一日目 ー回想ー
表向き全寮制普通科高等学校で進学率ほぼ百パーセントの座生学院高等学校には裏の顔がある。
霊能力者、除霊師、超常能力者、その他もろもろの特殊能力を有する生徒の育成、能力強化を行う学校である。元々は除霊や鎮魂を生業にしていた寺社が発展、学校経営に乗り出し、一般の学校に馴染めない特殊能力を持つ子供を受け入れたのが始まりである。小等部と中等部もあり、そちらは本当に社会的に上手くやれない子供達が通っているが、高等部になると美月のようなほぼ一般人から、一族郎党悪霊退治やってます、な本格派まで種々雑多な生徒構成になる。一方で進学校という名目上、学力的に相当なものが必要になっており、生徒達は寺生まれか寺関係者の推薦で入学する者が大半なため、裏の顔は限られた一部の人々にしか知られていなかった。
美月も中学三年の夏までそんな高校の存在は知らなかった。
自称「坊坂慈蓮の関係者」が現れるまでは。
「陣内、と申します」
診療所の入っているビルの隣のビルの喫茶店で名乗った老人はやや曲がった腰を持ち、渋い色の和服に中折れ帽にステッキという、金持ちか、少なくとも金持ちに見えるように工夫している姿をしていた。
「はあ」
気のない声で美月は応えた。老人の名前は知っていた。先週診療所に患者として来て、膝の治療を受けていたからだ。だがそれ以上の接点はない。顔も名前も美月が一方的に知っているだけの筈だった。なのだが、今日、午後六時までの『仕事』を終えて帰路についたところで老人に呼び止められ、お茶に誘われたのだ。中学三年の女子生徒が、良く知らない老人に誘われたわけで、初めは「夕飯の支度が…」「家で留守番している子供達が…」と主婦が使うような逃げ口上で断った。だが結局、老人が知る筈のない自分のフルネームと見えていない筈の自分の顔を知っていたことに、つい好奇心が勝ってしまい誘いに乗ったのだった。場所は美月が指定した。駅へ向かう人通りが多い道に一面ガラス張りの窓が面している喫茶店の一席。何かあれば外からでも分かる。
「単刀直入に言いますと、あんたにお任せしたい『仕事』がある」
「…」
「引き受けてくれるかの?」
単刀直入過ぎて、どう返答したらいいか分からず、とりあえず立ち上がりかけた美月を、あわてて陣内翁はとどめた。
「頼む。最後まで聞いてくれ。そうだ、夕食がどうとか言っておったな。そこの駅のデパートの地下で売っている総菜、なんでも買ってあげるから」
対象が総菜でなければ、孫を連れ出す口実のように聞こえる。
「なんでも?量は?」
「量も好きなだけ」
美月は診療所から支給されている携帯電話で自宅に電話をかけると、今日の夕食の変更を知らせた。電話の向うで大喜びしている弟妹の声を聞いてから、改めて座り直し陣内翁に向かい合った。
「最後まで聞きます」
その陣内翁から持ちかけられたのが、座生学院に既に推薦での入学が決まっている坊坂慈蓮という同い年の男子生徒を監視するという『仕事』だった。
陣内翁の説明によれば、坊坂慈蓮の実家は古刹で、いわゆる悪霊を祓ったり、呪いを返したり、といったことにかけて国内有数の実力がある家なのだそうだ。ただ最近、そういった家につきまとう跡目相続だの利権争いだのが巻き起こり、跡継ぎ候補のひとりである慈蓮はそうしたごたごたに嫌気がさし、能力向上の名目のもと、さっさと座生学院に入学を決めてしまった。学院は外部と隔絶されているため、親戚や後援者などのうるさい連中から離れられる、というわけである。
しかし、『うるさい連中』のひとりである陣内翁はそんなことではあきらめず、慈蓮の動静を逐一見守る、もしくは見張るために、適切な監視役を送り込むことを計画した。しかし、慈蓮と同年代で、学院へ入学できるだけの特殊能力と学力があり、慈蓮に警戒されないためにも慈蓮の実家と無関係な人材、となるとなかなか難しいものがあった。加えて、そんな人材が見つかっても、怪しまれ、断られる事が続き、結果、女子の美月にまで話しが回って来たのであった。
「…」
値段ほどにはおいしくないと思う紅茶を飲みつつ、美月は黙って最後まで話しを聞いた。
「で、どうかね。引き受けてくれるかね」
「確認。さっきから『仕事』への報酬についての話しが出ていないんですが」
「そこはそれ、お嬢さんの望む通りにしたいと思ってな」
「…一億とか十億とかいってもアリ?」
「一億はともかく十億はちょっと値切らせてもらう。あと、金銭以外でいろいろ出来る」
「?」
「つまりこの『仕事』を引き受けるとあんたは書類上高校に行ってないことになってしまう。学院に通うのは男子生徒だからの。だから、お嬢さんの名前で書類上別の高校に入学・卒業したように見せかける、なんて工作も引き受ける。その他、出来る限り望むことはする」
「…」
美月は無言のまま下を向き、ほとんど紅茶の残っていない茶碗の内側をスプーンでぐるぐるかき混ぜた。かちゃかちゃと耳障りな音が立ったが、美月は気にしていないようだった。
しばらくそうしている姿を見て、陣内は美月が『仕事』を受けると確信した。陣内自身、己の言っている事が胡散臭いことは十分に承知している。これまで声を掛けた幾多の学生達がしたように、そもそも話しをする事自体断るか、話しを聞いても即、断るのが普通なのだ。迷っている時点で、陣内の話しに乗る気があるのは明白だった。
「まあ、あれだ。しっかり考えてくれ。『仕事』の内容もあれだし、報酬も、な」
連絡先を書いたメモを渡された美月はうなずくと、陣内と共に喫茶店を出た。
両手一杯の和、洋、中、全てそろったオードブルを抱えて、美月は帰路についていた。
美月の家は常に金欠である。主に飲んだくれで働いていないくせに一攫千金ばかり狙う父親のせいだと思う。もっともその男と別れずに、幸運になる壷だの健康になる水だのを近所付き合いと称して購入している母親も原因のひとつだと思っている。以前は曾祖母の介護もしていた。さすがに生活が行き詰まり行政が入って、美月が小学校に上がる頃に曾祖母はしかるべき施設で世話をしてもらえるよう引き取られた。そうしたら年子で弟妹が生まれたので、やはり行き詰まる寸前の生活のままだった。行き詰まらなかったのは、美月が診療所での『仕事』で報酬を得ているからである。『仕事』は単純に言えばヒーリングである。『仕事』をしている診療所はいわゆる東洋医学のそれで、交通事故で骨折し、骨はつながったけれど痛みがとれない、とか、加齢に端を発する慢性的な腰や膝の痛みがあるとか、西洋医学的に言えば、既に治癒とみなされていたり、根本的な治療方法なかったりする、そういった患者を看ているところだった。そのため症状が緩和された患者は、あくまで診療所の治療で良くなったと思うし、請求される治療費も、美月が知っている限りでは、ごくごく平均的な金額である。そのためスピリチュアル的にどうこうといった噂は立たず、あくまで腕の良い診療所として世間では通っている。美月は待合室と事務所を仕切っている壁にあるマジックミラー越しに患者を見るだけで、直接対面したりはせずにヒーリングを行っていたため、その存在すら患者たちには知られていなかった。陣内翁がどうして美月を知ったのかは正直想像が付かなかった。
診療所で『仕事』をするようになった経緯を美月は覚えていない。小さい頃、母親が自宅近所の小さな東洋医学の診療所にパートで入っていたのでその関連で能力を知られたのだと想像している。そのときの診療所が今働いている診療所と同じなのかどうかは不明だが、少なくとも立地は違う。今『仕事』をしている診療所は駅近くの商業的一等地のビルで運営されている。
美月は己が『仕事』先の診療所の利益にどれだけ貢献しているのか分からず、母親の給料として振り込まれている『仕事』の報酬が正確にいくらなのかも知らなかった。
帰宅すると、いつになくご飯茶碗と箸をしっかり用意していた弟妹が、滅多にありつけないごちそうに飛びついた。
「こういうご飯、毎日食べたい?」
いつもよりおかずがはるかに多いのに、いつもより減りが早い炊飯器の白米を見ながら、美月は弟妹に問いかけた。
『うん!』
二人はそろって返事をした。
結局、美月は『別の高校へ入学・卒業したという工作』『母と弟妹の生活保障』等、いろいろ条件を付けて、『仕事』を引き受けた。
家族には『診療所で会ったお爺さんが関係者で、口をきいてくれるというので私立の全寮制女子高に進学する』と宣言しておいた。正直『狩りの帰りに立ち寄った王子にお茶を出したら一目惚れされて結婚を申し込まれた』くらいにありえない話しだと思うのだが、信じやすい母親とまだまだ純真無垢な弟妹は信じてくれた。父親はその場にいなかったのでどう思っていたのかよく分からない。
各種の手続きや家族にばれないような偽装工作は陣内翁の関係者が全てやってくれたので、面倒なく済んだ。美月が表向き進学する先がいわゆるお嬢様学校だと知って、一部の口をきいたこともないような生徒達から親友宣言されて、進学後に一緒に遊ぼうと誘われることを、断り続けるほうが面倒だった。
そして新しい『仕事』が始まった。