03.出会い
手のひらを握ったり開いたりを数度繰り返し、違和感を探る。
特に変わった様子も無く、強いて言うのであれば着ている服の腹の部分に穴が開いているくらい。
しかしながらその穴が自分に起こった出来事を真実だと教えている。
……夢であればどれだけよかったか。
顔をあげると、岩に腰をかけて足を組み、僕の様子を伺っていたルシル・レイフィードと目が合った。
生まれたての小動物を見るかのような目で、僕を見つめる。
「少年。早速で悪いがひとつ頼まれてくれないか?」
言葉を咀嚼する。
「頼み……ですか?」
出来れば今直ぐにでも母や妹を助けるために行動したいという逸る気持ちを抑え言葉を返した。
「ああ。近く湖に私の連れがいてね。ちょっと呼んできてほしいんだ。急ぎたい気持ちはわかるが、人を捌くのにもそれなりに時間がかかる。心配しなくとも契約は果たすさ。君の為ではなく、私の為に……ね」
その言葉の中に存在する、考えたくなかった……いや、考えないようにしていた事実が僕に突き刺さる。
「捌く……。ですか……。」
重く。深く。僕の心にこだまする。人身売買された人の運命……。考えたくもない。想像したくもない。
「そうは言ってもそんなに時間がない事も確かだ。頼み……。聞いてくれるかい?」
彼女の言葉が、僕の思考に割り込む。
今は……、前だけを向いていよう……。僕はそう誓った。
「湖にいる、レイフィードさんのお連れさんを連れてくればいいんですね?」
「ああ、悪いね。それと、私の事はルシルでいい」
「わかりました。……ルシルさん」
ルシルさんは顎先を少し動かし、湖への道を示す。僕はその示す方角に歩いていった。
聞こえてくる水の音が次第に大きくなるにつれ、僕はその音源に気付く。
「滝の音……。」
水の打つ音が気を落ち着かせる。
草を掻き分けながら音源に向かってしばらく歩くと、ひとつの大きな湖にたどり着いた。
天高くそびえる崖から大量の水が流れ落ち水面で爆ぜ続ける。爆ぜた水が青と白の霧となり、光の反射も相まって神秘的な美しさを発している。
視界のほとんどを占める程の巨大な湖。
その湖の浅瀬に、一人の少女は僕に背を向ける形で佇んでいた。
何一つ身に付けていない白き肢体に水滴を纏い。
その情景は、まるで美しい一枚の絵画を見ているようだった――。
こちらに気付いたのであろうか。少女は顔をこちらに向けて僕を見つめる。
濡れた髪が発する妖艶さと、幼さの残る胸から臀部にかけての曲線のギャップが、僕の視線と心を捕らえる。
少女は目をそっと細めた――
「うわっ!」
僕は咄嗟に声を出し。後ろを振り向く。
鼓動が早い。顔が熱い。
気まずい沈黙が場を支配する。
「『うわっ』とはなんだ、失敬な。安心しろ。見られて恥ずかしがる程うぶではない」
湖から人が上がる水の跳ねる音が聞こえ、その後、草地を踏む音が聞こえ、その音が徐々に大きくなってくる。
「相手が人で在らざる者であればなおさら」
続けて発した言葉は、始めの言葉とは裏腹に怒りがこもっていた。……ような気がする。
「ご……ごめん」
たどたどしく言葉を返し、振り返った。
手の届く距離まで近付いていた少女は……。まだ裸であった――。
「うわっ!」
再び後ろを振り向いた。後ろから冷たい声で「わざとか?」と聞こえる。
さっきと違い、距離が近い分。見えてしまった……。
さっきと違い、少女もこちらに体を向けていた分。見えてしまった……。
そりゃもう……。色々と……。
鼓動がさらに早まり。顔が燃えるように熱くなる。
少女は僕の横を素通りすると、近くの木に掛けてあったタオルに手を伸ばした。
体に付いた水滴を拭っているのであろう間があり、その後、衣擦れの音が聞こえてくる。
「もういいぞ」
少女の言葉を聞き、三度振り返った。
肩の高さまで伸びた髪は薄い桜色に染まり、癖があるのか全体がゆったりと波打っている。
あどけなさの残る顔に人形のように大きな眼。その眼に収まる瞳は焼ける夜空の様に深く、赤い紅色に染まっていた。
綺麗というよりは可愛らしさが似合う。そういった印象であった。
白に赤の刺繍が入った薄手のローブを手に取り、羽織ると彼女は強い眼差しで僕を睨みつけ、言葉を発した。
「何をしている。行くぞ」
少女と共に来た道を戻る。
白に赤の刺繍のローブ……。どこかで聞いたことがある気がする。思い出せそうで思い出せないこの状況。もどかしい。
「そのローブって……」
「火の民のローブだ。王族のな」続けて「文句あるか?」と。
少女の言葉に導かれ、記憶が呼び起こされる。
ああ、そうだ。火の民だ。昔、父に連れられて火の国に行ったときだ。
「そういうおまえは……。風の民だな?」
突然の質問に僕はビクっと体を振るわせた。
「一般的には……。風の民と呼ばれているみたいですね。」
生まれつき他の人よりも敏捷性に長けた民族、他の人々からは総じて風の民族と呼ばれている。
そういえば火の民族にも特徴があって、確か……。力が強いんだっけ。
あれ……。でも……。火の民ってたしか……。
記憶を辿っているうちにルシルさんの場所まで戻ってきた為、一度意識を切り替える。
「戻ったのかい?ソフィ。水浴びはどうだった?」
「おかげさまで。」
ルシルさんが微笑みで迎え、ソフィと呼ばれた少女がそれに答える。
ソフィと呼ばれた少女がこちらを振り向き、鬱陶しそうに目を細めながら言った。
「私はソフィ。ソフィ・フレイリア。呼ぶときはソフィって呼んで」
言い終わると腰に手を当て、胸を張る。
「僕はクルト・ヴェンセール。よろしく、ソフィ」
言葉と同時に手を伸ばす。
「よろしく。クルト」
よろしくと言うソフィの目は笑っていなかった。卑しんでいるような、哀れみのような。そんな目だった。
そういう目で見られるような事は……したのかもしれないけど。
当然の事ながら、僕の伸ばした手は虚しく空を切った。
ルシルさんは立ち上がり、黒いローブを羽織ると、静かに口を切った。
「さあ、そろそろ行くぞ。……盗賊狩りだ。」
ルシルさんは笑っていた。悪魔のような笑みを浮かべて。