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第5話 旅路


「……ふぁああ。ハルト……?」

 微睡みの中から何とか声を上げ、騎士を呼ぶ。

「はい、もうすぐ飯は出来ますから座ってて下さい」

 かすれそうに小さな声で返事をして、まだはっきりしない意識をクリアにするため二、三回頭を横に振った。

 少しすると、ハルトは食事ができたと船を漕ぎ始めたライラを呼んだ。はっとして今度はきちんと目を覚ますと、急に美味しそうな匂いが漂ってきた。

 夕飯のメニューは軽く焼いたハムにパン数切れと野菜がふんだんに入った豆スープで、たまにソーセージが入っていた物だった。当然、宮廷で出される物より豪勢ではない。が、ハルトの料理の腕が良いのと、こんな風に野宿した場所で食べるというのも手伝って、非常に満足した。

 食べ終わると本格的に睡魔が彼女を突っつき始めた。

「……うん、悪くない時間だ。眠るとしましょう。天幕の中も充分に暖まったことですしね。ああ、そうだ。姫、良い物を見せてあげます」

 ライラはほとんど毛布にくるまった状態で――つまり芋虫のようにうねうねと――彼の隣に辿り着いた。

「何を見せてくれるの?」

「ちょっと素晴らしい物を。そのまま、寝た状態で仰向けになって下さい」

 ごろりと、頭を天幕から少し外に出すようにして上を見た。

「――――すごい……」

 そんな言葉以外に口から出ぬほどの光景だった。

 宝石をいくつ散らせばこんなにも美しい夜空になるのだろうと悩みほどの満点の星空だ。

「これも、実を言うとうんざりする理由の一つだったりするのですよ。眠るには惜しいほど美しいし、あまりにも眩しいのです。これは標ではなく、旅人を照らすためにあると思った方がしっくり来るほどですよ。〈星神〉アーレは惜しむことを知らぬようです」

 〈星神〉アーレとはその名の通りの神で、星は彼の宝石であるため、豊かさも同時に司る。夜空が星々で輝くのは彼が毎夜、自分の財産である星を散らして旅人の標になる。星が見えない日には、きっと〈星神〉アーレの機嫌が悪いのだと旅人たちの間でよく言われる冗談だ。商人の間では大損をこかぬよう、用心しようという会話が交わされる。

「とはいえ、寝ないわけにはいきません。なに、〈星神〉アーレはケチな神ではありません。彼を奉っているジェオノーレ人はケチな商人ばかりですがね。だからいつでも見ることは出来ます」

「ええ、そうね。でも、この気持ちで見ることはもう二度と出来ないわ。心配しなくてもすぐに寝ます。ハルトは先に寝てて」

「仰せの通りに姫様。楽しむのは、ほどほどに」

 柔らかな微笑、それに慇懃な言葉遣いと共に彼は天幕の奥へと引っ込んだ。

 彼女はちょっと――少なくとも彼女の感覚でちょっとの時間、夜空を満喫した後、ハルトの隣で寒さなんて感じないほどの暖かい眠りについた。

 





 朝、王女は起きると感覚的に寝坊したと悟った。太陽は真上に近かったし、この時期独特の朝の寒さは過ぎ去っていたのを確認すると疑問が湧いてきた。

 何故ハルトは起こさなかったのか。

「…………」

 彼女は大きく伸びをして寝過ぎたせいか気怠そうにテントから這い出た。

「おや、おそようございます」

 馬の世話をしていたハルトが振り返る。

「ふざけないで」ライラはぴしゃりと言った。

「これは失礼」 

「もう……。それで、どうして起こさなかったの?」

「ああ、別に今から出発しても充分間に合いますので」

 太陽の位置を確認するようにちらりと雲一つない空を見上げた。

「時計は? そうやっていちいち上を見ることもないでしょうに」それにハルトは苦い顔になった。

「姫、やめてくださいよ。何で旅をしているのに時間をいちいち気にしてなきゃいけないんですか」そう言って、テントへ歩を進める。「だいたいが分かれば良いんです」

「そんなものかしら」

「ええ、時間を気にするのは貴族の時だけで良い」

 彼はさっさとテントを畳み、荷物入れに突っ込んで。軽い朝食を摂ると出発した。

 そして彼らは馬を走らせ、ライラの頭が本調子になった頃。とある話題が持ち上がった。ハルトの極めて個人的なことだ。発端はライラの一言だった。

「そういえば、ハルトの執事はどうしたの?」

 彼女の疑問ももっともだった。貴族ともなれば、お供は必ずいるものだ。

「アドラーベに残って色々やって貰っています」

「へえ、王都で? そもそも色々って何よ」

「――色々です」教えてくれないことを察したライラは新たな疑問が生まれたので話題ちょっとだけ変えることにした。

「執事がいないんなら領主代行は誰がやってるの?」

 たいていの上級貴族が最も信頼できるのは家来か妻だ。だから、領地の管理は彼ら不在時はどちらかに任せるのがほとんどだった。

「……妻です」と、一言述べた。

「ああ! 貴方ってば結婚していたものね。すっかり忘れていたわ」

 手をぱんと叩き合わせるライラ。

「そうでしょうとも。結婚式もろくっすぽちゃんとしたのを行っていませんからね」

「それはまずいんじゃない?」

 女性とは結婚式が大好きな生き物だ――何歳になっても。

 少女の時代は憧れて、母になれば親として、歳を取れば孫の衣装選びの手伝いをする。

「逆に大々的に行えばそれこそ色々と問題が起きるのです。俺の妻にも多少問題はありますし、彼女と俺では地位が全く違ったので」難しそうな顔をして話す。

「リリアナ・コンスティ=リズンという名前に聞き覚えは?」

「――あるわ。まあ、たった今思い出したのだけれど。噂でしか効いたことはないけど、確か指折りの美人よね。リズン(下級貴族)だけど」

 彼女は記憶を探るように綺麗な大きな瞳を左へ向け、脳を刺激する。ライラの癖のような物だった。考える時や思い出す時はだいたいが彼女の瞳は左を向いている。

「ええまあ。下級貴族を娶る上級貴族はいませんから。男も女も常識外れになります」

 下級貴族は最も地位が低い。他の貴族からすれば平民とあまり変わらない。リズンの女がアイヴァーグの妻になるには地位が違いすぎて、売女が身体を使って妻になったと噂されるし、男が妻として迎え入れるのは身体を狙った卑しい夫との評価を受けるのだ。

「それでも妻にしたのね」

「俺は、他の人間にどうこう言われても気にしませんので」

 ハルトはその気にしないという性格を使って、好き放題やっている。およそ貴族らしくないことまで。

「そうでしょうね。何に惹かれたの?」

「もう良いでしょう?」

 ハルトが懇願するようにライラを見た。

「だめよ」きっぱりと言った。

「……会えば、分かりますよ」

 それきり彼はいかなる追及にも屈さなかった――それこそ街に着くまで。





「この街は大きいの?」その問いにハルトはため息をつくと。

「そりゃ、まだ王都の近くですから」

 番兵のいる大きな門をくぐって街へと入る。

「悪かったわね。初めてなのよ」赤面するライラにハルトは「知ってます」と言った。

 夕方になって青色と橙色の境界線が出来はじめた頃に、彼らは宿を探すために通りを歩いていた。

「この街は南端に行くにつれて高くなります。全てがね」

「よくできてるわね」王女が感心した様子で街を見回した。

 そうして馬に乗っていると、前方から荷馬車を引いた外国人の商人がやってきた。護衛が馬車の周りを退屈そうに歩いていた。商人の恰幅はたいそう良く、顔もぽっちゃりしていてまるで丸い玉のようだった。歳のせいか禿げ上がっている頭を時折、撫でていた。表情は穏やかで愛嬌たっぷりとまではいかなくとも愛想のいい顔をしている。

「もし、そこのお方」

 丁寧な呼びかけだった。――相変わらず頭を可愛がってはいたが。

「はい、なんでしょうか?」

 彼もそれに応じた。ただ、ライラの目からは何か、警戒しているように見えた。

「失礼でなければこの街のことを教えて頂きたいのですが」

「良いですとも。何です?」

 ふと、ライラは彼らのやり取りのどこかにおかしさを感じた。それがいったい何かは分からない。

「街で一番の宿屋はどこでしょうか?」

「それは恐らく最も南端にある赤羽亭でしょうね。いま私たちも行くつもりでしたのでよろしければご一緒なさいますか?」

「おお、お願いできますか。助かります、あとでお礼は致しますので」

 彼女はじっと観察していると何がおかしかったのかようやっと気が付いた。普通であれば、それは間違いなく見落としていた。ライラは極めて優れた観察眼を持っているという証だ。

「いえ、そんな」

 商人の頭を撫でている手が時折何か喋るようにひらめいていたし、ハルトの手は話すかのように動いていた。

 宿屋に着くまで彼らは他愛ない話をしていた。やれ冬は寒くて敵わんだとか、やれ山賊に戦々恐々していただとかを話していた。

「ご丁寧にありがとうございます。これはお礼になりますので、ご遠慮なさらずに。私は少しやることがありますのでお先にどうぞ」

 そう言って、お礼をハルトに小さい袋を手渡した。するとハルトが「〈星神〉アーレの星々が――」それを商人の彼は引き継いで「――我らの元に墜ち、さらなる繁栄を」握手を交わすと商人は去ってしまった。

「さ、中へ入りましょう。体を冷やすといけない」

 馬を預けて中へと入る。宿の中は、物価の高い南で一番の宿屋らしく、清潔で、謙虚ながらも華やかさがあった。

 宿屋の主も物腰の柔らかな丁寧な男性だった。

「部屋はどう致しますか。別々のお部屋にもできますが……」

 男女の二人だが夫婦には見えなかったのであろう、気を遣ったらしい。

「ライラ、別部屋の方が良いですか?」

「いいえ、一緒で良いわ」

「一緒で良いとさ。一晩いくらだい?」

「はい、銀貨二枚になります。ああ、ご夕食はこちらでお召し上がりになりますか? お部屋でお召し上がるようでしたらすぐにでも運ばせますが」

 庶民がこの宿屋の料金を見れば目が飛び出るであろうことは確かだ。一人分の料金が彼ら平民が稼ぐ月収相当なのだから。

「頼む。それと食事に給仕はいらないし。小間使いもつけなくていい」

「かしこまりました。お部屋にご案内致します」

 部屋に入ると、思わず眠たくなるような暖かな空気に包まれた。隅々にまで掃除が行き届いており、一流の宿屋らしいことを暗に教えてくれた。

「――さっきのは何?」

 食事が来る前に好奇心を満たしておこうと彼女は考えた。

「さっきの言いますと?」

「ええと、ほら……こうやって、何か合図してたじゃない」手をひらひらと蝶のように動かしてみる。彼は憮然とした表情になった。「そんなに大声では話してませんよ」不機嫌そうな声音だ。

「……どうしたの」

 ライラはハルトの突然の態度に困惑した。そんな彼女を見て、諦めたようにため息一つ。

「あれは手話というのです。起源はジェオノーレを建国した〈盗賊王〉オレヴォスが発明しました。彼は耳が聞こえなかったらしく、仲間とのやり取りのためにこれを編み出したそうです」と、手を動かしてみせた。「それが彼の率いている盗賊たちの間では必須の技能になり、いつしか盗賊の間で交わされる秘密の会話になりました。手話は優れた伝達手段でしてね、誰にも聞かれる心配すらない。ジェオノーレ人で国立秘密情報局に所属していれば皆できますよ」一通り歴史を説明するハルト。

「要するに泥棒とスパイが使う暗号?」

「まあ、平たく言えば」

「どうしてハルトが知ってるの」刺々しい口調になった。

「安心なさって下さいよ。俺はスパイでもこそ泥でもありません。――かつてはそういうこともしていましたが。この国の話ではありませんよ」

「それにしても、さっきはどうして不機嫌になったの?」

「まさかライラが気付くとは思ってなかったんです。一般人に気付かれるのはたいそう不名誉なことなのです。優れた観察眼をお持ちのようで」

「それありがとう。そういう目を養うよう言ったのはあなたでしょうに――ねえ、ハルト」

 彼女は猫のように甘えた声を出して言った。

「だめです」

「まだ何も言ってないじゃない!」

 ライラはあの女性特有のヒステリックな甲高い声で抗議した。「王女が覚える必要があるとは思えません」――あくまで譲らないつもりのようだ。

「なんですって?」

 更に音程と音量が上がる。

「……ああ、もうわかりましたよ。食事中もその調子でいられちゃ気が狂いそうだ。ええ、教えますとも」観念したのか降参の証に両手を挙げる。

「約束よ?」

「ええ、誓いますよ。あなたにね。神に誓うのは好きじゃないんです」

「やたっ、愛してるわハルト!」衝動的にライラは彼に抱きついた。

「ええ、俺もです。さて――もう離れた方が良い」言うと、彼女の手をほどくとノックの音が響いた。

「お食事をお持ち致しました」

「ああ、どうぞ。入ってくれ」

 会釈と共に数人の下男が夕食を運んできた。

 食事は宿の値段に見合うだけの豪華さを誇っていた。パンも焼きたてのようだったし、スープも熱々。更には肉厚なハム。その他の料理も二人をとても満足させるものだった。

 ハルトとライラは暖炉の前のソファに座り、楽しい語らいのひとときを過ごしていた。暖炉の暖かさは二人を癒やし、炎の揺らめきは安らぎを与えてくれた。彼は話している彼女の足掛けが少し前過ぎることに気が付いた。

「ライラ、靴を焦がさないように。さもないとそれをあなたの夜食にしますよ。まあ、もちろん賢いあなたですから、焼き加減は分かっているでしょうが。ちなみに、私の好みはレアであってウエルダンではないです。姫は?」ハルトは皮肉めかして言った。

きっと彼を睨むと。「ええ、分かったわよ。……よいしょ、っと。ねえ、聞いて良い?」足掛けを足だけで器用にちょうどいい位置へ持ってくるのをハルトは眉を顰めながら眺めていたが、何も言わずに答えた。「構いません。――妻のことでなければ」強調するように付け足した。

「まだ言ってるの……私もしつこかったけど。さっき恰幅の良い――」ライラはちょっと言い直して。「……貫禄のある商人にお金を貰ったでしょう。あれは何? 案内料にしては高いでしょうに」

 彼はライラをじっと見つめ、悩むように目を宙に漂わせる。お姫様がちょっとだけイライラし始めた頃やっと口を開いた。

「……あなたのそれは本当に度し難い。姫は勘が良すぎますし、観察力がありすぎる。それは危ないことです。好奇心は猫をも殺す。忠告です。気が付いたからといっていらないことに首を突っ込まないように」

「守ってくれるんでしょう?」

「ええ、そうですとも。だからといって……まったく。今回は隠すようなことでもないので教えますよ」こんな風にあっさりと誤魔化したりしないところがなんとも彼らしい。「彼の名前は――どうでも良いか。で、話の内容は俺の友達が会いたがってるそうなので、来てくれ、とのことです。あの金はジェオノーレ金貨五十枚なんですけどね、これは借りを返して貰ったんですよ――友人からね」

 お金で借りを返すということをあまり分からなそうにしているのを見て、ハルトは更に付け加えた。

「友人が困っているところを有償で解決してあげたんです。金貨四十枚で。でも、そいつは手持ちがなかったんで今ようやっと返して貰ったんです――利子付きでねと」

「どんなこと――と聞くのは駄目かしら?」

「できればやめて下さい」

 ライラはわかったと返事をする。

「助かります。今から友人に会いに行きますが、来ますか?」当然、王女様は驚くべき速さで答えたのだった。

 

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