月は心中穏やかではなかったが、座り込んだまま首のみ伸ばして足音の方向を伺う。紫色のくまみみがひょこひょこと動き、こちらに向かってくるのが視界の端に捕らえられた。
「須賀、いるよな」
声が掛けられた。美月は一瞬ためらったが、そろそろと立ち上がった。美月を見とめた藤沢が、戦斧と切り落とされた右手首を持った左手を上げて挨拶してきた。美月は再びしゃがみ込んだ。
「大丈夫か。具合、悪いのか」
この藤沢は、現実世界と同じ人格かは不明だが、美月を知っていることは確かだった。それはありがたいのだが、身体から分離している手首を持って話さないで欲しいと思った。
「部屋に戻った方が良いな」
藤沢は美月の眼前まで来ると普段と同じ感覚で美月を助け起こすべく、右腕を差し出した。美月は手首から先を切り落とされた腕の切断面をまともに見ることになってしまった。
幸いなことに、その瞬間、二人がいる場所は古代の闘技場から、見慣れた寮の自室になっていた。驚くべきところなのだろうが、美月にはその気力がなくなっていた。藤沢はおもしろいアトラクションを体験したような表情で三百六十度見回すと、戦斧をベッド下の箪笥に立てかけ、右手首を少し考えてから机の上に置いた。左手を伸ばして美月のベッドから枕をとり、床に座り込んでいる美月に渡してくれた。美月は枕を背中にあてがい箪笥にもたれ掛かった。
「あの、藤沢」
「しゃべって大丈夫なのか?」
「手首痛くないの?」
「痛くはないな。なんだか変な感じはするが」
美月は机の上に置かれた、悪趣味なオブジェのような、藤沢の右手首を見た。少し考え、藤沢の右腕をとる。藤沢はされるがままで特に表情も変えなかった。美月は切断面より指四本分くらい肘よりの位置に指先を当て、そのまま手首に向かってなぞった。藤沢の視線が自然とその指先を追う。美月の指はそのまま右手の指先までなぞった。
「あ、できた」
美月が間抜けた声を上げた。
「!?」
藤沢の驚愕は一瞬置いてから来た。藤沢は、左手で右手首に触れ、たった今、己で切断された右手首を置いたばかりの机の上を見る。机上の手首は消えていた。再度、以前のように戻っている右手を見、裏返したり、指を曲げたりして正常に動くことを確認する。
「できたって、お前。何で?何なんだ、一体」
「これ夢だから」
「いや夢だからってこれはないだろ。何でもありなのか!?」
戦斧で人を吹っ飛ばしてた奴に言われたくない、と美月は思った。
「なんとなくだけど、法則みたいなものが分かった」
「なに?」
「多分ね、普段からやっていることの延長線上のことだと出来るんだ」
「…」
「わたしの場合、治すことは普段からやってる。だから出来た。現実世界ではさすがに接合というか再生みたいなことは出来ないんだけど、ここは夢だからね」
「…俺は斧使ったファイトなんかやったことねえよ」
「そこは、分からない。いやそれもだけど、なんで、その、斬られたあとに、いきなり起き上がったっていうか生き返った?の。そちらの方が普通、経験ないものじゃない?」
「あ?ああ」
生き返る経験のある奴はいないだろ、と思ったが藤沢は口に出さなかった。代わりに、首を斬られた瞬間に起こった感覚について説明した。端から見たら、高校の寮でくまみみ付きのフルフェイスマスクを被った男が臨死体験を語る、という奇妙な光景だったが、もはや美月も藤沢も気にしていなかった。
話しとしては単純だった。倉瀬に斬り殺された瞬間、現実世界の人格に入れ替わったのである。というより統合された、と言った方が良いのかもしれない。それまでの夢世界での出来事が、夢世界での人格を含めて、現実世界の記憶に流れ込んだような感覚だった。もっとも流れ込んだ夢はごく一部、ここ数日分のものだけで、つまり『試験』期間が始まってからのものだけだった。
美月はうなずいた。倉瀬や代田がクラスメイト達をリリイの元に連れて行った方法が分かった。言葉は悪いが一回殺してしまえばよいだけなのだ。
「でも、なんで倉瀬は違う組の藤沢を合格させようとしたんだろう」
思わず口に出してしまった美月に、藤沢は怪訝な反応をした。
「合格?」
「え?倉瀬とそのことを話してたんじゃあないの?」
「倉瀬からはスカウトされてた」
学院の卒業後、倉瀬の実家に就職しないかというということである。わざわざ夢世界に来てまでそれなのかと突っ込みたくなったが、逆に現実世界では見られたくないのかもしれない。倉瀬は美月に声を掛けて来た時も控えめな態度ではあった。
「そういや、なんか言ってたな。地の神の力が強いから、腕力が出やすいとか、腕力に反映されやすいとか。その手の能力者が倉瀬のところにもいるから、育成には自信があるとか。…あんなでかいのが振り回せたのはそのせいなのかもな。八重樫に訊けば分かるか」
藤沢は藤沢で、自分が使用経験のない戦斧を振り回して闘っていたことがどうにも気になるらしく、立てかけた戦斧をしげしげと眺めつつ、考え込んでいる。
「八重樫は合格してないから、さっきまでの藤沢と一緒で、話しは通じないと思うよ」
「でも、あいつ見に来てたぞ。お前と同じように」
藤沢にあっさり言われて、美月は沈黙した。美月がリリイから聞いた合格者の中に八重樫はいない。藤沢の口ぶりからして、藤沢が自分の夢世界に八重樫に似た人物を登場させていたわけでもなさそうだった。ということは八重樫は、美月や倉瀬と同じように、藤沢の夢世界に踏み入って来ていたことになる。人格が同一化されていない場合でも、他者の夢に入り込むことが出来るものか美月は悩んだがひとりで悩んでいても解答は得られない。
自身の思考に夢中で、固まってしまった美月を藤沢はぼんやり眺めていた。美月は不意に顔を上げた。
「リリイに会いにいこう」
「誰だそれは」
藤沢の問い掛けはもっともなものだったが、美月は答えず、立ち上がるとさっさと扉に向った。藤沢は戦斧をどうすべきか少し逡巡したが、結局担ぎ上げると、美月の後について部屋を出た。