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夢魔  作者: のっぺらぼう
15/25

五日目 ー夜ー

どこまでも続く荒野があった。風に舞い上がる粉塵。無造作に転がっている大小様々の岩石。申し訳程度の下草。空との境界はただ一本、利き手と逆の手で頑張って直線をひいてみようとした結果のような線で分断されていた。その空は青く、雲はない。一体、誰の趣味の影響で、今回はこれほど違う(おもむき)になったのだろうと、美月は呆然としつつも疑問に思った。10101号室の扉を、今日の昼、必死で弁解していた坊坂の様子を思い出しながらくぐったにも関わらず、これまで二回見た、霞と灰褐色の石に支配された風景とは随分違った。馬と戦車(チャリオット)が縦横無尽に走り回り、あちこちで剣戟(けんげき)の音と、矢の放つ風切り音、そして無骨な雄叫びが響いている。まごうことなき戦場が、そこにはあった。


四頭立ての戦車(チャリオット)の後部の乗り心地は、美月がこれまで乗った経験のあるどんな乗り物よりも悪質で、腰は痛いし頭に響くし喋ると舌を噛みそうになるし目が回るしと、体全体を一度分解して持ち運べたらどんなに良いだろうかと思わされる気分だった。だが否応ない。昨夜の顛末を聞き出そうと八重樫がいるであろう坊坂の夢世界に入ると、いきなり戦場まっただ中に放り出され、考える(いとま)もなく、飛んでくる矢や石から逃げ惑っていたら、戦車(チャリオット)に乗り、弓部隊を指揮する代田に行き当たった。そのまま助け上げられ、成り行きで今に至る。この状況で、乗り心地云々の不平を口にするほど、恩知らずではない。

代田の格好はキリスト教の聖職者らしき姿だった。ただ、神父と牧師の区別もつかない美月からすると、長ランにしか見えない。もっとも長ラン自体、宣教師の服装を真似たものという説もあるので、大きく間違っているわけではなかったが。その上に弓道用の胸当てを着け、弓を構えて、戦車(チャリオット)の上から狙撃している。立っている事自体難しいだろうに良く体勢が保てるものだと、美月は感心した。

一通り戦場を駆け巡り、一向に中身の減らない矢筒から矢を取り出し、狙撃し続けると、戦車(チャリオット)は大きく旋回して、恐らく自陣と思われる方向に向かって進みだした。この戦車(チャリオット)には御者がいない。他の射手が乗り込んでいる戦車(チャリオット)も同様で、馬たちにはそれらしい馬具が装着させられているものの、手綱や鞭は使用されず、しかし一糸乱れず見事な動きを見せている。誰かがどこかで一手に操っているのか、実は全自動機能のついた馬なのかは分からない。

程なくしてたどり着いた陣にて、三組の生徒たちに混じった八重樫の顔を見出したとき、美月はようやく一息吐けた。相変わらず鬼を思わせる姿で、前回、徒手だったことでいらぬ苦労したためか、長柄の槍を(たずさ)えている。山奥の古民家や霞漂う石段ではそれほど気にならなかった容姿も、こうも陽光全開の青空の下で見るとやはり異様である。しかし今の美月に限っては、戦場で鬼神に逢った気分だった。

「これ、坊坂の夢だよね?」

確認をとると、八重樫は、戦場という場所の特異性(ゆえ)か、普段より更に磨きをかけた饒舌で説明してくれた。八重樫は昨夜と同じように、一旦藤沢を迎えにいってから坊坂の夢世界を訪れた。そしてその時点で既にこの状態だった。消灯時間があるので、生徒たちが寝付く時間にそれほど差はない筈だが、夢世界では個別に時間のずれが生じるのか、体感時間の違いが如実に現れるのか、とにかく坊坂の合格を阻むために集まっていた倉瀬を中心とする二組勢と、折角行動自由の夢世界なので、気に食わない二組の生徒をボコってやろうとして、ここを探し当てた三組の生徒たちが、戦争(ごっこ)をおっ始めていた。

「あ、ちなみに坊坂は二組側にいるよ!」

何故が嬉々として八重樫は付け加えてくれた。倉瀬がどう説き伏せたか、或いは騙したのか分からないが、二組側に引き込まれているらしい。昨夜、美月が両断されたあとは、八重樫が貫手(ぬきて)で倉瀬をハツの串刺し状態にしたものの、美月の異変に気付いた藤沢が動揺して坊坂が逆転勝利、八重樫は藤沢が敗北した時点で撤退、とのことで、坊坂はまだ、夢世界独自の人格でいるわけである。


三組の陣は、主戦場からは少し小高い位置にある。主戦場を眺め下ろすと藤沢が見えた。相変わらずのくまみみ付きの例の格好に、今回は上半身に革鎧が追加されていた。もっとも革鎧は生成り、というかなめしたそのままの色なので、遠目にはやはりマスクとパンツとブーツだけ装着しているように見える。藤沢は美月が名前を知らない三組の生徒たちとともに、御者なしの戦車(チャリオット)を足にして戦っている。応戦する二組の生徒は、騎乗姿だ。ただ、その騎乗対象は、一見馬だが馬に似た別の動物で、角や牙が生えていたり、毛色が数種類のパステルカラーで塗り分けられていたりしていた。ピックアップトラックにオフロードバイクでは何か不都合があるのだろうかと、美月は真剣に考えてしまった。

先頭を行く藤沢が、すれ違い様に戦斧で相手が乗る獣を真っ二つにしていく。生徒が次々に地面に叩き付けられ、ある者は、後続の戦車(チャリオット)の車輪に踏みつぶされ、ある者は、三組の生徒から槍とも矛とも突かない武器で地面につなぎ止められていく。その光景を眼前にして、まだ攻撃を受けていない二組の生徒たちは馬首を巡らすと、藤沢に向かって一局集中していった。まず藤沢を叩くことに決めたらしい。が、複数の生徒からの攻撃目標にされた藤沢は、拍子抜けするほどあっさりと、自陣に向かって回れ右をし、後退し始めた。一瞬あっけにとられ反応が遅れたものの、すぐにその背に二組の生徒たちが追いすがる。馬や馬に似た獣が、その蹄を限界まで大地に蹴りつけ、速度を上げる。一般的に機動性の高さでは騎馬が上である。追っ手と藤沢が一つの集団を形成するのに時間はかからなかった。

その瞬間、代田の合図によって放たれた矢が一気に降り注いだ。藤沢がいるのにお構い無しである。というより当初からそのような計画だったことは明らかだった。藤沢はきっちりと矢の届く範囲まで、二組の生徒を引き連れて来ていた。騎手か獣か、どちらかが矢を受け、何人かの生徒が落馬した。矢は当たらずとも、突如あさってからの攻撃を受け、動揺し動きを止めた生徒たちは、藤沢の戦斧の餌食となった。


藤沢が陣に戻って来た。満身創痍である。味方の放った矢の雨の中をくぐって来たわけで、当たり前と言えば当たり前である。美月が駆け寄ると、もの凄く驚いた表情をした。美月は無造作に藤沢の傷を治した。

「よし、完璧」

「帰れ」

美月が完治させるのとほぼ同時に、藤沢は不機嫌きわまりない表情で言っ放った。唖然として藤沢の顔を見ると、藤沢は顔を(そむ)けた。

「藤沢先生はぁ、昨夜、みつきちゃんを守りきれなかったことに、非常(ひっじょう)に責任を感じておられるのです」

八重樫がこれでもかというほどおどけた声で混ぜっ返した。藤沢は本物の熊でも不可能ではないかと思うほどの殺気のこもった目で八重樫を睨みつけた。

「責任、って…」

昨夜、美月が斬られた件のことだろうが、どう考えても藤沢のせいではない。誰のせいでもないし、しいて責任があるとすれば、倉瀬から注意をそらした八重樫だろうが、美月は気にしていなかった。まして当時、坊坂と死闘を繰り広げていた藤沢には責任などあろうはずがない。だが藤沢からするとそうではないようで、美月を前に居心地悪げにしている。

「ま、邪険にしないで。本当に危なくなったら、里崎のところまで行ってもらえばいいでしょ。何も見られなくなっちゃうけどさ。あそこまで攻め入られたら、そこはもうおしまいってことで」

対して八重樫はしごく気軽である。深刻に捉え過ぎている藤沢と足して二で割ったらちょうどいいかもしれない。藤沢は表情はそのままだったが、それ以上何も言わなかった。

八重樫の言葉に、美月は代田と一緒のことが多い里崎がこの場にいないことに気付いた。周囲を見渡した美月の様子に、誰を探しているか気付いた八重樫が応えてくれた。

「里崎はね、坊坂対策で奥に閉じこもってるの」

「坊坂対策?」

それはどういう意味かと美月が尋ねようとしたとき、これだけ明るいにも関わらず、強い光量を感じ取って、皆一様に主戦場に目を向けた。

藤沢たちが戻ってくるのと入替わりに出て行った、無人の戦車(チャリオット)…完全に無人で、時折自動で弩が杭に近いような太さの矢を打ち出す自走砲のような形状で、美月がそこまでやってなんで走るための動力源が馬なのか本気で疑問に思った代物…で構成された戦車隊の戦車(チャリオット)が全台、青白い炎を吹き上げて炎上していた。熱はさすがに届いてこなかったが、わずかな時間差をおいて、木材が焼け弾ける音が聞こえた。

「…あれをこっちの陣に直接やられると、ちょっと、な。だから、その妨害を里崎にやってもらってるの」

例えるなら、ミサイルの目標地点を捕捉するレーダーに妨害電波を仕掛けて、ミサイルの発射をためらわせている、ということらしい。八重樫は面白そうな表情で、遥かに見える敵陣の一角を指差した。目を凝らすと、坊坂らしき、黒い僧衣に笠を被った姿があった。(かたくな)に突き通すその格好は、むしろこの場所では、藤沢より場違いに思えた。

坊坂らしき姿を確認すると、代田が無言のまま前に進み出た。自陣の端から二組の陣に向けて弓を構える。矢はつがえていない。矢のないまま、華麗な動作で、弦を引き、放った。弓弦が鳴った。なにもない筈の代田の左手の手元から、一直線に光が走った。笠が傾き、坊坂がふっとこちらを見たように感じた。代田の放った光は二組の陣に届く直前で弾けた。

自陣と敵陣、共からどよめきがあがった。


二組のどよめきは、三組に比べて短い時間で収まった。ゆっくりと蹄を響かせ、二組の陣から生徒たちが出て、そのまま陣の前に整列する。総員、真っ直ぐに三組の陣を見据えている。坊坂らしき姿が出て、最後に倉瀬と思われる人物が出て来た。思われる、というのはその人物が大仰(おおぎょう)な兜を被っていて、距離のある三組の陣からでは顔がよく見えなかったからだ。ただ、二組側の陣の総大将という有り様から見て、まず間違いはないだろう。黒光りする甲冑を身に着け、金糸の入った陣羽織を羽織り、手には軍配。脚下の漆黒の駿馬がひとついなないた。意外とノリの良い性格なのかもしれない、と美月は倉瀬に対する見解を少しだけ修正した。

軍配が上がった。一呼吸置いて陣の前に整列した二組の生徒たちの鬨の声が響く。いかにも総力戦、といった様相である。

そこまでは良かった。絵面が良いというのか、雰囲気が良いというのか。しかし続いて、生徒たちの更に前、二組と三組の陣の中間あたりの地点が突如蠢動したのが視界に捉えられ、美月は思いっきりのけぞった。弟がカマキリの卵を家に持ち込んだ時のことが思い出される。捨ててこい、と怒鳴る美月の前で、卵がふ化してしまった、その時の様子に良く似ている。地面から何か細くて小さいものがうじゃうじゃ溢れ出て、うごめいているのだ。三組の生徒たちも若干引き気味で見守っている。徐々にそれが、無数の骨で、人間の骨格に組み合わさっていっていることが分かった。程なくして骸骨戦士(スケルトン)部隊が完成される。発声源は不明だが、妙に人間臭い雄叫びを上げると、全速力で三組の陣に突進して来た。

一応、怪物が攻撃を仕掛けて来ているのだが、三組の生徒たちは落ち着いていた。むしろただ地面がもぞもぞ動いているように見えていた時よりも、士気が上がっていた。代田が指示を出し、弓部隊が前面に出ると、一斉に射掛けた。骨相手に矢が効くのかと、美月は疑問に思ったが、三組の生徒たちの放つ矢の飛翔速度はかなりのもので、重力に引かれつつ骸骨戦士(スケルトン)に命中する際には、十分な威力で骨を砕いた。

骸骨戦士(スケルトン)の突進が止まるか止まらないかの内に、二組の生徒たちが、馬を駆け出させた。三組の、大弩のついていない型の戦車(チャリオット)が、弓部隊の間から人を乗せずに突撃して行き、まず手前の骸骨戦士(スケルトン)部隊を打ち破った。数台の戦車(チャリオット)は、引き砕いた骨が車輪に絡まったことで、動きを止めた。痛み分けであるが、特に問題はない。予定としてはその後に、藤沢や接近戦を担当する三組の生徒が乗った戦車(チャリオット)が出陣、二組の騎馬と交戦の筈だった。だが藤沢たちが出撃するより前に、動きを止めた筈の戦車(チャリオット)が向きを百八十度転換した。車輪が、まとわれつかれた骨によって勝手に動かされている。車体に引きずられる形で無理な方向転換をさせられた馬が倒れた。そのまま、馬を無視して、車体部分だけが、三組の陣営に向かってくる。

「里崎のほう行け!」

八重樫が怒鳴りつつ、美月を押し出した。戦車(チャリオット)の方向転換は予想していなかったらしく、三組の陣全体が浮き足立っていた。骸骨戦士(スケルトン)の一部に乗っ取られた車体から次々に炎が上がった。直接陣に火が放てないなら、火の点いた車をぶつけてしまおう、という発想らしい。炎上した車体に突っ込まれ、弓部隊が瓦解した。空を飛んだのではないかという速さで弓部隊の元に駆け寄った藤沢が炎上する車体を一台、力任せに破壊した。二台目、三台目が到達し、藤沢と次いで駆けつけた三組の接近戦担当の生徒たちが応戦したが、その頃には馬蹄の響きが間近まで迫っていた。

鋭い牙を生やした馬の上から槍で突かれて、三組の接近戦担当の一人が倒れた。突いた生徒は、間髪入れずに代田の弓で仕留められた。壊されてもまだ炎上し続ける車体の火が、倒れた弓部隊の生徒に燃え移ったらしく、蛋白質の焼ける臭いが辺りに漂った。


美月は里崎のいる場所、陣の最奥にたどり着いた。他に人はいなかった。当たりを付けた天幕の入り口から覗くと、里崎が静かに座禅を組んでいるのが見えた。どういう方法で、坊坂の妨害をしているのか分からない以上、やたらに声を掛けるわけにもいかず、美月は少し迷いつつ天幕の中に入り込むと入り口のすぐ横に腰を下ろした。

下ろすとほぼ同時に馬蹄の音と微かな地響きを感じた。

美月が入り口から覗くと、どう突破したものか、倉瀬が一人こちらに向かって馬を走らせていた。美月が何かをする猶予などなく、片刃の槍が振られ、駆け抜け様に天幕が切り破られた。一旦通り過ぎ、すぐに馬首を巡らした倉瀬が、天幕だった布切れを馬蹄で踏み付けつつ、無防備な里崎に穂先を振り下ろした。美月が里崎に飛びかかって引き倒した。刃は美月の肩と背中をかすっただけでほぼ不発に終わった。倉瀬は、動きの制限される馬上から下りようと片足を(あぶみ)から離し、その中途半端な体勢のまま、慌てて身をひねって回避行動に移った。一瞬おいて、風切り音とともに無数の矢が飛来した。倉瀬には当たらなかったが、倉瀬の馬に刺さった。不安定な体勢だった倉瀬は、矢傷を受け痛みにおののいた馬から振り落とされた。倉瀬は落馬の衝撃などものともせず、すぐさま立ち上がりかけ、その右肩から右の首、顔の右半分が突如えぐれるように消失したのに気付き呆然とした。先程は、坊坂を狙って不発に終わった例の光。代田が放ったそれが命中したのだった。

「里崎、無事か?」

倉瀬が倒れ、動かなくなったのを確認して、代田が声を掛ける。里崎はつとめて表情を消して、里崎をかばって流れ矢を受け動かなくなった美月の体の下から這い出て来た。

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