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夢魔  作者: のっぺらぼう
11/25

四日目 ー夜1ー

10101号室の扉を、坊坂慈蓮、と呟きながら開いた途端、美月は腕を引っ張られて、中に引きずり込まれた。一瞬心臓が止まるかと思うほど恐慌した美月だが、すぐに引きずり込んだ相手が八重樫だと気付き、安堵した。

「あのさあ…」

美月は抗議の声を上げようとしたが、八重樫が己の口元に指を一本押し当てたために、黙り込んだ。

「見つかるとまずいんだよね」

八重樫が今まで聞いたことのない、抑えた声で説明した。

「坊坂に?」

「いや」

声をひそめて尋ねた美月に、八重樫は簡潔に応えた。じゃあ誰なんだ、と言いかけたが、それより早く藤沢が口を挟んだ。慣れとは恐ろしいものである。くまみみ装着の大男が戦斧を(たずさ)え、石段の上、宙に浮いた扉の傍に立っていても、もう気にならなくなっていた。ただくまみみや着衣は同じなのに、戦斧だけ前回見た時より柄が長くなっているのが気になった。

「よく来たよな。殴り込みなのに」

そういえばそうだ、と美月は今更ながらに思った。


眠りに着く前、美月は結局、藤沢に夢世界での記憶があるかどうかの確認を取れなかった。他の生徒の目も耳もある場所では夢世界やら夢魔やらの話題は出しにくかったし、授業後は、藤沢が部活にかかりきりで消灯ぎりぎりになるまで部屋に戻ってこなかったので、機会がなかったのだ。八重樫に訊くことも考えたのだが、こちらとも都合が合わず、結局そのままになってしまった。夢世界においての二人に現実世界の記憶があることは確かなので、夢世界で確認すれば良いか、と思い放置したとも言える。そして昨夜の、坊坂のところに殴り込みをかける、という話しを鮮明に覚えていた美月は、藤沢や八重樫ではなく、坊坂のところを選んで訪れたわけである。

実際、藤沢も八重樫もここにいるのだから、美月のあたりの付け方は正しかった。もっとも坊坂の夢世界に二人がいる理由が殴り込みで、つまりすでに交戦状態になっていた可能性もあるのだが、そこは頭から抜け落ちていた。

「まあ、夢だしね。最悪、死ぬわけでもないし」

美月は気軽に応えた。応えつつ、むしろ昨夜の時点で、誰からも他者の夢世界に入る方法を教えられていない筈の藤沢が良くここに来れたとも思った。その点を尋ねると、わざわざ八重樫が迎えに来て連れてこられたと聞かされ、納得した。

「ひとりよりふたりでしょ。数の暴力サイコー」

八重樫は人の悪い笑みを浮かべた。角の生やした姿でその種の笑みをされると、鬼というより人を陥れる悪魔である。

八重樫の思惑はとにかく、美月は自分の最大の疑問点、現実世界においての夢世界の記憶の有無について二人に尋ねた。二人とも、現実世界では夢世界の記憶がない、とあっさり回答してくれた。

「なんだろうな、二回同じやりとりしたって分かると、気持ち悪いな」

藤沢が嫌な顔をした。倉瀬のスカウトのことを指しているのは明白だった。

「ま、あれだ。細かいことはいいじゃん。それよりファイト、楽しもうぜ!」

八重樫は気にも掛けていないようだった。そんな些事より、これから起こることを考えて浮き立つ気持ちが抑えられない、といった風である。先程美月に黙れという仕草をとったが、八重樫自身の声がだんだん大きくなって来ている。

「須賀はどうするんだ?」

藤沢が尋ねてきた。美月は迷っている最中だった。どういうわけか藤沢、八重樫、そして恐らく倉瀬は、美月と異なり夢世界での記憶を現実世界で持っていない。今のところ多数派は持っていないほうだが、となると美月に何かしら要因があって、夢世界での出来事を記憶しているということになる。うやむやのうちに夢世界と現実世界の人格の同一化をしていたり、夢世界で色々小細工出来たりする八重樫に尋ねれば理由は知れるかもしれないが、藤沢たちと己が区別される最大の要因が性別であることを知っている美月としては、下手な質問をして女性であること感づかれてはたまらない。実際問題として、夢世界での記憶がなくとも、藤沢の例のように試験の合否判定には影響しないシステムになっているようなので、何か不都合があるわけでもない。美月としては、現実世界で夢世界の話題は出さない方が良い、という結論を得た。その収穫が出来た今となっては、美月がこのまま藤沢と八重樫に付き合って行動する理由はない。

「うん…足手まとい、だよね」

しいて理由があるとすれば、坊坂の合格を確認したい、という点である。ただ、八重樫が言うように深く考えずにアクション映画を楽しむ、くらいの気楽さがあればよいのだが、戦闘能力皆無の美月が側にいたら、はっきりいって坊坂の人格の同一化の邪魔にしかならない。

「ゲームで言ったら回復役だろ。むしろ必須じゃないか。俺は気にならない」

藤沢がさらりと言った。八重樫もこくこくとうなずきつつ、どこからか昔話のおじいさんが山で刈った芝を積んでくるような、もしくは二宮金次郎が背負っているような、背負子(しょいこ)を取り出した。

「大丈夫。これ持って来たから。ひょっとしたら、須賀も参加するんじゃないかと思って。良かった」

美月は八重樫の意図が分からず黙り込んだ。

「ほら、須賀、体弱いじゃん。夢なのは分かっているけど、やったことないことやるのは結構大変だからさ、体動かした経験のない奴が走ったり跳んだりは大変じゃないかなって思って。須賀はこれに乗って、藤沢が背負っていけばいいだろ。常に背後にいるんだから、守るのも簡単だし。で、必要な時に治癒をする、と。これなら問題無し」

「…」

そこまでしてもらわなくても良い、と美月が言う前に、藤沢が無言で背負子を取り上げると、背負った。恐らく藁を編んで作ったと思われる肩ひもの感触を確かめ、二三度その場でファンションモデルのランウェイよろしく三百六十度回転したり、その場で駆け足しの腿上げ運動をしたりしてみる。気に入ったようだ。

「ぴっかぴかのランドセルを自慢する小学一年生」

美月は呆れ顔で、思わず素直な感想を漏らした。誉めたわけでは決してないが、藤沢は満更でもない表情を浮かべた。そのまま腰を(かが)め、乗るように(うなが)して来たので、美月は溜め息を吐きつつ、あきらめて背負子に腰掛けた。その背負子には背負われる側にも、背負う側と同じような肩ひもがあった。美月はそこに両腕を通し、振り落とされないよう出来る限り体を固定した。美月がしっかり掴まったのを確認すると、藤沢は立ち上がった。前回は片手で片方の肩に担いでいた戦斧だが、今は背負子と美月に当たらないように、水汲みの際の天秤棒を担ぐように首の後ろに当てて両手で握った。

藤沢の準備が整ったのを確認すると、八重樫が脚力だけでひょいっと石段に飛び上がった。前回と同じ、美月の胸辺りまで高さのある石段である。美月に驚きはなかった。昨夜、夢世界での藤沢の身体能力の向上ぶりを目の当たりにしていたので、八重樫もそのくらいには行動出来るのだろうと納得した。藤沢が続く。美月という重りの存在を全く感じさせない軽々とした跳躍だった。膝のばねの使い方が上手いせいか、背の美月は着地の際の衝撃をそれほど感じなかった。

「あ、そういえばここ、省略できる…」

二人が二段目に行く前にそのことを思い出し、首を伸ばして声を掛けた。わざわざ律儀に上っていくことはない、と説明するが、八重樫は首を振った。

「今回は駄目」

「…」

「いるんだよねえお邪魔虫が」

そういえば、誰かに見つかるからと、大声を禁じられたのだった。そもそも美月が乱暴に引きずり込まれたのも、その誰かの仲間か、同類かと思われたせいなのかもしれない。美月は口を閉じると、八重樫と藤沢の行動を見守ることにした。


幾度となく跳躍を繰り返し、かなりの石段を上がった。二人とは逆方向を見ている美月の目には、最初こそだんだんと入って来た扉が小さくなり、霞に呑まれていく様が見えていたが、その後はただ石と霞みの占拠になってしまった。思ったほどの揺れはなく、その揺れも藤沢のにくらしいほどに一定した律動にそっているので、夢の中に入るというのに、美月は心地よい眠気を覚えるほどだった。

先行していた八重樫が、足を止めた。藤沢も続いて止まる。美月は首を回し、八重樫と藤沢の視線の先を追った。門扉が見える。門扉までの距離はまだ相当あり、かなり霞みに視界を阻害されているものの、前回美月が見たときと同じ巨大さは、門扉の前に佇む人影との対比で分かった。人影は一つだけではなく、門扉のある最上段から、その何段か下にかけて散らばっていた。数えるだけの猶予はなかったが、恐らく全部で十二人。顔は知っているが名前と一致していないのが大半で、一人だけ一致している人物がいた。昨夜と同じ小袖に袴。脇にさした日本刀。倉瀬だった。

美月は首を戻すと頭を抱えた。全員を確認出来たわけではないが、倉瀬と同じような袴姿、学院の詰め襟の制服と、デニムにTシャツ、ダウンジャケットは確認出来た。寝間着にしているスウェット姿の美月と同じく、ごく普通の格好である。倉瀬とその他数人の和服は普通とは言わないかもしれないが、それでも剣術部のユニフォームだと言われればその通りである。何故、藤沢と八重樫に限ってあの格好なのだろう。美月は心の底から疑問に思った。

「なかなか面白い顔ぶれだな」美月の内心など知る由もない倉瀬の、声が石段に響いた。「だが少なすぎるようだ。我らが二組の…」

現実世界で聞くより、いくらか気取った、演劇めいた言い回しだった。それなりにきちんと『敵』を出迎える手順を決めていたのかもしれないが、どちらにせよ最後まで聞くことは出来なかった。倉瀬の話しが途中であることなど完全無視で、八重樫が問答無用の先制攻撃を仕掛けたからである。

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