四日目 ー夜3ー
そもそも、最初の八重樫の先制攻撃からして、打ち合わせてあったのだということに途中で気付いた。八重樫が『お邪魔虫』を引きつけ、その隙に藤沢が石段を上り、坊坂の元へ向かうという作戦だったのだろう。予想外だったのは、坊坂の方から出て来て、その場の全員に攻撃を仕掛けたことである。美月は最上段に佇む坊坂を警戒しつつ藤沢から距離を取った。
足下に揺れを感じ、美月は歩みを止めた。それが美月の幻覚でなかったことは、眼前の石段が突如轟音を上げて真下に落ちていったことから分かった。辺り一帯で、ある石は隆起し、ある石は沈降していく。揺れが酷くなり、美月は膝をつき、両手をついて体を安定させた。他の四人は立ったままである。周囲の変化が気にならない筈はないだろうに、じっとそれぞれ対峙する相手から視線を外さなかった。揺れが収まった時には、石段だった筈の場所は、等身大ほどの切り出された石を組み合わせて造成され、その後の放置により崩れかけている遺跡のような姿に変貌していた。石自体は灰褐色だが、その側面には黒く苔とも菌糸類ともとれないもので覆われている。取り敢えず美月はひとつの石柱の影に身を隠した。
揺動の終了が合図であったかのように、坊坂が仕掛けた。無言のまま視覚で捉えられないほどの速さで一気に間合いを詰め、藤沢に肉薄すると、錫杖を振るった。藤沢が無言のまま戦斧を短く振り、刃先でその一撃をはたく。坊坂の錫杖は一見木製なのだが、藤沢の戦斧で切り落とされるような事はなく、接触の際に上がった音も、むしろ金属同士を打ち合ったような音だった。初回の攻撃を外されたものの、全く意に介さない様子で、坊坂は藤沢の横手に回り込みつつ二撃、三撃を放った。藤沢はその場から動かず、冷静にさばいている。四撃目で少し変化があった。それまで坊坂は、藤沢から受けるいなしを、全て錫杖の同じ箇所に当てていた。見た目より遥かに頑丈な錫杖だが、藤沢の人間離れした膂力を受けたためか、わずかに裂け、切れ込みとなっていた。四撃目も同じ箇所に入ったのだが、錫杖と戦斧が交錯したその瞬間に、坊坂は手首をひねった。戦斧の刃先が錫杖の裂け目に深く食い込み、錫杖の動きに同調した戦斧が、藤沢の手から微かに浮いた。藤沢はその握力で手離すことは堪えたものの、そちらに体を取られ隙が出来た。一度捕らえた戦斧の刃先を、わずかに動かすことで外した錫杖が、その隙に藤沢の胸部を突いた。藤沢は低い呻き声を漏らし、後退した。
八重樫ははっきりと藤沢が一撃受けた様子を捉えていた。微かに舌打ちが漏れた。お互い素手でやり合ったのならとにかく、武器使用前提の闘いでは、経験値の高い坊坂が明らかに有利である。そもそも美月が来る前の打ち合わせのときから、二人掛かりで坊坂に挑む予定で作戦を練っていた。さっさと援護に回りたいところなのだが、眼前の倉瀬が許してくれなかった。
倉瀬は己から積極的に攻撃を仕掛けては来ない。だが、決して藤沢と坊坂のいる方に近づけてくれなかった。そのようなそぶりを見せるとすかさず刀の一閃が襲い来て、真剣を受ける武器も防具もない八重樫は回避行動をとらざるをえない。あっさりと二人の交戦場所から引き離される。
「うぜえ」
小さな溜め息とともに、八重樫の本音が漏れた。その呟きが聞こえたらしく、それまでことさら無表情だった倉瀬に微笑が浮かんだ。宣言した通り倉瀬は、坊坂が夢世界と現実世界での自己の同一化がなされることを邪魔しに来ている。リリイから坊坂が合格していないことを聞き、わざわざ二組の生徒達とともに、坊坂が自分の状況に気付きリリイに会いにいこうとした場合は坊坂を、他者が坊坂に会いにこようとするのならその誰かを阻むためため、ここで張っていたのだ。坊坂が一年次終了時に退学などということになれば、しめたものである。もっとも先程実際に拳を交えてみて、八重樫と藤沢に加えて、一緒に来たのが美月ではなく、戦力になるような生徒であったら、歯が立たなかったということも理解したので、残り三百夜ほどを妨害し続けるのは難しいとも理解していた。
幾度目か、八重樫が藤沢の援護に回る動きを見せたので、倉瀬は斬りかかった。
石柱の影に身を潜めている美月には藤沢の動きは全く見えない。だが藤沢が負傷したことは分かった。一旦、個人として認識した相手であれば、その相手に意識を集中させることにより、病気や体調不良、怪我や痛みを感じ取り、治癒することが出来る。わざわざ相対する必要はない。これまで現実世界で行って来たのと同じ原理である。藤沢の負傷を感じ取ると間髪入れずに治癒を行った。胸部の骨にヒビが入っていた。現実世界では、回復までの速度を促進させることは出来ても、即座に完治まで持っていくのは不可能な程度の怪我だったが、切り落とされた手首の再生まで気負わずに出来てしまう夢世界では容易いものだった。一度めの負傷を治して程なく、二撃目を食らったのが分かった。どちらかというと、急所への攻撃を腕でかばった結果の負傷で、骨に影響はなく、打ち身だけである。労せずに治す。三撃目は脚、脛を狙い撃ちにされていた。今度は骨にまで衝撃が到達したのが分かった。外部からもたらされた暴力が、骨の細胞を砕いていくそばから、美月は修復を掛けていった。藤沢は痛みは感じたろうが、骨折には気付かなかったかもしれない。四撃目、五撃目。美月は高揚していた。僅かずつ、しかし確実に、負傷を感じ取るのが早くなり、治癒を終えるまでが短くなっている。これまでのどんな場合よりも快調に、治癒能力を使いこなせている。もう藤沢が痛みを感じているかどうかも定かではない。受けた攻撃が痛みとして神経に届くよりも、美月が痛みを含めた負傷全体を完治させる方が速いのではないか。美月の感じ取り方も少しずつ様相が変わって来た。これまでは、あくまで『どこか悪いところ』が分かるだけだったのが、それ以外、藤沢の筋肉の伸縮、呼吸や血流の変化がなどが感覚として伝わって来て、どういう状態にあるのかが、ありありと理解出来るようになっていた。
くすくすという小さな笑いが美月の唇から漏れ、慌てて手で押さえた。時間が経てば経つほど、藤沢の一挙手一投足が、どう動いているのか、どう動かそうとしているのか、全て感じ取れるようになっていく。藤沢が感じている興奮と快感も伝わってくる。今なら夢世界での藤原や八重樫の戦闘狂ぶりが理解出来た。
倉瀬は藤沢の動きが変化したのに気付いた。初めのうちは教科書通りの回避や防御を行っていたのに、途中から徐々におざなりになり、今はもう回避も防御も捨てて、攻撃のみ行っている。倉瀬自身、夢世界の利点を生かして、ある程度の傷は、肉体を原状復帰、負傷する前の状態に巻き戻すことで、戦闘中の動きに影響を及ぼさないよう対応していたが、それでも致命傷を受けるような場面で、あえて攻撃を受けるなどということはしなかった。それだけの衝撃を受ければ平静ではいられない。冷静に『巻き戻し』が出来るとは思っていなかった。だが今の藤沢はというと、完全に内臓まで影響が届いているであろう打撃も気にせず身体で受け、その際に出来る隙を狙い坊坂に逆襲、という様式での攻撃を何度か行っていた。
少なくとも昨夜の闘技場の時点での藤沢には、倉瀬のような器用な技は使えなかった。八重樫が方法を教えたにしても、たった一日、というか数時間で、倉瀬以上に円滑に、常に肉体の破損状態を意識し『巻き戻し』ながら闘うなどということが出来るのだろうか。
思考は働かせつつ、八重樫の動きは常に捕捉していた。八重樫が今度は積極的に仕掛けて来た。倉瀬は冷静に八重樫が繰り出す拳をさばいた。懐に入り込まれない限り、刀という得物のある倉瀬が圧倒的に有利である。二三度あしらい、再び膠着状態に陥るが、両者の位置関係はかなり変化していた。
倉瀬の視界に石柱の影に身を潜める美月の姿が入った。その瞬間、閃いた。表情に出たのではないかと心配したが、眼前の八重樫の様子を見るに、己の顔に変化はなかったようだ。美月が、倉瀬が『巻き戻し』で対処した部分を受け持っている。というより、本業というか本分が治癒である美月が、ひたすら単純に治癒し続けているだけなのだ。現実世界で同じことをしたら、すぐに美月が限界を迎えるだろうが、ここは夢世界である。現実世界では不可能な戦闘が可能なように、治癒も可能な筈だった。
倉瀬はほぞを噛んだ。八重樫には倉瀬の考えは気付かれていない。そっと機会をうかがった。その間にも藤沢と坊坂の闘いは続いていた。形勢は既に攻撃に集中している藤沢が優勢である。
何度目かの攻防を経て、二人の手から得物が飛んだ。藤沢が、戦斧を捨てること前提で、坊坂の錫杖を狙ってやったことだった。仕掛けた側である藤沢の方が、得物がなくなった後の行動に移るのが速かった。空手となり、体勢も少し崩れている坊坂に、藤原が全体重をかけて肘を打ち込んだ。回避行動に入ったところで一撃を受けた坊坂は、なんとか気を失うことは免れたものの、派手に吹っ飛び、巨石の一つに全身を打ち付けた。すぐに体を起こそうとしたものの腹部を押さえよろめく。追撃してきた藤沢の蹴りを、地面に転がることで寸前で避け、次の蹴りは上半身だけ起こして、腕で防いだ。だが、その際上がった音と、腕の不自然な曲がり具合から察するに、骨が折れたことは明白だった。更にもうひと蹴り。顔ギリギリをかすめたものの何とか頭部への直撃は避けた。が、攻撃の余波と無理な回避が合わさった結果、地面に倒れ込むことになった。
八重樫は最終段階に入った藤沢と坊坂の攻防に意識がいっていた。無論、完全に倉瀬から注意をそらしたわけではなかったが、基本、牽制と迎撃のみの戦術をとる倉瀬に対し、気のゆるみがあったのは事実である。その八重樫に、倉瀬は全集中力をもって、斬り掛かった。八重樫はあっさりかわした。いくら倉瀬に本気で斬り掛かられようと、簡単に攻撃を受けるほど、油断していたわけではなかったからだ。かわされたのだが、倉瀬は全く速度と勢いを落とすことなく、八重樫の傍らを駆け抜けた。はっとして八重樫は倉瀬の姿を追った。進行方向に美月がいた。
美月の上半身と下半身が分断されるのと、八重樫が、美月に凶刃を振るった倉瀬の背から心臓に向けて腕を貫通させるのと、同時だった。




