第3話 出立
「さぁって、姫様。準備はよろしいですかな?」
ハルトはライラ姫を抱き上げて、馬に乗せてやる。
「準備も何も全部あなたがしてくれたじゃない」
なに言ってるのよ、という顔だ。どこか面白くなさそうだ。
「ま、それは気にしない方向で行きましょうや。ああ、そうだ。書き置きは残しました?」
「ええ、もちろん。私はほとんど何もできないとは言え王女なのよ? それくらいはしなきゃ。ハルトと旅に出ます、って書いてきたわ」
「よろしい」
教師が先生を褒めるかのような慈愛に溢れた顔で言った。
「ねえ、それやめて下さらない? 昔を思い出して変な気分になるのよ」
背中がむずむずするのか、後ろに意識を向けていた。
「ああ、癖でね。仕方がないでしょう。気分は今でも教育係ですよ」
「一生、そうでしょうね。きっと」
恨みがましい視線を向けられるとハルトは笑って。
「さて、ライラ。楽しい旅の始まりですよ。おかしな気分になるのも結構ですが、いまの気分は?」
たいてい、ハルトは二人きりの時にはライラと呼ぶ。たまに姫だとかの呼称になるが、気分によりけりだ。
「そうね……ええ、正直に言うと最高に楽しみ――いえ、訂正するわ。もうすごく楽しい気分よ!」
この年頃特有の好奇心に満ち溢れた笑顔だ。
ライラは王城から出た事があまりない。王城から出たのだって、行事では人生で五回。ハルトに連れ出されたのが十三回。合計しても十八回しか外へ出た事がないのだ。
「それでは、出発致しましょう。物も既に馬に乗せてありますから」
そう言うと、ハルトはひょいと彼の愛馬に飛び乗った。
「それにしてもハルトの馬、ずいぶん大きいわよね?」
確かにライラの騎乗している馬よりも二倍以上あるのだから相当大きいだろう。
「ええまあ、そういう品種です。ほら、西のベスクリア産の馬ですから」
「ああ、通りで」
納得がいったらしく、何度も頷いていた。
ベスクリアとは、地名でもあり、民族の名でもある。
アースタンド王国のすぐ隣、西に位置する土地を指す。そこを拠点とする遊牧民族をベスクリア騎馬民族と呼ぶ。特定の王はおらず、いくつもの部族から構成されている。
あちらからの侵攻は幾度もあったが反撃はどの国も出来ずじまいだ。その理由は、ベスクリア自体はとても広大な平原、こちらはベスクリア大平原などと呼ばれているのだが、平原に辿り着くにはどの国だろうと途中の砂漠を通らなければいかず、現時点ではどうやっても水が足りなくなる。ベスクリア人はどうにかして水を得ている物と考えられているが、どのようにしてかは依然不明。
ベスクリア人の民族気質としては、好戦的だが気さく。特徴は肌の色が褐色で騎馬の技術に極めて優れている。更には槍・弓の扱いが巧みである。弓はエルフと同等かそれ以上に長けている事がわかっている。
上質な馬の産地でもあり、その馬の質によっては通常の馬五頭分の価値はあると言われる。
「ですよ。では、もう行きましょう。あ、王都の市場に寄りますから」
「え? ああ、そうなの」
馬の腹を蹴って、速歩で走らせる。
二人が出発した場所は、王城の裏側近くにある厩。裏側だろうと、衛兵はいるので正門から出るより多少マシという程度だ。
厩から裏の門へに着くと、やはり衛兵が止めてきた。
「お止めして申し訳ございません。ギルデウス卿、ライラ殿下をどこへお連れになるおつもりでしょうか」
王都の警備は平民にやらせず、伝統的に中級貴族の担当だ。兵士として平民は使うが、警備としては平民如き信用ならん、という彼らの傲慢である。
「なに、少し散歩にな。問題でも?」
「問題、と言われますと……」
言い淀む、上級貴族であるハルトには強く言えるはずもなく。
「ない、だ。良いか、問題など皆無だ。もしも私たちを見逃した事について何か言われたら、私が押し通ったと言うんだ」
命令口調でそう言う。ハルトは上に立つ事を常にしていることもあり強く言われるとほとんどの人間が従ってしまう。
「……そういう訳にも行きませぬ。せめて、許可証を」
どうやら、職務に忠実な人間らしい。命令したにも関わらず、食い下がる気配を見せない。
ハルトはふむ、と一つ唸ると。
「――姫、全速力でついてきなさい」
愛馬に全力で走るように命令すると、即座に応答した。
「なっ、と、止まって下さい! 皆、止めてくれ!」
衛兵の横を抜けると。呼ばれた近くにいた他の衛兵がとりあえず前に出てくるが、遙か上の階級に属するハルトたちへは強制的に停まらせるような手段は取れず、見ているだけだった。
「はっはー! 諸君ら、追ってくるような真似はするなよ!」
笑い声と共にとんでもない速度で去って行った。
§ ¶ § ¶
街中に出て、最も賑やかな市場に入る。多種多様な物品――罵詈雑言もおまけでついたりするが。
「――もう、ハルトったら! あんな事するんなら先に言ってくれないかしら」
「楽しめたでしょう?」
にやりと口角を吊り上げた。
「そうだけど……真っ正面から行くだなんて」
責めているが、どこか楽しそうな口調のライラ。
「全速力で走ってるんですから誰にも止められやしませんよ」
「あんなに速く走ったのなんてほとんど初めてよ。練習でちょっとだけ襲歩で走ったけど女の私に必要ないとかで」
不満そうに口を尖らせる。その仕草にハルトは微笑みながら。
「ま、王女様が襲歩で走るなんてしませんからね。でも、いまはもう自由です。むしろ、嫌になるほど走りますよ」
「楽しみにしておくわ」
ふふん、と返すライラ。
「と、既に近くに来ていましたね。ここで降りますよ。馬はそこの子どもに預けて下さい」
二人して馬から降りる。ハルトは手綱を引いたままとある店に近寄っていった。
「服屋……よね?」
ライラが自信なさげななのは、店を見たこと自体が少ないからだ。
「そうです。姫様、いま着ている服と俺が預かった服ですが、目立ちすぎます。いらない服で来て下さいと言いましたが、そういえば貴族ですもんね。売ってしまっても構いませんか?」
「うん、そうね。確かに、目立つわね」
自分の服装をしげしげと見るライラ。貴族の女性が着るような正装ではなく、スカートではあるが動き易さを重視した格好のため、そこまで派手ではないものの王族が着るものなので一般からすると目立つ。
「では、中に入りましょう。――すぐ済むと思うが丁重に扱ってくれよ」
ハルトがそこの子ども、と表現した男の子がハルトたちが店に用があるのが分かると、寄ってきて馬の手綱を引いて馬小屋へと連れて行った。
「へえ、馬って預かってくれるのね」
「この店は、ですけどね。こんなことしてくれる店は珍しいです」
そんな事を話しながら入店。
「ではでは、売ってきますね。あ、姫様も一緒に。着ているのも売っちゃいますから」
ハルトはいつの間にかライラが預けた服なのか、袋を手に持っていた。
「ええ、了解」
ライラは服に拘るタイプの女性ではないため、売る事になんら不満はない。
「――店主!」
ハルトの大きな声を聞きながらライラは周囲に目を向ける。ものすごい数の衣服が所狭しと並んでいる。新品も中古品も扱っているせいか雑多な印象を受けたが、それよりもこんな場所を見たという事が驚きだった。
「……ん、何の用だいお貴族様」
眼鏡を掛けた老店主が迎えてくれた。髪はほとんどが白く、数本が茶色で昔の名残を残していた。店主が一目見ただけで貴族と分かったのは、金髪に青い瞳だから。貴族の髪の色は様々だが金髪が最も多い。一方、瞳の色だけは青色だ。もしも貴族だとしても青目ではなかったら確実に平民との間の子だろう。
レドアスター人の間では貴族の見分け方として最も一般的な方法だ。他国だと、必ずしも瞳が青とは限らないので。
「服を売りたい。かなりの上物だ。もちろん、貴族だからだが。で、その売った金で新たに服を買いたい。出来れば新品が良いが、ないなら中古で良い。が、良いものをな」
「ああ、どれ見せてみな」
「ほれ。それと、彼女の着ている物も売りたいんだが」
と手渡した。
「上等すぎるな……そのお嬢さんが着ているのも同じだ。安く買い取る事になると思うが、どうする?」
睨むように品定めした後にどうしたもんかとため息を吐く。
「構わんよ。では、物を買った後に売った金を寄越してくれ」
「ああ、で、どんな服が良いんだい?」
ライラを見て、話し掛けてきた。
「え、私?」
「いえ、俺に決めさせて貰いますね」
「良かった……」
急に話を振られた物だからびっくりしてしまった。ほっと胸をなで下ろすライラ。
「そうだな、動きやすく長旅にも耐えられる物。あと、防寒具として羽織れる物を。オーバーコートが良いな」
「あいよ。ちょっと待ってな」
店主が店を歩き回って、ものの数分で見つけてきた。
「どうですか、ライラ?」
「うん、良いと思う」
「ほとんど新品だ。コートを除いてな」
レザーパンツと簡素だがしっかりとした作りのチュニック。女がお洒落でする格好ではないが、ライラ自身旅の共としてはとても気に入った。
「どこ製だ?」
ハルトが観察するように衣服を見ながら言う。
「全てこの国で作られた物だからおすすめだ」
「なら良い。……外套もきちんと厚みがあって、暖かい作りなだな。よし、これで良い。着替える場所はどこだ?」
「奥を使ってくれ」
「だそうです。どうぞ」
「ええ、使わせて頂くわね」
数分後、ハルトが店主とどうでもいい世の中の世間話をしていると、終わったのかライラが新しく買った服に身を包まれて姿を見せた。
「どうかしら?」と、少しポーズを取ってみる。
「ええ、お似合いですよ」
微笑みながら答えるが、心の底からの本音だった。実際、誂えたようにぴったりと合うレザーパンツ。身体を引き締めるように作られたチュニックに、身体を寒さから守る防寒具も全て、ベテランの旅人の様相を醸し出していた。――惜しむらくは、彼女の歳が若すぎるところか。齢、十四であるからにして。
「本当に? 良かった」
ライラも柔らかく微笑む。
「では、店主。金だ」
「分かってらぁ。ほれよ」
小袋を二つ、ハルトに手渡す。袋を開けて銀色に光り輝く硬貨を一枚取り出した。
「この金貨を一枚崩してくれないか?」
難しい顔をするハルト。
「良いぞ。銀貨か?」
すぐさま気安く答える老店主。
「いいや、銅貨で頼む」
「銅貨? そんな細かくて良いのか?」
貴族がわざわざ使うとはとても思えなかったのだろう。不審の色が浮かぶ。
「なに、私は不良貴族でね。民の遊びが好きだったりするんだよ。彼女にもそれを味わわせたくてね。銀貨ではあまりにも大きいだろう。そして、そういうところだと銀貨は怪しかろ?」
ハルトの言った『遊び』とは、品の良い遊びではない事がわかったのか、店主も納得したようだった。
「まあ、良いさ。お前さんの主をあまり変なところへ連れて行くんでないぞ」
「ふむ、了解した。にしても、やはり主従だと分かるか?」
「そりゃあな。小娘に大の男が馬鹿丁寧に話してると来たもんだ。そして、お前さん。ずいぶんと上のご身分らしいな? 身振りと喋りで分かる。で、その上のご身分の奴が敬語で話してる。つーことは、そのお嬢さんは――おっと、ここで口は閉じるとしよう」
わざとらしく口を手で押さえ付けた。
「なるほど。あなたは良い目をしているな」
ハルトは瞬き一つ。すると、雰囲気が変化した。そこに貴族はどこにもいない。
「――このじじい。馬鹿言うんじゃねぇよ。このうすらボケが。口調くらいどうにでもならぁ。こんの耄碌じーさんが。身振りだぁ? これが貴族だと? 笑わせんじゃねぇねよくそったれが」
一瞬にして場末の酒場にいそうな粗野な男の訛りになった。訛りは貴族と平民を分ける一要素でもある。田舎に行かない限り、おいらだとかオラだとかの訛りにはならないがちょっとした言葉の言い回し、アクセントなどで貴族が平民に化けたとしても、注意力に長けた人物であればあれば分かってしまう。
だが、ハルトの口調や雰囲気は完璧だった。平民そのものだ。
「――こりゃたまげたな。深く関わらない方が良さそうだ」
「はっ、そんな警戒せんでも大丈夫だって。で、銅貨に替えてくれよ?」
そのままの口調で続ける。
「分かった分かった。銅貨だと多いからな、待ってろ」
そう言ってしばらく掛かったが袋を持って来た。合計十袋となって、重そうだ。
「おう、助かる。じゃあな、じーさん」
「毎度あり、もう来んな」
苦々しい表情の老店主を背中に店を後にする。
「――ちょっとそれで話続けて。立場とかどうでも良いから」
ライラからの頼みに無言のハルト。どうすれば良いか考えてるようだ。
「ダメです。あなたは俺の主で、俺はあなたの騎士である。故に、ダメです」
「…………けち」
ライラはきっぱり断られると頬を膨らませたのだった。