オリジナル
「ったく、何なんだよあの男……いきなり『騎士団に入れ』だって? なに考えてんだよ」
ずずずー、と行儀悪くジュースをすすって、テーブルに顎を乗せながら不貞腐れたようにシオンは愚痴る。
それを聞かされているアスカはというと、行儀良くケーキをフォークでいただきながらぞんざいに――主に対応する態度が――相手をしていた。
「良いじゃない。それで無罪放免になるんだから」
ぞんざいでもきちっとしたことを言うあたりに人間性が見えるというものである。内容が限りなく黒に近いダークグレーな話題であるという点については考慮しない。
アスカの慰めにもシオンは納得いかないのか、テーブルに顎を乗せたまま、口にくわえたストローを上下させて器用に喋り続ける。
「そーだけどさー……。なんつーか、うーん……」
「なによ、何か言いたそうな顔して」
ジロジロと上を下をと観察されて、居心地悪そうにアスカが身じろぐ。僅かに顔が赤くなっていることは幸いにもシオンに気づかれなかった。もっともそれがどちらにとって幸いだったかは、分からない。
存分にアスカ(の主に顔以外)を凝視して、腑抜けた顔で頭を横向きにしてテーブルに突っ伏した。ストローも使用者の状態に連動したようにヘタリと先端を力無くテーブルに落下させた。
「――――衣装がなぁ」
ボソリと呟かれた声は、周囲に人が少ないことも助けてしっかりとアスカの耳まで届いていた。
「何か不満でも?」
務めて怒りを抑えているように装っている声と表情のアスカに、シオンが気だるげな目を向けた。装っているだけなので、特にシオンは慌てない。
「ありまくりだっての。だってよ、何だよ真っ赤っかって。トマトジュース大好きかお前らって感じ」
「貴方は本当によくもまぁ当人を目の前にして――」
あからさまにバカにした言い方に流石に怒りかけたアスカだったが、それよりも先にシオンがフニャっと力の抜けた笑顔で、
「あ、でもアスカのはデザインいいよなー。赤より白がメインだし」
などと言うので、怒りの矛先が対象を見失って、無言でケーキを食む作業に戻った。
小さく切ったケーキをちょびちょびと食べるアスカの顔に仄かに赤みが増したのは怒りが不発弾となったせいではないだろう。
今度はシオンもその事に気が付き、思考回路が緩んだままだったせいで思った疑問が自制心の関所を通らずに口から出た。
「あれ、なんで顔赤いの?」
無自覚とは罪である。間違いない。
「うるさい!」
ガン! とテーブルの下で衝撃音が鳴り、アスカがふん! とそっぽを向いた。服装のセンスを褒められた照れ隠しにしては、あまりに強烈な蹴りだった。
思いっきり向こう脛を蹴られたシオンは突っ伏した状態で悶絶しつつ、俺は何かしただろうか――? と心の中で泣いた。
二人がこうも気の抜けたやりとりをしている理由は、数十分前に遡る。
不法入国者という不名誉な称号をなかったことにしてくれ、と頼み込んだシオンに対して治安維持ギルドである〈ブラッド騎士団〉のリーダー、ブラッド・J・アライアンスは協力する代わりに騎士団に入れ、と要求した。
当然選択権など存在しないシオンは――それでも渋々、だったが――頷いた。そのあとはさっぱりしたもので、
『後は此方で何とかしよう。その間は、そうだな……ロードライト副団長と二人で近くのカフェででもまったり待っていてくれ給え』
『『え?』』
というような会話の結果、本当にアスカの案内で騎士団本部の鉄塔から程近いお洒落なカフェのオープンテラスで少し早いブレイクタイムを過ごすことになったのだった。
何となく会話が途切れたことで、カフェの奥でヒソヒソと何事かを噂し合っている店員たちの存在が二人の意識の中に復活してきた。
このカフェが騎士団本部と近いということもあるが、『ブラッド騎士団のアスカ・ロードライト』と言えばそれなりの知名度で、それは彼女の美貌や肩書きから考えれば当然なのだが、そんな人物が小汚い外套を来た青年とカフェでお茶をしていれば、若い女性店員たちにとってはそれはもう妄想が掻き立てられるゴシップである。
故に来店直後からヒソヒソゴニョゴニョと自分たちを見て小声で会話を交わしている三人の店員たちを意識から追い出すために、どうでもいい話をつらつらと話しているうちにシオンの愚痴が始まり、ちょうどいいからとそのまま続けていたのだが、それも途絶えてしまったというワケだ。
だからこの話題はその延長線であり、深い意図があってのものではなかった。
「そう言えば……あのネックレス、大丈夫そう?」
「ん? あー……これ?」
そう言って持ち上げた右腕で、短くなった鎖で簡易ブレスレットとなった元ネックレスがチャラ、と軽く音を立てた。銀色の楕円プレートが太陽に反射してチカチカと光る。
「ま、大丈夫でしょ。アクセサリー屋とかに行けば直るだろーし、最悪このままブレスレットでもいいしな」
「ふぅん、そう。
……ねえ、どうしてそのプレートがそんなに大事なの?」
ふと疑問に思って、フォークを置いてから訊ねる。アスカのケーキはまだ三分の一を残しているが、シオンの頼んだジュースはとっくに空になっている。
「そーだな、なんて言えばいいのかな」
視線を斜め上に向けて言葉を探しながら、頭の一部でジュースのおかわり頼もうかなー、でも店員が来るのは嫌だな、なんか質問とかされそう。てかアスカが払うんだし勝手に追加注文はダメか、という思考をしていた。
だからという訳ではないだろうが、シオンの答えは簡潔で、曖昧だった。
「手掛かりだから」
「手掛かり?」
オウム返しに訊ねるアスカに言葉同様に曖昧な笑みを返して、シオンは体を起こして椅子の背もたれにもたれかかり、両手を頭の後ろで組んだ。
「それよりさ、よく考えりゃこれを壊されてから、一回もちゃんと謝罪を受けてない気がするなー」
ニヤニヤと笑いながら椅子をぎぃぎぃ鳴らしているシオンは、どうやらプレートについてはこれ以上しゃべる気はないらしい、とアスカは判断して、思考を目の前の会話に切り替えた。
澄まし顔で目を閉じながらフォークを持ち直し、スっ、とケーキに差し込む。
「そうだったかしら?」
あくまで、とぼけるつもりだった。
「そーだぜ。確かなんか、変な演技が入ったせいで――」
そこまで言いかけて、喉元にフォークの尖端が突き立てられてセリフが中断された。高速で閃くレイピアの刺突を思い出して、シオンは組んでいた手を解いて降参の形に変えながら冷や汗を流した。
やや前のめりの格好でテーブルの反対側からフォークを突き出してきているアスカは白い肌を仄かに赤くしながら、殺気立った眼でシオンを貫いていた。
「忘れなさい。今すぐに。それとも、その軽そうな口を動かしても声を出せないように喉を潰したほうがいいかしら?」
「い、いえ……忘れます忘れます」
――こ、怖ッ!!
と心の中で叫びながら、引き攣った顔で頭を小刻みに縦に振る。シオンを開放して自棄のように残りのケーキを一口で食べてもしゃもしゃ咀嚼しているアスカにビクビクしつつ喉を摩りながら、つい本音が漏れる。
「恥ずかしいなら最初からやんなきゃいいのに」
シオンとしては聞こえないくらいの小声で言ったつもりだったが、殺気全開のアスカに「あら、喉仏とのお別れをお望みみたいね?」などと言われて、即座に逃走を決行しようとしたシオンの鼻先を飛来したフォークが通り過ぎ――――。
騒がしいながらも、どこか平和なブレイクタイムを過ごすシオンとアスカだった。
✽
――ブラッド騎士団本部〈団長執務室〉――
シオンとアスカが穏やかな昼を過ごしている一方、ブラインドで日光をほとんど遮断した団長執務室で、三人の人間が佇んでいた。
一人はこの部屋の主、ブラッドである。今は髪を下ろしていて、そのおかげで窪んだ双眸の無機質さが多少緩和され、表情通りの柔和そうな印象しか受けない。
椅子に座っているブラッドの横には、金色の髪をライオンの鬣のように逆立てた青年が立っている。年齢は二十代前半ほどに見える。眼力の強い狐目と苛立ちを抑えるようにきつく結ばれた口が、対峙した人間を否応なく威圧する。
くすんだ赤色の、中心に大きな銀色の十字架の描かれたチェストアーマーと右肩だけのショルダーアーマーという格好は、彼が騎士団のメンバーであることを示していた。
最後の人間は、他の二人とは違い紅色の鎧には身を包んでいなかった。
ずっしりと存在感のある分厚い鋼のプレートアーマーで全身を武装した、壮年の男性。馬の尻尾のような飾りの付いた兜は、今は左の小脇に抱えている。
薄暗い部屋の中、最初に口を開いたのはこの状況をセッティングしたブラッドだった。
「まずは急な呼び出しに応じて頂き感謝します、衛兵長殿」
「堅苦しいのは無しにしないかブラッド。俺とお前の仲だろう。それに、お前に敬語を使われるとどうも背中がむず痒くなる」
「それでは、私が年上に敬意を払わぬ無礼者のように聞こえてしまいますよ」
「違うのか?」
ふふふふ、と朗らかに笑い合う二人からは、旧知の友人特有の気兼ねのなさが感じられ、金髪の団員は少しだけ居心地の悪さを感じたが、表情には億面も出さないで佇み続ける。
「まあ、なんだ。お前が急に俺を呼び出したのだ。それなりの用事なのだろう? 前置きは省いて本題に入ろうじゃないか」
「そうですね。貴方も何かと多忙でしょうし。
ですが、本題に入る前に少しだけ……今日の朝方この街に『侵入』した人間の話は、もう知っていますよね」
その問いかけに、衛兵長はぴくりと眉を動かした。
「当然だろう。こんなことは前代未聞だからな。
しかし相変わらず情報が早いな。では、こんな話を知っているか? その侵入者はなんとミドルの街が誇る鉄壁の防御壁を“登って”侵入したらしいのだ」
とっておきの情報を友人に自慢するような子供っぽい笑顔で言った衛兵長に対して、ブラッドはうっすらとした微笑で言葉を返した。
「ええ知っていますよ。本人から聞きましたから」
予想外のセリフに、衛兵長が大きく一歩詰め寄った。
「なにっ?」
「正確には、部下を通してですがね。
――私の話というのは、そのことなんですよ」
長年の経験から、これはどうも俺にとっては碌でもない話のようだぞ、と感づいたが、同時にこの男は昔からそうだった、という諦めが頭の中に浸透していった。ブラッドの話に乗っかって美味い汁が吸えたことなど一度もないのだ。
それでも俺が拒絶しないことを知っていてこうして頼ってくるのだから、中々に性根の悪い男だな。と考えた瞬間には、衛兵長の口からはため息が漏れ出ていた。
このため息はブラッドに対してというよりも、むしろ自分に向けた呆れだった。
「それで、俺に何をして欲しいんだ? その口振りだと、もう侵入者とは直接接触してるんだろう?」
「話が早いですね。相変わらず。ああ、そうだ。一つだけ前置きをさせて頂きます。
この要請は、三大ギルドが一角〈ブラッド騎士団〉団長ブラッド・J・アライアンスから、〈王国直属衛兵部隊〉総隊長イシュバーノ・コンクティスへのものです。それを理解してください」
「……いいだろう。言ってみろ」
嫌な予感がひしひしとするが、衛兵長――イシュバーノは、自分の予感があまり頼りにならないことをこの出来事で痛感した。
「侵入者――シオン・シャドウハートの不法入国の罪を撤回してください」
数秒の間、誰一人として言葉を発する人はいなかった。唖然として開いた口が塞がらないイシュバーノは、本当に、痛いほど痛感していた。
俺の予感なぞ、頼りにならん。
まさかここまで、ぶっ飛んだ内容だったとは!!
「ふ、巫山戯ているのか? そんなこと出来る訳が無いだろう」
動揺を反映して、声が震えるが、ブラッドは大真面目な顔だった。
「貴方も彼を見れば分かります。彼のような“戦力”は是非とも欲しい。数年間も、あるいは数十年間もの時間を檻の中で過ごしていいような人材ではないのですよ、彼は。
まあ尤も、彼ほど強大な力を持っていれば、檻如きでは意味が無いとも思いますが」
今度こそ、本当にイシュバーノは絶句した。
――ブラッド・J・アライアンスという男は、王国直属衛兵部隊という組織を率いている自分から見ても相当の手練だ。その男が、ここまで言うほどの“戦力”だというのか。
だがしかし、と、彼は思考の中で自分の抱いた驚きを否定した。
――俺が部下から伝えられた情報が正しければ、その侵入者は十代の少年だったはずだ。その若さで、国内の五指に入るような実力者のブラッドが欲しがるほどの強さを得ることなど、可能なのだろうか……?
そこまで考えたときに、ある少女の顔が頭に浮かび、半ば反射的にその疑問を口にしていた。
「おいブラッド。その、シオンとか言っていたか? そいつは、騎士団の副団長――アスカ・ロードライトよりも強いのか?」
部下の衛兵からの情報と同年代でありながら、目の前の男に認められる実力者である彼女が、イシュバーノが知る中では言わば“十代最強”であった。故に浮かんできた疑問は――――ブラッドの見る者に酷薄という印象を与える笑みに一蹴された。
「現状では比較するのも烏滸がましい程の差ですよ。彼が本気を出せば、ロードライト副団長など一分も持つかどうか」
「なっ、そんなにか!? 彼女はトップランナーの仲間入りすら噂されるほどの実力なんだぞ!?」
「ええ、そんなに、です。恐らく、私でも完全な状態の彼相手には状況如何ではどうなるか分かりません」
今日何度目かの衝撃を受けつつも、イシュバーノはブラッドの言い方に引っ掛かりを覚えた。
「完全な状態、ということは、今は不完全なのか?」
まるでいいところに気がついてくれた、と言いたそうな表情で頷いたブラッドが、衛兵長殿にとってはさらなる衝撃となる事実を伏し目がちに伝えた。
「彼は今、デバイスを何者かに奪われているんですよ」
「……お前が絶賛するほど強いのに、か?」
もう驚くことにも疲れて幾分か落ち着いた声音で問うてくる年上の友人に、ブラッドは無言で首肯した。
「実は、今回の件に私が絡むことになったのもそれが原因でしてね。どうやら彼のデバイスが奪われる要因の一つに、彼の事を報告してくれた部下が関わっているらしいのですよ」
そう言われて、イシュバーノは納得して頷いた。ニヤリと口角を上げて、年下の友人をからかうように笑った。
「なるほど、それで取引を持ちかけられた訳か」
しかし、ブラッドは首を横に振る。
「いえ、彼は私に駆け引きなどは通用しないだろうから、と言ってストレートに頼み込んできましたよ。寧ろ、私の方が彼に条件を出したんです。騎士団に入るのなら協力しよう、とね」
「……おいおい、天下の〈ブラッド騎士団〉の団長殿がそんなブラックな取引をするものじゃないぞ」
内容は叱りつけるものだったが、表情は諦めの苦笑いだった。今更こんな忠告が無意味なことくらい、イシュバーノは理解しているからこそ、またブラッドも彼がそのことを十分承知した上で言っていることを理解しているからこそ、二人はそれ以上この話題については言及しなかった。
そんな沈黙の中で、イシュバーノは自分の中で感じていた今回の事件に対する疑問が、半ば以上氷解されていくのを感じていた。
部下の衛兵たちから得ていた情報と、ブラッドから聞いた話を総合し、自分の中で徐々に形作られたその解に、衛兵長としての己が苦虫を噛み潰したような気分を味わっていることを、意識して客観的に意識していた。
唐突に衛兵長の顔へと戻ったイシュバーノが、重々しく口を開く。
「兎も角、私の方で侵入者の件は対処しよう。状況が状況だ、特別措置を適応させれば何とかなるだろう。
それに、今回の事件、我々も改善すべき点が有ったようだしな」
「宜しくお願いします。
しかし、衛兵部隊の改善すべき点とは?」
衛兵サイドの情報を持たないブラッドは首を傾げる。気分を反映して渋面になりながら、イシュバーノは大きくため息を吐いてから自分の見つけ出した正解を口に出していく。
「今回の事の発端は、旅人として入国しようとした少年のデバイスの〈パーソナルコード〉を、我ら衛兵部隊の使用している〈コンソールスフィア〉で読み取ることが出来なかったことだ。その為少年は止む無く防御壁を登ってこの街に侵入した。
だが、それだけが原因ではない。少年の入国を対応したのが先週部隊に入隊したばかりの新人だったせいで、ある可能性を見落として少年のデバイスを〈偽物〉だと判断してしまった。仮に対応したのが入隊して八年以上も経つベテランのアンティスや、せめて部隊長たちだったなら、今回のような出来事は起こらなかった。
ブラッド、お前の話を聞いて私は確信したよ。君が手放しに褒め称えるほどの力を持つものならば、十分に有り得るだろう。それも外からの来訪者ならば余計にな。
なあブラッド、彼は、彼のデバイスは〈完全品〉なのだよ。私やお前の持っているような〈人工品〉ではなくな。だから、飽く迄本物の模倣品でしかない擬似コンソールスフィアではパーソナルコードを読み取れなかったのだ。
彼は、本物だよ。数少ないガリアの血を引く者――――〈覚醒者〉の資格を持つ戦士だ。確かに、“檻”の中に収まっていていい存在では無いな」
長い長いセリフを休みなく語り終えたイシュバーノは、最後に皮肉気な笑みを浮かべると、兜をかぶって団長室から静かに去っていった。
その背中を見守るブラッドの瞳には、珍しく感情の揺らぎが映っていたが、それがどんな感情なのかを読み取ることは出来なかった。