ロウ
王国直属衛兵部隊の総隊長イシュバーノ・コンクティスが去ったあとの団長執務室は沈黙に包まれていた。部屋に入ってから未だ一言も言葉を発していない金髪の団員はともかく、ブラッド騎士団団長ブラッド・J・アライアンスも何事かを思案する顔で――イシュバーノの語った内容を自分の中で整理しているのだろう――ブラインドの隙間から風景を望んでいた。
ミドルの街には背の高い建物が少なく、ここブラッド騎士団本部、通称〈黒鉄塔〉の最上階である団長執務室は街の全貌を見渡せる数少ないスポットだ。
様々な色の屋根や通りを行き交う人々を右から順繰りに眺め、最後に黒鉄塔の左斜め下方の小奇麗な建物に視線を固定する。
その建物はシオンとアスカがブレイクタイムを過ごしているカフェだ。ブラッドの視線の先で、アスカが何事かを喚きながら攻撃を放ち(もちろん武器は使っていない)、シオンは回避しながら、こちらも何かを叫んでいる。
――あんな表情を見るのは何年ぶりか。
――それだけ影響力が有るということか。
胸中にちょっと覚えのない感情が浮かんで、ブラッドは柔らかい微笑を浮かべるとシャッとブラインドを再び閉じ、シンプルだが上質なアームチェアを軋ませながら座った。
そこで表情を改めて、ゆったりと腰掛けながら隣に石像のごとく直立する団員に声をかけた。
「流石の彫像具合だったな、リィバル」
リィバルと呼ばれた団員は、ぴくりと表情筋を動かして初めて口を開いた。
「黙って横に立っていろという命令だったのでそれを遵守したまでです。ただ、このままではこの姿勢で固まってしまいそうですので動いてよろしいですか」
平坦な声でそう告げる部下に、椅子の背もたれに寄りかかりながら見上げて苦笑いを向ける。
「ああ、御苦労。私としても微動くらいしてくれた方がお前が生きていると再確認できる」
「では――」
ブラッドに許可をもらった瞬間、リィバルは全身を軽く脱力させると、足を肩幅に開いてゴキバキと首や肩を鳴らした。
肩をぐるぐると回しながら、リィバルはゆっくりと団長と机越しに正対する位置まで歩いき、再び口を開いた。
「っかぁー疲れたぜ。あ、別に命令に対する文句じゃないぜ」
唐突に粗野な言葉使いになったリィバルに、ブラッドはやはり微苦笑を浮かべる。
「別に、あそこまで徹底する必要はないのだがな」
「いやいや、そーはいかねーって。俺は団長の命令なら、己が納得できない理不尽なモノ以外はすべて完璧にこなしてみせるぜ。アンタは恩人で、団長なんだから」
本来ブラッドが考える組織形態としての騎士団では、命令というものが存在しない。全ては団員の自由であり、例え騎士団長その人からの直接の命令や指示であっても従うかどうかは本人次第ということだ。だがそれは裏を返せば、完璧に遵守することも本人の自由ということになる。
恩人という単語にブラッドは一瞬だけ苦い顔になるが、そこを掘り下げてもいつものやりとりに終始すると判断して、言葉は「そうか」としか返さなかった。
話題が終わったことを確認して、リィバルは粗雑な態度で腕を組んだ。
「にしても、あの衛兵長さまは流石ってか、あの年で、しかも武装しねーであの威圧感はヤベェぜ」
「イシュバーノ衛兵長か。彼とは古くからの友人だが、私ですら未だに彼の実力の底は見えんよ。……ところで、先程の話、どう思う?」
「話、ってのは、イシュバーノさんの?」
腕を組みながら問い返してくるリィバルに頷く。
「そうだ。シオン・シャドウハートが覚醒者だという見解について、どう思った?」
真剣な表情で、言葉を付け足しながら再度訊ねると、リィバルは少しの間沈黙して、言った。
「ぶっちゃけ、あのガキが覚醒者だの〈オリジナル使い〉だのって話は信じがたいぜ。確かにそこそこデキそうな雰囲気だったけど、精々A級どまりじゃねぇかな。そもそも、俺が隣の部屋に隠れてたことにも気付いてなかったみたいだしな」
団長執務室には、この部屋への出入口の他にもう一つ、入って左側に扉が存在する。扉の先はブラッドの私室になっており、実はリィバルはシオンとブラッドが対面していたときにその部屋に隠れ、こっそりとシオンの姿を確認していたのだった。
どうやらシオンは、完全に意識がブラッドに向いていてそもそも扉の存在にすら気がついていなかったようだったのだが、リィバルはそのことからもシオンを〈大したことがない〉と評価していた。
その回答に、ブラッドはニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「そのとおり。今の彼の実力では、精々A級の上位に食い込むかどうかと言ったところだろう」
含みのあるセリフに、リィバルは耳ざとく反応した。
「今の、ってーのは?」
「ふむ、では先程の君の言葉を引用させてもらおう」
サキホド? とリィバルが疑問に感じるより早く、ブラッドが二の句を続けた。
「武装せずに君にA級の実力があると判断させるとは、流石だと言わざるを得ないな」
「…………そりゃ、シオン・シャドウハートの事か?」
意図せず先程のブラッドと同じような返しをしてしまってから、それ以外ねーだろと自分で自分にツッコミを入れて気を取り直した。
「いやいや待ってくれよ。武装してねーって、どういうこったよ」
「どうもこうも、リィバル、君はずっと私の隣に立っていたのだから話も聞こえていただろう? 彼は今、何者かによってデバイスを奪われ、丸腰の状態なんだよ」
何故かブラッドは“何者か”の部分を強調して言ったが、リィバルにはその事に気が付くだけの余裕が存在しなかった。ぐるぐると頭の中を自分が得た情報、与えられた情報が行き交い、整理され、ある結論に達する。
――本来剣士(ここでは近接戦闘武器を使用する者のことを指す)とは、人そのものだけでは完成しない。また、当然だが武器だけでも完成しない。武器と、それを振るう人間が居て初めて剣士として完成するのだ。
故に、魔導士はともかく、剣士は武装していないとその威圧感や存在感などのオーラが減少する。具体的には、約半分、使い手の実力が高くても三分の一はその人間の放つオーラが減る。
つまり、仮に非武装状態でC級程度の実力に見える人間は、実際には武器を持つとB級か、悪くてもC級の中でも相当強いと評価される実力を持っているということになる。
ただ、実際のところ剣士が武器を非武装、つまり武器を持ち歩いていないか、あるいは武器ではなく荷物として運んでいる事のメリットなどはほぼ存在しないため、普通は視て感じた実力をそのまま信じても問題はない。
メリットがあるとすれば――強力な力を持つ人間が、相手にプレッシャーを与えないようにしたい時くらいだろう。
事実、今現在リィバルも、そしてブラッドもデバイスは自室に置いて非武装状態でいる。ブラッドはシオンに余計なプレッシャーを与えないため、リィバルは自分が容姿だけでも十分相手を威圧すると理解しているがために、外回りの警備以外の時には武装しないと決めているからだ。イシュバーノが非武装で訪ねてきたのも、おおよそ同じような理由のはずだ。
以上の情報と、シオンなる少年が非武装であること、それでいて自分が彼をA級の力を持つと判断したこと、そしてイシュバーノが語った〈覚醒者〉であるという指摘。それらを総合した結果、自分の出した結論にリィバルは冷や汗をかいた。
「おいおい……マジかよ。だって、いや、ホントに非武装なんだな? さっきのシオンっツー奴は」
「ああ、そうだよ。彼は間違いなく無手だった」
鷹揚に頷いたブラッドの顔を見つめながら、リィバルはやや青ざめた顔で、自分が出した結論を吐き出した。
「だとしたらだぜ……あのシオンっツー男は……アンタと同じぐらい、下手したらそれ以上の力を持ってるってことになンだぜ!?」
リィバルの知る限り、非武装状態でA級――つまり最高の一つ下――の実力を持っている人間は目の前のブラッド団長を含めて五人ほどしか知らない。そのうちの一人は先程までここにいたイシュバーノで、残る三人も大手のギルドのトップばかりだ。
つまり、ほとんどが壮年の男で、ブラッドがその中では最も若いと確信していたリィバルだったが――もし仮にシオンがブラッドと同等の力を持っているとしたら、最年少記録は大幅に更新されることになる。
「ちなみに、これは私の予想だが、シオン君はまだ二十歳にも達していないだろうね」
まるでリィバルの思考を読んだかの如き物言いだったが、リィバルはもう、ただ絶句することしか出来なかった。
――いったい、アイツは、
――どうやって、どんな……
「……どんな環境で育ったら、あの若さでそんだけの力を……」
ボンヤリとリィバルが呟いた直後、すぐ近くのカフェ付近でアスカと騒いでいるシオンが小さくくしゃみをした。
✽
「ふぇ……くしゅ!」
何故か急激に鼻の奥がむず痒くなり、耐え切れずにシオンは控えめなくしゃみをした。直後、背筋を寒気が走り、慌てて右に跳んだ。
コンマ五秒前までシオンが立っていた空間を、アスカがレイピアのように構えたフォークの尖端が鋭く突いた。
「…………チッ」
「いや、チッ、じゃねーだろ! あぶねーわ! てかそんな性格悪いキャラじゃなかっただろ!」
危うく路上殺傷事件の被害者になりかけたシオンが喚くが、アスカはそれを冷徹な表情で一蹴した。
「煩いわね。いいから大人しく喉仏を差し出しなさい」
――コイツぜってぇー女王様の資質あるわー。
と現実逃避のように考えながら、否応なしに棄てられた旧市街でのレイピアの一撃を思い起こさせられる銀色の刺突を回避する。すでにカフェの奥では店員たちのナイショ話がヒートアップしすぎて過熱気味だ。
大方、えーなんであの男アスカ様に刺されそうになってるのぉ? あれじゃない浮気とかじゃない、えーないわーみたいな会話がなされているに違いない。いや知らんけど。と、またもどうでもいい思考で現実逃避をしていたが、虚しくなってやめた。
という訳(?)で状況を打開すべく、シオンはアスカの説得を試みた。半ば失敗するであろうことは何となく察していたが、それでも挑戦だけはしてみようという無駄なチャレンジ精神の下、両腕を突き出してアスカを制止しながら、言葉を選ぶ。
「えっと、まず落ち着こうぜ」
「必要ないわ。今の私はかつてないほど冷静だから」
冷徹の間違いだろうと思いながら、冷や汗を流して一歩後退する。
「ほら、俺が喋れなくなったらさ、困るだろ?」
「いいえまったく。寧ろ喜ばしいわ」
一切の躊躇なくそう言い捨てるアスカが一歩前進し、シオンもさらに一歩後退する。
「あー、えー……。……っ! き、騎士団の副団長が他人を傷つけるのはどうなのかな!」
不意に、明らかに相手のウィークポイントを突ける説得(?)を思いついて、疑問符にする余裕もなく叫んだ。するとシオンのセリフを受けてアスカが一瞬だけ動きを止めた。
よし、逃げよう。
と考えたのと、クイックターンからの全力ダッシュを決行しようとするまでのタイムラグはコンマ一秒程しかなかった。――のだが、結局逃げ出すことは叶わなかった。
最小限の動きで振り返りながら地面を蹴ったシオンのすぐ後ろ――大体二~三メートル後方に赤い重鎧を装備した大柄な体躯の男が立っていて、ほぼ一瞬でその距離を詰めてしまったシオンは止む無く男の目と鼻の先で急停止した。
「うお……っと」
「ぬぉ……!?」
突然シオンに詰め寄られた男は驚愕したように大きく飛び退き、咄嗟に背中へと手を伸ばした。
男はくすんだ金髪をボウズ頭にしている。彫りの深い厳つい表情と合わさって中々の威圧感を対峙する者に与える。背が高く肩幅の広い体格と、赤銅色の分厚いプレートアーマーを着ている姿も彼から発せられるプレッシャーを増加させている。
次に、シオンは彼が手を伸ばす背中に視線を向けた。赤銅の鎧を装備する男の背中には、長大な刀剣が提げられているようだ。シオンからでは柄から鍔までしか見えないが、シンプルな形状の鍔を見るに装飾の少ない実用性重視の大剣だと思われる。
急な事態に咄嗟の判断――否、反射で背中の剣に手を伸ばすあたり、それなりに腕の立つ剣士のようだ……と考えたところで、彼の容姿、正確には装備する鎧の配色に見覚えを感じた。この目に痛い色合いの装備を好んで着ている姿は、あの〈鉄塔〉の中で散々見た――――
「アンタ、騎士団の人?」
やや唐突感のある質問だったが、大剣使いの男は無言でシオンを軽く睨んだあと、チラリのその後ろへと視線を向け、すぐにシオンに向き直って頷いた。
「如何にも。己は三大ギルドが一角〈ブラッド騎士団〉・ダンリー隊部隊長ダンリー・ロウだ」
「へぇ、騎士団って部隊とかあんのか」
やや的の外れた感想を漏らすシオンに眉間にしわを寄せたダンリーだったが、
「ご苦労様、ダンリー隊長。何か用かしら」
いつの間にか平素通りに戻ったアスカがシオンの左隣りに並んでそう尋ねると、僅かに表情を緩ませた。
「はい、ロードライト副団長殿。先程ブラッド団長より、ロードライト副団長とシオン・シャドウハートなる男に執務室へ戻るように伝えてくれと」
「そう、分かったわ。それじゃ、行きましょう」
後半部分はシオンへ向けたものだ。あまりにも態度が急変しすぎていてシオンは戸惑うが、万一にも余計な発言をして今度こそレイピアを抜かれたら堪らないので黙って従うことにした。
――――の、だが。
「待ってくださいロードライト副団長。その男は何者なのですか?」
横を通り過ぎようとするアスカを引き止め、ダンリーと名乗ったボウズ頭がそんな事を問いかけてきた。一瞬だけ面倒そうに顔をしかめたが、アスカは丁寧にもシオンを紹介するために立ち止まった。
「彼が、団長の呼び出しにあったシオン・シャドウハートよ。もういいかしら、あまりゆっくりしている余裕はないの」
丁寧だがすげない態度で今度こそ立ち去ろうとしたが、ダンリーはまたも食い下がった。
「この男がシオン? ……旅人のようですが、どういう関係ですか?」
かなり怪訝な顔でダンリーがシオンを睨んだが、シオンはそれよりも彼の後半部分の言い回しに疑問を抱いた。確かにこんな、小汚い外套を着た男と自分のギルドの副団長が一緒に行動していて、さらに団長に呼び出されているとなればどういう状況だ、と疑問に思うのも分からなくはない、のだが……今のダンリーの表現はともかく言い方は、もっと違う感じの――――
シオンがそこまで思考した時、アスカの声が聴覚を刺激して物思いは中断された。
「彼は…………」
しかし、言葉はそれ以上続かない。今のシオンは特殊な状況故に、何と説明すればいいのか悩んだのだろう。現状では未だ不法入国の罪人と言えるが、団長や――不本意ながら自分も彼の不法入国を無かったことにするために動いているので罪人と表現するのは違う気がする。かと言って、ではなんと表現すればいいかと聞かれれば……である。
そうこうしてアスカが悩んでいる間に、ダンリーが待ち切れないかのように長広舌を開始した。
「副団長が自ら同行しているということはそれなりに重要な人物なのでしょうが、罪人ではないですよね。罪人ならば拘束しているでしょうし、そもそもこんな所でノンビリとしていないでさっさと牢に捉えればいい話ですから。ブラッド団長が呼び出すというのも分かりません。それに何より、何故副団長と二人きりで同年代の男が居るのですか? これは〈親衛隊〉として――」
堰を切ったようなダンリーの台詞を、
「チョット待ちなさい。ダンリー、今とても不適切な表現が聞こえたわ」
というアスカの制止によって止められた。唖然として聞いていたシオンも何度か瞬きをすることで脳みそを再起動しようとしたが、その前に停止した頭に浮かんだ質問を投げかけていた。
「なあアスカ、親衛隊ってなんだ?」
シオンのこのセリフは、余りにも無用心だった。アスカとダンリーが二人同時にグルッ! とすごい勢いでシオンに顔を向けるので、二人の視線を受けたシオンはビクリと軽く飛び上がって後ずさりした。
「な、なん――」
なんだよ、と言おうとしたシオンの声は、
「貴様ロードライト副団長を呼び捨てとはどういう了見だっ!」
ダンリーの烈火の如き怒りの怒鳴り声と、
「………………」
アスカの絶対零度の冷ややかな無言のプレッシャーに消し飛ばされた。
「す、スイマセン」
思わず謝ってしまってから、俺に非はあっただろうか? と心の中で首を捻るシオンだった。