ギルドへ
ただでさえ自分たちの声以外、時々風が崩れたりひび割れた建物の隙間を通る音しか存在しなかった棄てられた旧市街に、耳が痛いほどの沈黙がのしかかった。
俺とアスカの視線が、俺の足元に向かう。
ネックレスだったそれは、鎖が半ばで千切れて地面に転がっていた。即座に頭の中で先の攻防が思い出された。恐らく、あの斬撃は鎖に掠っていたのだろう。そして、俺の急な回転運動によってGの過負荷が掛かって止めが刺され、壊れた。
あーあやっちまった、と俺が思うと同時。
「わ…………」
アスカが震えるように手を口に当てて、小声でそういった。わ? と疑問に思った直後、
「私はなんてことを……!」
この世の絶望を覗いたような顔で絶句するアスカ。
「えー……。いや、何もそこまで」
「どうすればこの穴埋めが出来るでしょうか!」
俺の言葉を遮って、なんだか口調がおかしくなっているアスカは勢い良く詰め寄ってくる。必死な表情に圧されて、上体を引く。
あー、えー、と俺がしどろもどろに迷っていると、急に顔を引き締めたアスカは、突然右腰に吊るしているレイピアを抜き放った。
な、ま、まさか証拠隠滅!? 殺される!? と慌てた――が、杞憂だったようだ。
「団長に……相談してみます」
「え」
この発言に、間抜けな顔で思わず間の抜けた声が出た。
団長というと、治安維持ギルドのトップということだろうか。そんな、治安を守るギルドのトップに何を相談するのか。損害に対する代償の話とか?
ぼんやりとそう考える俺の目の前で、アスカはレイピアに向かって小さな声で呪文を囁いた。直後に鍔のあたりを現代語ではない文字――ガリア文字が幾何学な模様を描きながら包む。
ガリア文字は瞬く間に剣全体を覆い、一瞬だけ強い光を放ったと思った瞬間、レイピアは形状を大きく変えていた。
手のひらに収まる純白の長方形。その中心に、夏の空を思わせる濃いブルーのコアが暗んでいる。
俺の〈アルド〉とは正反対の色彩のデバイスだ。
長方形の形(ニュートラル状態)になったデバイスの、死んだように暗んでいるコアをアスカが軽くタップすると、活性化したように明るい光を放った。
「――〈システム〉」
囁くようにコアに向かってアスカが唱えるとコアが一際強く輝き、ヴォン、と音がして半透明の四角い板のようなものが空中に浮かび上がった。
デバイスをデバイスたら占めている魔導〈コード〉。この魔法は文字通り〈文字の魔導〉で、デバイスの機能の一つ〈パーソナルコード〉も、そのまま個人情報を文字化したモノだ。
しかし不思議なことに、〈システム〉という呪文を唱えることによって、コードとは違って文字ではない、半透明の四角い板が現れる。コードについては謎が多いので確実ではないが、これは魔導で出来た紙のようなものとされている。つまり、文字を書く(正確には打ち込む、と表現する)ことができるのだ。
便宜上システムパネルと呼ばれているその板の一点をアスカがタップする。半透明とはいえ、裏側からでは何をしているのかまでは分からないが、恐らく機能の中から〈メッセージ〉を選択したのだろう。
システムパネルを開くと、最初にコードを使用して使える機能を選択することになる。その中の〈メッセージ〉は、互いに登録しているデバイスに向かって文章を送る機能のことだ。
パネル下部に表示される文字をタップすると上部に打ち込んだ文章が浮かび、最後に送信と打ち込んでもう一度デバイスのコアを叩くと、対象のデバイスへ撃ち込んだメッセージを送ることができるのだ。
数秒でメッセージを打ち終わったアスカは素早くデバイスのコアをタップして息を吐いた。――――あたりで、俺の脳裏に電撃のような感覚が走り、同時に無意識に声をだしていた。
「ちょ、っと待て、オマエ――――」
しかし、感覚のみが先走ったセリフはそれ以上続かず、落ち着け落ち着けと脳内で繰り返す。言葉をまとめて、改めて自分の迂闊さを呪いながらもう一度口を開く。
「オマエ、今のメッセージって」
「あ、返ってきた」
しかしまたしても俺のセリフは途中で遮られた。アスカの持つデバイスのコアが再び強く光り、システムパネルが空中に展開される。
パネルを見たアスカの表情が、少しだけ険しくなる。
そこにはちょっと前に見せていた狼狽(?)の影はなく、既に演技をする気はないらしい。
「おい、なんて書いてんだよ」
もう半ば自棄糞で訊ねる。最悪、やっぱり遁走しようと思いながら。
「兎に角連れてこい、だそうよ」
アスカも俺が“アレ”が演技だったことに気づいたことに気がついているのか、まったく取り繕う様子がない。
あくまで推測だが――こいつは、俺のネックレスが壊れたことを利用して、どさくさに紛れて俺の事を自分の所の団長に報告するために、あんな風にあわてふためいた振りをしたようだ。そして俺はその事に全く思い至らずに見事報告させてしまったのだろう。
ただし、アスカが頼った、のかはわからないが、肝心の団長殿はただ俺を連行してくることを望んでいるらしい。彼女の表情や不審そうな口振りから、連行というより平和的にギルドまで招いてこい、という意味合いの方が強いかもしれない。
「ニンイドーコーってやつか?」
「知らないわよ。ただ、手荒な真似はしなくていいとは書いてるけど。……上手く間抜けを騙せたと思ったのに、あの人は本当に何を考えてるのか分からないわね」
「聞こえてンぞ」
確かに俺の推測通りの事をアスカが行なったのだとすれば俺は間抜け以外の何者でもないが、やはり認めるわけにはいかない。
主にプライド的な問題で。
……そんなことはどうでもよくて。
俺は今、実は結構大切な分岐点に立っている気がする。
ここで彼女についていくか、逃げるか。
ついて行けば――今もアスカの演技が続いていて、団長の話が罠であるという可能性は否定できないが――まだ復帰の可能性はあるが、逃げれば逃亡生活一直線。
この分岐点に、俺が選択できる余地は無さそうだ。
せめて態度だけはふてぶてしく、にやりと俺はニヒルに笑う。
「ついてけばいいんだろ? 案内、よろしく」
軽く肩を叩いてそう言うと、アスカは少しだけ険しい顔をしながら息を吐いた。
「なんで偉そうなのよ」
「虚勢だよ言わせんな」
相手を呑み込むのは、俺にはまだ出来そうにないぜ師匠。と、心の中で呟きながら、訝しむアスカの後ろに付いて歩き始めた。
【ミドルの街】は、全部で七つの区画に分けられるらしい。
街の真ん中にそびえる王城を中心とした、主に貴族たちの住居や城に関係する建物の建ち並ぶ〈黄金区〉。
黄金区の東側一帯は平民の居住区になっており、やや南にずれると住民用の商業区で、生活品や消耗品などを売る店が多い。
王城から見て真南、街唯一の出入口である門――途絶の門というらしい――の方向も商業区だが、そこは主に外からの来訪者用、つまりは冒険者や旅人に受けのいい商品を扱う店が多くなる。モチロンここでも生活用品は買える。また宿屋もこちらの商業区で多数経営されている。
逆に城の西側は貧困区と呼ばれ、狭いエリアに貧困層の人間が暮らしているらしい。
方角で言うと西北の方向にはいわゆるスラムが存在し、貧困層の人間に加えて悪漢だの盗人だの殺人鬼だのが蔓延っているらしい。しかし物流の面では商業区と、商品の質こそ違えど同等らしく、貧困区よりもスラムの方が居住者は多いらしい。
真北から東北方向にかけては〈棄てられた旧市街〉という元居住区が広がっていて、崩落した建物の瓦礫ばかりの荒廃したエリアになっている。俺はどうやら無意識にそんな絶対に人がこなさそうな場所に逃げていたらしい、というわけだ。
ちなみに、旅人用の商業区と貧困区との間には薄暗い雰囲気のアングラな店が軒を連ねているらしく、掘り出し物が多いらしいが、その商品が果たして合法なのかは保証できない、とのことだった。
そんな説明を受けながらついて行った先は、なぜか〈黄金区〉だった。
「どうして黄金区なんだ? ここは王城関係の場所なんだろ?」
という俺の質問に、
「ギルドがその“王城関係の建物”だからよ。ギルドは国の許可を取らないと発足できないから」
素っ気なくアスカが答える。
なるほど、と納得しつつ、少しばかり居心地の悪さを感じ始めていた。
周囲の人間は絢爛豪華な衣装に身を包んだ気品高い雰囲気の人間ばかりで、ズタボロの外套を羽織った姿では場違い感が凄まじい。アスカはシッカリとした装備だから構わないだろうが、俺の服は暗い青のインナーに着古した紺色のジャケット、緩めの黒いズボンの貧相なものだ。
貴族たちの好奇の眼を意識しないように、俺は視線を右斜め上に固定した。
俺たちが歩いている道からは一段高い場所にそびえる〈王城〉。城壁に隠されて上半分くらいしか俺の目には映らないが、複数の尖塔がそそり立ち、各所を華やかに飾られた城は、目算でも百メートル四方以上の大きさだろう。
城の外壁の上には警備のためか数人の弓兵が配置されていて、そのうちの一人と視線が合った気がした。
――気のせいか? と思いつつ、無意識に手を振ってみると、相手の弓兵が敬礼し、すぐに視線を俺から外した。
「目ぇいいな……」
俺が言えた義理じゃないが。と思いながら呟いた独り言に、アスカが呆れ声と共に睨んできた。
「何してるのよ」
「いや、ちょっとそこの弓兵に挨拶をね」
「そこってどこよ」
キョロキョロと左右を見回すアスカの肩を叩いて、指で城の外壁の上を指し示す。
「ほら、あの弓兵。ちゃんと敬礼返してくれたぜ」
その方向を目を細めて凝視していたアスカが、疑るよう半眼で見てくる。
「ただのシルエットしか見えないけど。どれだけ視力がいいのよ」
どっちも。と小声で付け足すと、アスカはすぐに前進を再開した。
「ほら、遊んでないで早く行くわよ」
遊んでねぇよ! という抗議は華麗にスルーされそうなので、黙って俺も彼女の背中を追いかけた。
彼女の案内でたどり着いた建物は、背の高い塀にグルリと囲まれた背の高い金属製のタワーの様な形状をしていた。塀の内側には赤を基調とした軽鎧や革鎧に身を包んだ男たちが闊歩していて、先細りの銀色のタワーの入口にはこれも真っ赤な鎧を来た二人のゴツイ男が、槍を携えて立っている。恐らく門番のようなものだろう。
周りは無駄に金ピカだったり豪奢な構えの建物――貴族の住居だろう――ばかりなのに、この建物だけは簡素かつ堅牢そうな作りで、少し浮いていた。
銀色のそびえるタワーに少し気圧される俺に構わず、アスカはすたすたと敷地内に入っていく。その姿に気付いた男たちが駆け寄ってきては敬礼と共に「お務めご苦労様です!」と挨拶していくので、改めて彼女が副団長という高い地位の人間なのだと思い出した。
一通り他のギルドメンバーたちをあしらったあと、アスカは未だに塀の外で立ち止まっている俺に振り返ると、首をかしげた。
「何をしてるの? 早く来なさいよ」
「あ、ああ」
何を気後れしてるんだあんなん今まで戦ってきた魔物に比べれば全然まったく凄くもなんともねぇよと意味不明な理論で自分の背中を押して、一歩ギルドの敷地に足を踏み入れる。
直後、数名のギルメン(ギルドメンバー)が俺を訝しむように無遠慮な視線を向けてくるが、そのままアスカ副団長殿の隣に並ぶと視線を外した。大方、俺をアスカに連行されてきた犯罪者かなにかだろうと判断したんだろう。ある意味正解なので複雑な気分だった。
門番らしき二人とアスカが一言、二言話している間、それとなく周囲の人間を観察してみる。
なぜかギルメンは全員が赤色の鎧を着用しており、ここにいるのは全員が(門番を除いて)直剣を腰に吊るしている。
そう言えばアスカのレザーアーマーも白と赤の配色だし、もしかしたら赤い防具がこのギルドの正装なのかもしれない。
そこでアスカが向き直り、手招きをするので思考を中断してタワーの中に入る。
タワー内部も外観同様簡素なもので、玄関ホールは広い円形。左右に二つ、正面にも二つ、金属製の扉があるだけだ。俺から見て左斜め前には階段が設置されており、壁に沿うように螺旋を描きながら上に伸びている。
どうやら一階と二階は吹き抜けのようで、天井がないのでやけに広く感じる。俺とアスカ以外誰も居ないことも手伝って、俺はいっそ寒々しい開放感を味わった。
「で、どこに行けばいいんだ? 上か?」
言いながら階段を見る。しかしアスカは俺の発言には肯定しつつ、首を振った。
「確かに上だけど、階段は使わないわ」
「へ? じゃあどうやって。いくら俺でもこんなツルツルした壁は登れないぞ」
思わずそんなことを口走って、壁を登るわけないだろと自分で呆れた。
案の定アスカも呆れ度マックスの白い目で俺を一瞥すると、正面右の扉に向いながら大袈裟にため息を吐いた。
そしてそのまま何も言わずに歩き続けるので、馬鹿にした声での罵倒を予想していた俺は肩透かしを食らった気分で慌てて追いかけた。
無言というのは、馬鹿にされるよりもダメージが大きかった。
アスカが開いた扉の先には、正方形の狭い白い部屋があるだけだった。
いや、正確には部屋の中央に淡く光る幾何学模様で出来た円形――魔方陣がある。
「“ゲート”の魔導よ。これで一気に上まで行けるの」
「へ、へえ。……でもこれ、どこから魔力を供給してんだ?」
「地下に魔力炉があって、そこから常に本部内に魔力が送り込まれてるの」
なるほどなーと感心する。しかし、俺の知ってるゲート魔法はこんな小さな魔方陣ではなかったはずだが、縮小版というやつだろうか。
などと考えているうちにアスカは魔方陣の中に入り、目線で早く来いと催促していたので慌てて小走りにアスカの隣に並ぶ。
俺がしっかりと魔方陣の中に入ったことを確認した瞬間、アスカが目を閉じた。彼女の周辺の空気が微かに揺れ動き、精神集中による魔力の微動を肌で感じる。
あ、自分で魔導を発動するのか、と思ったのも束の間。
「――『ゲートオープン。座標エックスイチワイロク。ライズツー』」
アスカが高速で詠唱した直後、体を淡い光が包み込み、一瞬だけ重力が消失したような感覚に襲われる。視界も約一秒ほど光に覆われたが、すぐに回復する。
目の前に広がっていたのは、一秒前と何も変わらない白い壁、鉄製の扉だけだった。
はて、と首を捻る。失敗か? と思いながら横を見るのと、アスカが扉に向かうのは同時だった。
躊躇なく扉を開放したアスカ越しに見えた風景は、先ほどとは違っていた。
大人が二人並んで歩ける程度の広さの廊下が五メートルほどあり、その奥には重厚そうな木製の扉。上には機械のように正確な文字で〈団長室〉と書かれたプレートが壁に埋め込まれている。
どことなく緊張した面持ちで先に行くよう手振りで示したアスカに従って、俺が先頭に立って廊下を進む。気のせいか、扉の向こうからは目に見えない重圧が押し寄せているようだ。
無意識のうちにこめかみに汗がにじむ。今までに覚えのないオーラを感じ取って、俺の脳内で警戒の色が強まる。
ゴクリと唾を飲み込んで、右手をゆるく握って持ち上げる。
強めに三度、ノックすると、一拍の間があって――
「――ようこそ〈不法入国者〉君。どうぞ入ってきたまえ」
機械じみた無機質な鉄色の声が、俺の来訪を歓迎した。