ロードライト
「一体、何のつもりなのかしら?」
凛と響く少女の声が、今は険を孕んで発せられる。その手には刀身が極細の剣が握られ、一人の人物に向けられていた。
声と刃の二つを向けられた少年は、指貫グローブをはめた手を突き出し、冷や汗を大量に垂らしていた。
「い、いや、あの時はさ、非常事態発生というか……」
「貴方にどんな非常事態が発生したのかは知らないわ。でもね――」
一歩、少女が踏み込む。既に壁際――正確には柱の残骸――に追い詰められている青年、シオン・シャドウハートが、右に回避ようか左に回避ようか、と考えるうちに、少女の剣がシオンを捉えられる射程に入った。
「――いきなりレディの手を握って走り出した上に、引きずるように街中を走り回り、挙句の果てにこんな人気のない棄てられた旧市街に連れ込むなんて、チョット非常識だと思わないかしら?」
「い、いや、だから――――」
ピタリと剣先を自分に向けてくる少女に恐怖しながら、弁明を続けようとした瞬間。
「問答無用ォッ!!」
「うぉわっ!?」
少女の剣が目にも止まらぬ速度で突き出され、シオンは転がるように右へ跳んだ。直後にシュピィンィィ……という音がして、シオンが背をつけていた柱が斜めに切り裂かれ、上部がずれた。
少女が、突いた直後にシオンを追撃せんと剣を斜めに振るったのだ。
ズズゥ……ン。と重たい音を立てて地面に落ちた柱に自分の姿を重ねゾッとするシオンを余所に、少女は容赦なく距離を詰めてくる。
再び射程に入った瞬間に、少女が弓を引き絞るように腕を絞り、剣を突き出した。
「うぉ……っ」
シオンは転んだ姿勢から勢い良く地面を蹴り、片腕で後方倒立回転とび――――つまりバク転を敢行、危うく刃を回避した。
その勢いのまま後方宙返りでさらに距離を取り、顎に垂れてきた汗を拭う。
――――コイツ……容赦ねー!!
仄かに死の香りを感じて、シオンは焦る。マズイ、この状況は非常にマズイ。ただでさえ【ミドルの街】到着直後に厄介事に遭遇したというのに、こんなところでさらに厄介事を増やしたくはなかった。
かと言って、この名も知らぬ美しくも危険な少女が簡単に話を聞いてくれるとは思えない。少し前までならその可能性もあっただろうが、今の彼女の様子をみるにそれは不可能だと思われる。
しかし、そうは言っても二人とも知能と言語を持つヒト科の生物である。一応、シオンは言葉による解決を試みた。
「な、なあ。まずはさ、話し合おうぜ?」
「………………」
しかし、少女は止まらない。
「あの」
「……………………」
言葉なく近付いてくる。
「いや」
「…………………………」
少女の無表情からは、如何な感情も読み取れない。
「だから」
「………………………………」
……無言が、怖かった。
「え――」
「――シッ!!」
シオンが再び口を開こうとしたと同時に、少女の右手が閃き、白銀のレイピアが突き込まれる。迫る刃の切っ先を、シオンは半ば本能で回避した。
「あ…………っぶね」
首の皮一枚を挟んだ距離にある冷たい武器の感触に、シオンの生存本能が刺激された。
素早く引き戻されるレイピアよりも速く、シオンの左足が地面を蹴り、少女の顔面に吸い込まれていく。カウンターとしてのタイミング、速度ともに完璧だった上段蹴りを、驚いたことに少女は体を斜め後ろに沈めることで避けた。しかし、シオンの脚もそこでは止まらない。
ハイキックの姿勢から、左足を踏み付けるように屈んだ少女の体に向けて振り下ろす。が、これも弾かれたように右斜め奥に跳んだ少女に躱されてしまう。
険しかった少女の目付きはより鋭くなり、シオンの瞳にも闘争の光が宿った。剣を体と平行にピタリと構えた少女と、拳を胸の前で握り〈攻 撃 姿 勢〉を取ったシオン。二人の間の空気がチリチリと灼かれ、緊張が高まり、二人の鋭い視線で中間の虚空が歪む錯覚を覚えた頃――――緊張が弾けた。
二人同時にその場から駆け出し、真正面から仕掛ける。黒髪の少女は右に握った剣の柄頭を左肩にくっつけるように引き絞り、夜色の髪の少年は両腕をゆるく脱力させながら無防備に接近する。
二人の距離が七メートルを過ぎ、六メートルを切り、五メートルより近づき、三メートル以下になった瞬間、少女が動いた。
やや半身だった体を捻り、銀の残光を残して放たれたレイピアは、あっという間にシオンの右肩に迫った。あと半秒で接触するという刹那、シオンの体が僅かに動き――――それは一瞬で起こった。
気付いた時には、少女の白銀のレイピアの刀身はシオンの右手にしっかりとホールドされ、左手の手刀が少女の喉元に添えられていた。
「――――ッ!?」
驚愕に目を見開きながらも、咄嗟に少女は数歩下がり、剣を引き戻そうとした。しかし、極細の刀身はぴくりともしない。シオンの握力で完全に捕らえられ、一ミリの微動すらも許されなかった。
再度の驚愕に見舞われている少女を余所に、シオンはその左手を開き、剣を手放した。即座に飛び退いた剣士の少女に、シオンがニヤリと笑う。
「勝負あり、だよな?」
「くっ……。貴方、何者なの? 刺突剣の突きを素手で掴むなんて」
睨みつける少女に臆することなく、先程までの逃げ腰を感じさせることなく、シオンはシニカルな笑みを浮かべる。
「別に驚くことじゃない。ただ、アンタの剣速を俺の反射速度が勝った、それだけだ」
実際は、刺突剣とは突きに特化した剣であり、刺突の速度はあらゆる刀剣の中でも最高峰なので、相当驚くべきことなのだが。
「素手で剣を掴まれて驚くなっていう方が難しいわよ」
ふざけたことをあっけらかんと言ってのけたシオンに、気勢を削がれ脱力した少女は投げやりに返し、レイピアを静かに鞘へ戻し、乱れた髪を後ろへ払った。たったそれだけの所作がやけに似合う。
そして表情を改めると、踵を鳴らして直立した。
「今の勝負、私の敗けです。参りました」
言って、右の拳を左の胸に当て、深く一礼した少女の動作はまさしく騎士のそれだった。潔い敬礼に目を瞬かせるシオンは、結局所在無さげに右手を首の後ろに回すのであった。
居心地の悪さを払拭するためか、シオンはパッと思いついた疑問を口にした。
「あ、と。そう言えば……なんで俺らこんなコトしてるんだっけ」
「え。…………さあ?」
一瞬のやりとりに前半の記憶全てを持っていかれたらしいシオンの問いに、少女は誤魔化すように目を逸らした。当然、自分も忘却しているから……ではなく、よく考えれば自分が先に仕掛けたせいであるという事実を無かったことにするためである。
「――――?」
首を傾げるシオンが少女の様子の変化に思考を巡らせる前に、真面目な表情に戻った少女が口を開いた。
もっとも、その様子はやはり何処か慌てたようだったが。
「そ、それよりも、あの時どうして急に走り出したの?」
言ってから、あ、しまった墓穴だったか、と焦った少女だったが、幸いにもシオンはここで鈍感力を発揮し、話題が戻ることはなかった。
「ん……いや、まあ、な」
より正確に言うならば、触れられた話題がシオンにとって限りなく〈不都合〉だったために、意識が全てそちらに切り替わったから、だった。
「どうかしたの?」
急に挙動不審になった目の前の少年を怪しく思い、少女が問い掛ける。シオンの目線から言えば、追い打ちを掛けられている状況だ。
「………………いや、別に」
反応に困り、悩み、考え、行き着いた答えは不愛想であった。余計に不審がられたのは言うまでもない。
「……巻き込んでおいて誤魔化すのはヒドいんじゃないかしら?」
出会って間もないシオンには知る術はないことだったが、
「キチンと説明を受ける権利が私にはあると思うの」
「う……」
少女は真面目な性格をしていた。
「でも――――」
「異論は認めないわ」
そして、生真面目で頑固故にしつこい性格をしていた。
「…………………………………………」
「…………………………………………」
長い沈黙が、静寂に変わる前に、シオンが曖昧な笑顔で口を開いた。
「その前に、自己紹介しないか?」
「――――あ」
そう言われて、互いに名も知らぬ間柄であったことを、少女は漸く思い出した。
✽
「ふ、不法入国ぅ!?」
黒髪の美少女、姓 名をアスカ・ロードライトという少女は、有り得ないその単語に素っ頓狂な声を上げた。
不法入国――――不当な方法、具体的には規約に違反した入国方法で国内に侵入する行為のことである。
しかしシオンが〈侵入〉したこの地は【ミドルの街】と呼ばれる以上、あくまで【街】であり【国】ではない、とも言える。しかしながら、ここ【ミドル】は街であり国なのである。
簡単に説明するならば、この世界を形成する大陸のひとつである【グランド大陸】を統治するのが【ミドルの街】を王都とする【中 央 王 国】なのだが、統治とは言ったものの、王国が根を張るこの【グランド大陸】には各地に村、集落が点在するのみ、その中でミドルはたったひとつの街であり城下町であり王都なのだ。
故に、街でありながら実質【中 央 王 国】そのものともいえるため、ミドルはさらに要塞の意味をも持つのであった。
以上のことを加味した上で、不法入国という表現を見るならばなんら不適切な部分は存在しない――――いや、そもそもが〈不法〉入国なので犯罪なのだが、言葉の使い方自体にはなんら間違いはないだろう。
だが、当然ながら彼女――――アスカがこれほどまでに驚いた理由はある。
「いやぁ、ははは……」
所在無さそうに後ろ頭を掻くシオンは、自分の発言の突拍子のなさが分かっているのかいないのか。
会話の発端は、互いの自己紹介が終わり、話題がアスカにより引き戻されたことによる。
曰く――
『シオン・シャドウハート……ね。随分変わったファーストネームね』
『う、そうか?』
『ええ、相当』
『うぅん、ロードライトも五十歩百歩だと思うんだけど……あ、いや、悪口じゃないぞ!?』
『褒め言葉として受け取っておくわ』
『わーお、ポジティブシンキング……』
『それよりも、自己紹介は終わったわよ? そろそろ話してくれないかしら』
『あー…………。はぁ、分かったよ』
『素直でよろしい』
『実はな――――』
――というようなやりとりの果てに、アスカが間抜けな声を出すに至ったわけである。
「貴方ね……嘘を言うにしても、もう少しマシな嘘にしなさいよ」
何度か感情と表情を変化させたアスカは、結局呆れに落ち着いた。
その態度に、シオンは困ったように後頭部にある手でぺしぺしと自分の首裏を叩いた。
「嘘、じゃないんだけどなぁ」
「あのねぇ……もし仮に本当だとして、じゃあ貴方は――」
アスカが、不出来な生徒と会話する教師のような雰囲気で腰に手を当てると、ビシッと指をシオンの遥か後方に向かって突き立てた。
アスカがここまで頑なにシオンの言葉を信じないのには、訳があった。果てしなく高く、確実で、物理的な理由が。
「――あの十五メートルの防御壁を登ってきた、とでも言うつもり?」
鋭い眼光のアスカの眼は語っていた。ふざけるな、と。そんなことが有り得るか、と。否――あってはならぬと言っていた。
防御壁とは、王都であり城下町であり要塞でもある【ミドルの街】を外部から遮断する、高さ十五メートル厚さ五メートルの巨大な壁である。壁は街の外周をグルリと囲い、入口は南側の〈途絶の門〉以外には存在せず、壁は容易には壊せない堅牢な防衛手段なのである。
その壁を、壊すなどほぼ不可能。登るとなるとなおのこと、十五メートルを走るのと登るのとではあらゆる意味で雲泥の差がある。つまり、不法入国の手段は存在しないはずなのだ。
もしくは、〈途絶の門〉を守護する〈衛兵〉たちを突破すればあるいは可能かもしれないが、彼らは外に二名、中に二名、門を入ったすぐ側の駐屯所にも最低五名。以上九名全員が王直属のB級以上の〈衛 兵〉で構成された防衛ラインなのだ。
その防衛網を突破されたのだとしたら、ある意味そちらの方が遥かに問題である――――
しかし幸いに、と言うべきなのか、シオンの取った〈不法入国〉の手段はアスカの言葉通りだった。
「That's right!」
やけに発音よくガリア語で答え、人差し指を突きつけたシオンに、アスカが絶句した。
「な……あ、有り得ないでしょう……」
あまりに勢いの良い返事に、アスカはふるふると首を緩く左右に振るのが精一杯だった。
先程も言ったが、十五メートルを走るのと登るのではその意味は大きく違ってくる。
「そんなに難しくないぜ? あれだけ凹凸があれば登りやすい方だ」
しかし、こともなげにそう言い切ったシオンは、労力の大小の違いでしかないと考えているようだった。
握力――――ものを握る力のことだが、この力は四つに大別される。曰く、クラッシュ力(ものを握りつぶす力)、ピンチ力(ものをつまむ力)、ホールド力(握ったものを保持する力)、そしてものを開く力だ。このうち、シオンのホールド力が高いのはアスカが全力で引っ張ったレイピアの刀身が微動だにしなかったことからも分かる。だとすれば、他の力も強い可能性は多いにあるだろう。
そして、ピンチ力の高い人間は指を一、二本掛けるだけの突起があれば自分の体重を支えることも可能、どころか指の力だけで体を持ち上げることすら出来るという。故に、シオンが並外れた握力(ピンチ力)の持ち主であったなら、大昔に造られ、長い間雨風に曝されたレンガの壁を登るなど造作もないことかもしれない。
しかしながら、そんな知識を持っていないアスカにはシオンの発言は荒唐無稽な話にしか聞こえない。だがそれを頭が固いと誹る資格は誰にも無い。なぜなら、知らない、前例のない、あるいは現場を見ていない出来事に対して即座に順応できるほど、ヒトは柔らかく創られていないのだ。
それは生真面目な性格のアスカならばなおのこと。
「………………。こ、この際、可能か不可能かは問題じゃないわ…………」
再び暫し絶句していたアスカだったが、思考を切り替えるようにこめかみを押さえると、徐々に強い口調になっていった。
「問題は、なぜ貴方がそんな事をしたか、よ」
瞳に強い糾弾の色を込めて、シオンを真っ直ぐに睨む。直視され、不法入国者の少年は怯んだように目を逸らした。
「そりゃ、止むに止まれぬ事情が故に、ですが」
「もっと具体的に」
デスヨネーと呟いたシオンは、今度こそ本当に観念したように困った表情になり、止むに止まれぬ事情を話し始めた。
「分かったよ。でも、ホントに俺にも原因が分かんないんだからな?」
「――――? なんのことよ」
「いや、最初は普通に入国? しようとしたんだよ。門から。そしたら〈パーソナルコード〉を読み取らせていただきます、って言われてさ」
「ああ……住民登録にしても一時入国にしても必要な手順だものね」
アスカは頷いた後で、首を傾げた。
「それがなんなの?」
「問題はその後なんだよ」
先程アスカがしたように腰に手を当て、シオンが浅いため息と共に言葉を続ける。
「素直に従ったのに、何故か読み取れない! とか言い始めて……結局追い出された訳ですよ」
その時のやりとりを思い出したのか、シオンが苦い顔をした。
「それで、壁を登って侵入したと?」
「……その通りですハイ」
黙って聴いていたアスカに冷たい目で問われ、目を逸らしながらシオンが頷く。
「――――アホね」
「うぐっ!?」
容赦なく一刀両断され、シオンが切りつけられたようなリアクションを取る。眉根を下げながら苦笑いする顔は情けないの一言である。
二の句を継げないシオンに、アスカは更に追撃を始めた。
「というか、どうしてバレたのよ」
「ハイ?」
「だから、どうして壁を登っているのがバレたのかって訊いているのよ」
「ああ、それは、手を滑らせて声を上げたところを発見されて……」
「……なんで見つからない位置まで離れなかったのよ、馬鹿なの?」
「うぐ……」
「しかもそれを正直に私に話したのも間抜けと言わざるを得ないわね」
やれやれ、と首を振ったアスカの言葉に、今日何度目かの疑問符を頭に浮べたシオンに向かって、麗しの少女がニッコリと笑いかけた。
「じつは私、この街で治安維持を任されてるギルドの〈副団長〉なの」
小悪魔も裸足で逃げる悪い微笑を浮べた〈副団長〉の少女に、唐突に余裕を失った少年は「ぅわーお……」と呻くのが精一杯だった。